プロローグ
いつも通り今日が終わったから、いつも通りの明日が来ると思っていた。
身代わりのあの子が無邪気に面白いものを探し、不必要に傷つけてくるものがいれば守護者の彼がそれを叩きのめし、そこで起こった損害を管理機能であるあれが丸く収める。
そんな明日が始まると思っていた。
【個体5786が“スキル:精神干渉”を使用し、成功しました。○○の精神世界に干渉します。】
そんなゲームのようなログが彼女の精神世界に流れた途端、嫌悪感が全身を駆け巡った。
寝ていた布団に汚物をぶちまけられたような、強烈な嫌悪感に彼女は顔をしかめる。
「超気持ちわりぃ……。」
ファンシーなぬいぐるみに囲まれた彼女はうめき声をあげながら、起き上がった。
寝起きの頭をガシガシとかきながら、自分の世界に起きた異常に対して対処するためドアへと向かう。
「というかなんだっけ?このログっぽいの。前に精神世界でならチートキャラになれるか実験した後の名残かな。」
ドアの近くまで近づくと複数の声が聞こえてきた。
さっき響いたログで他の子達も目を覚ましたようだ。
彼らもドアの近くで様子を見ているようだ
「なんだろー。あの黒いの急にここにきちゃったよー?蜘蛛ー?でも足が八本以上あるねー。」
のんびり間延びした子供のような声は身代わりの少女だろう。
得体のしれない化け物に対して怯えもせず、警戒もせず、好奇心に満ちた瞳を輝かせていた。
「なんでも構わん!ここに不法侵入してきた以上敵だ!オリジナルを傷つける可能性があるなら殺すしかあるまい!」
化け物に対して荒々しい声をあげているのは守護者の青年に違いない。
血気盛んな彼は化け物を敵と認識し、殺気立っているようだ。
「防衛機能の判断には賛成である。しかしながら未知なる物体に対する有効な手立てを我々は有してはいない。」
冷静な淡々としたソプラノボイスは管理機能の女性だ。
このよくわからない状況でも守護者を抑え、最善の方法を模索していた。
そんな会話を聞いて彼女は大きなため息をついた。
どうやらこの敵は彼女自身が退治しないといけないものようだ。
「虫は嫌いなんだけどなぁ。」
そうぼやきながらもめったに開けない自室の部屋のドアを細く開け、向こう側を覗いた。
ドアの向こうには真っ白な部屋と豪華な装飾が施された王座のような椅子、その椅子を囲むように設置されている扉が存在していた。
そこまではいつも通りの彼女の精神世界だったが、天井を見上げると知らない大きな穴が開いている。
そして大型犬サイズの蜘蛛のような黒い生き物がカサカサと動き回っていた。
あの穴からこいつは入り込んできたようだ。
彼女はそのまま扉を大きく開け放った。
それに反応するように、蜘蛛はまっすぐ彼女に向かってきた。
あまりの動きの気持ち悪さに彼女は一瞬動きが止まったが、すぐにそれに向かって手を伸ばす。
【〇〇は“称号:全能なる妄想者”の効果を発動させました。その効果により個体5786は〇〇に対し“スキル:魂喰らい”を使用しましたがレジストされました。】
「ギィッ!?」
飛び掛かってきた蜘蛛の牙は彼女には届かなかった。
困惑したような声あげた蜘蛛だったが、あきらめずに何度も何度も彼女に飛びかかる。
【個体5786は〇〇に対し“スキル:魂喰らい”を使用しましたがレジストされました。】
【個体5786は〇〇に対し“スキル:魂喰らい”を使用しましたがレジストされました。】
【個体5786は〇〇に対し“スキル:魂喰らい”を使用しましたがレジストされました。】
しかし彼女には届かない。
そんな虫の無駄な努力を見下したような目で彼女は見つめていた。
「残念ながら、ここではチートキャラなんだよね。私。」
そういいながら伸ばしていた手のひらをぐっと彼女は握り込んだ。
【〇〇は“称号:全能なる妄想者”の効果を発動させました。個体5786のステータスが半減します。】
「ギャゥ!?」
反撃されるなど欠片も考えていなかった蜘蛛の動きも思考も数秒止まってしまった。
しかし彼女の攻撃は止まらない。
【〇〇は“称号:全能なる妄想者”の効果を発動させました。個体5786のステータスが再度半減します。】
【〇〇は“称号:全能なる妄想者”の効果を発動させました。個体5786からHPを吸収しました。】
【〇〇は“称号:全能なる妄想者”の効果を発動させました。個体5786からMPを吸収しました。】
彼女の反撃はやまない。蜘蛛の攻撃は通らず、一方的に弱体化され、体力を奪われていく。
それが動けなくなるのは時間の問題だった。
「私の世界には虫はいらない。」
【〇〇は“スキル:世界掌握”を使用しました。個体5786の知識が吸収されます。】
【〇〇は“スキル:世界掌握”を使用しました。個体5786のステータスが吸収されます。】
【〇〇は“スキル:世界掌握”を使用しました。個体5786の存在が作り替えられます。】
彼女がそう呟いたとたん、蜘蛛は細かい粒子と変わり、新しいものへと作り変えられていく。
そこにいたのは無力でかわいい黒兎だった。彼女は小さく微笑みながらそれを抱き上げる。
「ん……黒いなら虫よりもウサギの方がいい。」
無力化されてしまった元蜘蛛だったが、最後の力を振り絞り反撃に出た。
「ギィッッッ!!!」
【個体5786は魔王と魂を接続しました。魔王は“スキル:魂転移”を個体5786を媒介に使用しました。】
そのログを見て、彼女は思いっきり顔をゆがめた。
「げっ……飼い主いたのか。レジストで。」
【〇〇は“称号:全能なる妄想者”の効果を発動させました。魔王の“称号:魔を統べるもの”の効果により魔の属性を持つものを媒介としたスキルはレジスト不可能です。】
「え……そんなのあり?」
うろたえる彼女を見てか、元蜘蛛は満足そうに顔を緩ませていた。
彼女はそんな顔を見て、油断したと後悔する気持ちと、してやられたという苛立ちを隠せずにいた。
「満足そうな顔しやがって……ウサギの癖に……」
【〇〇は“スキル:世界掌握”を使用しました。個体5786と創造者とのパスを切断しました。】
【〇〇は“スキル:世界掌握”を使用しました。個体5786と創造者との主従契約を個体5786と〇〇との主従契約に書き換えました。】
「……それにしても魔王かぁ。まぁあの子ならファンタジーでも楽しめるでしょ。ふぁぁ……リアルでは最弱だから私は寝る。」
大きなあくびを一つして、彼女は自分のものとなった黒ウサギを抱きしめてまた眠りについた。
ここから始まるのはいつも通りの明日ではない。
身代わりのあの子は今度は何を楽しむのだろうか。
守護者の彼は今度は何をぶちのめすのだろうか。
管理機能のあれは今度は何を考えるのだろうか。
まだだれにもわからないそんな物語。