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過去と未来と今

 机に置かれたランタンで仄明るく照らされた部屋にさらにもうひとつランタンの灯が桃谷の背後から加わる。机の上には人目を忍んで書き溜められた小説の原稿。その主が帰って来たのだ。だがその状況が読めても、桃谷はその場から動くことはできなかった。彼女が目を落としていた原稿の中にはそれ以上の事実があったからだ。


刻を越えて君に逢いに行く  芦屋川秀則


「も、……桃谷……」


声がしたほうを振り返ると、原稿の主である秀則がほんのりと顔を赤く染めている。人目を盗んで書き溜めた小説の原稿を見られるなど考えただけでも恥ずかしくてたまらない。申し訳ないことをしてしまった。一瞬そんな気持ちも沸き起こってきたが、そこはおしとやかという言葉とは縁遠い桃谷。にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべた後にいそいそと秀則の書いた原稿に目を通し始めた。


「ちょ……、ちょっと…勝手に見るなよ」

「大丈夫、悪いところがあったら直すから」

「そういう意味じゃねえよ!」


皆が寝静まる、いや寝ることによって騒がしくなっているところもあるのだが、深夜ということもあって遠慮がちに慌てふためく秀則を左手の掌で抑え込み、右手で鼻歌交じりにページをめくっていく。この光景は桃谷が普段いる文芸部の部室でもよく見られる光景だ。偶然なのか、そのときの被害者の名前も秀則である。


 少女は見飽きてしまった帰り道に味をしめて、

 本を開いて字をなぞりながら歩く。

 人通りが少ないのをいいことに、どうせ今日も何も起こらないもの。

 うつつを抜かして、歩いて行けば、自らが道を違っていることにすら

 気づかないまま。知らないバスに乗り、少女は気づかぬまま、

 なおも本の中に潜り込んでいく。紙面を影が覆う。

 少女はそこで、バスが普段通るはずのない

 トンネルを通っていることに気づく。


 そしてトンネルの向こう側へ出たそのとき。


 少女は刻を越えた。


まだ記憶に新しく、頭の中に残っている昨日読んだ一節が原稿用紙の上にある。それ以降はこの文章にのっとり、自分が本当に過去にタイムスリップしてしまうという予想だにしえなかった事態のせいで、読み進めてはいなかった。


「もういいだろ?俺が文章下手なのは自分でわかってるから」

「自分でわかってるんじゃなくて他人がどう思うかでしょ?

 どーせ誰かに読まれるために書いてんだから」

「ぐ……」


「それにあたしは、結構好きよ」

「まだ……ちょっとしか読んでないくせに」


口ではそう言っているが、どもり具合から少しどぎまぎしているのが読み取れる。タイムスリップと恋愛の異色の組み合わせ。その内容をたった一言で表すタイトル。それだけで桃谷には充分だった。何か電気のようなものが額から後頭部に向かって一直線に駆け抜ける感覚。まさに一目惚れ、運命の出会いというやつだ。そして、今ここでまさにその著者と対面していると考えるとそれもまた運命というやつなのだろう。


「ねぇ、面白いもの見せてあげよっか?」

「なんだよ」


返事の是非は聞いていない。にもかかわらず桃谷はいそいそとたまたま同じ部屋に置いてあった自分の荷物である学生カバンの中から一冊の本を取り出す。それはまさしく彼女が、この時代とは違う時代から来たことの証。秀則が書き進めている原稿の未来の姿だ。


「こ、これって……なんでこんなもの持ってんだよ」

「本屋さんで見つけた」


秀則は彼女が未来から来た人物であるということを受け止めてはいたが、ここまでれっきとした証拠を手渡されては動揺するというものだ。おそるおそる中身を開いてみようとする秀則の手をはたいて、本を奪い返す。


「ちょ、ちょっと」

「ダメよ。この通りになんて書かれたらつまんないでしょ?」


「でもどうせ、俺はその通りに書くんだろ?」

「……そういう諦めたような考え方は嫌いよ。

 未来っていうのはわからないものなの。たとえあなたが過去の存在でも

 ここが今で、それより先が未来というのは変わらない事実よ」

「……そうだな」


しばしの沈黙の後、秀則はふと桃谷にある質問を投げかける。普通に考えればそれに対する答えなどわかりきっているのだが。


「…なあ、もとの時代に帰りたくはないのか……?」


「…なによ、帰ってほしいの?自分の小説これ以上読まれたくないから?」

「違うわ!」


その答えを彼女がひた隠しにしていることも、本当は気づいていた。なのにどうして聞いてしまったりなんかしたのだろう。


「……あたしだって、帰りたいとは思っているわよ。

 でも、どうやったら帰れるかわからない」


自分の家に帰りたくない理由なんてないはずだ。帰りたくて仕方がないくらいなのに帰る方法がわからない。しかし、自分を受け入れてくれた人たちの前でそれを見せてしまうのは心苦しい。だから平静を装っている。そんなことはわかりきっている。


