色彩の白
手短に朝食を済ませ、初日の最初の仕事に取りかかる。
自分の魔法よりも先に、必要なのは飲み水と食料の確保。
テントの戸締まりを確認した後、十徳ナイフとその他必要そうな物をリュックに詰め探索を開始した。夕日が差し込みどこか神秘的だった昨日とは違い、今日は朝日が燦々と降り注ぎ何だか元気を貰えそうな景色に様変わりしていた。昨日通った道がまるで初めて見る景色に、と思ったがよく考えるとこんな森の道なんて覚えているはずがないのでいつでも初めて通る道と変わらないと気付いた。何か目立つ目印でもあれば覚えてられるんだけど……
目印、付けておくか。
森での生活で困るのは、迷子になり自分のテントに戻れなくなってしまうことだ。いわゆる遭難というやつだ。
童話じゃパン屑を道に置き、しかし鳥に食べられ帰れなくなった結末から馬鹿にされる事も少なくないが、俺は非常に大事なメッセージを伝えてくれていると感じる。捉え方は様々だが、何事も対策を踏んでおけば人生良い方に転びやすくなると俺は受け取っている。それを踏まえて、ちゃんと対策方法も考えろよ、という事だと思う。
つまりパン屑という選択が相応しくなかっただけで、彼らの行動は極めて正しかったという事だ。だから俺も彼らに倣ってみるとしよう。
目印といってもただ単に目に付きそうな物を配置しておくだけじゃなく、できるだけ情報を詰め込んでおきたい。
取り出したのは十徳ナイフ。ナイフを片手に俺は近くの木に切り込みを入れる。もちろん何の考えもなく切りつけるのではなく、テントの位置を示す矢印とおおよそかかる歩数の数字を下に書き込んでいく。これによって大体の場所を把握するだけじゃなく通り過ぎない為の予防線を張る事もできる。我ながら完璧と言える対策なんじゃないかと思う。
……これで迷ったらとんだ笑い者だな。目印を見失わないように気を付けないとな。
約百歩間隔で目印を付けつつ彷徨い歩いた結果、奇跡的に淡水の池を発見し、早速水筒二本分の水を確保した。昨日の内にここに辿り着いていればテントをここに張っていたのに、と思ったがさすがにそれは虫が良すぎる話。こうやって池を見つけられただけでも僥倖と思うべきだ。
どうやら、まだ天には見放されていないみたいだ。
しかしそれが起きたのはすぐ後だ。
飲み水を確保し浮いた気持ちになっていたからだろう、目印を付けていたはずなのに俺は帰り道が分からず道に迷っていた。
その事で気が動転した俺は焦り、そして余計に道に迷うという負の連鎖が続く。
やばい、これは本格的に命の危機を感じる。こんなケアレスで俺は死ぬ事になるのか。そう思うと死ぬに死にきれない。
まあまだ慌てる時じゃない。この森は普通の森とは違って、端から端までワープできる特性を持つ。だから仮に彷徨い続けても巡り巡って目的地のテントまで辿り着く可能性だってある。まだ諦める必要はない。
とりあえず動き続けろ。周りを確認して、目印を探し出せ。それしか生き残る道はない。
そう考えた、その時だった。
「うわっ!」
足下の何かに躓き、俺は大きく転び、そのまま木に頭をぶつけた。
木の根にでも引っ掛かったか、そう思い振り返ってみると、そこには俺の予想とは全く違うものが転がっていた。
「これは、人? だ、だけど声はしなかった。ってことは……」
不自然な体位で倒れている人、その体で躓いたのに返ってこない反応。間違いない、これは、本物の……
「死体……本物の、死体だ」
恐る恐る死体の方に近づく。こんな経験、初めてで、本当は今すぐにでも逃げ出したい気持ちもある。
だがここでは逃げる場所などあるはずもなく、それに直感的に、知っておかなければならないと思った。
この森の特異性、その森に死体があること、そしてその森に今俺がいること。どうにも無関係とは思えなかった。現に今、俺は命の危機に瀕しているのだから。
とにかく、確認はしておいた方がいい。気は進まないが。
だが死体確認は思っていたより甘いものではなかった。
少し近づいただけで、俺は急いで鼻を塞ぐことになった。
凄まじい異臭だ、とてもじゃないが我慢出来るレベルじゃない。数分いるだけで精一杯だろう。
その場を離れたいという気持ちを押しのけて死体を観察する。
見たところ死体は男性で、作業服のような格好をしている。
リュックを背負っていた様だがそのリュックも着ていた服と同様無惨にも食い破られている。恐らくカラスなどが死体突きしていたのだろう。今も何匹もハエが集っている。散らばっている肉片が吐き気を誘う。俺は鼻を押さえていた手をずらし口も塞ぐ事になった。
こんなの完全にトラウマものだろ。心神喪失する者も出てくるかもしれないレベルだぞ。俺も同じように気絶して、記憶を失えれば逆にどれだけ楽だろうと考えてしまう。
しかしそういう訳にもいかないのでもう少し詳しく調べてみる事にする。
ポケットが多くあるタイプの服、まるで作業服のようだ。自分の勝手なイメージだが。
大分時間がかかっていてボロボロになってはいるが上下共に緑色なのは見てとれる。まず作業服で間違いないだろう。
この人が作業員であると仮定したならば、彼はこの森の研究グループの一員であると容易に推測できる。普通の作業員がここに入れるはずがない、セキュリティが働いているはずだから。
ここにいるということは彼もまた魔法使いだったはずだ。それに俺以上にここの事を理解していたはずだ。それなのにこのおように無惨な姿になっている。それほどまでに危険な場所だということだな。自分も今まで以上に気を引き締めておかないとこの彼のようなことになってしまうだろう。考えるだけで体が震えてくる。
しかし確かに聞くようにここは神秘的な場所だ。
先程はああ言ったが、明るくても池周辺の景色は妖艶、汚れのない水でしか表せない水面に映る大自然。木の葉がたまに落ちては小さな波を作り、まるで木々が風に揺られているような景色に変わる。葉っぱが落ちてもまた木に戻っていくように見える不思議な光景が広がっていた。記念に写真でも撮りたくなる。
携帯でシャッターを何枚か切り、保存できている事を確認。うん、いい写真が撮れた。
さてと。これは楽しい林間学校じゃないので遊びもここまでだ。いや、高校生になって林間学校もないか。
贅沢を言えば後は魚か肉が欲しい。しかし釣りなんて人生で一回もやったことがないし、狩りなんて考えもしなかった。
というか小動物以外の動物なんているのか? 猪でも狩れれば、と一瞬頭を過ったがよく考えると猪がいてもそれはそれで危険だ。
肉を確保するのはこの際諦めよう。一週間くらい食べなくても禁断症状は出ないだろう。ここは魚を釣る事に集中しよう。
残念ながら釣り竿を買う時間はなかった。いや、少し違うな。隣町に行けば釣り具店があったが、もし買いに行けば昨日の内に学園長と会うのは不可能だった。そうなればここに来るのは今朝になっていた。
……あれ、あんまり時間的に変わってない? 強いて言うならテントを張る時間分は得した。でもその代わり釣り竿を犠牲にした。
や、やっぱり釣り竿は買いに行った方が良かったかもしれない。
自作するしかないのかなぁ。と言っても作り方なんて知らないし必要な資材もない。いや、この森の中にあるかもしれないが何が必要なのか、どれが釣り糸の代わりになるのか等分からない事だらけで作るのは困難を極める。
一番作れそうなのは、やっぱり銛かなぁ。銛ならその辺の木の枝を拾って手持ちのナイフで尖端を尖らせれば完成する。問題はその扱いだが、釣り竿を使うのとどっちが簡単なんだろうか。
考えずとも答えは明らかだ。
しかし背に腹は代えられない。釣り竿を作るのが困難な今、銛でなんとか繋ぐしかない。
俺は早速程よい太さのある枝を探しだし十分程で銛が出来上がった。銛といってもただの尖った枝なわけだけど。
とにかく俺は靴を脱いで裾を捲り、銛を片手にじっと水面を観察する。
確かに魚はちらほら泳いでいるが、どれもメダカサイズの小さな魚ばかりで、とても食べられそうにない。
仕方なく俺はどこかに潜んでいるかもしれない隠れた大物を待ちながら自分の魔法について考え始めた。
しかし本当に何から始めたらいいのか。参考になるかと思って幾つか魔法使いが主人公の漫画を読み漁ったりしたが、漫画の世界だと何かがきっかけで目覚めたりするものだ。戦闘中に突然強くなったり、死を覚悟した時に秘められた力が解き放たれたり、仲間が危機に陥った時に暴走してインフレした強さになったり。
正直、どれも参考にならない気がするな。俺がその状況にいれば本当に死んでしまいかねない。物語の主人公はよくあんな図ったようなタイミングで覚醒できるな。いや、まあ物語の盛り上がりとか考慮すると仕方ないんだろうけどやっぱり人生そう都合良くいかないよね。
でも今俺にはそんな主人公たちのような奇跡が必要だ。どんな事をしてでも必ず達成してみせる。
格好つけたいけれどやはり現実は厳しいと言わざるを得ない。俺も彼らに倣ってこの辺りにいるかもしれない熊と戦えば覚醒するかも、なんて考えで鉢合わせれば捕食される事は間違いない。
とにかくまずは自分の出した答えを元にいろいろ模索してみるか。
まず俺の魔法色が白だと仮定する。本当かどうかは分からないが少しでも絞らないと憶測すら立てられない
魔法というのは個人の色がベースとなる特定の物質や物体を自分のイメージで構成し操作することだ。要するに白なら白と強い関係のある物質を一つ操れるってことだ。
しかし白と言ってもこの世にはいくつも白に関係するものが溢れている。色だけでいえば雲や紙、糸や雪とまあ挙げていけばいろいろ出てくる。同じ白でも魔法が豆腐を生み出す能力、とかだったらどうしよう。もし本当にそうなら豆腐で敵を倒す方法を考えないといけない。あれ、そっちの方が無理な気がしてきた。魔法を探るだけでも無理に近いのにそこから自分の武器、強みに変えるのはさらに難しい。
だめだ、少し悲観的になってきている。何事も諦めるなと道場の師範にも散々言われた。ここで折れる訳にはいかない。
まあ諦めなかった結果一度も師範に勝つ事はできなかったんだけど。本当心が折れそうになるくらい強かったからなぁ。
思い返すだけで身震いが止まらない。恐怖心と言っていい。
「あれ、なんだかまだいい状況だと思えてきたな」
師範と組み手をした時と比べれば今はまだマシだと思えてきた。それほどまでに師範との試合が厳しいものだったとも言えるし、今の状況がまだ絶望する程じゃないとも言える。
まだ希望を捨てる時間じゃない。それに今日はまだ初日。やれる事はまだ沢山ある。
「うっし! まずは今晩の魚でも捕まえるか!」
気合いを入れ直し俺は銛を持つ手に一層力を加える。意識を水面だけに集中させ、風の音など全てシャットアウトする。どんな少しな波も立てないようにただじっと獲物を待つ。そして現れた。水面をゆらりと遊泳する一つの陰。逸る気持ちを抑え、一撃で仕留める為にタイミングを図る。少しずつ、陰は近づいてくる。
まだだ、まだ待て。
焦っても結果は追いついてこない。待つ事も時には必要だ。
ただ一点を見つめ、息を殺す。額からこめかみへと流れる汗が気になるくらい今集中している。こんなに集中したのは師範との試合きりだな。
「やべっ、波立てちまった!」
若干トラウマになっている思い出がよみがえり、その動揺から少し足が動いてしまい、無用な波を立ててしまった。その波を察知した魚が急速回転し離れようとする。
銛を放つなら、今しかない。幸運な事に、魚は既に銛が届く範囲にいる。この距離ならまだ間に合う。
「そこだーーーー!!!!!!」
精一杯力を込めて、俺は一点に向け銛を投げ放った。
あれから何日経っただろうか。
恐らく森に入ってから3、4日ぐらいだと思うが、一週間は経った気分だ。
結局魚は捕れずじまいで、ここまでレトルト食品と水、後その辺の木の実で何とか食いつないできた。しかしもう残りの食べ物は尽き、残るはくみ上げてきた水だけになってしまった。
今俺はテントの中で仰向けになって倒れている。極力エネルギーの消費を避け、なんとか魔法を繰り出す為に意識をそっちに集中させようとするが、空腹でもうそれどころじゃない。
初日や二日目は考察する時間も余力もあったが、今はもうその力も気力もない。
「俺、このまま死ぬのかな」
正直に言うと本当にこんな状況になるとは思っていなかった。本気を出せば魚や狩りもできて、魔法が使えなくても何週間かは生き残れると思っていた。
初日に水を確保できて、その思いは予想から確信へと変わりつつあった。
俺は慢心していた。
全てが順調に運んでいたから、心のどこかで魔法も簡単に会得できるだろうとさえ思っていた。その結果がこの姿だ。
水だけで一週間生き延びたなんて話を聞いた事があるが、その人達は相当な気力の持ち主だったのだろう。こんな事ならちゃんとメモを取りながら番組を聞いていれば良かったと思う。誰もこんな未来を予想できるはずがないけれど。
…………
やばい。ちょっと意識飛んでた。
今起きなかったら完全に夢の世界に堕ちてたかもしれない。マジで危ないな、これ。
案外寝た方がエネルギー消費を抑えられるのか?
