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精霊と踊る君と  作者: 此島
六章
28/33

 近付く精霊祀に街中が浮かれているようだった。何処の通りを巡回していても、其処彼処で残すところ後数日に迫った精霊祀について語り合う人々の立ち話が耳に入る。

 今度の精霊祀には参列するのかい。次こそは一番前で巫女様の舞が見たいねえ。そうした人々の会話を聴覚が勝手に拾い上げ、もう手の届かない面影が胸裡に浮かび上がる。

 ひっそりとした奥庭に静かに響く、透明な歌声。長い裾を翻して典雅に舞う彼の姿は思ったよりも深く、鮮やかに記憶に刻み込まれているらしい。未練がましいとは正にこの事だろう。未だに後ろ髪を引かれている自分にらしくもないと愛想を尽かしつつ、ユーリは他の衛士達と共に午後の巡回を続ける。

 巫女守の役を解かれ衛士隊に舞い戻ったユーリを同僚達は温かく迎え入れてくれた。勿論衛士長の細かい心配りのお陰もあるのだが、どうやらユーリが唐突に馘首を言い渡された事が知れ渡っており、彼等の態度には同情の念も多分に混じっているらしかった。

 戻った当初は気を遣って当たり障り無く接してきていた皆だが、ユーリ本人に落ち込んでいる様子が見られないと知ってそれも数日の事で終わり、ユーリは前と同じように衛士隊の面々に溶け込んでいた。中には実際に仕えてみて巫女様はどのような方だったかなどと臆面も無く尋ねてくる者もいる。

 それでも仲の良い友人などに言わせると、精霊宮に行く前と戻ってきた現在では若干雰囲気が変わったそうだ。衛士隊に戻って来てからも心の何処かで蟠っている、茫漠とした喪失感のようなものの所為なのだろうか。尤も彼女に「何だか少し寂しそうね」と言われるまでは、自分がそのような想いを抱いている事にすら気付いていなかったのだが。

「はあ、残念だな。オレ、次の精霊祀も巡回に当たっちゃってるんすよ。夏の時も巡回で行けなかったってゆーのに、また今度もなんてヒドくないすか?」

 聞こえてくる精霊祀の話題に巡回中の雑談の内容も自然と其方に傾いていく。不満げにぼやいているのは班の中で一番年少の少年だ。年齢が近しい為か、彼は美貌でも知られる精霊の巫女に対して多大なる憧憬を抱いている。

 こんな風に同年代の少年達から〝少女〟として憧れられているのを知ったら、果たしてレンディットはどう思うだろう。いつものようにきょとんとした表情をするのだろうか。それとも、困った風に微笑むのだろうか。想像に知らず笑い掛けたところでユーリは意識して表情を引き締めた。

「――なら代わってやる」

 つまらない想いに浸っている自分を切り捨てるように言う。

「えっ、本当すか、ユーリさん!?」

「ああ。その日は非番だ。何の予定も無い私よりお前が休んだ方が有意義だろう」

 全身で喜びを表現する少年や彼を揶揄する仲間達を余所に、隣にいた友人が複雑そうに鼻に皺を寄せた。ユーリは何食わぬ顔で歩を進める。

 衛士長が精霊祀に顔を出せるようにと考えてその日の担当からユーリを外した事は知っている。衛士長の心遣いには感謝するが、ユーリは精霊祀に出掛ける気は無かった。

 仮に会いに行ったところで、舞殿の上の巫女は参列者の自分とは全く別の世界の人間だ。レンディットの舞が素晴らしいのも、彼の祈りが精霊に届かない筈が無いのも、ユーリには解り切っている。今更見物に行っても仕方が無いし、馘首された身でおめおめと顔を出すのも憚られる。

 物言いたげな友の眼差し。大喜びで跳ね回る後輩とからかい混じりに笑う同僚。来る精霊祀と巫女の舞について思い思いに語り合う城下の住民達の声。馴染みの光景である筈なのにユーリには何もかもが一つ壁を隔てた向こう側にあるもののように思えた。

 他人事のように遠い喧噪の直中にあって唯一身近に感じられる闇精の気配が、一瞬強く吹いた秋風に反応するかのように肩から頭上へ飛んだ。駆け抜けて行った風精にでも反応したのだろうか。風が強く、ざあっと駆けるように吹くのは風精が勢い良く其処を駆けて行くからだと、そう教えてくれたのはレンディットだった。

 レンディットは今頃どうしているだろうか。女官長が目を光らせているだろうから、滅多な危険が降り掛かる事は無いと思いたい。次の巫女守は自分などとは違い、しっかりとレンディットを守れるような適任が見付かるといい。ユーリは雑談を交わす仲間内で一人、思案に暮れて通りを歩いていた。

 最後の巡回路を見て回れば今日の仕事は終わりだ。詰め所へと戻り衛士長へと報告を入れ、皆それぞれの帰路に就く。空はすっかり夕間暮れの様相を表しており、遙か西の彼方に沈みゆく茜色の太陽が見えた。

