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精霊と踊る君と  作者: 此島
五章
22/33

 剣と剣とが打ち合う響きが収まった奥庭を涼風が渡っていく。終わり掛けの夏の空気に秋の訪れを運ぶ風はユーリの纏う純白のマントを高く持ち上げながら、澄んだ空へと向かって颯々と駆け抜けて行った。

 ユーリは手にしていた剣を拾い上げた鞘へと戻し、柔らかな草地に腰を下ろして一息入れる。正面寄りの数歩先では一足早く座り込んだネルが少々剥れて剣を納めていた。

「あーあ。まーた私の負けか。…あんた、強過ぎねえ?一体誰に剣術習ったんだよ」

「近所に住んでいた元騎士の、鍛冶屋のご隠居だ」

 簡潔に答えてユーリは手合わせ用の剣を脇に置いた。同様に剣を置きつつ、自分の顎を撫でるようにして思案するネルは納得したようなしないような、複雑な顔で宙を睨んでいる。

「じゃあ、お互い剣術の基本は似たようなもんか。となると、やっぱり経験の差か?」

「才能の差じゃないか?」

「てめえ、言いやがったな」

 軽口で返してみるとネルは怒った表情を作って握り拳を頭の横で振り上げた。一拍置いてネルが大笑いする。

 一頻り笑ったネルは両足を放り出して楽な姿勢に座り直し、羨望を含んでユーリを見た。

「…やっぱり憧れるなあ。私もそういうのがやりたかったわ」

 誰に聞かせるでもない独り言のような呟きだったがユーリの耳にそれははっきりと届いた。志した理由が理由だけに憧れは捨て切れないのだろう。

 ネルが衛士や騎士になるのを目指していたという話は以前レンディットから聞いてはいたが、その理由は両親の死にあるらしい。ネル本人が語ってくれた事だが、両親が夜盗に襲われて殺されたを切っ掛けに幼いネルはそういった連中を捕らえる仕事に就きたいという夢を抱いたのだそうだ。そして今も、ネルの根底にはその想いが強く残っている。だからネルは時折ユーリの事をそうした羨望の目で見るのだ。

 巫女として生きる事になったレンディットを支える為に自分の夢を諦めたネル。言葉遣いや態度は乱暴ではあるが、その奥には彼女なりの優しさや気遣いがある。

 羨む視線には敢えて気付かない振りをして、ユーリは草地に咲く小さな花に目を遣った。吹き抜ける風に揺れる白詰草の花は一面に続く緑の中に所々真白い彩りを添えている。

「――そういえば、例の連中って何か吐いたのか?」

 ふとネルが口を開く。ネルは狙われたと思しきレンディット以上に先日の破落戸達の素性や背景を気に掛けていた。ネルの問いにユーリは僅かに眉根を寄せて返答する。

「いや。衛士長の話によれば、元々大した情報は与えられていないらしい」

 衛士長からの報告によると、あの男達は最近王都にやって来た流れ者の破落戸達であり、食い詰めていたところを端金で雇われていた。彼等を雇ったのは一人屋根に潜んでいた方の男だったという事だが、件の連中は彼の素性どころかその名前さえも知らなかったという事だ。使い捨ての利く目眩ましとして使われたのだろう。例の男の方はやはりというか暗殺などを生業とする者であったようで、詰め所での拘束中に隙を衝かれ自害されてしまったらしい。如何にも玄人のやりそうな事である。襲撃の首魁と思しき男に死なれてしまった以上、残った男達を締め上げても有用な情報は出て来ないだろうと衛士長は無念そうに言っていた。

「何か、厄介だな。叔母さんの方も色々調べてはいるらしいけど、例の眠り花の方と同じで大した事は出て来ちゃいないってさ」

 巫女の事故死を狙ったものかも知れない眠り花の混入は、禊殿に生花を活けた担当の女官が恋人から贈られた綺麗な花を花瓶の花に混ぜたのが原因だった。それが眠り花とは露知らず、折角だからと珍しい花を女官は巫女様にも献上しようと思ったのだという。当初は咎を受けるのが怖くて言い出せずにいたのだが、後日その女官は自ら女官長の許に出頭し、申し出て精霊宮を辞めた。