いや、そのまま違う世界に行きかねない。睡魔はなるべく抑えておこう。
いろいろ考えながら、しかし一つだけ確かな事があるのを俺は知った。
「魔法を会得するなら、タイムリミットは今日までだな」
タイムリミットと言ったが、その言葉は厳密に言うと正しくない。
魔法はその素質が少しでもあれば誰でも、いつでも開花できる能力だ。だから俺も時間をかければいつかは夢見た魔法使いへの道が開けたかもしれない。でもそれだと何年かかるか分からない。
授業でも言っていた。魔法を会得する一番の近道は、思いがけないきっかけだと。つまり重要なのは時の運だ。
俺はこれでも運に恵まれた方だと思う。運がなけりゃこの森にも来れていなかった。
もしかするとこの森に来れた時点で俺の運が尽きたのかもしれない。後は下がる一方、死へと急転直下するだけか。
思えば充実感のない短い人生だった。
一番楽しかったのは小学生の頃だったかなぁ、あの頃は将来なんて気にせず周りと馬鹿騒ぎしてればよかった。休み時間になると同時に教室を駆け出してチャンバラごっこしたっけな。チャンバラソードを作る為に変わらない新聞の質を確かめていると母さんが凄く嬉しそうな顔をしたのをまだ覚えている。あの時は理解できなかったが多分小さい頃から新聞を読み出したと勘違いして嬉しくなってしまったんだろう。その年のクリスマスプレゼントは500ページはある小説だったな。まだ読めない漢字一杯あるっていうのにな。でもせっかく貰ったから中学になって読んだっけ。
その中学生活ではあまりいい思い出がないな。
学校でいじめられてたからってのもあるけど、やっぱり一番の悲劇は師範と出会ったことだな。まあいじめられてた所を助けてくれたとこまでは感謝してるけど、まさかその後、「お前が弱いからいじめられるんだ!」ってなじられるとは思わなかったな。それで半ば無理矢理道場に入れられて頼んでもいないのに特訓と称して扱き使われたりボコボコにされたり。今考えると当時のいじめより酷かった気がするな。
しかし半ば強制的に入れられたとはいえ、別に強制的に続けさせられた訳じゃないんだよな。あの人もそこまで鬼じゃない(と思いたい)から俺が途中で投げ出せば引き留めなかっただろう。そういう人だ、あの人は。
いつからだろうな、特訓が楽しいと思えてきたのは。
いや、それは分かってる。
自分でも強くなってると気付き始めたあの頃から、どんな修行も苦じゃなくなった、いや、苦と思わなくなったんだ。
あの修行で唯一苦があるとすれば、それはやはり師範との試合だろう。
「生侍! ちょっと衣笠と無手で戦ってみろ!」
道場内で怒声にも似た声が響き渡る。
声の主は奥であぐらを組みながら昼間から酒を飲んでいる師範、虎海刹那。俺を拾ってくれた恩人であり、この道場で一番強い俺の尊敬する人の一人だ。
この道場に通うようになって半年、最初は厳しいと思った鍛錬も、今じゃ日課だと思う位楽しいしやり甲斐があるものだと思っている。
師範、とは言ったけれど彼女は決してどこかの流派を極めた格闘家じゃない。
実際に虎海流という流派は存在するらしい。その名の通り、海のように静かに、しかし時には虎のように激しく相手を叩き伏せる。師範から聞くとそんな柔と剛を併せ持った流派だったらしいのだが、師範は一つの流派に拘るのを嫌い、跡を継がなかったらしい。俺たちが虎海さんと師範と呼ぶのは、彼女からそう命じられたからだ。どうやら師範と呼ばれると気分がいいらしい。
それにこの道場も借り物だって言ってたっけ。一体誰に頼めばこんな立派な畳が敷いてある道場をほぼ無期限に借り切れるのか。よっぽど付き合いの長い道場マニアでもいるのだろうか。
「はい!」
どうやら今日の相手は衣笠さんのようだ。
衣笠さんは俺より4つ上の高校二年生。彼も、そしてここにいる人たち全員が俺と同じように師範に拾われた人たちだ。
俺と衣笠さんが面と向かって並び、同時に叫んだ。
「「よろしくお願いします!」」
なら流派を蹴った彼女が何を今教えているのか。それは。
「行くぜっ!」
衣笠はけたたましく唸り、勢い良くこちらに向かってくる。右手を強く握っているところを見ると、突っ込んで来てから右手からのストレートか軽いアッパーか。どちらにせよ、直撃を食らいたくない俺は相手を観察しつつ後ろに下がる。すると衣笠は着地と共に右にステップし間合いを図る。奇襲が失敗し一旦体制を整えるつもりだろう。
今度は俺がボクサーの構えを取り、そしてこれまたボクサーのように両足で小刻みにステップを刻みながら徐々に距離を詰めていく。
師範・虎海刹那が教えるのは純粋に、喧嘩に強くなる方法と、その鍛え方だ。
喧嘩に流派も何もない。あるのは純粋な力と機転、そして対応力。それを身につける為に俺たちはこうして互いに競い合っている。
俺は別に喧嘩が好きなわけじゃない。強くなって俺をいじめていたやつらに復讐したいという気持ちもない。
ただ俺は、そしてここにいるやつらも皆知った。
自分を守ってくれるのは法じゃない、自分自身なんだと。
現実を知り、自分を知ったからこそここで虎海さんに師事している。彼女から自分を守る方法を教えてもらい、俺は人としても強くなる。
「いきますよ!」
攻防を入れ替える為に体を左右に振りながら衣笠にプレッシャーを与えていく。
腕が届く範囲まで縮めた瞬間、俺は素早く左ジャブ数発繰り出しお返しと言わんばかりに軽めの右ストレートを放った。
衣笠は俺の動きを読んでいたのか、これらの攻撃を首を反らして回避する。彼の視線は完全に俺の両腕に集まっている。
仕掛けるタイミングはここしかない、そう感じた俺は右腕で衣笠の意識を逸らしつつ右足で相手の足を払う。
予想通り、衣笠は迫り来るパンチに気を取られていて、足が払われようとしている事に気が付いていなかった。
不意を突かれた衣笠は為されるがまま地面に倒れ、俺も追撃を加える為にのしかかる。
「はい、そこまで!」
左ストレートを顔面に打ち込む寸前で止めて、俺は拳を引いた。
「まいった、強いな、お前」
「いえ、そんな。衣笠さんも動き早かったですよ。びっくりしました」
さっきまで戦っていたとは思えない会話を交わしながら衣笠を引き上げる。
これが師範流の教え方だ。
喧嘩は人を狂わせる事が多い。
一回人を殴れば自分が倒されるまで相手を殴り続ける人も少なくない。
師範はそういう事がないように監視し、俺たちを教育している。
強くなる事は大事だ。でもその過程で精神が麻痺してしまったり、凶暴化するのは間違っている。これが師範の考え方であり、それに俺たち弟子も共感し付き従っている。
「驚いたよ生侍、この半年で相当強くなったじゃん」
「いえ、まだまだですよ、自分なんて」
「あんまり自分を卑下するもんじゃないよ? まあまだまだ磨く必要があるのは認めるけど」
「今後とも、よろしくお願いします!」
師範に深く頭を垂れる。そんな俺に倣い他の弟子達も師範に敬意を表していた。
「うん。あんたたちをどこに出しても恥ずかしくない強い男にしてやるから心配すんな」
「「有り難うございます!!」」
「そういうわけで生侍、私と組み手をしなさい」
思わず二つ返事を返しそうになったが俺は慌てて言葉を飲み込んだ。
俺は耳を疑い、たまらず聞き返していた。
「え、師範。今なんて……」
「今の動きを見て確信した。この道場で一番早く成長しているのは生侍、あんたよ。だから今私と戦えばあなたは何かを掴むかもしれないわ」
「で、ですが師範と組み手なんて、試合にもなりませんよ?」
「それは私を圧倒できるって事かな?」
「逆ですよ! 何秒も持ちませんよ!」
「そんなのやってみなきゃ分からないじゃない。喧嘩は時の運も左右してくるんだから」
師範は一体何を言っているのだろうか。
時の運、なんて師範は言うが実力差が圧倒的にある場合運の要素なんて何も左右しない。良くて少し時間が稼げる程度だ。
実力に雲泥の差がある俺と師範が戦って、俺は何秒間立っていられる? それに何か掴めるかも、なんて師範は言ったがたった数秒で一体何を得ればいいのか。
「師範、自分を評価してくれるのは大変有り難いんですが、さすがに今の自分と師範と戦うのはさすがに無理が……」
「じゃ、始めるよ〜」
「聞いてください〜!」
有無を言わさず開始ののろしを上げられた。
師範は構えさえ取っていないもののそれでも立っているだけで相当な威圧感を放っている。そのプレッシャーだけでもの凄く後ろに押されている気がする。
いつの間にか周りの連中も目を輝かせながら観戦モードに入っている。お前ら、自分が戦わないからって楽しそうにしやがって。こっちはもう倒れそうなくらい緊張してるってのに。
しかしこうなってしまった以上俺も覚悟を決めなくちゃいけない。
急遽防御の構えを取りつつ師範の動きを警戒する。とりあえずここは攻撃よりも先に防御だ。師範の事だ、俺の小手先の攻撃など全て交わされカウンターが飛んでくるだろう。それならまずは守りを固めてできるだけ長く試合を続ける。それが今の俺にできる精一杯だろう。
「なるほど、悪くない判断だけど、それは私の攻撃を耐えられるっていう計算での動きよね」
「!!」
言い放った瞬間、まるで瞬間移動したかのように目前にまで迫ってきた師範は右の掌底打ちを繰り出す。
なんとか反応し両腕で衝撃を緩和する。
しかしなんて威力なんだ。たった一発の掌底を両腕で防ぐのがやっと……なんて……
「うっ……ごほっ!!」
あまりもの衝撃に耐えかねた俺はたまらず咳き込みその場に倒れ伏せた。
しかし今の衝撃はあの掌底からくるものじゃない。別の何かが……
「鳩尾に、一発……」
倒れた後に気付いた。
この痛みが鳩尾から来ているのを。でもあの掌底は完璧とまではいかなかったものの何とか防いだ。となると。
「まさかあの一瞬で、鳩尾に叩き込むなんて」
「でもこれ、さっき生侍が使った手を同じだよ〜。まあ力に差があったから私の一撃を両手で防ぐしかなかったんだろうけど、おかげで他ががら空きだったよ。それに両手で自分の視界を塞いでちゃ相手の攻撃は避けられないよ」
「す、すみません」
確かに考えてみるとさっきの攻撃パターンは俺が衣笠に使ったのとほぼ同じだ。自分が使っている時は何とも思わないものの、相手に使われるとその厄介さが身に染みて分かる。
「うん。まだ立てるでしょ? 続きやろ」
「待ってください師範、自分は結構今のでもう……」
「手加減してあげたんだからまだできるでしょ? ほら立った立った!」
「は、はい……」
まだ鳩尾、そしてそこから伝わった痛みが全身に残っているが、師範が言うのでなんとか立ち上がってみせた。というか今ので手加減してたんですか、師範。
「さあ、次は生侍が攻撃を仕掛けてみて」
「俺が、ですか」
「そう。手加減なんてしなくていいからね」
「わ、分かりました」
手加減なんてできる立場じゃないんですが。
しかしどう攻めればいいんだ。どんな攻撃をしても簡単に交わされるに決まっている。今の一撃でそれはもう確信した。
それにあの言い方、完全に俺は試されている。
どれだけの実力があるか、どれだけ成長したか。今できる全てを見せたいという気持ちはある。
なにか策を練らないと俺の攻撃が通るはずがない。でも小手先の考えなんて通じるはずもない。
俺には最初から為す術がない。
為す……術が……ない?
待て、考えろ。
どうせ師範の事だ、俺が本当に勝ってしまう事なんて想像していないだろう。その中で俺がどういう選択をするのかを期待しながら見ている。そしてさっきの掌底。
俺が攻撃に転じたとしても、恐らく師範は手加減するだろう。なら付け入る隙はある。
「うぅぉぉおおおお!!!!」
気合いを入れ直し、俺は果敢に彼女に向かって行った。
何の考えもなしにただがむしゃらにパンチを打ち込んでいく。もちろん全て弾かれたり悠然と避けられたりするがそんな事は気にしない。
師範はただ避けているように見えて、着実に俺にカウンターを食らわせている。
俺のパンチの隙を突いて何回もボディに裏拳や肘打ちを浴びせてくる。しかしそれらを全て耐え凌ぎながらそれでもパンチを続ける。
(まだ、まだ来ないのか……)
これは分の悪い賭けだ。
俺は何の考えもなく適当にパンチを繰り出している訳じゃない。
避けられる事は想定済み、俺が何発打っても一発も入らないだろうと予想はしていた。
考えていたのはその向こう。この行動から師範が思う事。
師範は俺に期待してこんな試合を組んだ。そんな俺が不甲斐ない戦い方をすればどうなるか。
俺が何も考えずまっすぐ突っ込んでいけば、師範はどこかでこう思うだろう。期待はずれだったと。
狙うはその瞬間。
師範が諦めたその瞬間が、最初で最後の攻め時だ。だから俺はこうして無作為に殴りながら師範の顔を窺っている。その表情に少しでも変化が訪れれば俺にもチャンスはある。
そして。
(よし、少し曇った表情をした!)
仕掛けるなら今だ。
俺は展開していたパンチ弾幕を飾る最後の一発として左フックを放つ。もちろんこれも軽く流されるがここまでは順調に来ている。
その流れのまま体を回転させ、一回転する間に右裏拳と右足で蹴りを食らわせる。
「これで最後なの?」
裏拳は左手で止められ、右足は師範の足に直撃したものの大したダメージにはなっていない。
俺の攻撃は全て止められた。だからこそ。
「すみません、勝たせてもらいます」
少し驚いた様子の師範には目もくれず俺は素早く右足を師範の右足に絡ませた。そのまま左足で踏ん張りながら右足を引く。
これで強引ながら相手の足を払い、転んでる間に大きな隙ができる。
そんな計算だった。
「なるほどね、それで私を転ばせて後はマウント状態から殴る。あの場面じゃいい判断かもね」
「そ、そんな……」
全て順調に運んでいたはず。なのに転んだのは俺の方だった。
「いい策略だったと思うわ、もっと力を付けてればの話だけどね」
「まさか読んでたんですか、俺が足を払ってくると」
「いいや。単純に力負けね。私が足に力を入れたからその力に負けて生侍の方が転んだって事」
「筋トレしろってことですね」
「理解が早くて宜しい」
残念ながら、惜しいところで俺は師範に負けてしまった。
いや、負ける事は最初からほぼ確定していた。それなのになぜか悔しい。
惜しいところまでいけたから?
いや、師範は本気の半分も出していないだろう。真剣勝負なら一秒と立っていられなかっただろう。
なら何故悔しがっている。何故こんな強大な壁にもう一回挑戦したいと思っている?
(……!! そうか、そういうことか)
悔しがる理由。そんなの一つしかないじゃないか。
師範を、越えたいと思った。師範のように強くなるというのが目標だったから。
目標。戦わなければならない相手。
そうだ。俺にはまだ戦わなければいけない相手がいる。決着をつけなくちゃいけない相手がいる。
こんなところで、くすぶってる場合じゃない!
「調波!!」
目覚めた時、俺はどうしてだかその決着をつけるべき相手の名を叫んでいた。
しかしなんて嫌な夢だ。なんでよりによって師範との組み手の事を思い出しているんだ。あの日が俺の中でトラウマとして根強く残っているというのに。
あれで終わりかと思っていたらあの後数十分続けさせられてさらにボコボコにされて。こっちは既に心身共に限界だって言っているのに向かってきやがって。あぁ、考えたらよけいムカついてきた。
「はぁ、起きよう」
腹が減ったとか、もうそんな泣き言言っていられない。こんなところで立ち止まるわけにはいかないんだ。
「そうだ、師範を倒すまで……は……死んでいられ……ない?」
決意を新たに再スタートを切ろうと決意したその時だ。
俺の寝袋の横にそれは刺さっていた。
刃渡り60センチはあるかという長刀。銀色に輝く刃に白いダイアモンド状の編み目が張り巡らされた黒を基調とした柄。
俺、気付かない間に誰かに襲われた?
しかし俺はこうしてピンピンしているし仮に襲われたとしても刀は回収していくだろう。焦って回収し忘れたという可能性はテントの扉が閉まっている時点で否定される。となると残された可能性は一つ。
「俺が、出したのか? この俺が。つまりこれは、俺の魔法?」
何をしたのかは分からない。でもいくら可能性を探っても、これが俺の魔法だという結論に繋がる。
これで俺も、魔法使いになれたのか。これで俺もあのクラスの仲間入りできるし、夢に見た警察官になって治安を守る事ができるのか。
想像の波が押し寄せ、俺はあらゆる未来を脳内で形成した。
だめだだめだ。浮かれている場合じゃない。まだ俺の魔法だと決まったわけじゃないし、それに。
「ていうか本当、どうやって出したんだよ、俺。まさか寝てる間にしか発動しないとか、そんな能力じゃないよな」
確かに発動条件はいろいろあるし人によって理解し難い条件も存在するらしいけど、寝ている間ってなかなか使いどころに困る魔法じゃないのか?
