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精霊と踊る君と  作者: 此島
序章
1/33

 厳かな旋律で紡がれる祈りが朗々と響き渡る。舞殿と呼ばれる吹き曝しになっている真四角の舞台上では、祭司長に率いられた老若の祭司官達が一心に精霊へと捧げる祈りの歌を奉じていた。

 歌は低く重厚な男声に高らかな女声が混じり、澄み切った冬の星空へと高く高く伸びてゆく。その歌声を漫然と聞きながら、ユーリは特にこれといった感慨も無いままに精霊祀が終わるのを待っていた。

 今宵は大晦。季節の移り変わり毎に行われる通常の精霊祀よりも重要視される特別な大精霊祀の夜である。新しい年を迎えるに当たって過ぎ行く年を無事に過ごせた事を精霊達に感謝し、新たな年に一層の加護を求めるこの盛大な祭礼は、一年の最後の祭りであると同時に新年の始まりを告げる一大行事だった。

「何だ、ユーリ。そんなつまらなそうな表情(かお)するなよ。せっかくこんな前の方の場所が取れたんだから、もっと喜びなさいって」

 ユーリが洩らした溜め息に気付いて隣に立つ兄が話し掛けてくる。周囲に憚って小声で喋ってはいるが、囁くような声音からは抑え切れない興奮と感動が嫌と言う程伝わってきた。

「わざわざ見に来るほどのものか?見物してもしなくても、精霊の加護は変わらず皆に与えられるっていうんだから」

 舞殿の四隅に据えられた篝篭の炎の照り返しのようにきらきらと瞳を輝かせている兄へユーリはすげなく言い放った。元々興味が無いところを半ば強引に連れ出されたのだ。喜べという方が無理な話である。今年は家族皆で行こうという兄の提案にユーリを除く全員が賛同した所為で、さっさと帰りたいのをぐっと我慢して大人しく此処にいるのだ。それだけで良しとしてもらいたい。

「お前、大精霊祀だぞ?それをこんないい場所で見物出来てどうしてそんな事が言えるんだ?」

 暇に飽いて不貞腐れるユーリの返答に兄はがっかりしたように肩を落とした。

 兄はユーリの事を感動というものを解さない唐変木のように言うが、毎回毎回精霊祀に赴いては幸せそうな顔で帰ってくる兄の方が余程気が知れないとユーリは思う。今回のように参列者達の最前列に陣取れたというのならまだ解るが、遙か後方の片隅、他の参列者の背中ばかりで舞殿の様子など碌に見られなかったという時にまで嬉しそうにしているのだから、我が兄ながら少し頭がおかしいのではなかろうか。そもそもこの行事は、其処までして見に来る価値があるものなのか。甚だ疑問に思いながら現在精霊祀を見物しているユーリだが、こうして眺めていても何の楽しさも見出せないので兄の言う楽しさは生憎と一生理解出来そうにない。

「何と言われても興味が無いんだから仕方無いだろ」

「可愛くないな、お前は。そんなじゃ嫁のもらい手なくなっちゃうぞ」

「兄さんこそ、そう子供っぽいと嫁の来手がないぞ」

 頬を膨らませて言う兄の揚げ足を取って言い返す。すると何か心当たりでもあったらしく兄は急に意気消沈し、項垂れてしまった。大方子供っぽいとかそういう理由で想い人に振られでもしたのだろう。後ろから、四つも年下の妹に遣り込められてしまった長男に苦笑している両親の忍び笑いが聞こえた。

 静かになった兄を放置して、ユーリは再び舞殿の方へ目を向けた。兄と話している間も続いていた長く揺らめくような歌声が徐々に絞られていく。舞台上の祭司長が手にした錫杖で石床を突き、幾つもの金属環が触れ合う鈴のような音を合図にして歌が終わる。巻き起こった拍手が波紋のように広がり、参列者で埋め尽くされた舞殿を囲む回廊は人々の惜しみ無い賞賛で満たされた。

 鳴り止まぬ拍手と参列者に見送られ、祭司長を含む祭司官一同は上がって来た時と同様にしずしずと舞殿を下りて行く。舞殿の真正面に立っているユーリには祭司長等が奥にある祭殿の扉の前に左右に分かれて並び、人垣のように列を作るのがよく見えた。

「――あ、いよいよ巫女様のご登場よ」

 すぐ側で上がった浮かれたような声に反応し、手を繋いでやっていた弟が吃驚したように周囲を見回す。うつらうつらと眠りに落ち掛けていたところをこの大拍手で目を覚ましたらしい。半分寝惚けておたおたする弟を適当にあしらい、ユーリは先程の声の主である中年の女性達の会話を聞いていた。意識して聞こうとしなくとも勝手に耳に入って来るのだ。彼女等は声を潜めているつもりでも、まだ残る拍手の響きに邪魔されて知らず声が大きくなってしまうのだろう。

