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精霊と踊る君と  作者: 此島
四章
17/33

 人目に付かぬようユーリ達は丘の裏手側の人通りの少ない路地の方へ移動した。王城や精霊宮のある丘は外周に沿って煉瓦を積み上げ、万が一にも崩れないように補強がなされている。煉瓦塀は大体成人男性の身長と同じくらいの高さなので、ユーリにとっては下りも上りも楽にこなせる高さだ。

 先に路地へと飛び降りたユーリは上にいるレンディットに手を貸して下に降ろしてやった。舞はあれだけ達者なレンディットだがその他の運動となると本当に苦手ならしく、ユーリが支えて降ろしてやったにも拘わらず着地の足下は蹌踉いていた。

 往来する者などまずいない細い路地ではあるが通りの方からは人々の話し声が届く。ユーリは其方を一瞥しながらレンディットへと声を掛けた。

「ファルガ殿の許を訪ねるに当たり二つ、お許し頂きたい事があります」

 レンディットは帽子を目深に被り直してユーリの事を見上げている。そうやって帽子の中に隠してしまえば特徴的な髪色に気付かれる心配は無いだろう。今はユーリを見上げている所為で鍔の陰から覗けるが、レンディットは小柄なので上さえ向かなければ顔自体も通行人に見られる事はほとんど無い筈だ。

「一つは言葉遣いです。同等の口を利く事をお許し頂きたい。城下には同僚だった見回りの衛士が多くいる為、もしも出会した時に奇妙に思われると厄介になります」

「はい。解りました」

「二つ目は呼び方です。城下で巫女様と呼ぶ訳にもいかない。御名でも不味いのでネルのように『レン』とお呼びする事を許して頂けますか」

「はい。…僕は、その方が嬉しいです。僕を名前で呼んでくれる人は、ほとんどいないから」

 レンディットは快諾して強張った表情をほんの少しだけ和らげたが、ふと翡翠の瞳が暗い影が差す。その数少ない人物であるファルガの事を思い浮かべたのだろうか。

「では、レン。行くぞ」

 改めて呼び掛けるとレンディットはこくりと頷いて、通りへ向かうユーリに続いた。

 ファルガの住まう家は王都の南東部の平民街である蒼水(あお)の通りにあるらしい。此処からなら通りを真っ直ぐ南下して行った方が早いだろう。

 路地を出て歩いて行くとすぐに主要な大通りの一つである緑風(みどり)の通りへと差し掛かる。多種多様な商店が集まるこの通りは余所からやって来た行商人なども露店を出しており、いつも賑やかなのが特徴だ。その分騒ぎなどもよく起こるので衛士達が重点的に見回る内の一カ所でもある。

 昼を過ぎて暫くしたこの時間は市の喧噪も一段落する頃合いではあるが、城下一の賑わいを誇るといわれる緑風の通りは予想通り、ある程度混雑していた。見知った顔がいる可能性も高いのでユーリは足早に通りを抜けた。もし知り合いにでも出会し、連れのレンディットの事を尋ねられでもしたら答えに困る。

「此処は人が多い。はぐれるな」

 言ってユーリはレンディットの手をしっかりと握り締める。はぐれないようにするにはこれが一番確実だ。手さえ放さなければ散り散りになってしまう事も無い。

 小さな声で返事をしたレンディットは大人しく手を引かれてユーリに付いて来る。何だか巫女の護衛をしているというよりは迷子の面倒でも見ているような気分になった。迷子の親探しも衛士の頃にはよくやった仕事だ。尤も愛想が欠片も無い所為なのか、ユーリには余り向いていない仕事ではあった。

 雑踏の中を縫うようにしてユーリ達は緑風の通りを抜ける。途中露天商などに何度か声を掛けられたが、ユーリは疎か本当は物珍しいだろうレンディットでさえも店先に目を向ける事すらしない。きっと他の事など今は目には入らないのだろう。