それに出てきたのが刀って、寝てる間使えないじゃないか。逆に相手に利用されるぞ。
しかしこれでようやくスタートラインに立つ事ができた。俺にも魔法が使えるという期待感が膨らみ、今後のやる気に繋がった。腹は減ったが、まだまだ頑張れるような気がしてきた。
「よっし! もいっちょ頑張ってみるか!」
必ずこの魔法を俺の物にしてみせる。揺らぎかけていた決心がまた一つに纏まり、俺はその刀と共にテントを抜け出した。
まずは、狩りの再会だ。全ては腹ごしらえしてから考える。
そうして俺は再び走り出した。夢に向かって
「……これって、銃刀法に引っ掛かるよな〜」
不安も募るが、それでも期待感はそれ以上に膨らんだのだった。
(あれから一週間経つけれど、ちゃんと生きてるのかな)
あの森で別れて一週間。生侍は今日も学園に来ていない。
もうすぐで魔法科の授業が始まる。この授業には全員出席が求められているけど、生侍だけがこの場にいない。
まだあの森で頑張っているのだろうか。それともまさか……
嫌な想像をした。彼に限ってそんな事はない、と信じたいけれど、やっぱり不安は消えない。
今朝、お父さんに様子を見に行くを提案したけど、お父さんは心配ないから授業に行ってこいって断られた。どうも、本当に死なれたら困るからって隠れて何人か監視しているらしい。
お父さんが言うんだから本当なんだろうし、恐らく頼りになる魔法使い達を向かわせてるんだろうけど、それでもやっぱり心配になる。
私は入った事はないけど、どうやら熊とか猪も出るみたいだし、襲われたらいくら監視下にあっても命を落とす可能性はある。
でもやっぱり一番心配なのは、ちゃんと魔法を会得してるのかどうか。理由は分からないけど、彼は本気で魔法使いになろうとしていた。多分それなりの努力も積み重ねてきたんだろう。
まだ時間まで5分あるけれど、今ここに向かって来てるのかな。
ダメだ、考えれば考える程嫌な想像ばかりが頭を過る。あいつは魔法がなくても私に立ち向かってくる精神力の強いやつだからこんな事で諦めるわけがない。それにあそこまで挑発してあげたんだから死んでも死にきれなくなったに違いない。
だから早く、早く来て私を安心させてよ。何もなかったような顔で入ってきてよ。決着も付けずに死んだら本当に許さないから。
「よーし、時間だな。今から魔法科の授業に入る。用意が済んだら皆校庭に集まるように」
とうとう時間が来てしまった。
結局生侍は教室に来なかった。
先生は生侍を欠席としてノートに記入したけど、案の定周りはただの欠席だとは思っていない。
自分の魔法が人に見せられない程弱いから逃げたんじゃないか、なんてあらぬ憶測ばかり飛び交っている。さすがに誰も魔法が使えないと考える人はいないけどそれも時間の問題のように思う。少なくともこのまま来なければ確実にどこかのグループに目を付けられる。
仕方なく私も校庭に向かった。彼が来ないからといって私も教室で待つわけにもいかない。
最初に実施される実力判定は自分ができる最大の魔法を見せるというもの。具体性も何もない試験だけど、恐らくこの判定を受けてどのクラスに配属され、個人レッスンの必要性を調べるんだと思う。ここが要するに一週間の間に生徒達が考えた魔法を疲労する場でもある。
「お父様! お父様も見に来たのですか?」
校庭に向かうとお父さんが学園用のテントの下で座りながら待っていた。
「調波か。そうだよ。どんな面白い子がいるのか気になるしね。でもいざという時の為にもここにいるんだけどね」
お父さんが言ういざという時というのは、もし生徒の誰かが魔法を暴走させたりした場合、それを制止する為の役割の事を言っているんだろう。
この実力判定を実力試験だと思う人も多いだろうから少し無理をしてしまう人もいるはず。そしてあまり無理をすると自分でも制御できないレベルの魔法が発動したりするから無理は本当に危険なのだけど、それでも頑張ってしまう人がいるからこうして熟練者が警戒しているわけだ。
でも今はそれよりもっと心配な事がある。
「ねぇ、お父様。本当に大丈夫ですの?」
「もしかして彼の事かい? 今朝も言ったけどあっちの方で数時間に一回見回りに行っているから無事だと思うよ」
「思うって、お父様は知らないのですか?」
私はてっきり把握しているものと思ってちょっと安心して学園に来たのに、当の本人はまったく知らないといった様子だ。これじゃ本当に、最悪の結末になることも有り得るじゃない!
「まあ確かに私は把握してないけれど、でも本当に心配しなくても平気だよ」
「どうしてそう言い切れるのですか?」
「そういう契約だったからね」
「契約?」
契約というのはあの時の交渉の事を指しているのだろう。あの森でお父さんは科学者達と交渉しに行った結果、十数分で承諾を得た。もしかしてその契約があったから交渉が上手く行った?
そもそもその契約の内容はどんな……
「契約内容、気になる?」
「お父様は私が気にならないと思うのですか?」
「はははっ。それもそうだね。教えてあげるよ」
お父さんが手招きをするので私もテントに下に身を寄せた。あまり声を大にして喋れないからの行動。それで何となく内容も想像がつく。
「言い方が悪いかもしれないけど、彼には調査の対象になってもらっているんだ。あの森については分かってない事が多いからね、彼が何か行動を起こせば何かイレギュラーが発生するかもしれない。そのイレギュラーを観測すればいろいろ見えてくる物があるかも、そう伝えたら渋々オーケーしてもらえたよ」
「それは、彼を実験台として利用したという事ですか?」
「結果的にはね。でも直接的に彼を利用している訳じゃないしこうでもしないと監視も付けられなかったし、そもそもあの森に入る事も許されなかっただろうね」
「そうかも知れませんが、ですがこれでは」
「私だって心苦しかったさ。でも言うだろう、魔法使いになる一番の近道はきっかけを作る事だって。私はそれを作ってあげたかったんだ」
恐らくお父さんに悪気はないのだろう。それは話を聞いていて分かる。
でもやっぱりお父さんのやり方には賛同できない。結果的に彼にとっていい方向に転んだのかもしれないけど、でも人をモルモットのように扱うのは間違ってる。
「お父さま、彼が帰ってきたら、ちゃんと謝って下さい。そしてちゃんと説明してあげてください」
「そのつもりだったけどね。しかし果たして彼は許してくれるだろうか」
私はその答えを、彼本人に聞かなくても分かるような気がした。
「彼なら、多分笑って許してくれますよ」
許す、というより彼は多分感謝していると思う。あの森へ案内してくれたことに。恐らく利用された事を知っても彼は何とも思わない気がする。生侍は、そういう男だと思う。一度戦ってみて私はそう感じた。
「そうだと、いいがね」
お父さんはどこか不安げだった。ここ一週間、顔には出さなかったけどやっぱり何の説明もなく、そして生侍に了承もなく話を進めた事を気にしていたみたい。
それでも私は不思議と冷静でいられた。
まだ知り合って間もないけれど、彼なら、生侍ならきっとここに帰ってくる。何故かそう思えたから。
程なくして全クラスの三年生が集まり校庭に並んだ。これから個別に呼ばれ、少し離れた場所で実力判定が行われる。
判定を校庭で実施しないのには二つの理由がある。
一つは安全保証。生徒が密集している場所で万が一魔法が暴走すれば被害が大きくなる可能性がある。それを未然に防ぐ為に距離を開けて数人の教師の監視下の元行われる事になっている。
もう一つは情報保全。魔法を見せるという事は内なる自分を見せる事と同じ。そしてそれは自分の弱点を相手に見せてしまうことにも繋がる。まだ生徒とはいえ、他の人に自分の能力を知られたくない人も少なからずいる。その人達の為に設けられた仕様でもある。
別に私の魔法に目立った弱点はないし、暴走する事なんてありえないから、ここでやっても問題ないけどそれがここのルールなのでそれに私も従う。
一時間後、とうとう私たちのクラスに順番が回ってきた。一人、また一人とあいうえお順に呼ばれていく。生侍の名字はや行なので順番的に言えば最後辺りだけど、時間的猶予はあまりない。
(何もたもたしてんのよ。早く来ないと終わっちゃうでしょ!)
内心、どこか苛ついているのを感じた。
他人事だし、あいつがどんな待遇を受けても私には関係のない事なのに、なぜか自分の事のように心配している。
心配している理由は分かってる。
早く彼と決着をつけたいから。
同世代の人で初めて私の相手がまともにできる人だったから。
彼と戦っているとき、久々に精神が高揚するのを感じた。忘れかけていた感覚を、取り戻せる気がした。
そんな彼を失う訳にはいかない。他意は本当にない。
本当にないはずなのに、なんでこんな不安な気持ちになるの? 彼がここにいないだけで、何故こんなに心がざわつくの?
理解できない葛藤が心の中で続く。
ダメよ、調波。落ち着きなさい。こんな気持ちじゃ上手く魔法が発動しないかもしれない。平静を保つ事に集中よ。
深く深呼吸して息を整える。うん、ちょっと落ち着いた。これで、ちゃんと判定に臨め……
「ドーーーーン!!!!」
「な、何!?」
突如轟音が鳴り響き、辺りに砂埃が立ちこめる。
突然の出来事に生徒は一斉にパニックに陥り、校庭は騒然となった。
一瞬生侍が来たのかと思ったけど、私はすぐその可能性を否定する。彼ならこんな周りを混乱させるような形で登場しないだろう。
なら一体誰がこんな事を。
考えが纏まるよりも先に煙が明ける方が一足早かった。
立っていたのは、一人の男。
全身が赤を基調とした服に身を包んだ、明らかにこの学校の生徒、又は関係者じゃなさそうな怪しい男。おまけにサングラスまでかけていて怪しさがより一層強くなっている。校門前では黒いワンボックスカーが駐車してある。恐らくあの男の車に違いない。
「な、なんだね君は!? ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
先程まで生徒を個別に呼びつける係りをしていた教師が早速侵入者に注意を呼びかける。そして警戒しているからか、不用意に相手に近づいたりせず、一定の距離を置いて注意を続ける。
生徒は未だパニック状態にあり、その多数が既に建物内に避難した。この状況じゃ一番いい判断だと思う。
「ここに、花菱一弥はいるか!?」
侵入者の第一声はそれだった。
(お父さんを探している? 一体何の為に? そして彼は一体何者なの?)
すぐにお父さんに寄り添って簡単に応じないように注意しようとした。
しかしお父さんは私の思惑と違い、そしてすぐに返していた。
「一弥は私だ。私に一体何のようだ? それに君は誰だ?」
「そうか、あんたが一弥さんか。あんたにゃちょい要があってな。俺たちと一緒に来て欲しい」
「理由と自分が誰なのかを教えてくれない限り、応じる事はできない。それになぜこのような事をした?」
「理由か。そうだな、理由はここでは控えるが、あんたが俺たちと付いてくる理由なら見せてやるよ」
すると男は車にいる仲間に何か合図を送り、それに応じ横のドアがゆっくりと開く。そして、そこに現れたのは、
「お母さん! お母さん!」
いたのはぐったりとした私のお母さん。そしてお母さんを抱えてこちらに笑いかけている数人の男。
激昂したのは私だけじゃない。
「奈々子! しっかりしろ奈々子ー!!」
お母さんの名を叫び、明らかに冷静さを失ったお父さん。でもこの状況、冷静でいられる事自体有り得ない。
「待っててお母さん! 今助けに行くから!」
叫んだ私は、一直線に車の方へ跳ぶ。
なんでお母さんを。何の恨みがあってこんな事をするのか。そればかり頭に浮かぶ。
もう少しで手が届く。そう思った矢先。
「あんた娘だったのか。でもわりいな、まだお前の母親は返せないぜ!」
赤い男は両手を前にすると、先から紅く熱を帯びていそうな球体が形成される。見る見るうちに肥大していった球体は、術者の手元から離れて一気に私の方へ飛来してきた。
相手の能力を把握する前に行動してしまった為、反応スピードが少し遅くなった。
「きゃぁあああああ!!」
私は精一杯目の前に壁を生成するものの、相手の魔法の威力に耐えきれず、後ろに飛ばされてしまう。地面を勢いよく転がり、全身擦り傷まみれになる。
「調波! お前達、なにが目的だ!」
「一弥さん。それは後でご説明します。今は大人しく我々に従ってくれませんか?」
「くっ。卑劣な!」
お父さんはお母さんを一瞥し、そして私の方も窺う。それで何か決心がついたのか、お父さんはゆっくりと彼らの方へ向かって行った。
「お前達に、ついていけば解放してくれるんだな」
「えぇ、大人しくしてくれればいずれ解放しますよ。いずれ」
赤い男は不敵な笑みを浮かべ、お父さんをバンに案内する。
そんな光景を目にし、私が冷静でいられるはずもなかった。
「お父さん! お母さん!」
「しつこいねぇ。でも俺たちも時間が惜しい。おい、少しあいつの相手をしてやれ。後で合流しろ」
「分かりました」
赤い男は別の黒服の男に役目を譲り、お父さんを乗せたバンは走り出した。この場に残ったのは取り残された私と、誘拐犯の一味の黒い男だけだ。
「邪魔、しないで!」
地面のあらゆる場所から鉄棒を構成して曲げながら敵へ叩き込む。私は無我夢中で男に炭素の槍を撃ち続ける。
早く追いつかないと、こんな所で時間を稼がれている場合じゃない。
「焦っているようだな。だから攻撃も単調になる。ふん、まだ子供ってことだな」
「そんな……一発も?」
あれだけの攻撃を浴びせたはずなのに、男は傷一つなく平然としていた。
まさかあれを全部防いだって事? でも一体どうやって? 全部避け切ったとは考え難い。
じゃあ何か別の方法で全て叩き伏せた? それなら感覚で分かる。私が放った槍は全部命中した。
「ふふっ、悩んでいるようだな。そんな状態なら、時間稼ぎする必要もないかもしれないな」
「このっ、お父さんを、お母さんを、返して!!」
相手がどんな魔法を使ってこようが関係ない。力でねじ伏せるだけだ。
「さっきのがダメなら、単純に物量で押し切る!」
私はさらに魔力を放出し出力を倍に上げる。単純に本数を増やすだけじゃなく太さと強度も上げた。先程とは比べられない程の高威力魔法。受けきれるわけがない。
「ぁぁぁああああああ!!!!!!」
喉が枯れそうになる程叫ぶ。
怒りと焦りが混同し、言葉で表せない声になってしまっている。でもそれくらい必死で、守りたくて、失いたくなくて、愛してるから。お父さんと、お母さんの事も。かけがえのない、家族だから。
だから、負けられない!
渾身の力を込めて放ち続ける。
やがて息が切れてきて、いつの間にか私の魔法は途切れていた。あの爆発の時のように男の姿がまるっきり隠れてしまうくらい砂埃が舞っている。恐らくこの学園の生徒が誰も、そして教師でさえ防ぐ事が困難な大技。手応えも確かにあった。
(こ、これならさすがに通ったはず!)
今回は先程の比じゃない。いくら相手の魔法が防御に長けているタイプでもあれを防ぎ切るには相当な魔力と相性のいい魔法のタイプ、後努力と計算能力と経験値と諸々必要になる。
「ふぅ、今のは危なかったな。まだあれほど威力を上げられるなんて、正直思ってなかったぜ」
「う、嘘……」
現れたのは、黄色い球状の物体。所々に割れ目があるところを見ると、確かに私の技が通ってない事はないんだろうけど、それでも術者本人は倒れていない。
「でも今ので相当消耗したろ。それなら今度はこっちから行くぜ!」
突如男の周りに先程の黄色い球体より一回り小さい球が幾つも出現する。それは時間を追う毎にみるみる増加していき、まるで壁が地面から生えてきたかのように一面に広がった。
「ぼ、防御しないと!」
急いで目の前に壁を作る。すると途端に小さな衝撃が幾つも壁を伝い、私に流れてくる。見えないけれど、あの球体を飛ばしているに違いない。
(やばい、このままじゃ突破される!)
