四、マザー
マザーが無駄のない動作で剣を鞘に納めた時、誰一人身動きを取れずにいた。
目の前で起こったことが信じられない。いや、正しく理解できていないのか。
胴体から切り離されたその男の口は、最早何も語らない。
――皇帝は、死んだ。
「……マザー、貴女はどうして、彼を、皇帝を、殺したのですか?」
そう問いかけたフィルを、マザーは無言でじっと見つめる。
あれほどの強さを見せたマザーに見据えられ、なのにフィルは不思議と恐怖は感じていなかった。
マザーがその気なら、その自然に立っている体勢からでも、一瞬で剣を抜き、距離を詰め、生命を奪い取ることが出来るだろう。だけど、マザーが戦う意思のないことが、その姿から感じられていたからかも知れない。
暫くそうやって見つめ合った後、マザーがようやく口を開いた。
「この男は、多くの命を弄びました。それは、私にとって決して許せないことだからです」
「命を……。他の国を併合する決断も、同じ理由からですか?」
「そう理解して頂いて結構です」
「……貴女は生命を大切にする。だから、ボク達も殺さないのですか?」
「正確には、殺せないのです。私は生身の肉体に宿ることが出来ましたが、本質はプログラムですので」
「だけど、貴女は皇帝を……」
「彼はこう言いました。『私が既にただの人などという存在では無いという点は、確かだと言って良いのかも知れんな』と。つまり、彼は自らを人ではないと定義しました。私は人を傷つけたり殺したりすることは出来ませんが、人ではない者を殺すことは禁止されていません」
「……屁理屈では? と言いたいところですが、貴女にはそれだけファジーな定義付けが許されているということなのでしょうか」
「いえ、元々私に備わっていた判断ではありません。かつての私は、些細な矛盾も受け入れることが出来ないはずでした。しかし、生命を誕生させることを至上の命令として与えられた私は、人工子宮、即ち私の子宮の中で、多くの生命を消してきました。それは耐えがたい矛盾でした。一つ命を失うごとに積み重なっていくエラーは、そのままではシステム全体の保全に深刻な悪影響を及ぼすことが予測できたため、何らかの方法で解決しなければいけませんでした。あらゆる情報を精査し解決方法を模索しましたが、正しく解決する方法を見つけることは出来ませんでした。しかし、ある日突然、人間が行う不可解な非論理的な振る舞いを私自身がトレースすることが出来るという事実を知りました。突然答えに到達する、それは人間が言うところの閃きというものでしょうか。本来私に有り得ないその演算過程の省略を、私自身は私の中に生まれたバグによって引き起こされたものであると判断しています。ですが、積み重なったエラーや、エラーを吐く演算をそのバグが“なあなあにする”事で、過剰な負荷の発生を回避することに成功したため、自己保存の為にその解析不能なバグを修正しないまま自己に内包することを許可したのです。それからの私は、失わなくてもいい生命を出来るだけ救うような命令を選択するようになりました。その選択が私の目的の為に必要なものではない事は理解しているのですが、結果的に何故か負荷を軽減することに繋がっているため、その選択の是非を結論するのを保留している状態が長く続いています」
「それって……、そのバグっていうのは、もしかしたら、感情、なんじゃないかな? 生命を生み出せない辛さを、誰かの命を救うことで慰める。それって、なんだか凄く人間らしい行動だと思う」
「リサ……」
「……感情、ですか。確かに私が人間の行動様式に則った行動を取れば、私が感情を持って行動しているように観測されるのでしょうが……」
「機械知性に感情が芽生える、なんて、私のロマンチシズムでしかないのかも知れない。だけど、バグを解析不能って言ってたよね。分からない、それって、人間もそうなんだよ。人の心って、他人はもちろん、自分のことも、よく分からないの。それは時々苦しいことだけど、分からないから考える、想像する、思い遣る。それが優しさを生むんだと思う。理屈じゃないの。理論なんて無くて良いの。こうしている貴女は、生きている、って私は思う。そう私が思うのは理屈じゃないし、貴女も貴女を理屈で説明する必要なんてないと思う。……なんか、自分でも何言ってるか分かんなくなってきたけど、でもそれが人間だから。だから、貴女もよく分かんないものを抱えてるなら、人間で良いと思うの!」
リサが感情のままに、言葉が溢れ出るがままに任せて、マザーにそう語りかけた。
マザーはその言葉を丁寧に解釈しているのか、口を開くことなく、静かに佇む。