「今夜の大精霊祀が新しい巫女様の初お披露目なのよね。この間の精霊祀の時はお亡くなりになった先代様だったから」

「そうそう。なんてお名前だったかしら?まだお小さいのよね。聞いた話じゃうちの下の子と同い年だって」

「あら、じゃあまだ八つくらい?まあ、まだほんの子供じゃないの。大丈夫なのかしら、巫女舞?」

「それがねぇ、巫女殿にお勤めしてる知り合いの娘さんの話じゃ、すごいんですってよ」

「すごいって何が?」

「あのね――」

 と、片方の女性が続けようとした時だった。祭殿の扉が荘厳な音と共にゆっくりと開かれたのは。

 両開きの大きな扉が、脇に立った守護士達の手によって左右に分かたれていく。扉の隙間から洩れ出す光は室内に灯された無数の燭台から放たれるものだろう。開かれた扉の向こうには、茫漠とした淡い光の中に立つ幾人かの影が浮かび上がっていた。

 いつの間にか、辺りはしんと静まり返っている。奥から進み出て来る人影を回廊に溢れ返る人々が明確に視認した瞬間、扉に近い方向から順々に息を呑むような無言のざわめきが波のように押し寄せてきた。

 奥の間から出て来た者達の先頭に立つのは、巫女の礼装に身を包んだ小さな少女。いや、童女と呼んだ方が相応しいかも知れない。童女は傍らに立つ巫女守と思しきマントを纏った壮年の男性に手を引かれ、舞殿へと歩き出す。その後ろに様々な楽器を手にした数人の祭司官が続いた。

 観衆の見守る中、舞殿へと上がる階段の脇で巫女守が巫女の手を離す。巫女は心細げに歩みを鈍らせたが、意を決したように舞台上へと足を踏み出した。

 巫女が一歩踏み出す度に、幽かな衣擦れの音が静寂を打つ。余りにも幼い巫女の姿に参列者達は皆不安げな表情をしていた。舞殿へ向けられた目は一様に「あんな小さな子供に巫女の大役が務まるのだろうか」と訝っている。

 父母も兄も他の参列者と同じような視線を舞台上へ投げ掛けているが、ユーリが抱いた感想は彼等とは少し異なるものだった。

 確かに幼くはあるが、足取りはしっかりしている。大精霊祀の性質上、現在の時刻は日付も変わるような深夜だ。普通あのくらいの年齢の子供なら眠くて仕方が無い時刻だろう。現に巫女と大して歳の変わらない弟も立ったまま寝掛けていた。だというのにあの子はきちんと自分の足で舞台の中央にまで進み出る事が出来たのだから、後の巫女舞くらいどうにかなるのではないか。

 舞殿の中央で歩みを止めた巫女は静かにその場に佇んでいる。そうしていると巫女はまるで纏った衣装に埋もれた置物のようだった。ユーリの見つめる先で、肩口まである巫女の不思議な緑銀の髪が小さく風に揺れる。作り物めいて可憐な顔がその幼さに不釣り合いなくらいに張り詰めている。

 後方で楽師役の祭司官等が上がり口の左右に控えるように並び終える。それを気配で感じ取って幼い巫女が一瞬、僅かにだが身動ぎしたように見えた。

 静寂が空間に満ち、ぴん、と糸を張ったような緊張感が漂う。篝の炎が爆ぜた。建物の中から上がれるらしい回廊の祭殿側の一辺にのみ造られた箱型の二階の貴賓席には王侯貴族等が陣取っており、彼等も含めた観衆達の視線が集うその先で、つと、何かに気付いた風に巫女が顔を上げる。巫女はそのまま目線を虚空へ彷徨わせた。

 数拍後、夜空を見上げて童女は何故か微笑んだ。

 極度の緊張に強張っていたのが嘘のような滑らかさで巫女が両手を広げた。優雅に身を屈めるその仕草は参列の観衆にではなく、歌舞を捧げる精霊達に向けた挨拶だ。

 再び背筋を伸ばした巫女が大きく息を吸い込む。次の瞬間、ユーリは思わず己の耳を疑った。

 巫女の喉から発せられたのは六精霊を讃える祈りの歌の一節。まだほんの歌い出しだというのに、その瞬間にこの幼い巫女は全ての参列者の心を捉えてしまっていた。

 祭殿に響き渡るのは年齢に見合わない、玲瓏とした歌声。何処までも透明な声が伸びやかに空気を震わせ、祭司官等のものとはまた違う祈りの文句を美しく歌い上げてゆく。

 退屈な歌舞など早く終わればいいと思っていた事も忘れてユーリは巫女の歌に聞き入っていた。歌声を彩るように奏でられ出した楽の音に合わせて舞が始まる。

 決して激しいものではない、緩やかで静かな舞。けれども大精霊祀に集まった人間達は皆、より強く心を奪われた。

 歌いながら舞う巫女の、典雅な仕草。身体の隅々にまで意識が行き届いているかのように一つ一つの動きが繊細で美しい。とても幼い子供の歌舞とは思えない完成度だが、参列者の瞳を釘付けにしたのは歌舞の素晴らしさだけではなかった。