 街の中央を東西に貫く白光(しろ)の通りを越え、蒼水の通りへと入る。これまでの通りには年齢や性別を問わず様々な人が行き交っていたが、この辺りには集まって立ち話をしている主婦らしい女性達や、通り端で遊んでいる子供くらいしか見掛けない。緑風、白光の二本の大通りとは異なり、住民以外の出入りの少ない住宅街であるからだろう。

 風の運ぶ小さな子供達の大燥ぎを聞きながら、ユーリ等は立ち並ぶ家々の中に目指す住居を探した。巫女守を引退した後、ファルガは甥夫婦の家で世話になっているという話だった。

 通りの南端の方にある白い漆喰の壁に臙脂の屋根の家という事だが、向こうに見えるあの家でいいのだろうか。他にも似たような雰囲気の家があるので迷ってしまう。ユーリは聞いた特徴と同じ家を見上げつつ、レンディットにも尋ねてみた。レンディットは二階建てのその一軒家を見つめ、少し間を置いて何か目印でも見付けたような顔をしてこの家だと断定した。

 素朴ではあるが小綺麗に整えられた玄関には列を成すように鉢植えの花が飾られている。ユーリはレンディットの前に出て扉の脇の呼び鈴を鳴らした。

「――はーい。どなたかしら?」

 然程間を置かずしてぱたぱたと走る足がし、玄関から二十代くらいの女性が顔を出す。たっぷりとした栗色の髪を引っ詰めて前掛けを着けた彼女はユーリの顔を見て、誰かしらという風に小首を傾げた。

「突然申し訳無い。ファルガ・ロランジュ殿のお住まいは此処だろうか?」

「ええ、そうですけど…。大伯父さんに何かご用事ですか?」

 ユーリは彼女の質問には答えず、黙ってレンディットに場所を空けた。用があるのはユーリではなくレンディットなのだ。付き添いに過ぎない自分が話を通すよりは本人に喋らせるべきだろう。

「…あの。お倒れになったとチェリスから聞いて……お見舞いに伺いました。――…レンが来たと言って頂ければ、判ると思います」

「チェリスに…――?え?…まっ、まさか『レン』――って、ええっ!?、み、巫女様!?」

 思わず大声を出し掛けた女性は慌てて自分の口を押さえる。訪問者の正体に気付いて驚愕する女性はあたふたと畏まりながら「どうぞ、狭い所ですが」と家の中へと招いてくれた。

 聞けばファルガは現在二階の一室で横になっているそうだ。玄関を入ってすぐの場所にある階段を先導しながら、彼の甥の娘だと名乗った女性は感激したように声を潤ませて言った。

「侍女の方がいらして下さっただけでも光栄ですのに、この上巫女様にまでお見舞いにいらして頂くなんて、大伯父もどんなに喜ぶか…。お心遣い、本当に感謝致します」

 ファルガの部屋の前まで案内をすると、彼女は深々とお辞儀をして階下へと戻って行った。ユーリは傍らに佇んでレンディットが室内へ声を掛けるのを待ったが、レンディットは扉に手を伸ばそうとした手を引っ込めてしまう。

 扉を開けるのが怖いのだろうか。脱いだ帽子を両手でぎゅっと握り締めるレンディットの顔には、不安と怖れが入り混じったような表情が浮かんでいる。此処を開けて、今にもこの世を去ってしまいそうな程容態の悪いファルガと対面したら。そんな事を考えて躊躇っているのかも知れない。

「――レン。私が」

 ユーリがそう言うとレンディットはびくりと肩を震わせた。逡巡するように視線を横へ逸らし、注意して見なければ判らないくらい小さく頷く。

 ユーリはレンディットに代わって入室の許可を求めて扉を叩く。一拍置いて中から静かな返事が返ってきた。聞こえたファルガ本人の声に顔を上げたレンディットの手を握り、ユーリは取っ手を捻る。

