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精霊と踊る君と  作者: 此島
三章
14/33

「やはり例の連絡役の祭司官のようですね」

 ネルに腹部を殴られて悶絶する青年を見下ろして女官長は冷たく言い捨てる。

「な?こいつ、眼が危なかったからな。何かやらかす前に先に引っ掛けておいて正解だったろ?」

 欠伸をしながら言うネルの声は口調の軽さ程には笑っていない。ユーリは用意しておいた縄で祭司官の青年を縛り上げた。

「しっかし、こうも簡単に罠に引っ掛かるんだったらさっさと来てくれた方が有難かったんだけどな。本当にさあ、何日もこんな張り込みしてたから寝不足になっちまったぜ」

 夜間の睡眠不足の分はしっかり奥庭で昼寝をしていた人間がよく言ったものだ。ユーリ達だってこの数日毎晩のようにレンディットの寝室の扉の陰に潜んで侵入者が来るのを待っていたのだから、境遇としては然程変わらないのである。しかし今回の作戦の一番の功労者がネルである事は間違い無いので、余り強く指摘出来ないところではあるのだが。

「ご苦労でした、ネル。本殿へ行って祭司長と守護士長を呼んで来なさい。今回の件については両長とも厳しく話し合わなければなりません」

 女官長は蔑むような眼差しで祭司官を射たままネルへと命令する。表情だけでなく声にまで氷の刺めいたものを纏わせた女官長は夜這いなどという愚行を行った祭司官に心底腹を立てているらしく、不快感を露わにしている。

 見るからに機嫌の悪い女官長、というのも滅多に拝めるものではないだろう。迂闊な事を言えば、雷ならぬ特大の氷柱が幾本も落ちてくるに違いない。だがネルは間髪容れずに不平を言い立てた。

「えぇー!?何で私なんだよ!この中で一番働いたの、私だぜ?こいつがいる時に態と怒ったふりして夜に窓が開いてますよーって教えたり、レンの身代わりで寝台で張ってたりさ。この上本殿まで走って来いって?人使い荒過ぎるだろ、それ!」

「つべこべ言わずに行きなさい。これは女官長としての命令です」

「……ひっでぇ横暴。…ったく、解ったよ!仰せの通り行ってきますよっ」

 肩を怒らせネルは自棄のように寝室を出て行く。扉の開け閉めが随分と乱暴だが現在の時刻が深夜だという事を承知でやっているのだろうか。巫女の私室の側には巫女守の自室と女官長の部屋くらいしか無いとはいえ余り大きな物音を立てるのは避けるべき時間帯である。

 両長達の到着に備えユーリは女官長の言に従い、気絶している祭司官を隣室の方へと運び出した。祭司官は適当に床に転がしておく事にする。仮令どれ程恋い焦がれた少女――と祭司官の青年は信じている訳だが――であろうとも、何の断りも無くその許へ夜這いを掛ける不心得者を気遣うような優しさはユーリには無い。

 ネルの腕前が良い所為か、気絶した祭司官は当分の間は目を覚まさないだろう。両長が来るまでの時間を利用してユーリは女官長へと言う。

「巫女様もお呼びした方がいいのでは?」

 連夜罠を張っていた間、レンディットには隣のユーリの部屋にいてもらっていた。捕り物に参加するわけでもない彼が一緒に寝室で張り込んでいても無意味だというのもあるが、女官長が別室での待機を強く命じたからでもある。レンディットにはネルを除いた二人で先に休んでいていいと言ってあるのだが、その夜の張り込みを切り上げるまでレンディットはいつも起きて待っていた。多分今夜もそうしているのだろうから片が付いた事を知らせる意味も兼ねて声を掛けに行った方がいいのではないだろうか。

 しかし女官長はユーリの提案に一も二も無く首を左右に振る。

「何故?仮にも当事者だろう」

 また似たような事例が起こらないとは限らないのだ。本人に注意を喚起する為にもこの場に立ち会ってもらうべきだろうに。

「レンディット様には全て片付いた後に知らせに行けばよいのです。このような類の話はあの方の耳には入れたくありません。私は、出来得る限りレンディット様を色恋や男女の情といった知識から遠ざけておきたいのです」

「それ程子供という年でもないと思うが?」

 教育係として酷く厳しく躾ているらしい割にこの女官長はおかしなところで過保護だ。正体を隠し通す為には寧ろある程度の知識くらいはあった方がいい。もし今後同じような不埒な考えを持つ者が現れたとして、レンディット自身が相手がどのような行動に出ようとするかを知っているのといないのでは逃げるにしろ人を呼ぶにしろ、初動にも影響が出るというものだ。