 〝精霊の巫女〟とは古来より精霊の加護を受けて繁栄するこのグラルフェーゼの人間と、火水風土光闇の六精霊との間を取り持ち、繋ぐ者。人と精霊との仲立ちがその役割であるという。だからこういった精霊祀の折には精霊へと祈りを捧げる他に、人々に精霊の存在を強く伝える務めがある。巫女舞とは、その務めの一環なのだ。

 くるりと身を翻す巫女の片腕がしなやかに宙へと伸ばされ、小さな手が優しく触れるように空間を滑る。と、何も無かった筈の虚空に変化が生じた。

 其処に存在する朧気な〝何か〟が、ぼんやりと像を結んでゆく。それは彼等が人前に姿を現す際に取るという人間とよく似た姿を形作り、ゆったりと辺りを浮遊し始める。巫女の感応力を介する事によって、視る力を持たない者にも視えるよう可視化された精霊達の姿だった。

 元から辺りを漂っていたのか、それとも巫女の歌と舞に引き寄せられて集まってきたのか。視る力を持たないユーリには知る由も無いが、舞殿を飛び回る精霊達は少しずつその数を増していった。

 舞い踊る巫女を取り囲むようにして浮遊する沢山の精霊。此処まではユーリがもっと幼い頃に連れられて見た精霊祀と同じものだった。違ったのは、その後の精霊達の様子だ。

 あっ、と何処からか驚愕に近い叫びが上がる。だが大声を注意する者は一人としていない。誰も彼もが似たような想いだったが故だろう。

 幾重にも重ねられた衣の裾を翻して巫女が舞う。巫女の動きを真似るように、夜に透ける身体を翻して精霊達が舞っている。恰もそれは巫女を中心にして行われる輪舞のようだった。巫女が腕を差し伸べると、精霊達も腕を差し出す。巫女がその場で一回転すると、円状に並ぶ精霊達がくるくると回る。

 この世のものとは思えないような、美しく幻想的な光景。人によっては畏怖の念に駆られるであろう巫女と精霊達の舞を、ユーリはただただ見つめていた。

 気付けば、もっとよく見ようと身を乗り出している自分がいた。舞殿で舞う幼い少女に息も出来ないくらいに圧倒されている。今まで感じた事の無いような驚愕と感嘆の情が入り混じって、込み上げる溜め息さえもが喉の奥で止まってしまっていた。

 役目であるとはいえ、犇めく大勢の観衆達の畏怖と驚嘆の視線を巫女は一身に浴びている。本来なら、幼い子供でなくとも気後れするような状況だろう。だというのに小さな巫女は笑っていた。とても楽しそうに、それが心からの笑みであるのが判るようなあどけなさで。彼女のその笑顔は参列者に向けられたものではないのだ。

 ――巫女が微笑む。精霊が微笑み返す。

 たったそれだけの事がどれだけの才を必要とするものなのか、解らない者はこの国にはいない。凄まじいまでの親和性の高さに巫女の余りの幼さに不安を感じた者も、今や一転して尊い存在を崇めるような眼差しで舞殿を仰いでいる。

 不意に楽の音が途切れた。足を止めた巫女が膝を折って礼をする。まだ夢の中にいるような表情をした観衆達も、それで漸く舞が一段落したのだと知ったらしい。

 祭司官等の歌の最後にあった嵐のような拍手が巫女に送られる事は無かった。皆、余韻に茫然としていたのだ。けれども巫女は無音の観衆を気にする風も無く、次なる歌を歌い始める。

 長い讃歌の巫女舞を終えたばかりとは思えない声量で紡がれる、永遠の共生を願う祈りの歌。再び始まる巫女と精霊との舞に、人々は瞬きさえも忘れるような有様でひたすらに見入っていた。


 城の方角から年明けの鐘の音が鳴り響き、新しい一年が始まりを告げた。

 大精霊祀を終えての帰途。家族は皆、先刻の巫女舞の話題で持ち切りだった。

 あの方は歴史に名を残すような素晴らしい巫女になられるだろう、と父。あんな舞が見られるなんて行ってよかったわ、と母。未だ興奮醒めやらぬ兄と、すっかり目を覚まして燥いでいる弟。どちらかといえば口数の少ないユーリは彼等の話に相槌を打ちながら、巫女の舞い踊る姿を思い出していた。

 ―――と。ふと背中に何かの気配を感じてユーリは後ろを振り返った。だが其方には真夜中の闇と年明けを祝い飲み明かす人々の明かりと喧噪があるだけで、気配の主と思しき者は見当たらない。

 立ち止まって首を傾げていると、数歩先から父の笑い交じりにユーリを呼んだ。

「ぼーっとしてると置いてくぞ、ユーリ!」

「…今行く」

 答えてユーリは踵を返した。

 あの巫女舞を見て、柄にもなく神経が高ぶっているのかも知れない。気の所為だったのだろうと考えて家族と一緒に家路に就く。しかしそれ以後、ユーリは幾度なく視えない〝何か〟の気配を感じるようになった。

 常に感じる訳ではない。だが気が付くと傍にある、透明な〝何か〟の気配。それが自分に憑いた精霊のものであるとユーリが知るのは、それから暫く後の事だった。

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