 夕暮れ時の城下の雑踏。自宅へ帰る者や何処かの店へ飲みに行く者と分かれながら、さざめく人々の間を抜けてユーリは一路寮へと帰る。帰宅した衛士等の溜まり場をなっている食堂の喧噪を横目に、二階へと上がって自室の扉に手を掛ける。

 不意に上がった階下からの自分の名を呼ぶ声でユーリは扉を開き掛けていた手を止め、吹き抜けになっている階段の上から一階を覗いた。ユーリより少し年上の先輩衛士が困惑顔で手招きをしている。

「君にお客さんだぞ」

「客?」

「とにかく降りて来てくれ。何か急ぎの用事みたいだし」

 客と言われて家族の誰かかとも思ったが、彼等が態々寮を訪ねてくるような心当たりは無かった。家族の誰かに何か――例えば事故などがあったのだとしても、それなら衛士隊にいるユーリには真っ先に一報が入るだろう。

 疑問に思いつつ下へ降りていくユーリだったが玄関先で息を切らせている深紅の色を目にした途端、理由はともかく誰が来たのかという疑問は氷解した。

「ネル?」

 応対に出てくれた先輩衛士に手振りで示し、食堂へ戻ってもらう。食堂の方からは酒の入っている他の衛士達が興味津々といった視線を此方へ注いでいた。衛士隊の寮へと精霊宮の女官衣姿の少女が息急き切って駆け込んで来たのでは興味を持つなと言う方が難しいだろう。ああいう手合いは散れと睨んだところで一時凌ぎにしかならないので、背中に感じる多くの視線には無視を決め込んでユーリはネルに尋ねた。

「一体どうし――」

「っ――レン、来てないかっ!?」

 ネルの焦慮に駆られた叫ぶような問いが、発しようとした問い掛けに重ねられる。ネルは屈んだ体勢で自分の両膝にそれぞれ手を突き、荒い呼吸をしている。

「レン?レンがどうした?」

「来て…ないのか…?」

 予期せぬ質問に戸惑うユーリに答えを悟ってネルは憮然として頽れた。虚脱のような空白を挟んで大きな舌打ちがなされる。

「…くそっ!あのバカ、何処行きやがった!?」

 腹立ち紛れに拳を床に打ち据えるネルには普段の完璧な侍女の仮面は一片も残っていなかった。この場にいるのがユーリ一人ならばいざ知らず、多くの衛士達の好奇の目に晒されているというのに口調一つ態度一つ取り繕おうとしない。

 ユーリの鼓動が嫌な風に速まっていく。ネルに尋ね返された時からずっと胸騒ぎがしていた。どくどくと脈打つ血液の音が異様な程に頭の中に谺する。だが意識の内に残った冷静な部分が、先ずは事情を訊けと逸る心に言い聞かせる。

 ユーリは気を落ち着かせる為に一呼吸置き、へたり込んでいるネルに目線を合わせて床に片膝を突いた。

「説明しろ。レンが、どうした?」

 一言ずつ言葉を区切り、明瞭に問う。ネルはまるで八つ当たりのように此方をきっ、と睨み付け、直後苛立ちと不安に顔を歪めてユーリの肩を猛然と掴んで言った。

「――っ、いないんだよ、何処にも!!何処捜しても見付からない!巫女殿の中も他の場所も奥庭も墓所も、普段行かねえ本殿の中だって捜したのにっ!皆総出で捜してるのに、あいつ何処にもいないんだ!!」

 ネルは堰を切ったように事の経緯を捲し立てた。激しく急く感情に時々詰まる言葉と呼吸をその都度促し、ユーリはネルから詳しい事情を聞き出すべく集中する。

「私が仕事片付けて部屋に戻ったらレンがいなかったんだ。初めは書庫にでも行ったのかと思ったんだよ。でも違った。誰もレンが廊下に出て来たのを見てないんだ。皆忙しかったから断言は出来ないとは言ってた。…でも、おかしいだろ!?あいつ、外に出るなって言われてたんだぜ!?あいつは私と違って昔から〝良い子〟で、あんたが追い出された時だって大人しく諦めて反対もしないくらいなんだ!窓から抜け出したんだとしても半端な理由じゃそんな事絶対にやらねえ!だから…だから、もしかしたら…こっそり抜け出して、あんたに会いに行ったんじゃないかって――」