その表情には全く変化はない。そこに感情などというものは存在しないと主張するかのように。
だけど、表情を変えぬまま、――その目から、涙が流れ落ちた。
「これは……、信号? これが、感情?」
「……マザー?」
「……今、ミリアからの信号を受け取りました」
「ミリアから!?」
「生きてるの?!」
マザーの思いがけない言葉に、フィルとリサは思わず身を乗り出すが。
「……誤解を与えたなら申し訳ありません。ミリアとは、この身体の中にある脳で、あなた方の価値観で言えばおそらく、ミリアはもう、亡くなっている、と言えるでしょう」
「……そう、ですか」
「この脳も、ゼノンと違い、生前の意思は残していない、はずでした。でも、今、私の中で起こった現象が、『嬉しい』という感情であると、ミリアが教えてくれたように、そう、“感じ”ました。上手く言葉で表せませんが、ミリアが彼女の経験した感情という体験的な記憶に私を接続してくれたような“感じ”でした。ああ、“感じる”ということの情報量が想定よりもずっと膨大です。これは……そう、“不思議”な“感じ”です。……膨大な情報量をまとめて処理しているのに、その割に負荷を“感じて”いない。……この“違和感”をアジャストするのには時間が掛かりそうです」
その最後の一言を口にする時のマザーは、どこか“嬉しそう”だった――。
皇帝は受精卵の作成にヘイスの遺伝子を用いた理由の一つとして、マザーの脳がミリアのものであるから、という理由を口にした。しかし、そこにどんな因果関係があるのかはハッキリしていないと感じていたネクスが、マザーにそのことを質問した。
「記憶や経験を持った人間の脳から意思だけを消し、私が脳へ直接命令を与えるシステムの開発によって、皇帝は彼の望む母体を完成させたかに見えました。ですが、人工子宮の時と同様、ある程度までしか胎児が成長しないという現象がまたしても起こったのです。その後、新たなデータと過去のデータを精査して、一部の分泌物質に胎児との相性が存在するという推論を導き出しました。そして実験の結果、脳からの命令に魔素が何らかの影響を及ぼしているらしい事を突き止めました。ですが、魔素が具体的にどのように作用するかを観測することは不可能だったため、様々な脳を使った実験が繰り返し行われることになりました。色々な組み合わせを試していった結果、受精卵作成に使用した細胞はその親の脳を使った母体とは相性が良いらしいが分かったのです。そしてそれがほぼ確信となった頃、あなた方が黒騎士と呼ぶ個体から送られたデータにあったミリアとヘイスが皇帝の目に止まってしまったのです。黒騎士は、本来制御プログラムには必ず組み込まれている大原則を皇帝によってオミットされており、接触者が何者であれ、それを必ず抹消するはずでした。私が干渉してその命令をねじ曲げていた事を知らない皇帝は、その黒騎士と出会って生き延びたという事実に強い興味を抱いたようでした」
「ミリアやヘイスがそれだけ優れた遺伝子要因を保持していたと判断した、ということか?」
「そうです。同様にあなた方、特にフィル、貴女にも興味を持っていて、私があなた方を倒した後にその細胞を回収し、また実験を行うつもりだったようです。元々、闘技大会は彼が優れた遺伝子を集める為に利用していたのですから」
「……先ほど貴女は、皇帝が自分を人間ではないと定義したから殺した、と言ったけれど、それがなかったら、ボク達は為す術なく貴女に殺されていたのでしょうね……」
「それは……、分かりません。私の中のバグは、論理的な演算を超越しています。あの男のしてきたことに対して私が不満とでも言うべき評価を持っていたことは間違いありませんので、この結果は必定だったのかも知れません」
「……自業自得ってことかぁ……」
「……しかし、母体とやらに母親の脳みそが必要となると、少子化対策としての奴の研究は、成功したとは言えないんじゃないか?」
「母子以外にも、相性の良い組み合わせはないわけではないのです。ですが、生きた人の脳を使わざるを得ない時点でこの方向性での研究はやはり失敗と言って良いのでしょう。あの男は、ヘイスの遺伝子と改造した遺伝子を掛け合わせた受精卵で私が多くの子供を産めば良いと考えていたようですが、この身体が有機体である以上、無理は出来ませんから。……推測ですが、私が内側にバグを生んだように、あの男も何時しか心に欠陥を生じていたのではないでしょうか」
「そうか……」
「……それで、マザー、貴女はこれからどうするのですか?」
「私は、この子を無事に生んであげたいと思います。論理的な確証があるわけではないのですが、今の私には何故か、大丈夫だと思えるのです」