 女官は迷惑が掛かると嫌だと言って恋人の名は頑なに出さなかったので、眠り花を入手したという張本人については判らずじまいだ。とは言うものの、これ等は全て女官の申し開きが真実であった場合の話である。

 女官長はこの女官の言動に怪しい点を感じ取り、抜け目無くも辞めた彼女に信用出来る配下を使って監視を付けていた。生家に戻った彼女に今のところ目立った動きは無いらしいが、もしも巫女を狙う何者かの計画に一枚噛んでいるとするならば、いずれ何らかの行動を起こすだろう。女官長は其処を黒幕を暴く糸口にしようと考えている。

「とんでもねえ話だよな、全く。全部が繋がってるんだとしたら何処のどいつの仕業か早く判りゃあ一番いいんだけど、でもまあ、レンにはユーリがついてるからな。まだ安心だ」

 腕で足を引き寄せるように胡座を掻いてネルは快活に笑んだ。自身の意志としても、寄せられた信頼には応えたい。力の限りを尽くす事を誓ってユーリはネルに向かって頷いてみせた。

「ああ。任せて欲しい。―――…ところで朝から気になっていたんだが、あれは何だ?」

 真面目な話が終わったところで、ユーリは身体ごと其方を振り向くようにして後方にいるレンディットを見遣る。レンディットは慣れた手付きで花冠を作っているが、ユーリが気にしているのは其処ではない。問題はその外観にあるのだった。

 レンディットは器用に白詰草を束ねながら、時々辺りに向かって話でもするかのように微笑んでいる。普段と何ら変わらぬずるずるとした巫女衣に身を包んでいるのだが、ユーリが気になっているのは衣装ではなく首から上――というより、常とは違うその髪型だった。

 普段は巫女の額飾りが渡されているだけで飾り気無く流されている、緑銀の長い髪。だが今日は丁寧に編み込まれ、真っ白な飾り紐を使って纏められていた。華やかさはあるが決して派手ではなく巫女としての清雅な印象を引き立たせるようなものではあるが随分と凝った髪型である。

「ああ、あれ?手慣らし」

 朝課の祈りの迎えに行った時から抱きつつも、何となく訊く事が出来なかった疑問。あっさりと答えるネルは白い歯を見せてご満悦の様子だ。

「もうじき秋の精霊祀があるだろ?その時はレンをある程度飾り立てなきゃならないからな。ま、本番はもうちょっと違う風にやるんだけどさ」

「秋の精霊祀にはまだ半月以上あるだろう。今から彼処までやる必要があるのか?」

「半月ちょいなんて結構すぐだって。それに、精霊祀が近くなると精霊宮中が慌ただしくなるんだよ。私も少しはお姉様方を手伝わねえと肩身が狭くなるから、いつもみたいにレンに係り切りって訳にもいかねえし。だから今の内から練習しておかねえとさあ。普段はレンが嫌がって結わせてくれねえから、腕が鈍っちまって鈍っちまって」

 腕が鈍っているという割には充分に綺麗に結い上げていると思うのだが。両手の指を祈るように組んで手首を回しているネルからユーリは再度レンディットの方へ目を移し、呆れとも感嘆ともつかない溜め息をついた。

 平素以上に少女にしか見えないレンディットは、これまた少女めいた細い指で軽やかに花冠を編んでいる。髪が結い上げられている為に露わになった白い項。その華奢な線に僅かに清楚な色香まで漂って見えるのは、果たしてユーリの気の所為なのだろうか。

 若干感服気味にユーリはレンディットの姿を眺めた。観賞に値する外見だとは前々から思っていたが、これは本当に見入ってしまうような端麗さだ。女官長の言によればレンディットの容姿は母方には余り似ていないらしい。するとこの容姿の由来は父方の血なのだろうか。お陰で面差しで出生を勘付かれるという事は無いようだが、その点を思うと父親自身も都の近隣には暮らしていないのだろう。これ程の造作と似た顔があればそれだけでもなかなかの噂になり得る筈だ。

 と、不意に手を止めたレンディットが顔を上げた。注がれるユーリの無遠慮な視線に気が付いたのだろうか。片手で裾を払って立ち上がると破顔して此方へ歩いて来る。

 ぱさ、という軽い音が頭の上でした。

 目の前には両手を此方へ差し出した姿勢で立つ、穏やかに微笑んだレンディットの姿がある。だが先程まで手の中にはあった花冠が無くなっていた。ユーリは確認の為に徐に右手を頭に遣る。輪の形に編まれた白詰草の茎と小さな鞠のような花が指の先に触れた。