 苦言めいて呈されたユーリの言葉に呆れを感じ取って女官長は自嘲的な微笑を口許に刻む。

「そのような事は百も承知ですよ」

 深い水底を思わせて女官長の瞳の奥には暗い陰が落ちる。

「あの方はもう十四歳――ノワール様がレンディット様をお産みになられたのと同じ年齢になられました。……だから、余計に心配になってしまうのですよ。あの方にとって色恋など、様々な意味で危険なものでしかありませんからね。知らなければ避けられる危険に態々近付けたくはありません。私はレンディット様に余計な知識は持って頂きたくないのです。どうせあの方が巫女として生きるには不必要な類の知識ですからね」

「…それは心配のし過ぎだろう?」

「いいえ、用心するに越した事はないでしょう。ノワール様の時も、相手の姿などその気配さえ無かったのですから」

 先代巫女のその一件は女官長の心に大きな痼りとなって残っているらしかった。女官長にはそれだけで案じるに充分な理由となり得るのだろうが、仮令母親がそうだったからといってその子が同じ轍を踏むとは限らないとユーリは思う。

「レンディット様については此方でお守りすればいいだけの事。ユーリ様もその旨、確と心に留め置いて頂きたく思います」

 きっぱりと言い放つと女官長は日頃の生真面目な表情へと戻った。厳しく細められた青い瞳が異論は許さないと断言している。ユーリも女官長と敵対してまで否を唱えようとは思わないので大人しく引き下がった。

 廊下の方から人の囁き声が聞こえた。ネルが両長を連れて戻って来たのだろう。

 出て行った時とは打って変わって物腰淑やかな侍女として帰って来たネルは両長を室内へと通すと、続け様に巫女の許へ行っているようにと女官長に指示され、たおやかに礼をして再度部屋を出て行った。内心は次々と出される叔母からの命令にさぞ嫌気が差している事だろう。それとも、部屋を追い出された事で却って解放されたと喜んでいるだろうか。どちらにせよ今頃は廊下で一息ついているに違い無い。これからまだ面倒な両長との話し合いが残っているユーリからすると羨ましい限りだ。

 夜中に叩き起こされたも同然ながら守護士長も祭司長も昼間と大して変わらぬ隙の無い身形をしている。待たされた側としては身支度など程々にしてさっさと来て欲しいものだ。

 彼等は床に転がされた祭司官を見、女官長から概要を聞かされ、揃って驚愕したように目を剥いた。

「――なんと!?仮にも巫女様のご寝所に忍び込むとは何たる不届き者か!同じ男としても女性の寝所にこそ泥のように入り込むなどと、到底許せる事ではないぞ!」

 頭に血が上りやすい質の守護士長は話を聞くと見る間に真っ赤になり、正に烈火の如く怒り狂った。実情を知っている者としては言葉の中に多少引っ掛かる語句があるが、言っている事は彼にしては珍しく素直に首肯出来るような正論だった。横柄で押し付けがましい男だと思っていたが意外にもそうした常識的感覚は有しているらしい。

「ラグナー、これはそなたの不手際でもあるぞ!精霊宮の祭司官を束ねるのが務めのそなたの監督が行き届いておらねばこそ、このような事態が起こるのだ!」

 守護士長は事に及ぼうとしたのが祭司官であったのですぐさま隣の祭司長へと詰め寄った。平時は然程折り合いは悪くないように思える両長だが、案件が案件だけに守護士長の追及は止まるところを知らない。その勢いたるやユーリや女官長の方が思わず言葉を失ってしまう程で、槍玉に挙げられた祭司長は一瞬だけ苦々しげな顔をしたものの小さくなって何度も頭を下げている。

「誠に申し訳ありません。これは真実私の失態でありましょう。このような輩を巫女殿との連絡役に――いいえ、祭司官の一人として精霊宮に置いたのは全くもって恥ずべき過ちです。このラグナー、面目次第もありません」

 平謝りという言葉を体現するように祭司長はひたすらに謝罪の言葉を述べ続けた。己の部下の不始末という事で流石に反省の念を覚えたのか、普段の嫌味な言動はすっかり鳴りを潜めている。守護士長は憤懣やる方ないといった様子で祭司長と床に倒れた祭司官を睨み付けた。

「――まあ、今回は私共が逸早く察知しましたので何事もありませんでしたし、バルテス殿もそのくらいで収めては頂けないでしょうか?」

 見るに見兼ねたらしく、放っておけば延々と怒鳴り散らしているであろう守護士長へと女官長が控えめながらも有無を言わせぬ口調で容喙する。

「それから、この祭司官の処遇は其方にお任せ致したく思っております。どうかこの者を一刻も早く巫女殿から連れ出して頂けないでしょうか?でなければ巫女様に安心して頂くよう告げる事も出来ません」

