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diner

作者: 木下秋

「ねぇ、聞いてもいいかな」


 山名やまな利奈りなは反射的にそちらを見た。低い、落ち着いた男の声だ。


「質問があるんだけど」


 口に残っていた、オレンジ色のカクテルを一口分呑み込んで、コップをテーブルに置く。濡れた指をおしぼりで拭きながら、利奈は言った。「なんですか?」


「さっき山名さんは僕に言ったね。『彼女はいるんですか?』って」


「はい」


「その問いかけ(・・・・)についてなんだけどね」


 男の顔は真剣だった。男の名は松平まつだいらただしといった。


「僕は……僕がその質問を受けたのは今日二度目だった。今日ここに座ってすぐ……坂下さんから聞かれたんだ。山名さんは少し遅れて来たからーー」


「あぁ」利奈は隣のテーブルにいる坂下美貴を見た。何かの話題で盛り上がっており、美貴は両手で口を隠し顔を真っ赤にして笑っていた。


「ごめんなさい。知らなくて」


「違う。違うんだ」


 松平は焦ったように両手を振るジェスチャーをする。


「誤解してほしくないんだけど、僕はその質問をされて……怒りを覚えたわけではないんだ。ムカついたわけじゃない。ただ、なぜ質問をしたいのかというと……純粋な疑問なんだ。前々から思っていた疑問」


 利奈は頷いて了解を示した。


「その『彼女はいるんですか』って問いかけ。……僕は前のどっかの違う集まりの飲み会でもその質問をされたんだけどね。でも、僕は自分の容姿がね、特別美しいとは思っていない。自信過剰ではないつもりなんだ。……自意識過剰かもしれないけれど。……でね。その質問なんだけど。どうして女性はその問いかけ(・・・・)を……異性に簡単に投げかけることができるんだろう?」


 利奈は言葉に詰まった。「あー……」無意識にコップに手を伸ばし、水滴を指で拭う。頭の中では松平の言葉を反芻していた。


「確かに、女の子は挨拶代わり(・・・・・)に言うかも」


 「だよね」松平は少し緩んだ。「僕ね、それがずっと疑問だったんだ」


 少し話していい? と言うので、利奈は頷いた。


「だってね、男からしたらその問いかけは『最終通告』みたいなものなんだ。……僕は去年すごく好きな人ができたんだけどね。まず気になるのはーーその人に付き合っている人がいるのかどうか。そうだよね、だってもしその人にその時点で付き合っている人がいたのなら、もうそこで諦めた方がいい。その質問の答え次第で今後その人にアプローチをかけてもいいのか、それともよくないのかが決まる。だから僕は『お付き合いしている人はいますか?』って聞く必要があったんだ。……でも、その問いかけをするのってすごく勇気がいる事なんだ、ってそこで気付いたんだよ。だってね、僕がその質問をするって言うことは、(イコール)『あなたに気があります』っていうことだろう⁉︎」


 利奈はプッと吹き出した。「ごめん。そうだね」


「でしょ? それはもう『あなたのことが好きなんですけど』って言っているようなもの。……その質問をしてしまったなら、もう後戻りはできない。スタート! って感じ。こう、ストップウォッチのボタンを押す感じだ。『付き合ってる人はいますか?』『はい』。それはそれでショックだ。その恋終了、カチッ! 『付き合ってる人はいますか?』『いいえ』……『そうですか』。それはそれで気まずいよね?」


 「うん」利奈は一口酒を飲んだ。「唐突にそれは確かに気まずいかも。前後の会話次第なんじゃない?」


「とにかく僕は、去年、結局聞くことはできなかったんだ」


「それで、どうしたの?」


「わからなかったけど、でもアプローチをかけたよ。フラれたけどね」


 松平は自嘲気味に笑って、目の前のジョッキを持ちグイと傾けた。ぬるくなったビールをゴクゴクと呑み、空にすると静かにテーブルに戻した。


「だから僕は不思議に思うんだ。どうして女性はその問いかけを簡単に出来るんだろう? ってね。だってね、その質問を軽い調子でポンポンするじゃないか。するとね、ーー僕は流石にそこまでは思わないけど、勘違いする奴はいるじゃないか。『アレ、このコ俺に気があるのかな?』って。そしたら面倒じゃない? 好きでもない人に好かれるのはそれは……喜ばしくないことだ。双方にとって不幸」


「ただ単純に恋愛トークが好きだからじゃない?」


「うん、そう思うよ。だって書店の少女コミックコーナーに行くと背表紙がパーっとすっごいピンクで、恋愛漫画ばっかりなのがよくわかる。女の人は恋愛話が好きだよね」


 隣のテーブルの一際声が大きい友人が飲み物の注文をとって回る。利奈は「同じのを」と言ってコップをかざすと、松平は彼女に「それ美味しいの?」と聞いた。頷く彼女を見て彼は「僕も同じのを」と言った。


「ためしに聞いてみていい?」


 「えっ?」利奈は松平を見た。彼はアルコールに弱いのか、耳まで赤くなっている。


「その問いかけ(・・・・)


 彼女は理解すると、居住まいを正して頷いてみせた。彼は隣に座る彼女と目を合わせた。


「『お付き合いしている人はいますか?』」


ーープッ


 二人は堪えきれずに笑った。松平のかしこまった調子が可笑おかしかったのだ。


「いません」


 笑いの最後に、利奈は付け足すように言った。


「何イチャイチャしてんだよォ」


 飲み物を差し出しながら、友人が茶化ちゃかす。「うるさい。そんなんじゃないよ」松平は手をはらった。


「じゃあ、そんな直接的な聞き方じゃなかったらいいんじゃない?」


 騒がしくなってきた店内で声が聞き取りずらく、松平は利奈に耳を近づけた。


「『お付き合いしている人はいますか?』なんて聞き方じゃなくて……例えば、じゃあ『ドコドコに行きたいんだよねぇ』なんて話を吹っかけるの。『動物園〜』でもいいし、『美術館〜』とか。そこで『あなたはどこか行きたいところはありますか?』って聞くの。そしたら『ドコドコ〜』って言うでしょ。そしたら『なるほどねぇ〜』って返して。そして『彼氏に連れて行ってもらったらいいんじゃない?』って言うの」


 利奈は得意げだった。「付き合ってる人がいたら『そうします』って言うし、いなければ『いないんです』って言うでしょう。完璧カンペキ!」


 「ん〜……」松平は渋った。


「何?」


 「確かにイイけど……なんだかね」松平は言葉を選んでいた。「なんだか……『男らしくない』って言葉はもう時代にあってなくてナンセンスな感じがするんだけど。……やり方がキタナイっていうか」


 「じゃあ直接ちゃんと聞いたらいいんじゃない?」利奈は少しふてくされたように言った。「ちゃんと直接聞けないんじゃあ、それこそ男らしくないわ」


「そうだね」


 松平はテーブルの上のコップを取り、オレンジ色のカクテルを飲んだ。一口呑んで味わうと、再び口をつけてゴクリ、ゴクリと一気に飲み干した。


「じゃあ、今度、食事に行きませんか」


 彼はつぶやくように言った。騒がしい店内で、周りの人には聞こえない、すぐ隣にいる人にギリギリ聞こえるか聞こえないかくらいの音量で言った。言った本人が、不安に感じるほどの大きさで。


 彼女のことを見ることはできず、テーブルの足を見ていた。


「はい。行きます」


 声がして、松平は顔を上げた。そこには利奈の笑った顔があって、彼は微笑み返すと、静かにコップをテーブルに戻した。

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