「いつも有難うございます、ユーリ」

 レンディットはそう言って深く頭を下げた。

 頭に載せられた花冠の感触に少々不可思議な違和感めいたものを覚える。自分でもそうだろうと思うが、似合っていないのだろう。背後でネルがぶはっ、と盛大に吹き出した。

「…礼を言われるような事は、何も」

 漸く纏まった言葉を口に出す。守としての仕事の事を言われたのだろうとは思うが、それなら態々礼を言われる筋合いは無い。レンディットの傍にいて、彼を守るのがユーリの役割なのだ。自分は当然の事をしているだけで感謝されるような謂われは無い。

 けれどもレンディットは小さく首を振った。

「いいえ。あなたには色々と迷惑を掛けてしまっているから。ごめんなさい。……それから、有難う」

 感謝の言葉と共にレンディットから偽りの無い笑顔を向けられる。ユーリは幾分の戸惑いを感じた。然程の事はしていないという気持ち自体は動かないが、だからといって礼を固辞するのはレンディットの謝意を無視するのと同じになってしまう。流石にそれは申し訳無く思えた。

「…いえ」

 と、それだけ答えたユーリにレンディットはふわりと笑う。最近ではレンディットが例の笑顔をユーリに向ける事もほとんど無くなっていた。レンディット個人から守役として認められた証のようで、嬉しいような心持ちがしないではない。

「なあ、レン。私には何かねえの?私だってお前の面倒見てやってるんだけどなあ」

 黙ってユーリ等の遣り取りを見ていたネルが頭の後ろで両手を組んで、態とらしく言って退ける。不満げというよりも戯けたような口調で礼を要求するネルに、小首を傾げたレンディットは口元に手を遣って考え込む仕草をした。

「……ネルにはこの前、貴族の人から差し入れられたお菓子、あげたよね?」

「ああ?お前まさか、あれっぽっちで私の苦労が労えたとでも思ってんじゃねえだろうな?あんなんじゃ足りねえに決まってんだろ。そもそも可愛い妹に菓子をやるってのは礼じゃなくて兄妹間の常識だぜ?」

「常識…って、それは妹が〝可愛い〟場合……だよね?」

「…上等だ、てめえ。ケンカ売ってんなら買うぜ?」

 ネルがどすの利いた低い声を出し、レンディットが慌てて首を左右に振ってみせる。兄妹らしいたわいも無い会話に突如として暗雲が立ち込め出したが、ユーリは一先ず事の成り行きを見守る事に決めた。じゃれ合い染みた兄妹喧嘩に口を挟んでも仕方が無い。ただ、腕力勝負になれば間違い無くレンディットが負けるだろうから、怪我をする前には止めに入るべきだろうが。

 ユーリが然り気なく動向を窺う中でネルが片膝を立て立ち上がり掛け、レンディットが怯んで半歩後退りする。

 緊迫するネルとレンディットの間をざあっと草を揺らしながら一際強い風が吹き抜けた。日差しの下で煌めく緑銀が、風を孕んで大きく翻る。

「あ…っ!」

「ああっ!?私の力作が!!」

 兄妹が揃って叫び、レンディットが焦って宙へと手を伸ばす。両者の瞳が追う先にはレンディットの髪にきっちりと結ばれていた筈の白の飾り紐が千切れた雲の切れ端めいて浮かんでいる。そのまま飛んでいってしまってもおかしくはないのに、飾り紐はレンディットの指の先で奇妙にゆらゆらと滞空している。間々ある精霊の悪戯のようだ。精霊に好かれるというのも良い事ばかりではないらしい。

「あ、待っ…お願い、返して!ネルが怒る!」

 慌てふためくレンディットが必死に飾り紐を追い掛ける。からかうように周りを浮遊する飾り紐を取り返そうとして右往左往するレンディットの伸ばした腕が虚しく空振りし、透かさずネルの怒号が飛ぶ。