 扉を開けた瞬間、部屋の奥から心地好い風が吹き込んで来た。夏の午後の明るい日差しの差し込む室内は廊下の薄暗さに慣れた目には少々眩しい。光にやや瞳を細めながら中を覗くと、ファルガは窓際に置かれた寝台の上で腰の辺りまで掛け布を被ったまま身体を起こしていた。

 ファルガはやって来たのが誰なのかに気付くととても驚いた顔になり、次に破顔してこれ以上無い程嬉しそうな声を出した。

「おお、レンディット様!これはまた随分と凛々しいお姿ですな。いやはや、よく似合っておいでですぞ」

 思ったよりも元気そうなファルガの様子を見てレンディットが微かに息を吐き出す。その背を軽く押してやると、レンディットは一度ユーリを見上げ、恐る恐るにファルガの許へと駆け寄った。

「…爺様、あの……お加減は?」

「この通り、ぴんぴんしておりますぞ。先に来たネルにもそう言付けを頼んだのですがな、やはり彼奴は何も言いませんでしたか。帰りの際に本人を寄越すなどと言って息巻いておったのですが、まさか本当にレンディット様を抜け出させるとは…。全く困ったものですな」

 口ではそう言いつつも、楽しげなその声がファルガの本心を物語っている。

 ファルガは付き添って来たユーリにもきちんとした礼と挨拶を述べると、自らの健勝をを示すかのようにレンディットに引退してからの出来事を語って聞かせ始めた。安堵に微笑むレンディットはファルガの話を熱心に聞いており、そんな二人の姿はやはり仲の良い祖父と孫のように見える。

 ユーリは扉の脇に立って暫く彼等の話に耳を傾けていたが、ふと何者かの気配を感じて扉の方へ目を遣った。きい、と音を立てて細く開いた扉の隙間から、まだ三、四歳くらいの幼い子供がひょっこりと顔を出す。顔立ちがよく似ているが、もしかすると先程の女性の子供だろうか。

「おや、どうした?お客様が気になるのかな?」

 幼い少女は様子を窺うように扉の陰から顔だけを出して中を覗いている。大きな丸い瞳がぐるりと室内を見回し、ファルガと話をしているレンディットの所で留まった。彼女はファルガと親しげな見知らぬ客人に興味津々といった感じでじぃっとレンディットを見つめている。

「いや済みませぬな、レンディット様。遊んでやる約束をしていたのですが、儂が今日は安静にしていろと医者から言われてしまったので暇なのでしょう。――おお、そうだ。レンディット様、もし宜しければ少しあの子と遊んでやってもらえませんかな?」

 温かく笑い、ファルガはレンディットの目を覗き込んで提案をした。レンディットは視線を返して小さく微笑み、扉の方へ向かう。少女と目線を合わせるようにしゃがんで彼女と一言二言言葉を交わすと、レンディットは少女に手を引っ張られてファルガの部屋を出て行った。

「……幼い頃から聡いお方だった。儂がユーリに話があるのを汲んで、ああして何も言わずに席を外して下さる」

 呟くファルガの声には憂いと心痛が多分に含まれていた。ふう、と切なげな息をつき、ユーリの方へ顔を向けたファルガは一転して朗らかに笑ってみせる。

「あの方と随分打ち解けたようだな。手など繋いで睦まじい事だ」

「別に、後込みしていたので手を引いて来たまでです。……弟がいるので、自然とそういった扱いになるのかと」

 からかうようなファルガの冗談に対しユーリは平淡に言葉を返す。その中に持たせた含意を読み取ってファルガは真面目な顔でしみじみと言った。

「そうか。お主は承知した上であの方のお傍にいてくれるのか。――心から感謝する」

 寝台の上で姿勢を正し丁重に礼をしたファルガは、引退後もずっとレンディットの事を心配していたのだと話した。

「レンディット様がああして在るには近しい者の尽力が不可欠だ。かといって余り多くの者に他言する事は出来ぬ。――だが、守であるお主がそのように尽くしてくれているのであれば、儂も安心して休む事が出来るな」

