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精霊と踊る君と  作者: 此島
四章
18/33

 頭上を仰ぐと、太陽は精霊宮を出た時に比べて随分と傾いていた。だがこの分であれば、急がなくとも祈りの時刻には間に合うだろう。

 来た道を辿るように城下街を北上する。隣を歩くレンディットの顔は帽子の陰に隠れていてユーリにはその表情を窺う事は出来ない。

 足取りは重くもなく、軽くもなく。果たしてファルガに会いに行く事によってレンディットの心は晴れたのだろうか。それすらも傍目には定かではなく、しかしながら気が済んだかと直接に問う事は憚られる。なのでユーリはただ黙ってレンディットを伴い精霊宮へと戻る道を歩いた。

 夕刻の近付く蒼水(あお)の通りには家々の窓から料理を作る良い匂いが漂い出していた。世間話に興じていた母親達もそろそろ夕食の支度を始め出したのだろう。日暮れ一杯まで遊んでいるつもりらしい子供達の元気な声が通りを駆けて行く。

「……あの、今日は本当に有難うございました。ユーリが連れて来てくれたお陰で、(じじ)様にお会いする事が出来ました」

 レンディットが顔を上げ、仄かに微笑んだ。

「礼ならネルの方に。私はただ付き添っただけだ」

 ユーリは礼を言われる程の事はしていない。だから淡々とそう告げる。

「はい。ネルにもきちんとお礼を言います」

 すげないユーリにもレンディットの対応は素直だ。帽子の縁から覗く翡翠色の瞳が深みを帯びてユーリを見つめた。

「…でも、ユーリにもお礼を言わせて下さい。僕に行くように言ってくれたのはネルだけど、連れて来てくれたのは、あなただから…。―――本当に、有難うございました」

 言って、レンディットは笑う。それは形通りのあの笑顔ではなかった。とても嬉しそうな、紛い物ではないレンディットの本物の笑顔だった。

 にこりと笑う、レンディットのいつもの〝笑顔〟。それも確かに見栄えのするものではあるが、それは彼の持つ美貌によるところが大きい。だが今目の前にあるこの笑顔には例の表情には無い魅力のようなものがあった。姿形の美しさだけではなく、其処に込められた喜色がそう感じさせるのだろう。レンディットがこのように喜怒哀楽の感情を明確に表に出す事は案外少ない。

 ――打ち解けたようで安心した。そんなファルガの言葉が頭を過ぎりユーリは小さく苦笑する。

 守の役に就いた当初は全て仕事としてレンディットに接してゆくつもりでいたが、こうやって守として巫女と親しむのも、そう悪くはないのかも知れない。

 滑稽にもそんな事を考える自分に更に一笑しつつ、ユーリはレンディットへと手を差し出した。場所は既に白光(しろ)の通りに差し掛かっている。先刻よりも人の多いこの時間帯にまた緑風(みどり)の通りを抜けるのだ。帰り道ではぐれました、では笑い話にもならない。

「気にするな。――ほら。早く帰るぞ、レン」

 レンディットは呆けたようにユーリを見上げたまま、差し出された手にも気付かずにいた。どうやら微笑するユーリが珍しいらしい。まあ、自分でもそう思うのだから無理も無い。

 数度の瞬きの後。レンディットはユーリの手にそっと、自分の手を重ねた。

「―――はい」

 満面の笑顔で返事をしたレンディットの手を引いて、ユーリは再び帰り道を歩き始めた。


 石壁に空いた穴を潜り、灌木の茂みを掻き分けて精霊宮の敷地内へと入り込む。ユーリ等は幸い誰にも見咎められずに中へ戻る事が出来た。

 緩やかに落ち出した陽に頬を撫でる風には僅かながら冷たさが混じってくる。しかし晩課には余裕を持って間に合った。後は部屋へ戻って時間までに着替えておくだけだ。

 ユーリ達は巫女殿に戻る為、足早にレンディットの部屋の窓辺へと近付く。だが途中でつとレンディットが足を止め、ユーリは不思議に思って振り返った。

「どうした、レン?」

「…あ……」

 だがレンディットは狼狽えたような顔をするだけで何も言わない。目指す窓を目前に怯んだように立ち止まるレンディットに嫌な予感がした。そしてそれは予感だけでは終わらず、すぐに現実のものとなって降り掛かる。

「――巫女様。ユーリ様。早く部屋へお戻りなさい」

 気配を感じて振り向くと、窓から険しい顔の女官長が半身を乗り出している。一目で判るような怒気を纏わせた彼女は苛立ったように窓枠を指で叩き、早く此方へ来いと態度で命令している。

 出来れば見付からずに外出を終わらせたかったのだがこうなってしまっては致し方無い。ユーリはまずレンディットを室内へ入れ、次いで自分も窓を乗り越えた。

 険しく眉を顰めて憤然と立つ女官長はなかなかの迫力である。その後ろではネルが居心地悪げに顔を背けている。酷く厳しい表情で女官長はまずレンディットを見て溜め息をつき、次にユーリへと目線だけを滑らせて尖った声で鋭く問うてくる。