「ご、ごめん…思い出させてしまって」

「いいのよ、誰も悪くない」


力になりたい。そう思って声をかけたのに結局何も解決できない。秀則は自分の無力さにうんざりしてしまう。


「さてと、じゃあ続きを……」

「ちょっと、待って」


「なによ……」

「ここに来た時のこと、思い出せないのか…」


「そんなこと聞いて、なんになるのよ。

 あたしが帰れる方法なんて……」


「諦めた考えは嫌いだって、そう言ったのは君だろ?」


桃谷がこの時代に来たときの状況に何かヒントが隠されているはず。でも、そんなもの言ってしまえば苦し紛れも甚だしい。だめ元と言ってもいいくらいだ。それでも、彼女を助けるということを諦めたくはなかった。


「……この通りに来たわよ」


すると桃谷が、顔面に秀則の原稿用紙を突き付けて来た。思わず後ろにのけ反ると、ぼんやりと原稿用紙の紙面にピントが合い始める。


「この通りって、これは俺が書いたしょうせ……」

「だから、この通りだって言ってるのよ」


自分が書いた小説の通りに桃谷はこの時代にやって来たという。タイムスリップ自体奇想天外なことだが、自分が物語の中に書いたその方法というのはまさに奇想天外。まず現実には起こらないことであった。


「この通りって……、逢魔が時のバスに乗ったのか?」

「時を超えるバスのこと?」


「乗客は誰ひとりとしていなかった、ただ自分を除いて。

 行き先を尋ねても、ただ運転手はほくそ笑むばかり。

 何も答えてはくれない」


「そうそう、まさにそんな感じ」


なんたることだ。自分が書いていた物語が本当に実際起こってしまうだなんて。ということは桃谷は、時を超える逢魔が時のバスのたったひとりの乗客。そして、自分が書いていた物語の主人公そのものというわけだ。秀則は、あまりに現実離れした現実に口をポカンと開けてしまう。


「なによ、聞いただけ?」

「いや、ごめん……。まさか自分が書いたことが現実になっているだなんて」


「だからそう言ってるでしょ?」

「待って……じゃあ、わかるかもしれない」


ここで秀則はあることを思いつく。本当にこれからも自分が書いた物語通りに事が進むならだ。もう一度逢魔が時のバスを捕まえられるかもしれない。そうすれば桃谷をもとの時代に返すことができる。逢魔が時のバスは名前の通り、夕暮れの始まりの時間にやってくる。そう、ふたりが初めて出逢ったあの見晴らしのいい丘の上にだ。


「ちょっとシャクね」

「なにがだ?」


「結局はその本に書いたとおりに事が運ぶというわけでしょ」

「そうかな?」


秀則が桃谷からうつったような悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。なにか悪巧みでもしようとでもいうのか。桃谷はこういう悪戯好きの悪ガキのような顔を浮かべるのは慣れていても、浮かべられるのには慣れていない。少したじろぐとともに、なんだかその子供っぽい笑顔に妙な感覚を覚えてしまう。


「な、なによ」

「ちょっと抜け出してみないか?」


そしてもう一度秀則は、桃谷からもらい受けた悪戯っぽい笑みを浮かべる。桃谷の鼓動ははっと息をひそめたのちに、少しずつ疼きだす。そのまま火照った指先が秀則の指先に誘われ、断り切れずに握り返す。大いびきをかいて仰向けに寝転がる男どもの枕並木のそばをそろりそろりと忍び足。なるべく音が鳴らないようにドアを開けようとするも、素人仕事の立てつけが悪い、そして老朽化で蝶番が錆びついてしまっている。この2点が重なってぎぃいとやけに大きく音を出してしまう桃谷。


「馬鹿、何やってんだよ」

「あなたのとこの立てつけが悪いんでしょ」


ひそひそ声でケンカをしていると、背後で眠りについていた男が呻きだす。まずいと心の中で一言呟いた後、ふたりは静かに、かつ素早く鉄工所を抜け脱した。ひんやりとした夜風は、桃谷の知っているそれよりもずっと冷たく、思わず肩をこわばらせて両肘を押さえて身をかがめる。


