釣り上げた魚の調理法
「ねえさんは釣った魚にはエサをやらないタイプなの?」
土曜から日曜へと、曜日が移りかわる時間帯。
来客を告げるチャイムに呼ばれて玄関の扉を開けば、そこにいたのはずらりとならんだ五匹の丸いタヌキたち。
そのうちの一匹が、開口一番、こんな失礼なことを訊いてきた。
このタヌキたち、大きさも色合いもみんな同じようなのだけれど、毎週会っているものだから、わたしには一匹一匹の識別ができる。
右端から順番に七之進ちゃん、五郎太くん、四ノ助くんに六兵衛ちゃん。
そして一番左にいるのが、この林田ねね子に惚れているという変わり者のタヌキ、太三郎さん。
かれらはこの町の北側に位置する山に住む化け狸である。
山に囲まれた人口の少ない田舎町とはいえ、人里におりてくるのであれば、人間の姿に化けてからきたほうがなにかと便利なのではないかと、一般人間女性(二十六歳・事務職)であるところのわたしなんかは思うのだけれど、眼前のタヌキたち曰く「変化の術をつかうのは、けっこう疲れるものだから」とのことで、かれらはいつもバサバサの茶色い毛皮を身にまとったままやってくる。
このあたりは人通りも少なく、街灯もあまり建てられてはいないため、夜中であればタヌキが仲良く五匹連れだって歩道を進んでいたところで、人目を引くことはないのだそうだ。
まあ、これはあくまでもタヌキたちの弁であるため、一人暮らしのこの部屋が、猟友会から目を付けられる日もそう遠くないのではないかというのが、近頃のわたしの心配ごとだ。
もしくは、オカルト雑誌の記者に撮られたりとか。
〈怪奇! 深夜にタヌキが集うアパート〉、なんて。
タヌキたちは毎週土曜日の晩に、わたしの部屋へとやってくる。
翌日が休みの日であれば、夜遅くに訪ねてきても迷惑にはなりえないのだと、かれらは思っているらしい。
まあ、相手はタヌキなので、その行動が人間社会の常識に当てはまらなくても仕方がない。
以前は金曜日の晩に来ることもあったのだけれど、一度だけ「好きなバンドが生出演するから」とテレビの音楽番組見たさに追い返してからは、土曜日にしか来なくなった。
「ねえさんは釣った魚にはエサをやらないタイプなの?」
今、わたしにこう訊ねてきている七之進ちゃんは、おそらく五匹の中では一番年が若いタヌキである。体長はほかのタヌキたちとほとんどかわらないのだが、その言動は一番幼い。
それでもって七之進ちゃんは、わたしがこのタヌキたちと知り合うきっかけをつくった子でもある。
あれは一年ほど前のこと。
月明かりに照らされながらふらふらと家路をたどるわたしは、おおいに酔っぱらっていた。
「林田さんはアレでしょ。なんかカタカナの名前が付いたあまーいやつしか飲まないんでしょ、女の子だもんね」
職場の飲み会にて、上司からかけられたこの言葉に対し、なぜだか無性にイラっとしてしまい、アルコール度数の強い日本酒ばかりを何杯も飲んだのがいけなかった。
酒は好きだが得意ではない。
波打つ地面に足を取られながらも、自宅アパートの目の前までなんとかたどり着いたところで、わたしはそれを発見した。
「あっらららー。ジョセフィーヌちゃんったら、なあにしてーんのー?」
ジョセフィーヌちゃん(当時三歳と二ヶ月・ラブラドールレトリーバー・オス)は近所に住む老夫婦の飼い犬だ。
風流を解する雅な心を持つ犬で、月夜の晩にはこうしてひとり、散歩を楽しんでいることがある。
脱走癖のある困った犬ともいえる。
かれは体毛が黒いため、夜中に出会すと少し怖い。まるで今まさに闇から生まれたかのように、突然近くにあらわれては、おやつを寄越せとねだってくるのだ。
わたしの通勤用鞄の中に煮干しが常備されるようになったのは、やはり飲み会からの帰り道、夜中にかれと出会ってからのことである。
