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「――貴女はもっと職務に忠実な方だと思っていたのですが、私の見当違いだったようですね」
巫女殿へと戻った後、ユーリは自ら女官長の許を訪れて精霊宮を抜け出した事の報告を入れた。気付かれない限り外へ行った事は伏せておくつもりであったが帰り掛けに遭遇した者達の一件があり、報告せざるを得なかったのだ。
話を聞いた女官長は苦い顔をし、一言冷たく言い捨てる。しかし今のユーリには己に対する評価など大した問題ではなかった。勧められた椅子には掛けないままユーリは座る女官長を斜めに見下ろす。
「それで、どう思う?」
やはり同じような懸念を抱いたのか、女官長は思案顔で眉間の皺を増やした。
あの頭領格の男は言っていたのだ。お嬢ちゃんの方に用事がある――と。
レンディットは外出時に男物の服を着ていた。加えて帽子を目深に被り、顔を隠すようにして歩いていた。巫女としての典雅な所作を身に付けてはいるが普段から特段少女めいた立ち振る舞いをするわけではないレンディットだ。身体付きは華奢で小柄であるとはいっても髪色や顔立ちを見さえしなければ、少女だとも巫女だとも考えないだろう。
なのに連中はレンディットの事を『お嬢ちゃん』と呼んだ。一緒にいたユーリの事は『兄ちゃん』と呼び、男性と間違えたというのにだ。ならず者達と相対した時レンディットはユーリの陰におり、路地の薄暗がりも相俟ってあの距離で顔が見えたとは考え難い。とすれば、あの男達は初めからレンディットの事を少女だと思っていた可能性が高い。レンディットの方には何の面識も無いのにも拘わらずだ。
更には痛め付けるように頼まれたという言葉と、屋根の上に潜んでいた暗殺者めいたあの男の存在。最初に絡んで来た連中はともかくとしてユーリにはあの男はああした仕事を請け負う玄人であるように思われた。それ等を踏まえるならば連中の背後には何者かがいる事になる。そしてその人物は、レンディットが〝少女〟であると〝知って〟いる者に他ならない。
あの男達の雇い主はもしかすると、巫女であるレンディットを襲撃しようとしたのかも知れないのだ。この考えが正しいとすれば事は最早ユーリ一人の胸に収めておける事態ではない。
「……変装したレンディット様をレンディット様だと見抜く。出来ない事ではないでしょう」
神妙な面持ちで溜め息をついた女官長は幾分暗く言った。
「私も精霊が視える人間です。故に断言する事が出来るのですが、仮令レンディット様がどのような変装をしていたとしても、私にはあの方を見分ける事が出来ます」
「根拠は?」
「ユーリ様もご存じの通り、レンディット様は稀代の巫女です。あの方の周りにはいつも何らかの精霊達が浮遊しています。精霊の存在は至る所に見掛けられますが、あの方の周囲にはただ自然界に漂っているだけのものとは比較にならない数の精霊が種々、自然と集まって来るのです。あの様子を間近で見た事のある者であれば、街中で変装したレンディット様を見付ける事も不可能ではないでしょうね」
「間近で、という事はやはり内部の人間か」
重々しく呟くユーリに女官長は首肯して再び溜め息をついた。
「恐らくはそうでしょうね。視る〝眼〟を持っているか否かは個人の素質に因るとはいえ、精霊宮に仕える祭司官は最低でも二種以上の精霊が視える事が出仕の絶対条件です。程度の差はあれど守護士や女官の中にも視える者はおりますから、休暇や非番、用事などで外に出ていた者がレンディット様をお見掛けして気付いた、という事はあり得なくはないでしょう。その者本人が件のならず者達を雇ったかどうかは別としても」
何やら含みがあるようにも取れる言い方だが心当たりでもあるのだろうか。女官長の言葉の真意を読み取ろうとユーリは彼女の目や表情を注視するが、相手の方が一枚上手であってその本心は見透かせない。
仕方無くユーリは女官長の言葉の裏を探るのを諦めた。その代わりに疑問に思った点を挙げて、女官長の老練な知恵を借りる事にする。
「巫女に危害を加えようとした人物はいつから巫女を狙っていたと思う?」
「…それは判りません。ですが、憶測なら一つ。その者は先日の一件でレンディット様の外出に気付き、その後人を雇ってレンディット様が現れるのを待っていたのではないでしょうか?そうでなければ今回襲撃を受けた理由が思い付きません。今日レンディット様が精霊宮を抜け出した事を知っていたのは当事者である貴女とあの方と、ネルだけですからね。尤も、貴女やネルが襲撃を指図した張本人だというのでしたら話は別ですが」
女官長は涼しい顔で言い切った。ユーリの事はまだしも自身の姪でありレンディットとは兄妹同然であるネルの名前まで持ち出してみせるとは何処までも手厳しい女性である。それ程レンディットが謹慎の言い付けを破った事が許せないのだろうか。
「それを言うなら、女官長殿の指図である可能性もある訳だな」
「そうですね。身の潔白を証明する手立てはありませんし」
ユーリの皮肉に女官長は意外にもあっさりと肯定の意を見せた。まさかそんなに素直な返答が来るとは思いもせず、ユーリは少々毒気を抜かれて女官長の顔を見る。
「何です?」
怪訝な目をする女官長に「いや」と短く答えてユーリは話を切り上げ女官長の部屋を辞した。このまま話を続けていたとしても、恐らくこれ以上の実りは無いだろう。
件の連中は城下の衛士隊の方に引き渡してある。衛士長に掻い摘んで事情を説明してきたので、連中が何か吐くようであれば此方に連絡をくれると言っていた。事態をより深く把握するには連絡を待つしかないだろう。
しかし、一体誰が何の為にレンディットを狙ったのだろうか。この精霊宮が表向き通りに巫女を頂点とした一枚岩でない事は疾うに理解しているが、よもや国家の象徴にも等しい精霊の巫女に害意を持つ人物がいようとは。
こうなると、先達ての眠り花の件も単なる事故ではないのかも知れない。女官長が調べは進めているものの、花の出所は未だ判明してはいないのだ。あの一件も不運な事故に見せ掛けて巫女を殺そうという企みによるものである恐れは否定し切れない。
考え出せば切りが無かった。混沌とする思考を頭を振って追い払う。無駄な先入観や余計な憶測は不要だろう。腰に在る巫女守の証たる剣の重みを感じながらユーリは決然とその意志を固める。
自分の役目はレンディットを守る事。仮令何が起ころうと、誰が相手だろうと、それだけは決して変わらないのだから。