「あなたは寒くないの?」

「俺は別に慣れているからな。冬でも半袖だぜ」


「風邪ひくわよ、そんなんじゃ。

 それに、あなたからもらった服丈が短くて、おへそが出ちゃうのよ。

 これじゃあ、明日の朝にはお腹が痛くなってしまうわ」


そういうものだからついつい桃谷の露出した腹部をまじまじと見つめてしまう。


「なーに見てんのよ。やらしいわね」

「ご、ごめん」


桃谷は恥じらいがちに腹部を隠しはするが、かなり余裕のある対応。こういうところに彼女が「エロ子」と呼ばれる所以があるのだろう。


「にしても真夜中に女の子の手を引いて抜け出すなんて

 あなたも結構なロマンチストね」

「ロマンチスト?」

「ロマンチックな人……、あーこれは説明になってないか……って

 たまには分らなくても流しなさいよ、せっかく雰囲気出てたんだから」

「ご、ごめん……なんの雰囲気かわからないけど」

「うるさいわね!一言多いのよ」


桃谷がへそを曲げてしまった原因は秀則にはわからない。女心はなんとやらというやつだ。首をかしげていると、すっかり斜めになってしまった機嫌で低くなった桃谷のアルトボイスが投げかけられる。


「で、次は……?」

「次って?」


「わざわざ抜け出して来たんでしょ?

 どこか連れていきたい場所でもあったんじゃないの?」


腕を組んで口をへの字に曲げてわざとそっぽを向く。不機嫌を表に出してはいるものの、連れて行ってほしいのが丸見え。何ともまどろっこしい物言いをするものだ。女心には鈍感な秀則も、その心根くらいはうっすらと読み取れたようで、面倒くさいとは思いながらも、どこかで自分のことを期待してくれる桃谷のことを嬉しく感じていた。桃谷の手を引いて秀則が向かったのは小川のせせらぎが心地よく響く小さな石橋の上。腰かけて川に向かって足を投げ出せば足元にひんやりとした水しぶきがちらちらとかかる。これが夏の熱帯夜とかなら涼しくて気持ちがいいのだが、肌寒いところにくれば、さらに寒さが増すだけだ。秀則は気持ちよさげに川に向かって足を投げ出すが、最初からかじかんでいた桃谷は遠慮をする。


「何してんだよ桃谷、こうすると気持ちいいぞ」

「あたし寒いって言ってんの」


心なしか、さっきよりも不機嫌になったように感じる。この場所がお気に召さなかったのだろう。


「でも、ここから眺める星空はいいかもね」


地面にしゃがみこんだまま、空を見上げる桃谷。言われてみると、この石橋の位置から空を見上げると、空を覆うものが一切何もないということに気づく。


「あ、本当だ……」

「これを見せたかったわけじゃないのね……

 あたしがフォローしているみたいになってんじゃん」

「え?」

「なんでもない」


「あたしの時代では、こんな視界がまるっと星空だなんて珍しいのよ。

 星の数だって、こっちのほうがずぅっと多いしね」

「星の数が減ったりするのか?」


「そうよ、晴れているのにちっとも見えなくてね。

 代わりに、空に浮かんでいる雲が昼間みたいにはっきり見えるのよ」

「へ~え、変なの」


「そういやさ、なんであたしを連れてきたりしたの」


悩ましげに首をかしげながら流し目でこちらを見やり、にやりとほくそ笑む。


「え?い、いや……」


何を期待しているのか、ずっと口角を吊り上げている桃谷。それがわからないだけあって、秀則には彼女の様子が不気味にさえ感じられる。


「俺が書いていた内容ではさ。時を越えてきた少女は時代に馴染めず

 孤立してしまったんだ。だから、この時代には何の思い出もなくて……

 だからさ、桃谷には違った体験をしてもらいたくて」

「あ、あはは!何それ!」


「笑うなよ……」


小説の内容を笑われたのか。自分の動機のことを笑われたのか。いや、おそらくはその両方か。


「なんか、いるんだよね。そういう暗い展開好き好んで書く人」

「い、いいだろ。別に……」


「でも、ちょっと嬉しいかも」

「何が……?」


「そう思ってくれたこと……」


どうやら思い違いだったようだ。そして、さりげなく桃谷の手が秀則の手の上に重ねられる。秀則の頬はひっそりと息をひそめて火照った。

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