さっきの魔法で魔力を消耗しすぎたせいか、持ち堪えられそうにない。それを裏付けるかのように、作り上げた壁にも綻びが見え始める。
しかし幸いにも、衝撃は止み、なんとか攻撃を防ぎ切った。しかしそれと同時に作り上げた壁も音もなく崩れ去り、また男と面向かう形になった。
そこで私は見てしまった。
男が自分を守った時のように、あの巨大な球体を完成させていたのを。
「さすがは花菱家の令嬢ってとこか。まさかあれだけ魔力を使った後であれを防ぎ切るとはな。だが、これでおしまいだ」
男の言う通り、本当にここでおしまいのようだ。
私にはもうあまり魔力が残されていない。
疲労とあの火の男に飛ばされたダメージから足も動かせなくなってる。
避ける手立てが、私にはない。
両親との思い出が、走馬灯の様に駆け回る。楽しかった日々、苦しかった稽古、そして出会い。短かったけれど、濃密な人生だった。
ゆっくりと目を閉じ、ただただその瞬間を待った。
(お父さん、お母さん。ごめんね。ついでに生侍。約束、私が守れそうにないわ。今まで、ありがとう)
そして程なくして、耳をつんざくような轟音が押し寄せた。
……音は、入ってきた。
でも不思議と体に痛みはない。もしかして痛みさえ気付かずに体が潰れてしまったのか。それは後々発見された時に嫌だな、私はそこにいないけど。
そしてまた不思議な事に、まだ意識はある。死後の世界に移行している途中なのかな。それにしても風は感じるしまだ体に痛みが残っている。
恐る恐る私は目を開けた。どんな現実が待ち受けていても、私はそれを受け入れるつもりだった。
視界に入ったのは、一本の刀。
日本刀の類いに見える。刀身は眩いばかりの銀装飾、鍔と呼べる物はなく、刀身が直で黒の柄と繋がっているように見える。
その刀は斜めに突き刺さり、柄は私の方を向いている。
感付いた私は、すかさず振り向き校舎の上を見上げた。
校舎は男の球魔法を受けて大きく損壊していたけれど、そこには目もくれずただひたすら上を目指した。
そこで見た人物が、私には幻に見えた。
「おいおい、一体何の騒ぎだよこれ。てかやっべ、これ学園から凄い額の請求くるんじゃねえの!?」
慌てふためくその姿。幻じゃなく現実だ。
そして他の誰でもない、彼だ。
彼はゆっくりとまるで鳥の様に舞い降り、私の側で羽を休めた。
「珍しいな、お前が怪我してるなんて。それに結構危なかったぞ?」
「生侍! 良かった……生きてたのね?」
「あぁ。正直危なかったけど、なんとか生きて帰れた。けど何が起こってんだよ。びっくりしたぜ」
「生きてた、本当に……良かった……」
「お、おい! な、泣くような事か? てか本当あのおっさん誰なんだよ?」
立っている事もままならず、私は彼に倒れ込むように膝を付いた。生侍は何一つ理解できない様子で対応に困っていた。
「助けに来てくれて、ありがと」
「お、おう。どういたしまして。てかお前もどうしたんだよ? 口調いつもと違うしさりげに俺の事名前で呼んでなかったか?」
そういえばそうだ。彼に言われるまで私は気付かなかった。
自分はいつも丁寧に喋るよう心がけていたはずだ。それがお母さんの教えだったし、破れば酷く叱られたからずっと守ってきた。
でも心の中じゃずっと私は自分が好きな様に喋ってきた。それがいつの間にか声にまで出ていたみたい。
私は途端に恥ずかしくなった。まるで自分の中身を見られたようで、平静でいられなくなった。
「う、うるさい! 礼は言ったからね!」
「そ、そうだな。お礼は確かに聞いた。なんで怒られてるのかは知らないけど」「でも来るのが遅い! もっと早く来て!」
「努力はしたさ! 仕方ないだろ、これが俺の実力なんだから」
「ならもっと実力を付けなさい!」
「一週間しかなかったんだから無理言うなよ。生きて帰れただけ僥倖だろ」
いろいろ言ったものの全て本心から言っているわけじゃない。私は彼が生きていてくれただけでも相当嬉しいのだから。
でも今は感動の余韻に浸っている場合じゃない。目の前には倒すべき相手と、救わなきゃいけない人たちがいるんだから。
「生侍。十秒で説明するよ。まず私の両親が攫われた。目の前の男はその仲間の一味。これで分かった?」
「十秒って、今の五秒かかったか? まあ大体理解したけど」
「ごめん、私は魔力結構使っちゃって少し休まないと動けない。何とかできる?」
「これが俺の実力判定になるのかな。ま、いいか。よし! 俺に任せろ!」
「お願いね」
「うむ、任された」
恐らくあの刀は彼が魔法で出したもの。そしてさっきも浮遊しながら降下してきた。あれも多分魔法の類い。どうやら本当に自分の魔法を得て帰ってきたらしい。
私が倒したいところだけど、残念ながら私にはもう余力がない。ここは帰ってきて早々だけれど、彼に任せるしかない。
「まさか俺の剛球塵をそんな刀で受け流すとはな」
「おっさん、本当誰だよ? 何が目的?」
「ふん。ガキに話す事なんて、何もねえ!」
「ふーん。まあいいけどさ。どうせ聞き出す事になると思うし」
「舐めた口を利いてると、痛い目見るぜ!」
「ガキ呼ばわりしたのはそっちなんだけどなぁ」
「生侍、気をつけて。あいつの能力は物質を硬質化して球体に変化させるタイプだと思う。さっきのように飛ばす事も可能よ」
私は戦って得た情報から推測した結果を全て生侍に伝えた。少しでも戦闘を有利に進められればと思って教えたけれど、彼は「ふーん」と生返事を返すだけで、本気で聞いているかどうかも怪しかった。
「分かったから、お前は休んでろ。休憩したら、助けにいくんだろ?」
「当たり前でしょ!」
「ならここは俺に任せて大人しく座って待ってろ」
「何よ偉そうに。言っておくけどまだ決着は着いてないんだから偉そうにしないでよね」
「悪かったよ。お願いだから座って待っててください。これでいいか?」
「別に言い直さなくてもいいわよ」
「めんどくせぇ」
「何か、言った?」
「その顔、前もしたよな。本当恐いから、それ」
前、というのは多分学園長室から帰ってくる時の事を指しているんだろう。確かにあの時も凄い剣幕で睨んだ気がする。
別にそんな事覚えていなくてもいいのに、変に記憶力のいい男だ。
「ガキが、調子に乗ってんじゃねーぞ!」
男は何故か激昂した様子で素早く例の球体を形成する。私にした攻撃と同じパターンだ。
「気をつけて! 私はもう守りきれない!」
「だーかーらー、ここは任せろって。俺はもう、魔法使いなんだぜ?」
生侍は私に背を向け、右手を下にかざす。するとそこには先程と同じように、刀が姿を現す。生侍はどこからともなく取り出したそれを強く握る。
「行くぜガキ! 小球塵!」
男が叫ぶと共にまたあの連続攻撃が繰り出された。飛散してくる無限の鉄球。一発一発に鉄程の重さはないけれど、それでも受けるダメージが少ないわけじゃない。
視線を生侍に移した。しかし驚いた事に、彼は防御する体制にすら入っていなかった。
完全に直撃コース。そう思った瞬間ようやく生侍が動き始めた。
両肘を前に出し、顔を覆い隠す。
そして次の瞬間、彼はまっすぐ走り出した。走る、というよりは跳んでいると言った方が正しい。とにかく、生侍は避ける事を考えず、数発食らいながらもひたすら前進し続ける。
しかし生侍はただその攻撃を食らっている訳じゃない。手に持った刀を使い飛散してくる鉄球に当て、軌道を逸らしている。それにただ弾いている訳じゃない。全て少しだけ軌道を逸らし、直撃してもダメージを極力減らし、尚かつそれほど減速しないように上手く弾いている。あれほどの腕があれば恐らく全ての弾を体に触れないように弾くのも可能だと思う。しかしそれをしないのは足を止めてしまうからだと私は推測した。
ここでようやく男に焦りの顔が見え始める。それもそのはず、彼の魔法を食らいながらも順調に距離を詰めてくるのだから。
やがて撃ち続けていた魔法も止み、生侍は男を射程圏内に捉えた。
「く、くそ! 俺を守れ!」
男が頭を抱えしゃがみ込んだ瞬間、彼の周りから地面の砂が昇り始め、そして覆い尽くす程の半円を作り上げた。
(そうか私の魔法をあれで凌いだってわけね! 避けようとしなかったはずよ)
しかしあの体勢に入られたらこちらからも手が出せない。また無駄に時間を稼がれてしまう。あの刀じゃあの固い防御を突破する事はできない。
そう思った瞬間、生侍は何かを口ずさみ、左手で半円の一部に触れる。
数秒経っても何も起こらない。魔法を失敗したかと思ったけれど、すぐにそれは間違いだと気付く。
生侍の手の周りの砂がだんだん暗い色に変わっていき、小さな塊になって落ちていくのが見える。
次に生侍は間髪入れずに左手を離し、右手に携えていた刀をそこに突き刺す。砂の円から男の悲鳴が聞こえる。痛がっているというより怯えているように聞こえる。その声色から察するに、直撃は免れたみたいだ。
直後生侍は左手で柄を握り、両手で一気に振り抜く。刀はそのまま円を切り裂くように進み、そしてとうとうその球体を薙いだ。
刀身に押され男が自分を守っていた円から出てくる。腹を抑え痛みに悶えているけど、刀で斬られた割には血を流していないように見える。
私は残った魔力を使い男の周辺から槍を生成、そのまま体を巻き付けていき身動きが取れないように地面に叩き伏せた。
「生侍、今のは?」
「あぁ。だって死んだら困るでしょ? だから刃がない刀にしてみた。強度が上がった木刀みたいなものかな」
生侍の刀を見ると、確かに刃はどこにも見当たらない。血が流れなかったのはそういうわけらしい。
生侍は恐ろしい程冷静に行動していた。もしあのときこの男が私の攻撃を防いでいなかったら、考えるだけで恐ろしくなる。
しかし生侍のさっきの戦闘。からくりは分からないけど、どうやら何かを呟いた後、左手から水を噴出し、男を守っていた砂や土を柔らかくした後、そこを刃のない刀で泥濘んだ土の部分を一気に振り抜いたようだ。土の間に水を入れる事で柔らかくなった土では生侍の攻撃を防御しきれなかったってことか。驚く点はいくつかあるけど、まさかこんなに早く攻略法を見つけるなんて、一体どんな魔法を使ったら短期間でこれだけ変われるのか。
「なぁ、おっさん。勝敗は決したわけだし、どこに拉致ったか教えてくれない?」
「それはできない。俺の口が裂けても居場所は教えられない」
「うーん、困ったな〜」
男は一向に行き先を吐こうとはしなかった。一刻も早く助け出したいのに、倒した後もいいように時間を稼がれている。お父さんとお母さんの身が危ないのに足踏みしないといけないなんて。
私に力があればあのとき車を止められたのに。私が弱かったせいでお父さんもお母さんも得体の知れない男達に連れ去られ、連れ去られた場所も分からずじまい。今から追いかける事も不可能。
私には、もうどうしようもない。
「なに悄気てんだ? まだ終わったわけじゃないだろ?」
「でもどうしろって言うのよ? こいつは喋る気ないし手掛かりもないし」
「そうだなぁ。確かに状況は厳しいけど、でも情報源がないわけじゃないだろ?」
「見てみなさいよ。多分こういう男は死ぬ直前だったとしても喋らないわよ」
「どうかな?」
すると生侍は身動きの取れない男のポケットを隅々まで調べ、所持していた携帯を抜き去った。
「あちゃー、スマホなのか。これじゃロックかかってるな」
「脅迫材料を探したんだろうが無駄だぞ。俺は脅迫ごときで口を割る男じゃないんだ」
「あ、そうだ。いいやつがいたな」
生侍は無視したまま自分の携帯を取り出した。
そのまま耳にあて、誰かと会話を始めた。
「あぁ。久しぶり。まだ校内にいる? じゃ悪いんだけどちょっと校門まで来てくれない? てか今俺が見えてるんじゃないの?」
電話の相手とは相当親しいようで、そしてこの学園の生徒でもあるらしい。
「おう、じゃ待ってるぜ」
「ねぇ、誰と電話してたの?」会話を終えたのを見計らい、私は彼に尋ねた。
「お前も知ってるやつだよ」
直後、今にも崩れそうな校舎から一人の男子生徒が走ってきた。近くなるにつれて顔がはっきりと見えてきて、そこでようやく誰の事を指していたのかを理解した。
「陽二、待たせたな」
「びっくりしたぜ、全く。この騒ぎにもそうだがまさかお前まで帰ってきてるなんて。森を出れたなら一言かけてくれよ。心配したぜ」
「わりぃわりぃ、俺もそれどころじゃなくってさ。で、早速なんだが頼みがある」
「なんでも言ってみろ。言うだけならタダだ」
「ちょいとこの携帯のロック解除してくんない?」
「なに、あんたそんな事もできんの?」
「えっ、あっ、はい! できますよ!」
「相変わらず緊張すんのな、花菱の前だと」
生侍の親友、確か名前は……陽二、だっけ? 陽一だったかもしれない。あれ、さっき生侍が言ってたような。
とにかく、その陽なんとかが張り切った様子で携帯を生侍から受け取り自分のポケットから専用の機材なんかを取り出し作業を始めた。これがあのハッキングという技術なんだろう。何をやってるか私にはさっぱりだけど。どうやらこの人は情報収集だけが取り柄じゃなかったらしい。
「陽二、いけそうか?」
「俺を誰だと思ってる、生侍。ほらよ、開いたぜ」
「さっすが〜。いつも頼りにしてますよ、大将!」
「お前、森に籠って性格変わった?」
それは私も感じていた。
何事に対して物怖じしないところは相変わらずだけど、口調が明らかに一週間前と違う。別人と言っていい。
一体あの森でどんな生活をしてきたんだろうか。この件が済んだら教えて貰おうかな。
生侍は再度携帯を受け取り、男の携帯を弄り始める。少しの間操作した後、男の横に移動し耳打ちしながら画面を見せた。
何を話しているのか気にはなったけれど、直感が聞くなと叫んでいる。どんな内容かは大体あの男の顔の変わり様で察しはつく。
「分かった、喋ろう。花菱がどこにいるのか教える」
すっかり青ざめてしまった男は憔悴しきった様子で語りだした。ここだけ見るとどちらが悪人か分からない。
でもおかげでようやく情報を聞き出す事ができそうだ。やり方はあれとして、それでも生侍には感謝しなければならない。
「それで、お父さんとお母さんはどこにいるの?」
「俺たちのアジトは天衣の森という森のすぐ北にある。そこそこ大きな建物で全体的に赤いから目立つと思う。行けば分かる」
「天衣の森、か」
その森はこの一週間生侍が魔法を得る為に修行していた場所。まさかあの近くにあるなんて。
これで場所ははっきりした。
待っててお父さん、お母さん。今、迎えにいくから。
私は勢いよく走り出した。
「おい、どこに行くんだ?」
「決まってるでしょ! 助けにいくのよ!」
助けに行こうとしたところを生侍に止められた。なんで今度はあんたが邪魔するのよ。早く助けに行かないとお父さんとお母さんが……
「自分で言ったじゃないか、魔力が残ってないって。今行ったって返り討ちになるだけだよ?」
「だからってじっと待ってられないじゃない!」
「気持ちは分かるけど、待つ事も時には必要じゃないか?」
どうしてだか、その言葉を聞いて私は生侍に摑み掛かっていた。首を締め上げ、怒りをぶつけるように彼を睨みつけた。
「は、花菱さん!」
「いいんだ、陽二。手出しは必要ない」
「自分の親が関わってないから、そういう事言えるんでしょ! あんただって自分の親が拉致されたら必死で追いかけるでしょ!」
「落ち着けって言っても俺からの言葉なんて届かないのかな。気持ちは分かるんだけどね」
「嘘言わないで! 助けてもらった事には感謝するけど、結局自分の家族が係ってないからそうやって落ち着いてられるんでしょ!」
酷い事を言っているのは激昂していても理解できた。自分に生侍を責める権利も理由もないことも分かっていた。どんな状況でも落ち着いて行動する事が大事なのも知っている。
でもそんな簡単に割り切れる問題じゃない。
最悪のケースは想像もしたくないけど、ここでくすぶってればもう会えなくなるしれない。