そのジョセフィーヌちゃんがアパートの外付けの階段付近にて、フゴフゴとなにやら臭いをかいでいる。
「ジョセフィーヌちゃん、どしたの? なんかゴミでも落ちてたの?」
コンビニ弁当のゴミかなにかを、だれかがポイ捨てしていったのだろうか。マナーのなってないやつもいるものだ。憤慨しつつ、ジョセフィーヌちゃんのもとへと近づいていく。
「おなかが空いてるんだったら、ほら、ここに煮干しがあるから。これ食べて、いい子におうちへ帰ろ、ね」
そう話しかけながら、ジョセフィーヌちゃんの鼻先がつついているものをのぞきこんでみると…………。
「……タヌキ?」
こげ茶色の丸い耳。真っ黒のつぶらな瞳。ジョセフィーヌちゃんのよだれでべそべそにされた、見るからに分厚い毛皮。
そこにいたのは、まごうことなきタヌキであった。
酔っ払いの目にもわかるほど、頭上で鼻を鳴らす黒ラブに対しておびえていたタヌキを左腕で抱えあげ、ジョセフィーヌちゃんの首輪を右手でつかむ。なかば無理やりジョセフィーヌちゃんを老夫婦宅へと送りとどけ、わかれのあいさつだとかれに顔中をくまなくなめられ、そして帰宅。
部屋に入ると、服も着替えず、顔も洗わず、タヌキも手放さないままに、わたしはベッドへとたおれこんだ。
「どうも、うちのもんがお世話になってるみたいで」
翌朝、二足歩行のタヌキが我が家を訪ねてきた。かれの頭の上にはひらり、緑色の葉っぱが一枚。
うん、可愛い。
昔話の世界から、そのまんま抜け出してきたみたいだ。
「タヌキって、ホントに頭に木の葉をのっけてるもんなんですねえ」
アルコールの力は恐ろしい。
前日の酒がまだ抜けきっていなかった寝起きのわたしは、日本語をしゃべるタヌキを目の前にして、のんきにこんなことを言ってのけた。
へらへらと笑うわたしとは対照的に、動揺したのが相手のタヌキ――つまり太三郎さんである。
町で迷子になっていた七之進ちゃんが人間に保護されていると知った太三郎さんは、変化の術で成人男性の姿に化けてから、我が家へとやってきたのだそうだ。
それなのにあっさりと、人間のわたしにタヌキだと見破られてしまった。
これはけっして、太三郎さんの変化の術がお粗末なものだったというわけではない。
むしろ太三郎さんの変化の技術は、北の山に住む化け狸の中でも一二を争う腕前なのだと、後日、四ノ助くんが教えてくれた。
そんな太三郎さんの変化の術に、わたしがひっかからなかった理由はただ一つ。
ジョセフィーヌちゃんの唾である。
眉唾という言葉の語源のとおり、眉毛に唾をつけていれば、人間はタヌキに化かされない。
そして、前日の晩にジョセフィーヌちゃんに顔中を舐められて、そのまま洗顔せずに眠ったわたしの眉毛には、すでに乾いているとはいえ、かれの唾がついたままになっていた。
それも、多量に。
それゆえに、わたしの目にはタヌキのままの太三郎さんの姿が映ったのだ。
変化の術を見破られるということは、太三郎さんにとってはかなり衝撃的な出来事だったようだ。
そしてその「正体を見破られた」というドキドキが、かれの心の中で恋心のドキドキへと横滑りしてしまったのだろう。
吊り橋効果的に、太三郎さんはわたしのことを好きになり、それから毎週土曜日の晩になると、舎弟たちを引き連れてわたしの部屋へと押しかけてくるようになったのだ。
「ねえさんは釣った魚にはエサをやらないタイプなの?」
「釣った魚、ねえ」
七之進ちゃんたら、ずいぶんと人聞きの悪いことを言う。
わたしは太三郎さんを釣り上げてなどいない。
というか、釣り糸を垂らした記憶もない。
正直な心情を述べるなら、川べりを歩いていたら突然、水中から飛び出してきた魚にかじりつかれたようなものである。
しかしまあ、そんなわたしの気持ちを説明したところで、太三郎さんはもちろん、かれを兄貴と呼んで慕う七之進ちゃんたちにも理解してはもらえないのだろう。
