七、決勝戦
『求道者』デインは、今、至福と言っていいほどの歓喜の中にいた。
彼は帝国市民権などには興味が無い。
求めるのは、ただ強さのみ。
それは己の強さ、そして自らを高めてくれる強さ。
その、自らをさらに高みへと導いてくれる強さが、ここにある。
しかも、これだけの使い手が、まだ年若い。
つまり、まだまだ相手は強くなれるという事だ。
それは即ち、自分もまた強くなれるという事!!
その喜びは己の内には収まりきらなかった。
「フハハハハッ、フン!! フハ、ハッ! ハッ!! フワハハハハハハッ、ハァッ!!!」
満面の笑みを浮かべ、声を上げて笑いながら、攻撃の際には裂帛の気合い。
なびく弁髪、飛び散る汗、膨れ上がる腕の筋肉。
――なんかキモい。
それがこの光景を見た大半の観客の率直な感想であった。
準決勝までは、多くを語らず、その技を以て己を示す、強くてクールでカッコイイおじさん(まだ彼は二十五歳なのだが)であったのに、今は、強いけどちょっとキモいオッサン(まだ二十五歳)へとその印象が塗り変わりつつある。
滑り出しは良かったのだ。
相手を測るには攻めあるのみ、とばかりに前へ前へと圧力をかけるデインに対し、フィルもこれまでのように守り一辺倒とはいかず、ショートレンジでのめまぐるしい攻防。序盤から出し惜しみなしといった様相の戦いに観客は沸いた。
だが、しばらくすると前述の通りの有様となり、会場は微妙な空気に包まれた。
しかし、さらに時間が進むと、客席からは含み笑いが起こり始める。腹の底から笑っている人間を見ているとなぜか見ている方も笑えてくるあの現象だ。
それでも行われている戦いはこれまで以上にハイレベルであることが素人目にも判るようなものであるため、笑いながら躍動するキモいオッサン(二十五歳)から目を離せずにニコニコしているという不気味な集団が生まれていた。
そんな雰囲気の中でも激しい戦いは続いていたが、突然デインが後方へ跳躍し、右の手のひらをフィルに向ける。
何かすごい技が飛び出すのか!? という期待に観客も固唾を呑むが、デインがしたことは――
手足甲を取り外し場外へ放り投げることだった。
続いて上半身の胴着を脱ぎ捨て、下半身の胴着も裾を破り捨て、汗でテカる筋肉を誇示している。ご丁寧にポージング付きで。
その意図が観客には判らない。
そのため、観客達はデインを露出狂だということにして納得した。
おめでとう! デインは強いけどキモい露出狂のオッサン(二十五)にクラスチェンジした!
そんな周りの状況など露も知らず、フィルはデインの突然の行動を見て、迷った。
相手が純粋な肉弾戦での戦いを求めている。
それに対して冷静な判断とは別に、自分も体術だけであれだけ強い相手と戦ってみたい、そんな気持ちが心の中にあることが自覚できたからだ。
幼い頃から修練を積み重ねてきた。そこから始まり、この先へ続くは、きっと修羅の道。
だが目の前の戦士は、戦いの中に喜びを見ている。
その喜びは戦いの中にありがちな汚い感情、例えば残虐性や優越感などとは全く関係ない。
きっと、自分が積み重ねたものが確かな形で内にある喜び、そしてその喜びがまだ終わりではないという事を知ることが出来た喜びなのではないか、そんな風にフィルには思える。――それに似た感情は、フィル自身も知っているものだったから。
だからこそ、この相手に、ただ勝つためだけの戦いで応じるのでは、つまらない。――そう、楽しみたいと思ってしまったのだ。
『私や私にお前を託した方々が一番に望むのは、お前の幸せだ。私たちの願いの先にその幸せがあると信じているからこそ、私はお前を厳しく育てることを選んだが、それが辛いなら背負わなくてもいいのだ。もし自分でこの道を選んだとしても、義務感などではなく、喜びや楽しみをその中に見いだして進んでくれ』
そんなゼノンの父親ぶった言葉もふと思い出され、都合良くそれを思い出した自分に苦笑する。
馬鹿な選択をしようとしてる、いや、すでにその選択を決定している自分に言い訳をしているだけじゃないかと思えたから。
フィルは手の内の短剣も鞘に納め、計六つのそれらを外し、場外へ放り投げた。
その行動に観客は驚いていた(一部の女性客とごく一部の男性客は変な期待をしていた)が、すぐさま再開された格闘戦に引き込まれる。
基本は、攻めるデインに守るフィルだ。
パワーで勝るデインの攻撃を真正面から受けるわけにはいかないフィルは、大げさなくらい吹き飛ぶようにして勢いを殺して凌いでいる。