落ち着いて行動した結果もし会えなくなったら、多分後悔してもしきれないと思う。どんな事をされるか分からない以上、多少無理をしても早く救い出さなきゃいけない。
「確かに自分の親がピンチだってのにリスク管理とか考えたり確実性を求めて作戦を練ったりするのは悠長に見えるかもしれない。それにリスクを考えて行動するにもそれ相応のリスクは発生する。こうやってゆっくりしている俺に真剣味が足りないという印象を持つのは仕方がない。学園長には凄く世話になったから俺も早く助けたいけれど、俺は性格上感情に任せきった行動はとれない。それを君に押し付けるのは間違っているかもしれない。慌てて出ていくのは君の勝手だから。でも俺はどうしても花菱を放っておけない。そんなボロボロの状態のまま敵の本拠地まで一人でなんて行かせられないよ」
「私に気を使ってるってこと? 私がどんな気持ちで今ここにいるか本当に理解してる? 本当は分かってるよ、落ち着いた方がいいって。さっきだって落ち着いて判断を誤らなければそこの男も私が倒せてたかもしれない。頭ではちゃんと理解してる。でも気持ちだけはどうしても抑えられないの! じっとなんてしてられないの!」
私はその場に泣き崩れた。
不安と苦痛が同時に襲い、押しつぶされそうな心を守るように踞ってしまった。一体どうすれば確実に救い出せるのか。今の私にお父さんとお母さんを助けられるだけの力があるのか。
親がいるところには、あの炎の男がいる。あいつの魔法の威力は相当なものだった。助けに行ったところで、生侍の言うように本当に返り討ちにあうんじゃないか。そう考えただけで絶望感が私に重くのしかかった。
「助けたいという気持ちは俺も同じだ。強弱の差はあれど、方向は変わらない。それに、もしかしたらまだそこまで焦る状況じゃないかもしれない」
「ど、どういう事よ?」
「それは、これから知る事だ」生侍は小さな笑みを零し、男の方に向き直った。
「何をしようとしてるか。教えてくれますよね?」
生侍の顔は笑っていたけど、私は奥でどす黒いオーラのようなものを感じた。そんな彼を見て私の涙も少しずつ退いていった。
「ほら言っただろ? まだ時間はあるって。明日、明後日に行っても間に合うんだから」
このおっさんの話によると、こいつらの目的は天衣の森の特性を自分たちの為に使う事にあるらしい。天衣の森の特性、それは俺がそこで迷いに迷った挙げ句見つけたとある特異な性質のことを指すらしい。
確か二日目だったか、水を汲みに行ったその日は運悪く野生の猪に見つかり走らされる羽目にあった。おかげで完全に道に迷った俺はこの森が施設に囲まれていた事を思い出し、出られなくてもなんとかその境界線まで辿り着こうとまっすぐ歩き続けた。方向感覚は失われつつあったが、それでも向かっている方向で曲がっているかどうかは判別できた。俺はまっすぐ歩き続けた、途中で残した目印を探しながらただ黙々と歩き続けた。しかし三時間が経過しても壁にぶち当たる事はなかった。その日が初めて死を覚悟した時だったが、運良く目に入った木に目印が記されてあった。それでようやくテントに帰る事ができたんだが、明らかに距離がおかしい事に気が付いた。そこで立てた仮定が空間転移の性質だ。正直まだ半信半疑だったが、この男の話でようやく俺の仮定が正しかったのだと確認できた。
どうやらこの男とその一味はその空間転移を流用できれば銀行強盗や様々な犯罪行為を行った後でも確実に逃走できると考えたらしい。どこから天衣の森の情報を手に入れたかは分からないが、どうやら研究グループの事も知っているらしい。そこでその研究資料を全て奪い取って森を制圧する算段のようだ。
しかしそこで彼らにとって壁だったのはその研究グループに在籍している魔法使い達だ。
森を研究するには、まずあの森から確実に抜け出せる魔法使いが必要だ。もちろん一人や二人じゃ足りないだろうから、魔法使い達が何人も在籍しているんだろう。もし彼らが研究資料や森そのものを支配するなら確実にその魔法使い達との戦闘になる。
このおっさんが所属しているグループにはそこまでの人数はいない。だからその魔法使い達を相手にするより資金を提供している花菱家の当主を拉致し研究グループを脅迫、乗っ取る事を決めたらしい。
しかしこの花菱家の当主、学園長がまた有名な魔法使いときたものだから、仕方なくまずは学園長の留守を図り花菱家を襲撃。奥さんをまずは拉致して学園長を無力化した上で拘束、という手順を踏んだらしい。恐ろしく綿密に計算され、情報収集した上での計画。
と、最初は思ったけれど、よく考えてみればその研究グループでさえもまだ解明できていない謎をどうやって自分達のものにするかが全く組み込まれていない。恐らく彼らは乗っ取った後学者達に引き続き研究させるのだろうが、ここまでの騒ぎを起こしたんだ。すぐに警察が来て研究どころじゃなくなるだろう。
この計画を立案した男、陽人とか言う炎使いは詰めが甘そうだ。どうやら花菱を退けられる程の力はあるようだけど、案外抜けているのかもしれない。
それに研究を続けさせるという事はその間も人質は必要になる。つまり研究グループの魔法使い達を操り続ける為に、花菱の両親は生きたまま拘束し続けなければならない。だから彼らの目的が達成されるまで二人の安全は確保されているということだ。
「いや、明日まで待ってられない。今日助けに行くわ」
それを聞いて少し安心したのか、花菱は興奮状態から解放され、今は落ち着いている。それでもやはりじっとしてられないらしい。
「そうだな。二人の精神状態も心配だ。でも警察にも連絡を入れる。大事に発展するかもしれないが、逮捕してもらう為にも必要だからな」
だから俺はその役目を陽二に託す事にした。
「陽二、先生が多分校舎の中にいるだろうからこの事を説明して警察に掛け合ってくれないか?」
「それはいいけど、お前はどうする?」
「花菱を一人で行かせるわけにはいかないだろ」
「二人だけで行くつもりか? 警察に任せてもいいんじゃないか?」
「俺はそれでもいいと思うけど、花菱が行くって言ってるんだから仕方がないだろ? 警察に事情を説明して実際に動いてくれるまでに結構時間がかかるだろう。そうなれば今日中に助け出すってのは正直厳しくなる」
「私がまるで全部悪いみたいな言い方ね」
「悪いと思っちゃいないけど少し無謀だとは思うね」
花菱はあからさまに不満そうな顔を浮かべる。いつもの花菱に戻ったようでなによりだ。
「じゃあ今から行こうか。たしか前車で二時間くらいで着いたから電車とバスを乗り継いで、後少し迷う時間を考慮して三時間くらいか。三時間あれば大丈夫か?」
「誰の心配をしているの? この花菱調波をあまり舐めない方がいいわよ?」
「またその口調に戻るのか。どっちが本当のお前なんだよ」
「あら、こっちは嫌いだった?」
「別に嫌いって訳じゃないけど、変に取り繕ってるならって思って」
「そう。じゃあいつもの感じでいくね」
やっぱりどこかで自分を偽りながら過ごしてきたようだ。家の関係上仕方がないのかもしれないが、束縛された生活を続けていたのだろうか。俺なら途中で投げ出すかもしれないな。
でも今花菱の家族事情を気にしている場合じゃない。その家族を守る事が先決だ。
「それじゃあそっちは任せたからな」
「おう。でも無茶はするなよ。俺も警察に伝えたらすぐそっちに向かうから」
「それまでには救い出してみせるさ。じゃあな!」
ここで陽二と別れ、俺は花菱と共に敵のアジトへ向かった。アジト、なんて言い方をするとヒーローごっこしているようで少し恥ずかしい気もするが、他にマシな言い方がすぐに思いつかなかった。
勢いで出てきたものの、俺はどの駅で降りてどこに向かえばいいか分からなかったが数回立ち寄った事がある花菱は道筋を熟知しているようだ。俺は自力であの森から帰ったが帰るのに必死で道なんて覚えていない。
改札を通り電車に飛び乗った。どうやらこの電車に一時間半弱揺られることになるらしい。
その時間をただ待っているのも暇なのか、花菱が口を開いた。
「そういえばあんた、もうちゃんと魔法を使えるようになったのね」
「あぁ、努力と発想の勝利ってやつだな」
「何それ。まあいいわ。でもよく間に合ったわね」
「結構ギリギリだったよ。何せ見つけた時には既にお前追いつめられてたからな」
「ちょっ、あれは! あんたが来なくても私一人でなんとかしたわよ!」
「少し前のお前と言ってる事大分違うな」
数十分前の俺の記憶が正しければ確か相手の攻撃から目を逸らしながら縮こまってビクビクしてた気がするけどな。
しかし花菱がまるで「何か言った?」と言わんばかりの目つきでこちらを睨んできているのでそれ以上は言及しない。
「それにしても本当冷や汗かいたよ。もしあの時俺が投げた刀の強度が足りなかったらどうなってたか」
あの時とは学園を襲撃した男と花菱が対峙していた時。何らかの理由で戦意を喪失していた花菱が抵抗する様子もなくただ男の魔法を受けようとしていた時、咄嗟の判断で俺は刀を生成し花菱の眼前へと投げていた。
校舎の屋上から投げれば角度がつき、上手くいけば直撃を回避できるかもという懸けに近い行動だったんだが、天が味方をしてくれて本当に助かった。もし途中で刀身が折れていたらと考えると……
一応折れないように刃を少し太めに設定して、尚かつ鍔を小さくして球体と接触した時の抵抗を抑えたりと対抗策はそれなりに打っていたとはいえ、完全に逸らせるかどうかは五分だった。
刃を少し太めに設定し、鍔をなるべく小さくして柄との幅を合わせた。素早く照準と角度を合わせ、勢い良く投げ放つ。
刀は狙い通り塊と花菱の間に突き刺さり、ある程度角度もついた。少し斜度が大きすぎる気もするが、この際神に祈るしかない。
男の魔法はそのまま直進を続け、刀と接触した。
刀は衝撃を受け少し後ろに反れるが、それでも男の魔法は徐々に上昇し始める。
刀が折れるのと塊が浮き上がるのとどっちが早いか、内心ドキドキしながら現状を見つめる。
どうやらギリギリ刀の強度が勝ったようで、砂の塊は刀を伝って校舎に向かって飛んでいった。なんとか花菱への直撃は避けられたみたいだ。本当冷や汗掻いたぜ、まったく。
「もう感謝したんだから、ありがとうは言わないわよ」
あの時何が起こったかを説明してやると、花菱は少しむくれた様子で睨んだ。別に感謝の言葉を催促したわけじゃないのに。
「いいよもう、貰ったから。貸し一つにしてあげるから」
「あら、それなら私だってあんたをお父さんに紹介した大きな、大きな貸しがあったはずだけど?」
「うっ、そこを突かれると言い返せないな。分かったよ。これでチャラにしてくれないか?」
「まだ足りないわね。一生私に奉仕し続けるならチャラにしてあげてもいいけど」
「結婚するってことか?」
「そ、そんな訳ないでしょ! 何言ってんのよ!」
花菱は激昂し、腹に一発浴びせてきた。痛かったが一応手加減はしてくれたみたいだ。
しかしこれで彼女の弱点を完全に把握した。
さすがはお嬢様と言ったところか、こういう話題に耐性がないとみえる。そういう話題を振れば面白い反応が見れる事が分かった。やり返す時の為にいい情報を手に入れたな。今後の細やかな反撃の為に覚えておこう。
「さて、目的の場所に着いたわけだけど。どうする?」
過去話をしている間に花菱の両親が捕らわれているであろう敵の本拠地に辿り着いた。このまま何の考えもなく正面突破してもいいが相手にも備えがあるだろう。無茶を通り越して無謀ともいえる行為だろう。
「もちろん、ここから突破するしかないじゃない」
「いや、いろいろ考えようよ。もしかしたらもう既に天衣の森に向かってるかも知れないし」
「そうだとしても、人質は安全な場所に隔離しておくはずよ。万が一その研究グループに奪還されたら計画は破綻するはずだから」
なるほど、あの時とは別人だと思うくらい落ち着いているな。頭も回っている。心配する必要はないな。
「分かった。突入はするとして、後はどこから入るかだな」
「そんな事考えている暇があったらまっすぐ行った方がいいんじゃないの?」
「普通に考えて侵入者迎撃用の罠とか仕掛けられてるはずだろ。そこに突っ込むのは懸命じゃないと思うけど」
「案外正面から行った方が罠が少ないかもしれないわよ?」
「違う箇所から侵入した方がリスクが高いと?」
「可能性の話よ。それより他の侵入口を探す時間が惜しいわ。あまり時間食ってたら警察が来るかもしれないし」
「そうだな。分かった。正面突破でいこう」
警察が来る事のリスク。
動員された時、男のグループとの交渉に入った後、どこかのタイミングで強行突破を図るだろう。速やかに制圧する為に行動するはずだからな。
そうなった場合人質の命の保証はどこにもない。陽人という男が焦り早まった行動をとるかもしれない。それが俺たちの見解だ。だからこうして警察に頼らず自分たちで何とかしようと動いた。
警察官を目指している俺にとってあまり考えたくないパターンだが、それは俺が警察官になってから変えていけばいい。
「作戦はどうする?」
「作戦? そうね、中に入って各自敵を見つけ次第各個撃破していくってのはどう?」
「それ作戦って言わないと思うけど。でも離れて行動していいのか? お前も本調子じゃないし一人で行動するのはいろいろ危険だぞ」
「私なら大丈夫。もうあんな感情に任せた戦い方はしないから一人でも平気よ。心配なのはどちらかと言うとあんたの方だけど」
「花菱、フラグって言葉知ってるか?」
「旗の事? どういう意味?」
「いや、別にいいんだ。そう言うなら信じるよ。別々に行動した方が敵を攪乱できるし調査範囲も広くなり時間も短縮できる。いいこと尽くめだからな」
「じゃあ行くわよ。準備はいい?」
「いいけど、まずは扉を何とかしないとだな」
赤い建物に備え付けられたいかにも頑丈そうな鉄の扉。スライド状に開閉するようになっているようだが、扉には太い鎖がかけられ開かないようになっている。俺の刀じゃ切れそうにない。
「ふふん、こんなの私の魔法の前じゃ意味ないわよ」
「でもこの鎖、明らかに金属だぞ。炭素じゃねーぞ?」
「知ってるわよ、そんなこと。炭素を操るのは私の第二魔法って言ったでしょ?」
「言ったな、確かに」
「だから私の最初の魔法を使うのよ」
そういえば最初に戦った時にいろいろ言っていたな。確かに彼女の第二魔法は擬似的に炭素と同じ性質を持った武器を作成、操作する能力と現実の炭素を操る能力を併せ持つが、第一魔法(こんな呼び方かは分からないが)、彼女が本来持つ魔法色は黒。本当はその黒に関係した魔法が「メイン」の魔法のはずだ。ただその「サブ」の方が優秀すぎてサブとは思わなかったけれど。
「ちなみに聞くけど、黒と聞いてどんなことを連想する?」
「いきなり問題から入るのかよ。そうだなぁ」
俺は少し考えた。黒と聞いて真っ先に浮かぶもの。
暗闇、絶望、死、支配。一つとしていいイメージが浮かばない。その中で一番軽そうなものを選んで伝えた。
「深さ、かな」
「悪くない答えね。まあ色だけじゃ魔法なんて判断できないしね」
「もったいぶるなあ、早く助けたいんだろう? 早く教えろよ」
しまった、と思った時には遅かった。
本来魔法使いは他の魔法使い達に自分の魔法色や系統を教えてはならない、いや、普通は教えない。弱点を晒すようなものだから。
答えないだろうと思ったけれど、花菱は思ったよりもさらりと打明かした。
「重力よ」
「重力……なるほど、確かに色で表すなら黒だな」
少しは警戒しろよ、と警告したいところだったが今は一分一秒でも時間が惜しい。
すると花菱は鎖に手を触れた。途端にその鎖が限定的にもの凄い重力に引っ張られているかのように力なくだらりと垂れ下がり、やがてその圧力に耐えきれず鎖は金属音と共に砕け落ちた。