「お前、遊ばれてんじゃねえよ!」

 かく言うネルは地面に胡座を掻いたままであり、加勢する気は皆無のようだ。

「だって――…っわ!?」

 弁解を述べようとしたレンディットが大きく蹌踉めく。足でも縺れたのだろう。ともあれ、あのまま転倒すれば顔面から地面に倒れ込む事は確実だ。下は一面の草地とはいえ相当痛いに違い無い。

 レンディットの身体が傾いだ瞬間、ユーリはほとんど無意識に動いていた。咄嗟に立ち上がり、左手一本でレンディットを抱き留め、もう一方の手で空中から飾り紐を引っ手繰る。性急な動きに頭に留まり切れなかった花冠が、ぱさり、と落下した。

「お怪我は?」

 決まり文句としてユーリは尋ねた。無いとは思うのですぐに返事がなされるものと思っていたのだが、レンディットは無言だった。

 まさか抱き留めた瞬間に胸か腹でも打ち付けてしまったのだろうか。急な事態であった為、絶対にやっていないとは受け止めたユーリ自身にも断言出来なかった。

 ユーリの左腕にしがみ付くような体勢でレンディットは一切の動きを止めている。ユーリは両腕を使ってレンディットを抱き上げるようにして立たせた。

「お怪我は?」

 重ねて傍近くで囁き掛ける風に尋ねる。この距離なら問い掛けが聞こえないという事は無いだろう。尋ねて身を離し、ユーリはレンディットの顔を覗き込んだ。

「……巫女様?」

 茫然と驚愕が入り交じったような表情を湛えたレンディットの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。元の肌の色が陶器のように白い分、それがよく判る。

 痛みを堪えるような様子は見られないので怪我は無いと思うのだが。怪訝に思ったユーリは軽く腰を屈めてレンディットと目線を合わせ、僅かに考えた後、名前の方で呼んでみた。

「レン?」

「…えっ!?――…あ、は、はい。……ええと、その…だ、大丈夫です…」

 硬直していた反動のようにやたらと機敏に飛び退いたレンディットはユーリから数歩程度の距離を取り、胸に手を当てて何故か深呼吸をしている。大丈夫だと言われてもレンディットの顔は未だ赤く、酷く狼狽えたようなその態度は挙動不審である。

「本当に大丈夫ですか?」

「あ、は…はい。平気…です」

 俯くレンディットは掠れるような呟きを足下へ零した。ユーリにはそうは見えないのだが、本人が大丈夫だと繰り返しているのだから放っておくべきだろうか。もし本当に体調が思わしくないのであればネルが気付いて動くだろう。試しにネルの方を振り返ってみたが、ユーリと目の合ったネルはどういう訳か感心したような顔で、ひゅう、と口笛を吹いた。今一つ行動の意味が解らないのだが、まあ放っておいても平気だという事なのだろう。

 ユーリは取り敢えずレンディットに飾り紐を返し、さっき落としてしまった花冠を拾い上げようと地面に手を伸ばした。墓所の玉垣の角から感情の乗っていない嫌に静かな女性の声が掛かったのはその時だ。

「――巫女様。来月の精霊祀の件でお話がございます。どうぞ、巫女殿の方へお戻り下さいますよう」

 女官長は常態である厳しい眼差しで一同を睥睨し、最後に視線をレンディットの所で止めた。

「あ、はい。解りました。すぐに戻ります」

 その射抜くような眼にレンディットは直ぐ様返事をし、女官長の許へと駆け出した。普段ならユーリやネルに何かしら声を掛けてから行くのに、どうにも妙だ。女官長は例の一件以来、以前に増して言動が手厳しい。それを思えばレンディットが過剰な程素直に従うのも無理からぬ事なのかも知れないが。

 ユーリには巫女守としてレンディットに同行する責務があった。置いて行かれたからといってこのままネルと奥庭に残っているわけにもいかない。

「ネル。これを私の部屋に置いておいてもらえるか?」

 ユーリは花冠をネルに手渡した。精霊祀についての話し合いなら祭司長や守護士長も同席する。そんな場に花冠など持って行ったら、どんな小言を言われるか判ったものではない。仮にも日頃の感謝の気持ちとしてもらった物を嫌味の種にされるのは不本意である。

「おう。任せとけ」

 快く了承してくれたネルに礼を言い、ユーリはレンディットを追って走り出す。様子見に其方へ目を遣れば、泉の前で二人を待つように佇んでいる女官長が気難しく眉間に皺を刻んでいた。

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