これはもう、はぐらかしてしまうしかない。
「釣った魚かあ。
んー、わたしだったら、釣った魚はお刺身にして食べたいかなあ」
この一年で学んだこと。タヌキたちはとても流されやすい。
食べたい、という言葉に反応して、かれらの頭の中の議題が「ねえさんが兄貴に対してつれない」ことから「自分の好きな魚料理」へと、あっというまにスライドしていく。
「あのね、オレはね、魚は味噌煮にして食べるのが好き」
「ぼくは塩焼きがいいな」
「天ぷら! 天ぷらが食べたいの!」
「やだ、ムニエルにする」
思い思いに好きな魚の調理法を叫びだす太三郎さんの舎弟ダヌキたち。うん、単純で大変よろしい。
「味噌煮も塩焼きもないけど、煮干しをあげるからね。今晩はもう、それを持って帰りなさいね」
「はーい」
ころんころんと転がされている七之進ちゃんたちの姿を見て、太三郎さんも楽しそうに微笑んでいる。
「ねね子さんは相変わらず、こいつらのあしらいかたが上手だなあ」
土曜日の晩、わたしとタヌキたちとの時間はいつもこんなふうに過ぎていく。
北の山へ遊びにこないかと、タヌキたちに誘われたのは、やはり土曜日の晩だった。
「鼓の宴?」
「ああ。もしよかったら、遊びにこないか?」
月に一度の満月の晩、タヌキたちが集まって、ご馳走を食べながら腹鼓を打って楽しく過ごす。その「鼓の宴」に参加しないかと声をかけられたのだ。
「でもわたし、腹鼓は打てないですけど」
「ご馳走を準備して待ってるから、ねね子さんはそれに舌鼓を打ってくれりゃあ、それでいいよ」
うーん、どうしよう。「鼓の宴」には、太三郎さんのご両親もみえるのだそうだ。
「あーら、あなたがうちの息子をたぶらかした女狐ね」みたいな目で見られたらどうしよう。
いや、キツネじゃなくてわたしは人間だけれども。
「こんな海のものとも山のものとも知れないやからに、大事な太三郎のことは任せらんなあ」とか言われちゃうかもしれないし。
いや、わたしは人里のものなんだけど。
べつに太三郎さんとは付き合っているわけでもなんでもないのに、なぜだか妙に気が重い。
とはいえ、わたしを見上げる十個のきらきらとした瞳には、さからうことができない。
「……それじゃあ、おじゃまさせてもらおうかな」
わたしの諾の返事を聞いて、いっせいにゆれだした五本の尻尾は、帰るときまでふわふわと上機嫌におどり続けていた。
さて、ご両親と会うことが決まったからには、少しでも好い印象を残したい。美味しい手土産なんかを渡して「あら、気が利く子ね」なんて思われたい。
そういえば、タヌキの好物ってなんだろう。
七之進ちゃんたちには、いつも夜食代わりに煮干しを渡していたけれど、タヌキって煮干しを食べるのだろうか。
というか、タヌキに煮干しって食べさせても大丈夫だっただろうか。
塩分とか、プリン体とか。そのあたり。
ペット用ならともかく、わたしがいつもあげていたのはスーパーで普通に売っている人間用の煮干しである。
なんだか、あまり動物の身体には良くないものだったのではないかと、心配になってきた。
うーん、これはちょっと考えなしだったかもしれないぞ。ごめんよ、タヌキたち。そしてジョセフィーヌちゃん。許しておくれ、これからは気を付けるから。
店先にてよく出会う信楽焼のとぼけたタヌキは、いつも嬉しそうに徳利を抱えているけれど、はて、野生動物にアルコールを与えてもいいものか。煮干しよりも、はるかに健康を害しそうである。
タヌキが食べるもの。タヌキの好きなもの。
タン、タン、タヌキの…………ぶーらぶら、あぶらあげ。おいなりさん、いなり寿司。
……いや、違うな。これはキツネの好物だ。
ノートパソコンを立ち上げて「タヌキ 食べもの」で検索してみる。
『タヌキの食性は雑食であり、動物性のものでは主にカエルやネズミ、ミミズや昆虫などの――』