 急速に勢いを失い、途切れるように掠れてゆくネルの声。自分に黙って忽然と姿を消したレンディットに対する怒りか不安か、あるいはその両方でネルの腕は微かに震えていた。

「――…おいっ!?待っ、ユーリっ!!」

 頭が意識するより先に、勝手に身体が動いていた。驚き慌てたようなネルの叫びを後にユーリは詰め所を飛び出し、暮れ始めた路地へ身を躍らせる。

 全速力で通りを駆け抜ける制服姿の衛士に擦れ違う人々が一体何事かと驚愕していたが、そんな事を気にする余裕は心中に隙間も存在していなかった。

 ただ身体の動くままひたすらに通りを走り抜け、ユーリはいつの間にか双丘を望む黒闇(くろ)の通りの北端の方まで来ていた。

 無我夢中で此処まで走って来てしまったが、こんな所に来てどうしようというのだろうか。闇雲に走ったところでレンディットが見付かるわけでもない。彼の居場所に心当たりは無く、捜す当てすら無いというのに、どうしてこんなにも必死になって走っているのだろう。

 気ばかりが焦って空回る。冷静さを欠いていたユーリは漸く我に返り、この程度の距離でみっともなく息を乱している自分に呆れて走るのを止めた。

 寮を飛び出した瞬間の焦燥感はユーリの心を灼くかのように胸の内に在り続けている。自分がどうしたいのかは解り切っていた。しかし、どうしたらいいのかが判らなかった。

 僅かでも捜す当てがあるというのならまだ行動も出来よう。だがユーリの知る限りレンディットが自分の意思で外へ出た場合の行き先の心当たりなどファルガの所くらいしか思い付かない。けれどもその可能性はかなり低いように思えた。万が一独りでファルガの許へ出掛けたのだとしても騒ぎになる程の長居は避けるだろうし、行くなら行くでネルにくらいは一言告げて行くだろう。

 そうなるとレンディットが自らの意思で精霊宮を抜け出したと考えるよりは、やはり例の襲撃を企てた何者かに拐かされた恐れの方が高いのではないか。だとすれば尚更居場所の見当など付く筈も無かった。

「何処にいる?レン…」

 呟いたところで答えが返る訳も無い。徐々に深まる宵闇の気配に見上げた双丘も街並みも、通りを行く人影も全てが夜の影に染まってゆく。日が暮れて、夜が来る。普段は気にも留めないような当たり前の事実。それが今は言い知れぬ程の不安を掻き立てていた。

 自分で出て行ったのか、連れ去られたのか。それすらも判らない中で暗い夜がやって来る。その身の内に全てを覆い隠してしまう夜が――。

「っ!」

 ユーリは瞠目し、弾かれたように後ろを振り返った。正確には背後ではなく己の左肩のやや後ろ。最も強くその気配を感じる位置を正視する。

 ――そう、本で読みました。

 決まり悪そうに言うレンディットの声が耳の奥で蘇る。闇精とは闇の帳に全てを覆い隠すものであり、転じて隠された真実を抱く。いつかレンディットが教えてくれた特性だった。

 視えない闇精の気配がまごついて左右に動く。ユーリは静かに息を吸い、吸気を想いの丈を込めた言葉に変えて語り掛ける。

「―――お前なら、判るか?」

 巫女殿の裏の白壁の抜け穴を看破してみせたように、レンディットの居場所も教えてくれ。縋るような想いを込め、尋ねる。これまで散々邪険にしてきておいて虫がいい話だという事は百も承知だ。それでもユーリには闇精に問う他にレンディットを見付け出す術が無いのだ。

「身勝手なのは解っている。それでも私はお前に訊く。…レンが何処にいるのか、判るか?」

 両の眼で虚空を見つめ、もし判るのならばどうか教えて欲しいと懇願する。狂おしいまでの切望だった。

 じきに夜を迎えようとする大通りに茫漠とした明かりが灯り始める。空気は昼間の暖かさを失くし、ひんやりとした夜風の先駆けがざわめきのように通り過ぎた。

 己に取り憑いた精霊に面と向かって話し掛けてみたのはこれが二度目だ。取り憑かれて間も無い頃に一度、何故自分などに憑いているのか、何の面白味も無いだろうに酔狂な奴だと言ってみた事がある。精霊は気配でその存在を主張するだけで当然のように答えは返ってこなかったが、その時は別に構わなかった。けれども今は、其処に在るだけの気配にもどかしさすら感じていた。

「――…頼む」

 逡巡するように瞬く気配へと、精霊へ祈りを捧げる時の所作を取ってユーリは深く深く頭を垂れた。刹那、虚空に生じた怒りの気配に頭を上げ、其方を見上げる。

 無いもののように振る舞い、存在を無視し続けた癖に何を都合の良い事を。そう憤っているのだろうか。しかし怒りを買うのは覚悟の上だ。怯まずに宙を見上げるユーリの瞳の先で、闇精の気配が身を翻す――不意に掻き消えた怒りに代わるように、奇妙な寂寥感を空に滲ませて。

 闇精はユーリの頭上で三度旋回し、黒闇の通りから東へと進んで行く。

「っ、恩に着る!」

 ついて来いと言っているようなその気配を追い、ユーリは石畳を蹴って再び走り出した。

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