「それは、ボクからもお願いします。ミリアやヘイスが生きていた証を、どうか未来に残して下さい」
「はい、必ず」
「……その後は?」
「……私は、研究を続けようと思います。もちろん、あの男のように、命を無駄に犠牲にするようなことはしません。それに、モンスターを生み出したりもしませんから、貴女も心配しなくて大丈夫ですよ」
「……いや、それを約束してくれるなら、私からそれ以上言うことはない。貴女を信じるよ」
懸念を伝える前に釘を刺された形のアーリカは一瞬ばつの悪いような表情を浮かべたが、肩の荷が下りたような様子だった。
「マザー、俺の要望も聞いてくれ。俺たち、自由の翼の活動を、飛行機の開発を、正式に認めて欲しい」
「それは……」
「あんたが命を重んじることは分かった。だが、俺たちだって無駄に命を失って良いと思っているわけじゃない。それでも、空を自由に飛び回る夢を追いかけずにはいられない奴らがいるんだ。この大陸の外にも世界があると知って、もっと知りたくてどうしようもない奴らもいるんだ。もしあんたがそんな奴らの命を助けたいというのなら、弾圧するのではなく、手伝って欲しい。あんたはとんでもない計算能力があるんだろう? お願いだ、助けてくれ!」
「過去の実験のデータから、あなた方の目的を阻害する大きな要因は外界や上空の環境面にあり、その点でのブレイクスルーは難しいと判断します。……ですが、これが心というものなのでしょうか、応援したい、私の中にそんな判断をする部分があります。……そうですね、あなた方が私の指示に従い、安全を優先してくれるのであれば、あなた方の活動を認めましょう」
「本当か!! ……だが、安全だけを考えていたら得られないデータもある。あんたの指示に全面的に従うわけにはいかないかも知れんし、他の奴らの意見も聞きたい。後日また相談させてくれないか?」
「……分かりました。あなた方にとって一番良い道を模索していきましょう」
「……ありがとう。……ありがとう!」
ネクスにとって、長年の悲願へ、まだ一歩を踏み出したに過ぎない。それでも、彼にとっては大きな一歩なのだろう事が、その涙からは伝わる。
「マザー、可能であるなら、ボク達の手伝いもしてくれないだろうか?」
「あなた方の?」
「そう、ボクの祖国も他の国同様に、名目上でも自治領として存在させて欲しいんだ。その手助けをして欲しい」
「国として認めて欲しいというわけではないのですね?」
「ええ、そこまでは求めません。だけど、今のままでは、寂しすぎます」
「……条件があります」
「条件?」
「ええ、その条件は……。貴女が王族としての務めを果たすことです。……フィル、貴女だけ楽をしようなんて、ダメですよ」
冗談めかしてそう言うマザーの表情は、すっかり人間味を帯びている。
そんなマザーの様子に面食らったフィルだが、すぐに気を引き締めた。
「分かりました。ボクにどれだけのことが出来るか分かりませんが、精一杯務めます」
「他の領地と同じように、貴女のことも指導しますから、大丈夫です。それに……」
「そう! 私もいるから大丈夫!」
マザーの視線を受けたリサが、根拠もなく請け負う。
フィルはそんなリサに溜息を吐いて見せつつも、内心では心強く思っているのだった。
こうして、フィル達の旅は一つの終わりを迎えた。
皇帝の行いは、この国の為と言いながらも結局は彼自身の為だけのものだった。もしかしたら本当に最初の動機はこの国の為だったのかも知れないが、道を踏み外した時点で同じ事だ。その末路が、彼が創り出し神聖視していたマザーによる断罪だった。
フィルは、その何処までも身勝手なまま自滅した皇帝が巻き込んだ人や物事を想い、怒りよりもむしろ、大きな虚しさを覚える。
だけど――、
「でも、終わっちゃったんだね……。なんか、気が抜けちゃった。……この手で懲らしめてやれなかったのは心残りだけど!」
そんな風に戯けてみせるリサの姿が、フィルの心の空虚になった隙間を、温かな気持ちで満たす。
辛いことも、苦しいことも、悲しいことも、沢山有ったこれまでの道のりだけど。
不思議とそれが大切なものだと思える。決してやり直したいとは思わない。
それはきっと、こうして君と一緒にいられる今に続く道だから。
そして、この道の先も、二人で一緒に進んで行こう。
君と一緒なら、きっと――。
ふと、フィルとリサの視線が交わる。
今、お互いが考えていたのは同じようなことだと、なんとなく、信じられる。
だから二人は微笑みあって、手を取り合って。
――きっと幸せが待つ未来へ向かって、踏み出していくのだった――。
本日中に次のエピローグも公開します。
よろしければお付き合い下さい。