重力操作魔法、なんて厄介で強力な魔法を持ってるんだ、こいつ。炭素を操るってだけでも強いのになんか反則臭い気がしてきた。
仕組みは分からないが、本当に重力が強くなった訳じゃないのは分かる。魔力で重力が強くなったように見えるだけだ。
「さっ、行くわよ」
「敵に回すと怖いなぁ」
「もうすぐ敵に回ることになるわよ?」
そうだった。こうやって無事に帰ってきた以上、決着とやらを着けなければならなかった。なんか師範と組み手をするくらい面倒臭く思えてきたな。
「どうやら地下もあるみたい。生侍、あんたは下から見てきて。私は上を見てみるから」
「分かった。集合は?」
「一通り見回って異常がなければ上で合流よ。お父さんとお母さんを見つけたら安全を確保した後に私に伝えにきて」
「了解した。くれぐれも無茶はするなよ」
「そっちこそ、危なくなったら私に助けを求めてきなさい」
「はははっ。じゃあな、また落ち合おう」
俺たちは別れ、別々の道を辿った。花菱は上の道、俺は下の階段を使って捜索を始めた。
地下は薄気味悪く、一瞬牢獄かと疑うくらい生活感がなく小さく分けられた部屋が一つの廊下を通じて幾つも存在した。しかし驚くくらい廊下は広く、人五人は悠々並んで通れる幅だ。
しかしこれを見ると恥ずかしくてもアジトっていう言葉が似合いすぎる。小悪党が潜むにはちょうどいい隠れ家と言える。
「ここにはいないかなぁ」
見回ってみたが学園長もその奥さんと思しき女性も見当たらない。
踵を返し上の階層を探そうとした時だった。
「なんだ、忍び込んだのはガキ一人か」
男が十人、各々武器を所持している。但し武器と言っても刀や銃などではなく、六人が金属バット、残り四人が小型ナイフという武装。このグループの財政状況は厳しいようだ。
「よし、この階も異常なしっと。次は一階を調べてみるか」
「ぁああ!? 何ほざいてやがるこのガキ! ぶっ殺してやる!」
「雇われの身ってとこかな」
どうやらこの連中はグループの一員ではなくそのグループが金で雇ったごろつきの集まりらしい。そういったグループを雇っているという情報は学園で確保した男から入手済みだ。さすがにその雇われのグループがどのような装備をしているかまでは知らないと言っていたが大した装備もしていないこいつらが組員であるはずがない。いや、ただの下っ端という線もあるが、まあいい。どちらにせよ気に留める相手でもない。
こんなやつらを一々相手にしている暇はない。一発で片を付ける。
「ちょっと痛いかもしれないけど、まっ、男なんだから我慢できるよね」
「何言ってやがるこのガキ!」
ひと際目立つ大男元気よく叫んでいる。男は元気が取り柄だからな、元気なのはいいことだ。
「白水」
俺の呼びかけに応じ、右手から大量の水が勢い良く吹き出した。叫び声が聞こえるところを見ると、どうやら上手く皆巻き込まれてくれたようだ。
水が引くと、十人の男はぐったりした様子で全員その場に伸びていた。半数以上は水を飲んだか壁に激突したかで意識を失っている。
「これ、一応お米を磨いだ水だから飲んでも健康的だと思うよ。と言っても、原材料は俺の魔力100%だから飲んだ水も全て時間が経てば消えるけど」
あの男との戦いで使った技の強力版と言っていい。ただ難点を挙げるとすれば自由に操る事ができないってことだ。変えられるのは威力とどこに撃つかぐらいだ。
しかし目標の敵は地下にはいなかった。もしかしたら今もう既に学園長を連れ出して科学者達を脅迫しているかもしれないがここは彼らのアジトなんだ、他にも重要な何かはあるはずだ。
「早く向かわないとな」
地下の扉を開けた瞬間。
「きゃぁああああ!!」
「花菱! 既に交戦中って事か!」
叫び声を拾い俺は急いで花菱の元へと向かった。
声からして相当上の階層だ。慌てて階段を駆け上がり部屋という部屋を探す。
「どこだ! 花菱! 学園長!」
声を掛けてみるが応答はない。声を辿って行けない以上闇雲に探し続けるしかない。
その中の一室は少し妙な感じがした。
「なんだこの部屋は、鍵が掛かってる」
四階にある一室には鍵が掛かっており開かなくなっていた。扉が二つもついているところを見るとかなりの大部屋らしい。鍵も掛かっているとなると怪しさはさらに膨れ上がる。
「おい、花菱! ここにいるのか!」
扉に耳を当て、再び呼びかけてみるが返事はない。
何もない部屋かと思ったその瞬間、微かに声に似た音を拾った。
動物じゃない、まるで口を閉じた状態で誰かが喋っているような感じ。
「白刃!」
まさかと思い刀を手にし扉との小さな隙間に刃先を忍び込ませ、一気に振り下ろす。
錠を切り落とし扉を開け放つ。
「あなたは!」
見ると女性が一人、椅子に縛り付けられ口にはガムテープを張られていた。
「大丈夫ですか! 今助けます!」
彼女を縛り付けていたロープを切りガムテープもゆっくりと剥がした。女性は少し咳き込んだがどうやら無事のようだ。
「とにかく、ここを出ましょう。安全な場所へ避難してください!」
「わ、私より、調波を! 今の声、あの子に違いありません! お願いします、調波を助けてあげてください! 私には、あの子が……」
「お母さんでしたか。分かってます。ですがまずはあなたを先に」
「私の事は構いません! あの子を、助けてあげて下さいませんか!?」
これが母親の熱意というやつか。自分よりもまずは娘を、か。いい母親じゃないか。あいつは作法や言葉遣いの躾が厳しいから嫌いだなんて言っていたが、娘想いのいい母親だ。
「自力で帰れますか?」
「はい。だから娘をよろしくお願いします」
「分かりました。足下にお気をつけて」
花菱の母親をその場に残し、俺は再び花菱を探しに向かった。
しかしこれで二階を飛ばして三階、四階を調べ終えたが花菱の姿はなかった。となると残る箇所は。
「屋上か」
どうやらこのビルには屋上が存在するらしい。屋上へは屋内の階段ではなく外の非常階段で繋がっている。
扉を開け放ち直ちに屋上へ向かう。
「花菱! 無事か!」
屋上へ行くと、見知らぬ赤い服を着た男と、床に膝を付いた花菱がそこにいた。花菱が苦戦しているという事は、この男がその陽人とか言う奴のようだ。
「生侍! お父さんとお母さんは!」
こいつも、自分の事より親の事、か。よく似てるじゃないか、母親と。
少し微笑みながら、俺は吉報を伝えてやった。
「あぁ、母親の方は見つけて保護したぜ。でも学園長の方は。恐らく今こいつのグループが脅迫する為に連れていってるんだろう」
「ほう、なかなか聡い少年じゃないか。うちのグループに欲しいな。どうかね、一緒に世界征服でもしてみないかい?」
「いきなりだな、おい。勧誘の仕方が下手だぜ、あんた。そんな台詞最近のゲームでも言わないぜ」
「そうかい? 反省材料にさせてもらうよ」
この男、惚けたような口調ではあるが何となく強者のオーラみたいなものを放っている。魔法を使えるようになって俺もようやくその辺の事を理解し始めたが、魔法使い同士なら身にまとっている魔力の感じで実力をある程度図れるようだ。
そしてこの陽人と言う男、身の周りに淡い炎のようなオーラを帯びている。身から染み出ている感じだ。純粋な魔力を他の魔法使いが視認できるくらい出す為にはそこそこの実力が伴っていなければ不可能らしい。するとこいつは口調からは判断しきれないが、強い魔法使いであることは確かなようだ。
そんな小難しい説明をしなくても花菱に膝を付かせることができるんだからそれだけで充分判断できるけどね。
「それより、怪我はないのか?」
「大丈夫よ。防御が少し遅れただけ。怪我はしてないわ」
「そうか。まだ戦えそうだな」
彼女自身の言葉で「無理、戦えそうにない」と聞けば一人でも戦うつもりだったがどうやら共同戦線は張れそうだ。
早速目の前の相手を倒す作戦を立てたいけれど、その前に相手の情報が少しでも欲しい。能力の詳細、戦闘スタイル、得意とする武器や流派、判断能力と戦闘経験。どんな些細な事からでも作戦は立てられる。
捕まえた男と花菱からの前情報だと炎を使う魔法使いだという事は分かっている。花菱との戦闘でその炎を飛ばして攻撃できる事まで把握している。しかしそれだけでは正直情報が足りない。有利に事を運べない。
「花菱、俺も手伝うからちょっとの間適当に戦ってくれないかあいつと。情報が欲しい」
「適当って、そんな考えもなしに動くのは」
「分かってる。でも動く為に情報が欲しい。防戦に近い感じでいい。とにかくこちらの行動に対しどう動き対処するのか見たい」
「まったく。防御に徹してればいいのね?」
「あぁ。もっとも、お前に何か考えが浮かんだのなら聞くけど?」
「悪かったわね、何も思いつかなくて!」
「そう怒るなって。それにそんな事してる場合じゃないだろ?」
「それもそうね」
「もう作戦会議はいいのかい?」
俺たちが小声で話している間、男は律儀に待ってくれていた。それだけ自信があるのか、お人好しなのか。
しかしこれは俺たちにとっていい方向に働いている。相手が余裕を見せている間こちらにもその分余裕が生まれる。それになんとなくだが彼の性格も少し分かってきた。
「行くぞ!」
合図と共に別方向に走りながら攻撃を繰り出す。
左に走った花菱はお得意の槍攻撃の雨あられ。しかし男は一向に動じる事なく全て両手から放つ炎の球で燃やし尽くしていく。カーボン製だから燃えやすいってのもあるんだろう。相性的には花菱の方が不利に思える。
それなら接近戦はどうか。
俺のお得意魔法になりつつある刃抜きの刀を持ち陽人に突っ込む。しかしまっすぐ向かう事はせず、迂回しながら徐々に接近を試みる。
「遠距離と近距離の相乗攻撃か。悪くない」
まだ余裕なのか、感心しながら俺の動きを観察している。相手の情報を得るつもりが、お互い観察し合う結果になっている。今はできるだけ情報を与えず、相手の情報を引き出す事に専念しないと。
迂回を止め、今度はまっすぐ相手に向かってみた。
しかし俺が間合いに入る前に男が先に動いた。
「甘いよ」
陽人の右手から炎が吹き上げ、その右手を横に薙いだ。すると掌から切り離された炎が床を燃やし、そしてすぐに消えずにその場で燃え続けた。進路を塞がれ、俺は素早く飛び退った。
この炎の魔法、近距離も遠距離もいける厄介な代物だな。遠距離の場合は炎弾を飛ばし、近づかれた場合炎を身の周りに宿す事で接近されるのを防ぐ。
「最後の警告だ。俺たちの仲間になる事はもうないかい?」
「何回訊いたところで答えは同じですよ。俺は、俺たちはあんたたちの計画を見過ごす事はしない。学園長も助け出す。それだけだ」
「そうか。残念だ。それなら今ここで二人共始末しなければならないな」
やっぱりこういう展開になるのか。まあ予想はしていたけれど、もしかしたら子供相手だから本気で殺しにこないんじゃないか、と淡い期待をしていたのだけれど。
それなら、と一つ言葉を返してやることにした。
「今更俺たちを消したところで何の意味もないと思うよ?」
「どういう意味だい?」
「俺が言うのもなんだけど、あんた達の計画には穴が多すぎる。あれじゃ絶対に達成できない」
「り、理由を聞かせて貰おうか?」
ふふふ、食いついてきた。
確かに魔法は強いしそれなりに頭が回るのかもしれない。しかし彼自身、そしてグループの誰にもこの計画の実現性を疑う事はなかったらしい。少し揺さぶってやるとするか。
心の中にSな悪魔が降臨してくるのを感じ、俺はその悪魔に身を委ねながら揺さぶっていく。
「既に俺たちの仲間が警察に話をしている。ここに乗り込んでくるのは時間の問題だろうさ。でもそれ以前にあんたたちの行動には一つ大きな間違いがある」
「間違い、だと?」
「普通学校に乗り込んできたら、嫌でも目立つだろ。その後通報されるのは当たり前だ」
「ふん、その点か。それなら問題はない」
どうやら反論できる材料があるらしい。
しかしそれを聞いた上で論破してみせたら、果たしてどんな顔をするのだろうか。
「その為に人質を取ったんじゃないか。警察が来たところで人質を預かっている以上うかつに行動はしてこないだろう」
……まさかそれで本当に解決したと思っているんだろうか。
魔法使いとしては一般以上のレベルだが、頭脳の方は一般レベルらしい。
仕方がない、俺が優しく論破して差し上げよう。俺の頭脳レベルが高いと思ってる訳じゃないけど、少なくともこいつよりは上だとは思う。
「あまり警察を舐めない方が良いと思うよ。警察はいつでも突入できる態勢を整えている。少しでも隙を見つければすぐさま強硬突破を試みる。そうなった場合少数精鋭のそっちが制圧されるのは時間の問題。人質を盾にしたところでそんなに時間は稼げないよ」陽人は痛いところを突かれ、見る見るうちに不安げな顔に変わっていったが、俺は話を続ける。「それに転移システムの流用の事だけど、流用する為にも相当な時間がいるんだよ。どこであの森の情報を手に入れたか分からないけれど、その研究グループも手詰まりの状態なんだよ。あんたたちが欲した転移の技、あれを自分たちが使えるようになるまでは何年、何十年とかかるかもしれない。本当にそんな計画が達成できると思うか?」
「なに、まだ研究中だったのか!?」
その反応は予想外だった。しかしその反応から察するに、この陽人とか言う男は。
「知らなかったんですか、まさか?」
「は、初耳だ。研究室に忍び込んだ仲間が転移システムの事を話していたから、てっきり完成間近なのかと」
「確認は、しなかったんですか?」
「そのことを知った俺たちは急遽作戦を立てた。研究結果を奪い取り、その上で引き続き研究を続けさせる為にどうすればいいか。その点を重点的に考えていた」
呆れてしまった。
しかしそれなら彼が取った行動にも頷ける。ほぼ完成しているなら多少目立った行動を取っても最終的にはその転移システムを使って逃亡できる。そう思ったんだろう。
まさか最終確認もなしに実行していたとは。真面目にいろいろと考えていたのが馬鹿らしく思えてきた。こんなに抜けている犯罪グループを未だかつて知らない。
「し、仕方ない! なら研究結果だけ頂いていく! 研究はどこか別の場所で引き継げばいい。だからお前達には結局消えてもらう!」
これは、教えない方が良かっただろうか。知らないままの方が俺たちが失敗しても警察が救出する確率が上がったはずだ。
「遊んでいる時間はない! 死んでもらうぞ!」
陽人は両手を大きく広げ、再び炎弾を展開する。両手から大きな弾が二つ、頭上には小さな弾が数十発浮いている。
もしかしてあれ全部……
まさか、とは思ったが予想は外れる事なく一目散に飛んできた。
「ちょっと、まだ何も浮かばないの?」
後ろに避けていると花菱が俺の横に寄せてきた。
「お前は何かないのか?」
「近づく事ができればなんとか。でもその方法がないから聞いてんのよ」
「そんな事俺に言われても、って危ないぞ!」
「分かってる!」
俺たちの間に炎が降ってきたためまた左右に散り避けていく。少しでも気を緩めたら直撃する。あれを食らうと痛そうだ。というか火傷はするだろうな、守りを怠れば。しかし弾自体にそこまでの速度はない。避けられない程じゃない。
撃ち晴らした後反撃に出よう。そう思っていた矢先。
「痛っ!」
「痛たたっ、ちょっと、どこ見てんのよ!」
避ける事に必至だった俺は花菱と接触した。
現在仰向けに倒れた俺の上に花菱が伸し掛る体勢になっている。ここで重い、なんて言ったら確実にマウント状態からタコ殴りに合うだろう。俺だって空気を読むくらいはちゃんとできる。漫画でその辺は鍛えた。
「仕方ねえだろ、俺だって必死だったん……危ねえ!!」
花菱の顔の横から陽人が巨大な炎弾を放つのが見えた。このままだと二人共直撃を受けることになる。
それに、俺は頼まれたんだ。花菱をよろしく、と。その言葉を裏切る事はできない。
「ちょっ、なに?」