画面右上のバッテンをクリック。見ていない、わたしはなにも見ていない。
……うん、まあね。タヌキといっても太三郎さんたちは化け狸だし。
太三郎さんたちの生態は、動物よりも妖怪のほうに寄っているのだろう、きっと。
妖怪ならば口にするものはわたしたち人間とさして変わりがないはずだ、多分。
少なくとも、客人であるわたしには人間向けの料理を振舞ってくれるはずだ、おそらく。
熟考の末、当日の手土産はいなり寿司と日本酒に決定した。
万が一、宴の席で出された料理がタヌキたちの口に合わせたものばかりだった場合には、持参したいなり寿司で腹をふくらませればいい。
周りで食事をしているタヌキたちの口の端から、ひょろっとした緑色の足が生えていたとしても、日本酒でぐでんぐでんに酔っぱらってしまえさえすれば、そんなことは気にせずにひたすら笑っていられるかもしれないし。
わたしは再度、ノートパソコンを立ち上げると、今度は検索エンジンに「日本酒 手土産」と打ち込んだ。
そしてむかえた、「鼓の宴」の当日。会場となる北の山の頂には、たくさんのタヌキが集まっていた。中央にある切り株のうえが、腹鼓の演奏場所になるらしい。
わたしが事前にしていた心配は、どれもまったくの杞憂だったようで、ならべられたご馳走は、山の幸の天ぷらや川魚の刺身など、とても美味しいものばかりであり、そして太三郎さんのご両親はとても優しいタヌキだった。
お姉さんの一子さんも、お兄さんの次男さんも、「ねね子さんはタヌキに比べると薄毛だから、夜の山は寒いでしょう」などと、なにかとわたしのことを気にかけてくれている。
ありがたいが、欲を言えば「薄毛」ではなく「毛皮がない」と言って欲しかった。そして五郎太くんの「ねね子さんは人間の中では毛深いほうなんだよ」というフォローは、口には出さず心の中にそっとしまっておいてほしかった。
一子さんたちとお会いしたことで、四ノ助くん以下、四匹のタヌキが、太三郎さんの舎弟ではなく、実の弟たちだということに、このときはじめて気が付いた。
太三郎さんたちとはもう、一年以上の付き合いになるのに、わたしはかれらのことについて、北の山に住む化け狸だということ以外、ほとんどなにも知らなかったのだ。
なんとなく、落ち込んでしまう。
「ねえさん、どうしたの? 寒い? ごはん、美味しくない?」
少し気持ちが沈んでいたのが表情にまで出ていたようで、膝のうえの六兵衛ちゃんが気遣わしげにわたしの顔をのぞきこんでくる。
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう。寒くもないし、ごはんは美味しい」
あわてて笑顔をつくり、六兵衛ちゃんの頭をなでる。
「お造りも、美味しい?」
「うん、とっても美味しいよ」
わたしがうなずくと、六兵衛ちゃんはとても嬉しそうに一鳴きして、それからそっと教えてくれた。
「あのね、これね、兄貴がさばいたの。
ねえさん、前に言ってたでしょ。魚はお造りが好きだって」
たしかに刺身は好きだけれど、そんなことを太三郎さんに伝えたことがあっただろうか。
眉根を寄せて記憶をたどっていると、左側でおなかを出して寝転がっていた四ノ助くんが教えてくれた。
「言ってたじゃん、釣った魚はお刺身にして食べたいって」と。
そうだ、たしかにわたしは言った。
「わたしだったら、釣った魚はお刺身にして食べたいかなあ」
あんなもの、七之進ちゃんたちをあしらうために、適当に口にした言葉だったのに、太三郎さんはそれをきちんと覚えていてくれたのだ。
というか、あのときにわたしも聞いていたんじゃないか。
四ノ助くんは味噌煮が好きだって。
五郎太くんは塩焼きにするのが好きだって。
六兵衛ちゃんは天ぷらで、七之進ちゃんはムニエルが好き。
太三郎さんの弟たちが好きなもの、あのときにわたしもきちんと耳にしていたはずなのに。それなのに。