「一体どういうつもりです、ユーリ様?巫女様を無断で外へ連れ出すなど、巫女守としてあるまじき行為でしょう?」

 いつになく手厳しい口調でなされる詰問は尋問と称しても差し支えない調子のものだった。これでは何をどう弁解したところできっと許されはしないだろう。

 正直に事情を説明するべきか。それとも適当にこの場を取り繕うべきだろうか。ユーリが考えているとそれを黙秘と取ったらしく女官長はきっとユーリを睨み付けてきた。だがそれならそれで都合がいい。

 放たれた矢のように鋭い女官長の視線を真っ向から受け止めユーリは太々しく腕組みをした。どうせ何を言っても結果は変わらないのだろうから、いっそこのまま黙りを決め込む腹積もりだ。叱責されるならそれで構わない。どれ程厳しく糾弾されたところで己に恥じる事は何もしていないのなら、別に痛くも痒くもなかった。

「――ユーリ様」

 申し開きの素振りすら見せないユーリに業を煮やしたのか、女官長は低く冷たい声を発した。背筋も凍るような声に奥にいるネルがぎょっと肩を竦ませる。ネルの目が「まずいから取り敢えず謝れ」と訴えているような気がしたが忠告は無視した。ユーリに折れる気などは毛頭無い。

 すっ、と威圧的なまでに姿勢を正して女官長が一歩前に出る。受けて立つつもりでユーリは敢然と女官長と対峙した。

「……あ、あの!その…待って下さい、セレナ女官長!」

 突如、女官長に睨まれて項垂れていたレンディットが声を上げた。睨み合うユーリ等の間に身を滑り込ませたレンディットは女官長の氷刃の如き一瞥にたじろぎながらも懸命に嘆願する。

「今回の事は全部僕の我が儘で、ユーリもネルも悪くありません。僕が外に出たがったのがいけないのです!だから――っ!」

 瞬間、目を見張る程に大きな音が室内に響き渡った。その乾いた音を切っ掛けに、室内が水を打ったように静まり返る。

「己の立場を弁えなさい、レンディット=ノワール」

 レンディットの頬を張ったままの姿勢で女官長は厳格に彼を見下ろした。

「……。………はい」

 打擲された頬を押さえたレンディットは俯いてぽつりと呟いた。まずは着替えてきなさいという女官長の命令通りに寝室へと向かう小さな背中には、先程までは確かにあった筈の様々な感情の気配の一切が消え失せている。

 やけに静かに寝室の扉が閉められ、後には再び沈黙が訪れる。嫌に重いその沈黙を事も無く破った女官長はユーリへと以後このような事が無いよう反省するようにと言い残し、毅然と部屋を出て行った。

「………悪い、誤魔化しきれなかった。…迷惑掛けちまったな」

 申し訳無さそうに頭を掻くネルの頬は片側だけが少し赤かった。女官長に叱られ、叩かれたらしい。ネルは「偶にある事だからな。気にする必要ねえよ」と気丈に笑んでみせる。

「――さて、レンの着替えでも手伝ってくるか。巫女衣って何であんなに何枚もずるずる重ね着するんだろうな?お陰でレン一人で着替えさせると時間が掛かって仕様がねえや」

 殊更明るい態度を取ってみせるのはユーリが気にしないようにとの心遣いなのだろう。それに対しても何一つ言葉が出て来ず、ユーリはネルが寝室に消えるのをただ見送った。

 一人取り残された室内で、苛立ち交じりに唇を噛む。先程の女官長の怒りの言動が、どうしても納得出来なかった。

 レンディットの言い分を頑として聞こうともせず、弁解の余地さえ与えない。何故あの二人があのように叱られなければならないのか。レンディットは外へ遊びに行ったわけではない。倒れたと聞いたファルガの事が心配で仕方が無かっただけだ。ネルとて大切な二人の事を想ってレンディットに行動を起こさせただけに過ぎない。

 そもそも立場を弁えろなどと言うが、レンディットを巫女の座に据えたのは女官長本人ではないのか。事情があるとはいえ性別まで偽らせて精霊宮に押し込めているというのに、女官長はこの上感情を押し殺す事まで強いるつもりなのだろうか。

「…どうかしている」

 恐らく女官長には女官長の言い分があるのだろう。頭では理解している。けれどもレンディットのあんなに嬉しそうな笑顔を見た後では、ユーリの心は大人しく引き下がる事を良しと出来ない。加えて言うならレンディットもレンディットだ。どうしてああも大人しく女官長の命に従うのか。其処までしなければならない理由など無いだろうに。

 割り切れない感情が立ち込める霧のように心を覆ってゆく。全てが去った空虚な室内には、立ち尽くすユーリと釈然としない想いだけが取り残されていた。

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