俺は花菱の肩を抱き、体勢を入れ替えた。花菱に覆い被さり意識を集中させる。魔法で防ぐよりは防御力は低いが、それでも純粋な魔力での防御はないよりはマシだ。
「ぐっ、うぐぅうおおおお!!!!」
滅多に出さない苦痛の叫びが、炎弾を背中に受ける度に漏れる。魔法による衝撃だけじゃない、そこに更に熱も加わり痛みが増している。一体どれくらい威力を緩和できているのか分からないが、恐らくこれがなければ今頃……
しかし、これは……
「ぁあああ! うぅぅぁああああああ!!!!」
一体何発受けただろうか、もう背中に感覚はない。熱かったのは最初だけで、今はもう何とも思わない。
「せ、生侍、大丈夫!? 怪我はない!?」
そ、その質問をして、果たして「大丈夫だ、こんなのかすり傷だ」みたいな返答が来ると思っているのだろうか。正直声を出せるかどうかも微妙なラインだ。
背中には既に感覚がないが、気管が燃えるように熱い。呼吸をするだけで内蔵が焼かれる思いだ。
「そっちこそ、怪我はない、のか?」
「私は大丈夫。それよりあんたが!」
「そうか。それは、良かった……」
意識が遠くなる。視界は揺らぎ始め、両腕から力が失われていく。
やがて四つん這いの姿勢も保てなくなり、力なく崩れ落ちる。
仰向けになると、花菱の顔が視界外から飛び込んできた。
「生侍! しっかりして! 生きてるよね!? 返事してよ!」
どうやら俺が目を閉じた事によって心配しているようだ。一応まだ意識は残っているのでここは心配ない、と言いたかったとこだが、正直意識を保っていられるのも限界に近い。
薄れゆく意識の中、俺は悔しさを噛み締めていた。
ようやく突破する算段、あの男を倒せる作戦を思いついたというのに、後一歩及ばないなんて。本当に情けない限りだ。中学三年間ずっと鍛えられてきたはずなのに、本当肝心なところでダメだな俺は。
花菱の叫び声も遠ざかっていき、言葉さえも拾えなくなっていた。
世界が暗転し、気付けば俺は暗闇の中で一人立っていた。周りには人も、建物も、何もない。
これが死後の世界というものなのか。驚く程何もないな。
人間は死ねば天国や地獄ではなく、無に帰る。そういう話を聞いた事があったかもしれないが、案外馬鹿にできない話だったかもしれない。無に帰るというより無の世界に落ちる感じだが。
「何一人で納得してんの?」
「うぉ!」
不意に後ろから声が聞こえ変な声が漏れてしまった。しかしこの声、どうも聞き覚えがする。まるで中学三年間世話になった、あの人みたいな。
「師範が、なぜここにいるんですか? まさか、師範もお亡くなりに……」
「あほか。んな訳ないだろ」
「痛いです、師範」
脳天に手刀を受けその場でうずくまる。この痛み、偽物じゃない、まさしく本物だ。手加減が感じられない。
「じゃ、じゃあなんで師範がここにいるんですか。というかここってどこなんですか?」
「生侍、やり残した事はないの?」
「なんですか、いきなり? それより俺の質問は無視なんですね」
「どうなの?」
なんでこんな質問をするのか、分からなかったが師範からの質問なので真剣に考えてみた。
やり残した事か。まだまだ若いと思っていたから、というのもあるがそんな事人生で一度も考えた事はなかった。一瞬そう思ったが、しかしこの一週間の間に何度も死にかけた事を思い出し、その時既に答えが出ていた事を知った。
「そりゃありますよ。まだ師範を越えられてません」
「本当にそれだけ?」
「どういう意味ですか?」
予想していなかった返答を受け少し怯んだ。いつもの師範ならここで決着を着ける流れになるのにこの反応は初めてだ。受け身を取る体勢を取っていたのが馬鹿みたいだ。
「あんたには叶えたい夢と決着を付ける相手がいるんじゃない?」
いつの間に現れたのか、師範の横で両腕を組む花菱がいた。
叶えたい夢。確かに俺には警察官になりたいという夢がある。しかしそれを花菱に話した事があったっけ。
そして決着を付ける相手。自分の事を言ってるんだろう。そういえばあの森でもその決着の事を思い出して目が覚めて、俺が魔法を会得した時のヒントにもなったな。
「そうだったな、いろいろやる事が溜まってたな」
「それなのにこんな所で死ぬつもり?」
「ここでノーを選べば復活できるのか?」
ここまで来ればここが俺の脳内の世界だと判断できる。そして目の前にいる師範も花菱も、俺の脳内データから作り出されたイメージだろう。そして恐らく俺の脳が生きる事を諦めていないから師範と花菱というイメージを介して生きる事を諦めないよう促しているんだろう。それなら師範のあの反応も納得できる。
「それは、あんた次第ね。生きたいと思えば生きられるでしょ」
「いかにもあいつが言いそうな台詞だな。これだけ再現できるって俺の脳って結構優秀だな」
「なに一人で納得してんのよ」
こんな場面を本人が見れば怒ってきそうだな、そんな無愛想じゃないとかなんとか言って。
しかし確かに俺にはまだ生き続けたい理由がある。それを誰でもない自分自身に思い出させられた。
「現実のあんたは瀕死状態。体もろくに動かせない状況よ。戻ったってあの男に殺されるだけかもしれない。それでも戻る?」
「俺を戻させたいのか残らせたいのかどっちなんだよ」
どうやら脳の方も迷っているらしかった。死にたくはないけれど帰って更なる苦痛を味わいたくない。その葛藤があってこんなあやふやな言葉を投げかけてくるのだろう。
「大丈夫、俺に任せろ。お前も俺の一部なら分かってるだろう。俺があんなところで死ぬような男じゃないって。それに、あいつさえ無事ならあの場を乗り切れる。そういう作戦を思いついたのは知ってるだろう?」
「じゃあ、戻るのね」
「あぁ。本物のお前の事も心配だからな」
「分かったわ。それじゃ強く願って。現実世界に戻りたいって。そうすれば意識は回復するはずよ」
「ありがとうな、俺を励ましてくれて」
「何言ってんのよ。私はあんたなんだから、自分で道を拓いたのよ」
「そういえばそうだったな」
そう考えると今の今まで自分と会話していたことになるな。聞かれたら恥ずかしいな。脳内だから許されることだな。
「じゃ、行ってくる」
「必ず助け出しなさいよ」
「分かってるよ! じゃあな!」
俺は自分自身と別れ、戻る事を決めた。
まだまだやり残してる事がある。全てやりきるまで死んでなんていられない。そんな大切な事を思い出した。自分自身から教わった。
やれる事はある。俺一人じゃ無理でも、花菱と組めば倒せない相手じゃない。だから……
「無事でいろよ、花菱!」
無事を祈りながら、ゆっくりと体に感覚が戻っていくのを感じた。すごいな、本当に願っただけで意識が戻りつつある。これがご都合主義な展開ってやつか。すぐに立ち上がる事はさすがにできないが目を開ける位には回復していた。
しかし目に飛び込んできた映像は、受け入れ難いものだった。
赤の男、陽人は相変わらず同じポジショニングで平然としていたが、重要視すべき点はそこじゃない。
その陽人の少し手前、俺と陽人のちょうど間くらいに横たわっている女子の方だ。
花菱は力なく倒れ、服のあちこちが焦げ落ちている。息があるのかはここから見てるだけじゃ判断できない。
俺が気絶している間も戦いを続けていたんだろう。結果はご覧の通りだが、懸命に戦ったことだけは分かる。
そしてさらにやばい事に、陽人が少しずつ花菱に近づいている。止めを刺しに行ったに違いない。それに俺はまだ回復しきっていない。体が思うように動かない。
いや、待てよ。体が動かないからと言って、俺が動けないわけじゃない。俺があいつの目に入れば標的を変えてくれるかもしれない。その間に花菱に起きてもらうしかない。
魔力を精一杯込め、痛みに耐えながら集中し続ける。
まだ、できることがある。その思いで、俺は詠唱した。
「白……鳥……」
瞬間、俺の背中に透き通った透明な翼が生え、見る見るうちに体が浮き上がった。両腕も両足も力なく垂れ下がってはいるが、それでも魔法に集中さえしていれば飛び続ける事は可能だ。
陽人の視線がこちらに向いた。よし、まずは成功といったところだろう。
「お前、生きていたのか」
「勝手に人を殺さないでくれますか?」
声を出すのもひと苦労だ。そこで俺は背中に大きな火傷をしている事を思い出した。呼吸が苦しいはずだ。
「生……侍?」
「そうだ、俺だ花菱! 起きて今すぐそこを離れろ!」
目が覚めたのかそれともまだ意識があったのか、花菱は横たわりながら俺を捜した。
まずい、今ので陽人にも俺が何かを仕掛ける事を悟られてしまったようだ。既に小さな炎を幾つか作り出している。
ここはとりあえず、敵を倒す事を最優先事項から外す。
「白刃」
まだ刀を握れる程の握力は残っているようだ。これなら時間が稼げる。
陽人目掛けて最高速で飛び出し刀を構える。刃はなくても、それなりの威力は出る。
この両腕じゃ刀は振れないが、加速した事によってその辺りはカバーできている。
陽人の前まで飛ぶと、翼を利用して大きく回転する。
驚いた様子の陽人は大きく横に跳び、魔法も解除された。一撃は加えられなかったが、なんとか事なきを得た。
「おい、大丈夫か花菱。しっかりしろ!」
「生、侍……良かった、無事だったのね」
「見ての通りだ。それよりお前は大丈夫なのか?」
「す、少し疲れただけよ。こんなの、なんともないわ」
「こんな時まで強がりはよせ。お前がダメそうなら別の作戦を立てなきゃいけないんだからな」
「え、それって……」
「そうだ、倒す算段がついた。で、どうなんだ?」
答えなんて聞かなくても見れば分かった。
こんな状態の花菱にさらに戦えなんて、そんな事を言うやつは鬼なんじゃないかと思う。しかし彼女の力なしでは成立しない。仕切り直したくても今の俺じゃ花菱を担いで飛ぶのは無理だ。そこまでの握力は残っていない。
答えを待っている間に、俺は既に別の方法を模索していた。俺一人でなんとか対処できる代替案を。
しかし返ってきた言葉を受け、俺は驚いた。
「大丈夫に、決まってるでしょ。いいから早くその方法を教えなさい」
「本当に強がって言ってるんじゃないな? 一回失敗すれば多分二度と成功しない方法なんだから」
「しつこい。大丈夫って言ってるでしょ?」
「……分かった。耳を貸せ」
彼女が無理をしているのは分かった。だけど今は彼女を頼る事が一番確実性があったし、彼女にも戦う理由がある。こんなところで伸びてなんていられない、その感情は俺と一緒だ。
だから俺は作戦の内容を耳打ちした。すると花菱は「あんた、どれだけの種類の魔法使えるのよ」となんだか呆れたような顔をしたが俺は聞き流しあくまで作戦に集中する。
「今のあいつの場所、ちゃんと頭に入れてるか?」
「もちろん。いつでも行けるわ」
「よし。じゃあ始めるぞ」
まずは第一段階。俺は再び浮遊し、陽人に向き直る。刀をできる限り強く握り、陽人に向け滑空する。
「これで、終わりにしてやる!」
陽人は俺を迎え撃つ為にあの炎弾を放ってきた。よし、まずは予想通りといったとこか。
ここから先は花菱、お前に掛かっている。後は頼んだぜ。
刀と翼を放棄し、俺はここで新たな魔法を展開する。
「白雲岩!」
突如、足下から洗い朱色の岩が飛び出し、大きな壁となって立ち塞がった。
しかしそれはこちら側から見た場合だ。ただ単に大きな壁で攻撃を防いだわけじゃない。
俺は壁を作っただけじゃなく、そこからさらに伸ばして岩の天井のようなものを作る。陽人から見ると津波が押し寄せて来ているように見えるだろう。厳密に言うと波じゃなく逆L字になってるわけだけど。
後は。
「花菱!」
「分かってる!」
満身創痍な彼女だが、それでも打ち合わせた通りに槍魔法を展開する。無数に伸びる槍は俺の横をすり抜け壁を伝うように上昇していく。そしてまた岩の天井を越え、その両端から一気に降下し一点に集中する。
「なんだ、いきなり! や、やめろ、うぁあああ!!!!」
陽人の叫び声が聞こえる。どうやらちゃんとやり遂げてくれたようだ。
岩の魔法を解放し、姿を確認した。
予定通り、花菱の槍が陽人を捉え、がんじがらめに縛りつけている。相手が見えていない状態でここまで正確に攻撃できるなんて。俺が頼んだんだけど、まさかここまでできるなんて、本当怖いなこの人。味方でいる時は凄く頼もしいんだけど、敵に回したくないなぁ。
「何故だ……何故、負けた……」
まだ意識が残っていたのか、残った力を使って必死に敗因を探している様だった。悪事を働いてはいるが、根は悪い奴じゃないのかもしれない。意外と真面目な勉強家だったりして。
「白雲岩、通称ドロマイト。これは白雲石から成る岩石でね、耐火性に優れてる原料なんだよ。だからあんたの炎は全て遮断できた」
俺は携帯の辞書からの受け売りをさも最初から知っていたかのように語ってやる。携帯に辞書アプリを登録しておいて本当良かった。あの森の中じゃネットが繋がらなかったからパターンを知った時参考になるかと思い少し検索してみたんだ。まさかこういう形で役立つとは思わなかったけれど、人生何でもやっておくもんだ。
「ど、どういう事だ」
「あんたも気付いただろ? 俺があの岩を天井に見立てて張ったのを。あれは怯ませる効果も期待したんだけど、でも本当の目的は」
「俺の、視界を塞ぐ事」
「そういうこと。だから花菱にあらかじめお前の位置を覚えさせて壁を張った瞬間攻撃するよう指示しておいた。上手くはまって良かったよ」
「な、なぜお前は様々な種類の魔法が使える? 本来魔法使いというものは一種、最高でも二つのはず……だが、お前は三つも使った。刀召還魔法、浮遊魔法、そしてあの岩。なぜそんな事が可能なんだ……」
「それは……さすがに言えません。個人情報です」
言いかけて、俺は思い止まった。自分の魔法を他人に教えるのは自分の弱点をさらけ出すのと一緒だ。まあどっかの誰かさんは惜しげもなく自分の魔法を教えてくれたりするけれど、俺はそんなリスクは負わない。というかこの人第二種魔法の事を知っていたのか、意外だな。
「花菱、これで、よう……やく……」
肩の荷が下りたからか、それとも無理をしすぎたせいか、振り返った瞬間俺は再び倒れ伏せていた。
しかしそれは花菱も同じのようで、少しずつこちらに匍匐前進でにじり寄ると、力つきたのか俺と手が触れ合いそうな距離まで詰めるとそっと地面に体を預けた。
「にしてもボロボロね、あんた」
「お互いにな」
勝利を喜ぶ元気もなく、ただ皮肉を言い合うだけだった。
その後の動きは速かった。
一時間後に到着した警察は倒れている俺たち二人を保護し、既に拘束された陽人を花菱のお母さんの証言の元、再拘束した。地下の協力員達も一斉に検挙され、捜査の手は天衣の森にも及んだ。
警察が到着した時、追い込まれた犯行グループは拉致していた学園長を盾に逃走を図ったがそのグループには頭脳担当がおらず、そんな攻防が長続きするはずもなかった。
そうして犯行グループは一斉検挙され、事態は収拾した。そして俺も晴れて森でのサバイバル生活から入院生活へとクラスチェンジすることになった。
背中に大火傷を負い、一命は取り留めたが回復には時間がかかる。と俺は思っていた。
だが移された病院(これも並の病院ではなく、学園長が勧めたとある名医が主治医を務める病院だ)で受けた治療がもの凄く効き、なんと僅か三日で退院する事になった。何でもその医者も魔法使いで、自然治癒力を極限まで高める魔法を使うのだとか。おかげで火傷も見る見るうちに回復し、目立たなくなるくらい痕は消えた。ちなみに学園長が全額負担してくれるらしい。全て自分が招いた事だと思っているらしく、責任を感じているようだ。どう考えても俺が自分で考えて行動した結果だと思うが、費用を出してくれるというので俺はその好意に甘える事にした。人の好意は素直に受け取るものだ。
「ふぅ、いい風だ」
俺は今、学園の屋上に来ている。足をぶら下げながら、ただ流れてくる風を存分に楽しんでいる。