フィルも時々きれいに躱して反撃を入れているが、端に追い込まれないように立ち回りながらも、あちらこちらへ飛んでいる。
デインがそのまま押し切るのでは、という雰囲気だったが、やがてデインの攻撃はややその勢いを失っていく。
攻め疲れだろうか、と思う観客達だったが、モニタに大写しにされたデインの腕を見て驚き、納得する。
デインの腕に、いくつもの痣が出来ていたのだ。そして、脛の周りにも。
よく見れば、フィルはいくつかの攻撃は普通に躱している。
そして敢えて受ける時は、相手の攻撃してきた腕や足に対し、肘や踵、拳の硬い部分で受けていた。
それらの全てが狙い通りというわけでもないようだが、かなりの精度でそのカウンターは成功しているようだ。
フィルが大げさに勢いを殺すようにしているのは、自分はもちろん、相手のことも壊さないように、ということかも知れない。
そんな中、フィルと距離が離れたタイミングで、突然デインが動きを止めた。
「フワッハッハッハァ! 素晴らしい技術だ! おぬしの戦い方は私の流儀には合わぬが、学ぶことは多い! この腕に、この脚に刻まれた痛みの数だけ、私はまた強くなれぇる! ハッハッハッ! この喜びよ!! この痛み、最早気持ち良くさえ感じるわ!!」
そう言ってさらに高らかに笑う。
観客はドン引きであった。
それはそうだ。露出狂の上に、ドM属性付与である。
観客達の中で、強い露出狂のオッサンは、強いけどド変態のオッサン(実はもうすぐ二十六歳)に進化していた――。
「さぁて! いつまでもこの時を楽しみたいが、私の身体にも限界はあるゆえに!」
デインはその顔に笑顔を貼り付けたまま、構えを取り。
「そろそろ最後のお楽しみといこうかぁ!!!」
再びフィルの懐へ飛び込んでいった。
フィルの心には迷いがあった。
投げ技や関節技を解禁すべきかどうかを。
体力的な消耗が思っていたよりも大きい上に相手が予想以上にタフであるため、というフィジカルな事情もあるが、持っている全てを出さずに終わるのは失礼ではないかというメンタルな事情の方が大きい。
それでもやはり、自分が女であるとバレるリスクは絶対に負うことは出来ない。
そんなフィルの迷いを見て取った、というわけではないだろうが、笑顔のままコンビネーションを繰り出していたデインの表情が急に引き締まった。
そのデインが次に放ってきたのは、右足からのローキック。
フィルは迎撃するべくその軌道を読みつつ左足の踵をあわせにいく。
だが、その脚は勢いを増しながら急激に軌道を変え、地面に叩きつけられる。
フェイントであると同時に、次の攻撃のための踏み込み。
その次の瞬間にはすでにデインの両腕が外からえぐり込むように頭と胴体にめがけて迫っている。
フィルの左足はカウンターを当てるために上がってしまっている。
もう一方の足も勢いを殺すためにしっかりとは地面を踏みしめていない。
左上からの頭への攻撃を躱すため、上体を反らせる。
右下からの胴体への攻撃は――躱しきれない!
背面跳びのような体勢からさらに身体を鋭く右にひねる動きをしたフィルが、デインの左パンチを受けて横へ吹き飛ぶ。
だが、空中で体勢を立て直すと、その顔に悔しさを浮かべながら着地した。
攻撃したデインは、なぜか左腕を押さえている。
そしてデインはニヤリと笑い――、
「降参だ!」
そう言い放った。
何やらすごいことが目の前で起こった、と思っていたら突然決着がついてしまったことでしばし呆然としていた観客達だったが、まばらに拍手が起こり始めるとそれはあっという間に広がって、その万雷の拍手は会場の空気を震わせた。
「最後のあれは、水魔術で盾を作り出したのだな?」
「ええ、魔術は使うつもりは無かったのですが、咄嗟に使ってしまいました。申し訳ない」
「構わぬ! 魔術でとはいえ今の私の最高の技を防いだのだ。その上あの体勢から反撃さえ入れるとはな! 私にとってはそれも素晴らしい経験であった!」
舞台の中央でそんな会話を交わしながら、フィルは悔しさと感謝を感じていた。
投げ技や関節技どころか、明確にそれと判る魔術を引き出されてしまった、悔しさ。
だが、それだけ強い人間がいるという事実をまだこの時に思い知らされた、感謝。
「私はさらに強くなる! おぬしも精進せいよ!」
そう言って舞台を去るデインをフィルは笑顔で見送る。
言われるまでもない。
後悔だけはしないように、ボクはもっと強くなる。
優勝者の証を受け取りながら、フィルは決意を新たにするのだった。