 女官長はすぐに彼女へ矛先を変えようとした守護士長の機先を制し、飽くまでも事務的に述べる。快く思っていない相手からの指示に守護士長が不服そうに顔を顰めたが、女官長の言は尤もであり反論の余地は無い。不承不承に守護士長は祭司官の青年を強引に叩き起こすと、後ろ手にその腕を捻り上げて青年の身柄を引き摺って行く。

「ラグナー殿にも以後、部下の様子に気を配って頂けると有難く思います。勿論私共も巫女様の周辺には目を光らせておくつもりではありますが。…ご協力願えますね?」

 守護士長が出て行くのを待ってから女官長は続いて祭司長へと静かな声音で要求した。

「無論です。此度のような過ちは二度と起こさせませぬ故、何卒巫女様にもそうお伝えおき下さい」

 最後まで謝罪の言葉を述べてから祭司長の方もまた、本殿の方へと帰って行った。

 これで一段落、というところだろうか。両長が巫女殿を出て行ったであろう頃合いを見計らってユーリと女官長はレンディットとネルの待つ隣の部屋へと向かった。

 室内では部屋へ一人残していった時と同じように寝間着姿のレンディットが卓の所の椅子に腰掛けていた。ネルは勝手知ったる他人の部屋という風に寝台の上に寝転んでいたがユーリ等がやって来たのを見て取ると腹筋を利用した動きで跳ね起き、ぽん、と寝台から飛び降りた。

「よお。こっちの部屋にまで守護士長の怒鳴り声が聞こえてきたぜ。何言ってるかまでは判らなかったけど、相当怒ってたみたいだな」

「ええ。ですが、珍しくまともな事を言っていましたよ」

「へえー。んじゃ、明日は雨だな」

 守護士長の平素の言動に閉口しているのはユーリだけではないようだ。ネルが守護士長を嫌っているのは知っていたが女官長までもがそんな事を言うとは思わなかった。あれだけ目の敵にされていれば煩わしくなるのも無理は無いが。

「ま、取り敢えず終わってよかったよ。これでもう眠い中張り込みなんかしなくていいと思うと、嬉しくって欠伸が出らぁ」

 そう言ってネルは大欠伸をした。隠そうともしない大口を開けての欠伸に微かに女官長が眉を顰めたが今回はお咎め無しという事にしたのか、ネルに注意の言葉が掛けられる事は無かった。

「にしても疲れたあ。もうこんなのはごめんだぜ、私は」

「同感だ。睡眠時間が削られるのは構わんが、いつ来るか判らん相手をただ待ち続けるというのは骨が折れる」

 相手の面が割れているといえども、言い逃れされる事を避ける為に女官長の提案でああやって罠を張る事になったが、それにしても長い日々だった。これならネルがレンディットに「いっそ相手を焚き付けて来い」と言った際に止めなければよかったかも知れない。焚き付けるといってもどうせいつもの〝笑顔〟を相手に見せてやる程度でいいのだから、それで早く事が片付けばその方が余程楽だっただろう。

 ともかく、これでこの面倒な待ちの日々から解放されるかと思うと清々しい気持ちにもなった。ネルも似たようなものらしく、すっきりしたように大きく伸びをしている。

「ネルもユーリもセレナ女官長も、お疲れ様でした」

 ユーリとネルが労いの言葉を掛け合っていると、少し眠たそうな顔をしたレンディットが椅子から立ち上がって頭を下げてきた。よく見るとその白磁の美貌にはうっすらと隈が出来ている。口には出さないがレンディットも大分疲労していたようだ。

「気にすんなよ。迷惑料として後で一発殴らせてくれりゃあいいからさ」

「えっと……出来るだけ、手加減してね」

 満面の笑顔で放たれたネルの軽口にレンディットは微苦笑した。次いで彼はふと思い出したかのように首を傾げ、誰にともなく呟くような問いを発する。

「…でもその人、どうして夜中に態々窓から入って来るんだろう?話があるのなら、昼に訪ねてくれればいいのに…」

 心底疑問に思っている表情で言うレンディットはユーリ達が何の為に自分の寝室で何日も張り込みなど続けていたのか、全く理解していないらしかった。これが女官長の教育の賜物という奴なのだろうか。

「――いや。やっぱり後でじゃなくて今、殴る」

 やけに真剣な顔付きで握り拳を作るネルにレンディットは訳が解らないといった風に一歩後退った。ずい、とネルがレンディットの方へと大きく足を踏み出すのを見ながら、ユーリも到頭脱力の溜め息を吐いた。

 侍女が巫女を拳で殴り飛ばすという前代未聞の一大事が起ころうとしている最中。元凶の一因を担う女官長はきりりと背筋を伸ばし、取り澄ました顔で佇んでいるのだった。

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