 ファルガの言葉は秘めていた胸の内を吐露するかのように静かだ。響きの中にある影を感じてユーリは問い掛けるように無言で彼を見つめた。その意味を悟りファルガはふっ、と表情を緩めて肯定の意を表す。

「――…儂はもう、そう長くはない。恐らくレンディット様も既に知っておられよう。儂のチェリスはどうやらお喋りのようだからな」

 ファルガは開け放たれた窓辺を見遣り、傍らにいる誰かに笑い掛ける。ファルガ以外には誰もいない窓辺。其処に、極微かにだが精霊と思しき気配が感じ取れた。

「…名を、付けておられるのですか?」

 ファルガが実は精霊憑きなのだという話は以前、小耳に挟んだ事があった。少し照れたように頬を掻き、ファルガは窓辺に慈しむような眼差しを注ぐ。

「うむ。…今から三十年は昔の話か。チェリシア――妻が亡くなった頃に入れ違いのように儂の許にやって来たのがこのチェリスでな。儂が独りで寂しくないようにと妻が寄越してくれたように感じて、つい名前まで付けてしまった訳だ」

 ファルガの眼にはうっすらと透けるような形で精霊の姿が視えるのだという。子の無い自分にとっては我が子同然なのだと、昔を懐かしむ口調でファルガは語った。

 ファルガはチェリスが傍に在る事を心の底から幸福に思っているようだった。それが羨ましいとまでは思わない。だが、精霊など取り憑いていてもいなくても何も変わらない――寧ろいない方がいいとさえ思う自分とは正反対だとユーリは思った。

 左肩の辺りでいつもの気配が身動ぎするように揺れ動くのを感じる。もしも此方が対話を試みれば、ファルガのように心を通わせ共存していく事が出来るのだろうか。だが姿も視えず、気配を感じる事しか出来ないユーリに精霊との対話といった高度な真似は実質不可能であろうが。

「此度は済まなかったな、ユーリ。チェリスがレンディット様に余計な事をお知らせした為にお主やあの方、ネルにまで要らぬ心配を掛けたようだ。以後、チェリスにはよく言って聞かせておく事にしよう」

「いえ。そのお陰でこうしてお会いする機会を得たのだから、巫女様やネルにも良かった事かと」

 二人が胸を痛めていた事は確かだが、知らせを受けたお陰でこうしてファルガの許を訪れる事が出来たのだ。ならばチェリスの届けた一報も彼等にとって悪いだけの知らせではなかっただろう。

 ファルガはどうしてか少々眼を丸くした。驚いているような、喜んでいるような、何ともつかないその表情は一体何なのだろうか。何かおかしな事を言っただろうかと訝るユーリに何故か苦笑した後、ファルガは笑い交じりに言う。

「さて、そろそろ戻らねば夕刻の祈りに間に合わなくなってしまうぞ?女官長殿は厳しい方だ。見付かると大目玉は免れまい」

 言われて外を眺めれば、窓から差し込む陽光が幾らか加減を変えてきていた。まだ色に然程の違いは無いが、日差しは間違い無く短くはない時間の経過を告げている。

 折角見付からずに抜け出して来たというのに帰りの刻限に間に合わないのでは何の意味も無くなってしまう。ユーリは辞去の為にレンディットを連れて来るとファルガに申し出、一度部屋を後にしようと扉に手を掛けた。

「ユーリ」

 廊下へ出る手前で呼び止められ、振り返る。

「――レンディット様を、頼んだぞ」

 退任の際の別れ際に言われたものと全く同じ言葉。その意味を、ユーリは今度は正しく理解する事が出来た。あの時もファルガは巫女をとは言わなかった。彼はレンディットの事を宜しく頼むと、そうユーリに言っているのだ。

「――可能な限り、善処致します」

 先代の守に誠心を以て一礼を返し、ユーリは部屋を出た。背にした扉の向こう側ではファルガの苦しげなくぐもった咳が聞こえていた。

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