今日の手土産のことを考えるときに、わたしはそのことを、少しも思い出さなかった。
タヌキの好きなものってなんだろう。タヌキが食べるものってなんだろう。
タヌキは、タヌキが、タヌキって。
太三郎さんの、四ノ助くんの、五郎太くんの、六兵衛ちゃんの、七之進ちゃんの、かれらひとりひとりの好みのことを、考えようとは思わなかった。
他人から「女の子だもんね」なんて決めつけたように言われるだけで、ひどく腹を立ててしまうこともあるくせに、それとまったく同じことを、わたしは太三郎さんたちを相手にしでかしてしまっていたのだ。
ああ、どうしよう。
とてつもなく、申し訳ない。
そして、ものすごく恥ずかしい。
頬がかあっと赤くなっていくのが、自分でもわかった。
両手で顔をおおってうつむいたわたしのことを見て、刺身のことを聞いて喜び照れているのだと勘違いしたらしく、四ノ助くんはさらに太三郎さんのことを教えてくれる。
「兄貴はね、今日のために腹鼓をたっくさん練習したんだよ。
おなかの毛皮が、ちょっぴりすりきれちゃうくらい」
「その、それは、わたしに聴かせるために?」
「もちろん。音楽好きなねえさんに、喜んでもらいたいからって」
音楽を聴くのはたしかに好きだけれど、これも太三郎さんに伝えた記憶はない。ないのだが、もしかして。
「前に、金曜日に来たときのこと、ずっと覚えてくれてたの?」
「うん。ねえさんは音楽が好きなんだねって。好きなことのおじゃまをしたら悪いから、これからは金曜日に遊びに行くのはやめようねって」
音楽番組を見るからと、せっかく訪ねてきてくれた太三郎さんたちを出迎えもせず、さっさとお引き取り願ったあの日。
あのときに太三郎さんたちを追い返したのは、たまたま好きなバンドが生出演する放送回だったからであって、かれの心遣いは少しだけずれているのだけれど、それでもわたしのことを思いやってくれているのだということは、間違いない。
好きな番組があるみたいだから、金曜日に出かけていくのはやめよう。
刺身が好きだそうだから、川魚をさばいて出してあげよう。
音楽が好きなようだから、腹鼓を聴かせてあげよう。
はじめて会ったあの日から、太三郎さんはわたしのことをたくさん知ろうとしてくれていたのだ。
「人間」の「女の子」ではなくて、「林田ねね子」という個人のことを知ろうとしてくれていたのだ。
あの日、七之進ちゃんのおむかえにわたしの部屋へとやってきたときから、ほかのだれでもない「林田ねね子」のことを見てくれていたのだ。
意識したとたん、赤味が少し引いてきていたはずの頬が、もう一度、熱を持ちはじめる。
これまで、わたしはずっと「タヌキ」の太三郎さんしか見ていなかった。
太三郎さん個人のことは、ほんの少ししか知らなかった。知ろうともしなかった。
住んでいるところは北の山。
頭に一枚葉っぱを乗せると、変化の術をつかうことができる。
四ノ助くんたち四匹のタヌキに「兄貴」と呼ばれて慕われている。
太三郎さんのことについて、わたしが知っていることは、全部合わせてもこれだけしかない。
そのことがとても悔しくて、同時にどこか少し嬉しい。
知らないことばかりだということは、これからたくさん、知っていけるということだ。
「ねえさん、兄貴の番がまわってきたよ」
いつのまにか、きちんと座りなおしていた四ノ助くんが、わたしの左袖をひく。
前方へと視線を向ければ、太三郎さんが切り株へとむかっていくところだった。少し緊張しているのが、表情から見てとれる。なんだか、わたしまでドキドキしてしまう。
腹鼓を打つ準備をしている太三郎さんの姿を見ながら、わたしはとある決意をした。
この演奏を終えて、太三郎さんが戻ってきたら、かれにたくさんお礼を言おう。
そして、それから訊ねるのだ。
「釣った魚は、どうやって食べるのが好きですか?」と。