あの日以降、学園は一時閉鎖となっている。
閉鎖理由はもちろん、校舎の復旧作業の為だ。あの襲撃で校舎に甚大な被害が及び、一時休校、学生は晴れて予想外な長い休日に突入した訳だ。もちろんその分鬼のように補習授業が待っているだろうが、今は皆各々楽しんでいる事だろう。ちなみにその校舎に甚大な被害を及ぼしたのが俺が刀を投げたからとはさすがに言えなかった。
じゃあ休みだって言うのになんで俺が学校に来ているか。
他にする事がなかったからだ。バイトでもしていれば有効に時間が使えたんだろうけれど、親の仕送りに頼っている俺は暇を持て余している訳だ。
だからと言って部屋に引きこもってるのもあれなので外に出ようと思った。そしたら何だか急に一人でゆっくり過ごしたくなって、せっかく出たのに部屋に戻るのも癪だからこうして誰も来ない休校中の屋上に飛んできたわけだ。
しかしここが案外居心地がいいもので、優しい風がなんだか俺を安心させてくれた。まるで今まで苦労してきた自分を癒してくれているような、そんな優しい空間だった。
「ここは落ち着くなぁ」
今日何度目かの溜め息を吐く。これは疲れからくるものじゃなく、安堵からくるものだ。この十日間弱、濃密すぎるスケジュールで突っ走ったから二ヶ月くらい経ったものと思っていた。後で十日しか経っていない事には心底驚いた。おかげで一日がもの凄く長く感じるようになった。
「なに独り言呟いてんのよ」
不意な一言で、俺は慌てて振り向いた。
黒の膝丈スカートに薄いピンクのニット。服に関しては俺は何かを言える立場じゃないが、彼女の黒髪と凄くマッチしている、なんというか女子高生らしい可愛い服装だ。
「それ、私服か」
「そ、そうよ。私だって私服で出歩きたい時だってあるわ。悪い?」
「別にまだ何も言ってないだろ? ていうかお出かけで学校の、それも屋上に来るのかよ?」
「それは、あれよ。学校も開いてたし人がいない学校っていうのも悪くないと思って」
「開いてたのか、扉。大丈夫なのかよ」
俺は彼女の行動パターンもだが、それよりもこの学園の経営体制を心配していた。誰かが侵入してきて盗みを図ったらどうするんだよ。校舎に何を盗みに行くのか知らないけど。
しかしこう見回すと、花菱も一介の女子高生なんだなと再認識する。いつもは攻撃的で同じ人間かどうかも疑ってしまうけれど、こうして大人しくして着飾れば普通に可愛い女子高生になれるんだ。
それを言うと恐ろしい事になりそうなので言わないけど。
「その服、結構似合ってるな。女子高生って感じがするよ」
「それはまるで私が普段は女子高生じゃないような言い方だけれど、どういうことかしら?」
やばい、本音が若干漏れた。
「いや、でも本当似合ってるぞ、その服! うん、凄く可愛い! 惚れ直すわ!」
「ほれ、なおす?」
あぁやばい。俺の思考回路が完全に狂ってしまっている。
そりゃ確かに最初会った時は綺麗だと思ったし、こ、好意的なものもあったかもしれないけれど。別に特別な想いがあった訳じゃ……いや、恩人だから特別は特別なんだけど。
だめだ、まずははぐらかさないと。
考えられる精一杯の言葉で打ち消しを図る。
「いやぁ、にしても本当気持ちいいなぁ、この風! 生きてるって感じがするよ!」
我ながら酷い方向転換だった。冷静に考えればもう少し言い様があったんじゃないかと思うが、俺にはこれが精一杯だった。
しかし花菱もそれ以上は追求してこなかった。何を言ってもはぐらかされると感付いたのか、それとも興味を失ったのか。どちらにせよ俺は助かった。
「生侍、隣いい?」
「別にいいけど?」
すると花菱は俺の横に座り、しかし俺のように足をだらしなくぶら下げず、そのまま体育座りをする。まあブーツを履いているから当たり前だ。
「ねぇ、生侍。一つ聞いていい?」
「なんだよ、改まって。らしくないぞ」
「いいの? 良くないの? どっち?」
「何でも聞けよ! いきなり怒るな怖い」
「怒ってないし」
「そうですね〜。それで?」
「結局さ、あんたの魔法ってなんだったの?」
「それは……」
「べ、別に話したくなかったら無理にとは言わないよ? 自分の魔法の事を喋るって事はその弱点をさらけ出す事だって分かってるから」
花菱が別人のように気を使ってくれている。なんだこれ、ホラーだな。
あの場ではああ言ったけど、別に隠すつもりもないんだよな。確かに教える事でその穴につけ込まれる確率が格段に上がるが、俺が教えたくないのは敵にだけであって友達には隠そうとは思っていない。それに花菱は俺の恩人でもある。恩を返す意味でも教えた方が良いと思う。
「別に隠す程のもんじゃないからいいよ。教えるよ」俺は笑顔を見せて続ける。「単純に言うと俺の魔法色は白だった。ただ雲とか紙とかの白いなにかに関係してるんじゃなくて白という字にかかってる」
「白という字?」
「そう。白という字が入った単語を自分なりにイメージして、そのイメージと単語が強く関係していれば発動する。だから例えば白鳥と唱えると白鳥のように飛べるようになるけれど、決してロケットや飛行機のように早く飛べるわけじゃない。あくまでベースは白鳥だから。少し位なら飛ばせるけどね」
「じゃあ私の名前を借りるっていうのも」
「そう。刃の方の白刃だね。たまたま花菱の名前と合っただけだ」
あの森で奇跡的に刀が出現したのは、起きる直前で彼女の名前を叫んでいたからだ。その時刀をイメージしていたかは疑問ではあるが、恐らく無意識に連想していたんだろう。それならあの現象にも頷ける。
「あ、でもだからって自分が勝手に作った造語じゃ発動しないよ? あくまで実在する言葉に限る。だから案外使い勝手が悪いかもしれないね。いろんな種類の魔法が使えるのは事実だけど」
「面白いタイプの魔法ね。言葉で繋がる魔法なんて聞いた事がないわ」
「発見したのは偶然、というか奇跡だったからな。導きだした答えじゃない」
あの猪に追いつめられて初めて分かった俺の魔法の仕組み。あれがなければ俺はまだあの森で彷徨ってたんじゃないか。そう考えるとあの猪も俺にとっての恩人だ。貴重な食料にもなってくれたし。本当の意味で死んでいたかもしれないんだ。今度許可を貰えたら立てた墓に花を添えに行くか。
「まあでもこんなとこかな、俺の魔法について語る事は。上達すればもっと上位の魔法も使えるようになるかもだけど、今使えるのは前に使った魔法ぐらいだろうし」
「でも良かったね、使えるようになって」
「そうだな、花菱にも感謝してるよ」
「……そういえば言い忘れてたわね」
急にこちらを向きじっと顔を見つめられる。俺は慌てふためき、少し仰け反ってしまう。それにどことなく恥じらっている様子。人が何を考えているかなんて分からないが、仕草が少しぎこちない。
彼女の言葉を待っていると、数十秒経ってから彼女はようやく発した。
「その……おかえり」
「え、あ……あぁ、た、ただいま」
なんだこれ。いろんな妄想をしてドキドキしていた自分もだが、その一言を言うだけでこんなに間を置くものなのか? いろいろ想像していたから返した返事もぎこちなくなってるし。
本当、花菱といるとなんか調子狂うな。でも何故だかそれほど悪くない気分だ。
「それで? 決着はいつ着ける? 別に今からでもいいけど?」
「そっちが目的かよ! 本当戦闘狂だな!」
だめだこいつ、見た目は女子高生、中身は血に飢えた戦士になってやがる。こいつも陽人のグループと一緒に保護された方が良かったんじゃないかと今更思う。
「それはいずれ着けようぜ。今はこの暖かい日差しと心地いい風を楽しもうよ」
「まあいいわ。私も私服を汚したくないし」
「じゃあ今からじゃダメじゃん」
「なに、やっぱり今したかった?」
「いえ、そういう事じゃないです」
危ない、まさかの誘い込み作戦だった。危うく最悪の相手と相見えるところだった。
冗談はここまでにし、俺は再び空に視線を移す。
「それにしても、本当いろいろあったなぁ」
「大変だったね」
「なんかお前と知り合ったのはもう随分前な気がするよ」
「出会いは最悪だったね」
「そうだな。あの時は本当殺されるかと思った」
「そんな事しないって。全部急所は外してたでしょ?」
言われてみれば確かにそうかもしれない。でも一歩間違ってれば槍で貫かれていた可能性も否定できない。今更どうこう言う気は無いけど。
「でも衝撃的過ぎて忘れたくても忘れられないな」
「私の事を知らなかったのは三年生であなた一人だったから、これでコンプリートしたってわけね」
「俺は収拾アイテムかよ。でもそうだな、お前と出会えて良かった。出会いと性格は最悪でも、出会えて良かった」
「一言余計よ。性格ならそっちだって人の事言えないでしょ」
「なんでだよ。俺ほど人畜無害な男はいないぞ?」
「よく言うよ腹黒男が」
「はら……いやいやいや、なんでだよ!」
「だって戦ってる時はいろいろ狡い方法を考えてるんでしょ?」
「戦術って言ってくれない!? それに戦闘中は仕方なくない!?」
言い掛かりも甚だしかった。それだけで腹黒なんて言われたら魔法使いに限らず武術を習ってる人全員が根性曲がってるみたいじゃないか。
……言い争いが俺たちの日常会話みたいになってきてるな。そんな友情関係は寂しいから俺が大人になるしかないな。
「それは置いといて。口調はもうそれで固定でいいんだね?」
「うん。あっちの方はたまに出てくるかもしれないけど基本はこんな感じ。お母さんは反対してるけどね、淑女として失格ですなんて言って。でもこれでいいの。堅苦しかったしね、私は嫌いだった」
「ははは、俺も今の方が好きだよ」
お嬢様口調で来られるとこっちもなんだか喋りづらくなる。何故かはよく分からないけれど。だから今の方が俺としても親しみやすいし好感が持てる。いや、別にお嬢様を否定してるわけじゃないけど、やっぱりお坊っちゃまでもない俺には少し敷居が高く感じる。お世辞にも俺の言葉遣いが丁寧だとは言えないからな。
「そっか、じゃあこっちの私で頑張るね」
「? お、おう」
気のせいだろうか、少し嬉しそうな表情になった気がする。俺は今の方が明るくて好きだけどな。最初の頃は少し暗いイメージだったからな。口調からは全然そうは思えないけれど。
「そうだ、せっかくだからまたあの刀見せてよ」
「なんでだよ。別にそんな変わったとこはないぞ? ただの刀なんだし」
「それくらいいいじゃない、減るものじゃないし」
「使う毎に俺の魔力が減るんですけど」
「ケチケチしないで、さあ!」
「分かったよ、なんでそんな拘るんだよ」
「別にいいでしょ?」
「仕方ないなぁ」
本当見せびらかす程じゃないんだけどなぁ、俺の刀。色、形は結構変えられるから俺が拘って作ったってわけでもない。それに本物の刀より強度は低いし見栄えも悪い。結局俺のイメージで作ってるから俺が相当な知識がない限り小さなとこまで拘るというのは難しい。
でもこれだけせがまれたら見せない訳にもいかない。断ると何が飛んでくるか分からない。
「白刃」
既に俺の中でテンプレ化しつつある刃のない白刃。黒い柄がお気に入りだったりする刀を取り出し花菱に見せる。
「これでいいか?」
「うん、もういいわ」
俺が魔力を費やして刀を出した意味はあったのだろうか。ねだってきた割に反応が薄いし。
まあ満足したのならそれでいいだろう。
わざわざ出しておく必要もないのですぐさま白刃を引っ込めた。
「でもあれだなぁ、休校になったから暇になったなぁ。こんな状態だから仕方ないけど俺的には授業を早く受けたいよ」
「する事ないの?」
「なぁんにも。強いて言うなら自主的に魔法の修行もできるけどそういうのは先生に聞いた方が確実だろうし。バイトもないから正直やる事ないな」
「そっか、悲しい人生だね」
「する事がないからって俺の人生を評価するのはやめてくれませんか!? どうせお嬢様は習い事でスケジュールが目一杯埋まってるんでしょうよ」
「そうでもないよ。私だって暇なときくらいあるんだから。今日みたいに」
「ふーん、そうなのか」
イメージと違って驚いた。お嬢様もっとこう何時から何時までピアノのお稽古があってそれからすぐに華道と茶道を習って、夕食後にお勉強をするものだとばかり思っていた。多分漫画に影響を受けすぎたんだろう。お嬢様キャラは大体そうだったから。
「だからさ、もし暇なんだったらさ……」
「うん」
「その……明日家に遊びに来ない?」
「そうだなぁ、って、はぁっ? 花菱家に?」
いきなりの提案に俺は目を見開いた。そんな事を言われるのは予想外過ぎて危うく屋上からずり落ちるところだった。
これをあの日振られた男子生徒が聞けば心底喜ぶだろうが、俺はどう反応すればいいか分からない。明日も一日中暇だから時間的余裕はあるけど。
「別に深い意味はないよ? ただうちの父さんに魔法とか見てもらえるかもって思っただけで」
「あ、そうか。そうだよな。びっくりしたぁ」
確かにこれは俺にとって良い話だ。魔法使いとしてまた上に昇れるチャンスになるだろう。だったら断る理由はどこにもない。
「でもそっちの都合はいいのか? 学園長も忙しいだろ、復旧の事もあるし」
「少し位なら見てもらえるわよ、私が頼めば」
「なんか悪いなあ」
「じゃあ来るの止める?」
「いや、お邪魔させて頂きます」
「そ、そっか! 良かった。じゃあ話つけてくるね!」
「い、いきなりかよ!」
「善は急げって言うでしょ!」
そう言い捨て、花菱は扉を開け放ちもの凄いスピードで出ていった。まるで子供のようなはしゃぎ様だな。何をそんなに興奮する事があるのか。
ま、まさか学園長で俺を釣って、人知れぬところで俺を襲うつもりじゃ。そこで決着を着けようという腹なのか。
……考えるのはよそう。
立ち上がり、校庭を見下ろす。今はブルーシートが目を引くが、眼下の校庭が俺が初めて魔法を使用して違う魔法使いと相対した場所。初めての戦闘としては上手く立ち回れた方だと思う。
グループのリーダー格、陽人とも対戦し、一度は死の淵にまで立たされたが花菱と協力する事によってなんとか勝利を収めることができた。しかし勝利したとはいえ、二人共酷いダメージを受けたのは事実。あのような事は本来あってはならない。あの状態、二人共殺されても不思議はなかった。勝てたのは偶然だった。
「強く、ならないとな」
俺は花菱を危険に晒した。花菱の母親にあんな事言っておいて、自分の言葉に責任を取らないところだった。こんなんじゃだめだ。俺はまだまだ弱い。でもその分まだまだ強くなれるという意味でもある。
両拳を強く握る。
念願だった魔法を手に入れた。しかしこれはスタートラインに立ったに過ぎない。加えて言うとまだ通過点にも到達していない。悲しいけど、まだまだひよっこだ。
まだまだ進むべき道は遠い。
平坦な道とは限らない。道なき道を通らなければならないかもしれない。もしかすると前に道がない時があるかもしれない。
でも俺は魔法という翼を手に入れた。可能性という未知の力を身に宿した。
俺は夢を追い続ける。警察官になり、この町に、そしていずれは世界の秩序を守ってみせる。
ちょっと大きく出過ぎた。でも大体はあってる。巡査になればこの町に配属される事になるかもしれないし。それに魔法が使えたらそれだけで出世が早くなるって調べたし。あながち嘘にはならないかも。いやでもここは謙虚にいこう。人間欲を出しすぎたらダメになる。警察官になれるだけで結構な事なんだから満足する事も必要だ。もちろん上を目指す向上心も忘れてはいけないものだけど。
とにかく。
ここから始まるんだ。俺の本当の戦いは。そしてその戦いの為に準備もしなければならない。
だから俺は強くなる。大切な人を誰も傷つけさせないくらいの力を手に入れる。強くなっても自分の力に驕らず、強く自分を持ち続ける。
そして締めの言葉として、俺はこう言い残した。
「ありがとうな、『調波』」




