プロローグ
―― 永遠の君へ、海より深い敬意を込めて ――
大陸一美しい王城であると謳われるフィノレア城。
海の上に浮かぶようにその威容を誇るその姿は、景観の素晴らしさもさることながら城そのものの華美に過ぎず絢爛な洗練された美が、見る者に感嘆のため息を強要するという。
その美しさは、竣成から今日までの間、いついかなる時でも変わらずにあり続けている。
――ただ滅びを待つばかりの、今この時でさえも。
「帝国側からの返事は?」
「最初の一方的な通告以降、何一つ連絡はありません」
「……悪魔の言葉に貸す耳は無い、ということかしら」
城の中で唯一、絢爛な美しさとは無縁の様相を見せる司令室。
司令官として自ら指揮を執る女王は、その美しいかんばせに苦悶の色をにじませた。
(帝国から一方的に国交断絶を宣言されて地理的にほぼ孤立して以来、生まれる子どもは女ばかりのこの国では、どうしたって少子化を食い止められなかった。先代が試みた一夫多妻制が国民に受け入れられなかった以上、私が進めたあの研究は必要悪だ。帝国だって男ばかりが生まれる国柄、それは理解できるでしょうに。なのに、その研究を理由に、話し合いも無くただ討ち滅ぼそうなどと! )
フィノレア女王国の進めている研究は、人の生命を弄ぶ悪魔の所業である、それが帝国の主張であり、この滅亡戦を行う大義名分だった。
(スタンドアロンだったはずの研究塔が外部ネットワークと繋がってしまったのは、前の端末入れ替えの時、無線通信設定のミスに気づくまでの五分にも満たない時間くらい。それだけでもこちらがしていることを知られるには十分だったなんて、帝国だけが実用化に成功してその技術を独占している量子コンピュータというものは、それほどのものなの……。高速通信技術開示から急速に進んだ過剰なまでの回線の高速化も、その処理速度を見越した上で、か。……ああ、もっと強く警戒していれば!)
ほんの些細な油断、ミスが文字通りの命取りに繋がってしまうとなれば、ましてやそれが自分のみならず国民達全員を巻き込む物であるのだから、悔やんでも悔やみきれるものではない。
だが、今するべきことは、過去を悔やむことじゃない。杯から零れた水は、もう戻らないのだから。
女王はそう自らに言い聞かせ、意識を現実に引き戻し、傍らに控える近衛隊長に再び問いかける。
「城下町の国民の国外脱出の状況はどうなっている?」
「優先していた幼い子供などを持つ家族の説得にはなんとか成功して、乗船作業は既に始まっています。帝国兵による防壁の突破は思いの外速いですが、それがこちらに到達する前に 出港の準備は完了するものと思われます」
「その言い方からして、あまり大勢の脱出は望めないのかしら?」
「……はい。少しでも帝国の目をかいくぐる為に中型より小さいものを集めましたが、用意した内の半分も使われるかどうかと言ったところでしょう。……ですが、非戦闘員も含めて残った者達皆の心にあるのは諦念や絶望ではなく、この国と運命を共にできる誇りや喜びである、と。女王にはそう伝えてほしいと、連絡を受けています」
「……そうですか」
件の研究については、国民に対しても情報を与えていない。
だから、只でさえ人口が少ないこの国で急速に少子高齢化が進みつつある現実に、国民が希望を失っていても仕方ないと思っていた。
どうせ未来に光を見いだせないのなら、この機にいっそ、という覚悟を決めた者がいても仕方ないと。
そして、そういった者達に理も無くただ生きろと言うことは酷であろう、とも。
だが、ここで死ぬことを選んだ者達はそんな消極的な理由でそれを決めたのではないと言う。
希望を失ったのではないのならば、少しでも多くの者達に未来のため、生き延びてほしい。
そう思いつつも、彼女らの決断を、そこに至った心情を、裏切ることもできないと思う。
だから、女王はすべての思いを飲み込み、覚悟を決めた。
「フィリアもすでに船に?」
「はい。近衛兵の中で私が最も信頼する者に託しました。彼なら必ず王女を立派に育て、護り抜いてくれるはずです。船も、国内でも選りすぐりの水魔術師を配置したので、全員が無事にあの急流を超えて対岸に辿り着いてくれるでしょう。彼らは必ず未来へ希望をつないでくれるに違いありません」
その言葉に女王はうなずく。
徹底的に戦い抜くという抗い方、それを選ぶという道も、きっとあった。
女ばかりの国柄ゆえ、腕力だけに頼れない分、他の面で護る為の力を磨いてきた自負もある。だから、その力が無いとも思わない。
だが、このようなやり方をする帝国の汚い男共に、この国の気高き国民が一人たりとも穢されるようなことがあってはならない。
全体的に見れば圧倒的に少ないこの国の男達も、そう思うからこそ率先して前線に立ち、女達がこの城へ避難する時間を作ってくれた。その想いも、無駄にはしたくない。
だから――、女王は最期の命令を下す。
「全ての船の出港と同時に、城の潜水シークェンスを開始せよ! 我々は、この国の誇りと共に母なる海へ逝く! 帝国兵どもに我らの誇りを穢させるな!」
この声は城内全域に放送され、人々は静かな熱狂の中で最期の時を待つ。
「……ねえ、ファルナス。私は女王として正しくあれたのかしら?」
傍らの近衛隊長へ、最愛の人へ、女王は静かに問いかける。
「……少なくとも僕にとっては、女王としても、女性としても、正しかったと信じられる」
「この国を、滅ぼすのに?」
「まだ、すべてが終わったわけじゃない。きっといつか、僕たちの娘が、君が正しかったことを証明してくれるはずさ」
「……そうね、ありがとう」
この日、歴史的建築物の消失と共にこの大陸最後の独立国が滅亡し、帝国は大陸の統一支配を完成させる事となった。