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精霊と踊る君と  作者: 此島
五章
24/33

 夜中から降り出した雨が晩夏の緑を煙るように濡らしている。細く開けられた窓からは雨天の肌寒く感じられる空気が入り込む。窓辺へ移動したユーリは隅の長椅子に座っているレンディットへ声を掛けた。

「閉めますか?」

 まだ風邪を引くような寒さではないと思うが、来月に精霊祀を控えたレンディットの体調を慮ると閉めた方がいいかも知れない。

「…いいえ。雨の音が心地好いので、そのままにしておいて下さい」

 レンディットは読んでいた本から視線を上げ、窓の方を見つめた。

 しとしとと降り続く雨は昼を過ぎても止む気配は無い。この分だと今日は一日中雨だろう。こういう日はレンディットは主に私室で一日を過ごすので、ユーリの時間にも多くの空きが出来る。

 昼食の後片付けと自分の食事を済ませたネルが部屋へ戻るのを待って、ユーリはレンディットにこの場を外れる許可を求めた。

「巫女様。少々外す事をお許し願えますか」

「あれ?何か用事か?」

 お茶の支度を始めようとしていたネルの方がレンディットよりも先に尋ねてくる。ネルは並べていた三人分の茶器を指差した。

「茶は?いらねえの?」

「ああ。悪いが守護士の何人かと鍛錬をする約束がある」

 巫女守として護衛の任に就いているからには鍛錬を怠ける事は許されないし、ユーリ自身も剣に触れている時間は好きだ。晴天であれば剣の稽古は奥庭で行っているが、雨の日にはユーリは守護士等の訓練場の片隅を借りて剣を振るっていた。その際に出入りする守護士等と顔見知りになるのは当然の帰結であり、今では内何人かとは親しく接したりもしている。

 あの守護士長やその取り巻きの守護士が一同の代表のようになっている所為で誤解してしまいがちだが、その他の守護士達の中にはもっと分け隔て無い、気さくでさっぱりとした気性の持ち主も多くいる。ユーリが女性であるのを主な理由として選ばれた巫女守という事で初めは皆此方を遠巻きにしていたが、彼等はユーリの腕前が決してお飾りではない事を知ると、二言三言と話し掛けて来るようになった。とはいえ余り人受けのする性格ではない事を自認しているユーリであるので、ファルガがそうであったように皆から好かれるという事は無いのだが、それでも副士長を始めとした何人かはユーリのそういった性格も含めて認めてくれ、今では時偶稽古を共にする程度の親しみと付き合いがある。

 今日は元々、雨でなくとも午後に訓練場に行く約束をしてあった。レンディットが奥庭に出向くのは主に午前の方が多いからである。都合が付かなければそれは仕方が無いと互いに承知した上での約束なのでどうしても行かなければならないわけではないのだが、レンディットが私室に籠もっているつもりなら出来れば顔を出したいとユーリは思っている。

 ユーリからの申し出にレンディットは暫し答えを返さず、ぼうっとユーリの方を見つめていた。ユーリが席を外す事に何か問題でもあるのだろうか。もしそうなら無理に行こうとは思わないのだが。

 是か否か。返事がどちらでも構わないが、たったそれだけの答えがすぐに返ってこない事が気に掛かった。

 簡単な返答を待つだけの時間がやけに長く感じた。単純にユーリが外す事に不都合があり、その所為で口籠もっているだけならいい。だがこれまでの経験からそうした場合でもレンディットはきちんと返答とその理由を話す筈だという事をユーリは知っている。

 一体どうしたのか。もしやこの寒気で体調を崩し掛けてでもいるのだろうか。多少の懸念を抱いたユーリがそれを問おうとした矢先、レンディットが徐に口を開いた。

「…私も、ご一緒してもいいですか?」

 澄んだ問い掛けが雨の音に混じる。まさか付いて来たがるとは思いもしなかったので多少驚きはしたが、ユーリはレンディットを訓練場に連れて行った場合に生じる不都合について素早く思考を巡らせた。思い付く事象としてすぐに挙がる、訓練場内にいる守護士達が色めき立つだろう事はこの際どうでもいい。それよりも稽古の間はレンディットのすぐ傍についている事が出来ないのがユーリにとっては気掛かりだった。

 レンディットを狙う輩も恐らくは精霊宮の内部にいる人間だ。その人物がどういった立場の者かは判らないが、万が一にも訓練場で顔を合わせないとも限らない。足の付かない人間を別に雇うという周到さから見て自らが直接的にレンディットを襲うとは考え難いが、何かしらの事故を装って行動を起こす事は有り得ないとは言い切れないのだ。ユーリとて鍛錬の間はどうしても其方の方に集中してしまうし、やはりレンディットが訓練場に同行するのは好ましくないのではなかろうか。

「別にいいだろ?連れてってやってくれよ」

 後ろで茶を淹れようとしていたネルがレンディットに助け船を出すみたいに意見する。手にしていた茶器を置いて大股で寄って来たネルは手振りでユーリに屈むよう指示し、高さの合ったユーリの耳に顔を寄せてひそひそと声を潜めて喋り出した。

「あのさ。レンの奴、今日は朝から何か元気ねえんだよ」

「そうか?」

 ちらりとレンディットの方を窺うがユーリにはそうは見えなかった。

「私がそう言うんだからそうなんだよ。上手く取り繕ってるけどさ、よく見りゃあ元気無いの誤魔化してるのが丸分かりだ」

 小さく溜め息をつき、ネルは呆れに肩を竦めた。

「だからさ、気分転換がてら一緒に連れて行ってやってくれよ。一人で置いておけないっていうなら私が傍にいりゃあ平気だろ?あいつがあんな我が儘言うなんて珍しいんだしさ。頼むよ、な?」

 ネルは一息に言い終えると、ぱん、と小気味よい音をさせて両の掌を打ち合わせた。そんな風にしては声を潜めていた意味が無いと思うのだが、いいのだろうか。

 まあ、ネルが隣にいるというのなら大丈夫か。人前では淑やかな女官を演じてはいるが、ファルガの直弟子というだけあって彼女の腕前は信頼に足るものではある。その事は幾度となく手合わせを行っているユーリが一番保証出来た。

 ネルとの密談の間、読み掛けの本を閉じたレンディットは黙ってユーリからの返事を待っていた。仮に此処で不可を答えたとしても大人しく引き下がるのだろう。ネルが肘でユーリの脇腹を軽く(つつ)く。仕方が無いとユーリはほんの僅かにだが苦笑を浮かべた。

「承知しました」

 承諾の言葉に喜び、大きく歓声を上げたのはネルの方だった。レンディットは許可を得た事に小さな安堵の息をついた。有難うございます、と呟く声は奇妙に儚く、元気が無いというネルの見立てを裏付けているようにも思える。

「んじゃ、茶はいらねえな。すぐに片付けるからさ、ちょっと待っててくれよ」

 言うなりネルは並べ終えていた茶器の数々を手早く手押し車に載せ、猛然と部屋の外へ飛び出して行った。あの勢いでも廊下へ出た瞬間にはもうたおやかな女官の皮を被っているのだから、その切り替え振りには舌を巻くばかりである。どうやれば室内を突っ切って行ったあの速度を直ぐ様殺せるのだろうか。ネルの動きを見ていると、一度教えを乞うてみても損は無いような気がした。

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