4、中変 『落ちる、堕ちた』
刑事は少女に案内され、腹話術師『ゲッシーク』こと、藤谷影満が住んでいるアパートへと辿り着いた。
話を聞いたところ、少女は小学二年生で、学校帰りや休日などに公園で藤谷影満を見かけると、よく友達と一緒に、藤谷にせがんでは、腹話術を観せてもらっていたようだ。
そして何故、少女が藤谷のアパートを知っていたかというと、面白半分に友達と後を付けたからだと言っていた。
ちなみに、少女に藤谷が使っていた腹話術人形について尋ねたのだが、少女は
「わかんない。でも、ずっと前は猫さんの人形だったよ。」
との事だった。
―――――――
「ふう」
刑事が帰った後、俺は思わず、劇場の客席に腰掛けてため息を吐いた。
何も悪い事をしていなくても、警察官と長い時間一緒だと疲れる。
もしかしたら、疑われたかもしれないな。ちょっと挙動不審になってしまったし、ゲッシークさんが居たのは覚えているのに、名前は覚えておらず、どんな人形を使っていたかもわからない上に、彼の情報が消えていたんだからな。
でも、思い出せて良かった。
まだ、ゲッシークさんがどんな人形を使っていたかは思い出せていないが、とりあえずゲッシークさんの名前だけでも分かって気分がスッキリした。
なんというか、忘れていた、というよりも頭の中で透明になっていた。と言うのが近い感覚だと思うが、どうしてそうなったのかは分からない。もしかしたら、病気なのかもな。一度ちゃんと病院で診てもらった方がいいのかもしれない。
しかし、何故、香盤表や芸人リストからゲッシークさんの名前や情報が無くなっていたのだろう。意味が分からない。誰かが何かしたのだろうか。何にせよ、不思議で不気味だ。
そういえば、最近、ゲッシークさんから連絡が何もない。何か事件に巻き込まれていなければいいのだが。
―――――――
『ヒひヒ、あァ、気が付イいタんダ。オ思い出シたんダだだダ。チョョうド良イ。アなた達ニ囀ゥッてアゲる。あナタ達モ啄んデアああゲげげげげげェる。アノ人が受けタ負をバラまイテいてイテイテあゲルる。
フフふふフ、あハは!はハハ!は!!ハハはハ!!ハハハ!!!』
――――――――
少女を家に送り届け、再び刑事は藤谷の住むアパートを訪ねていた。
少女は藤谷の部屋までは分からなかったので、刑事は郵便ポストで確認することにした。
所々ペンキは剥げ、錆びが浮いている赤い集合ポストの中、左端上側にあるポストに目当ての名前を見つけた。
『201号室 藤谷』
「あった。」
刑事は201号室へ向かった。
―――――――
刑事が『紫鳥事件』の三十五番目の被害者となってから、二日後。
『深喜小芸亭』の若い劇場関係者の彼は一人で暮らすアパートにいた。今日は劇場が休みなので、必然的に彼も休みなのだ。
劇場関係者と一口に言っても、やることは受け付けや掃除、音響、照明、さらには様々な雑用と多岐にわたる。
貰う給料に対して、仕事の量も内容も多すぎて割に合っていない。その上、現オーナーが偏屈な人なので、あまり反りが合わない。しかし、彼は辞めようとは思わなかった。
なぜなら、彼は昔から演芸というものが好きだったからだ。
幼い頃からずっと、祖父母や両親に連れられてこの深喜町の様々な劇場へよく観に来ていた。
漫才、コント、漫談、曲芸、水芸、落語、講談、紙切り、音曲、マジック、パントマイム、物真似、腹話術、操り人形、一人芝居、大衆演劇等々、様々な芸が劇場はもちろん、そこらかしこで繰り広げられていたものだ。
今は新宿や渋谷、池袋などの若者が集まる街場に大きな劇場が出来、それ程でもなくなってしまったが、それでも、まだまだ芸事の火は消えてはいない。そんな、現在の深喜町も彼は好きだった。
「さて、今日は何を観ようかな。」
一人暮らしの悲しい性と言うべき独り言を彼は呟き、近所のレンタルビデオ店から借りてきた数枚のDVDの中から、今から鑑賞するものを吟味する。
「どれにしよう?」
お笑い『ボカン菅田の一人コント三昧』
ドラマ『伝説の花屋、山口高志』
Vシネ『ギャンブラー、サンシークのヤサグレ列伝』
○○『○○○色した○○○人形は○○をこねくり回す!』
etc.
「よし!まずはこれを観るか!」
彼が選んだDVD、それは…
『世界[蕎麦をすする音]選手権大会決勝戦!in山梨』
という何とも微妙で訳の分からないものだった。
―――――――
『ピンポーン』
刑事は藤谷影満が住む201号室のチャイムを鳴らした。しかし、返答はない。
何度かならしてみたり、ノックをしてみたが、やはり何も返ってこない。
留守か?刑事はそう思ったが、一応ドアノブへ手を伸ばし回してみる。
『ガチャリ』
拍子抜けするほど呆気なくドアが開いた。どうやら、鍵はかかっていなかったようだ。
玄関のドアを開けると、夏の締め切った部屋特有のモワッとした熱気が刑事を襲う。そして、職業柄よく嗅ぐ機会に遭遇する異臭が、僅かながら漂っていた。
まさか!
刑事は中に向けて声を掛けた。
「すいませーん!」
返事がない。
「すいませーん!藤谷さん!いらっしゃいますか!?」
刑事は嫌な予感がした。多分、この予感は当たるだろう。
「藤谷さーん!お邪魔しますよ!」
中は狭く、短い廊下の右側に一口のコンロと流し台があり、その横に小さな冷蔵庫、左側はドアが付いており、多分、部屋の広さから見てユニットバスだと思われる。廊下の突き当たりもドアになっていた。
刑事は部屋に上がり込み、短い廊下を進む。そして、廊下の突き当たりのドアにたどり着くと、ドアノブに手を掛け、ドアを開く。
ドアが開いた途端に、その隙間から一気に廊下へと異臭が流れ出した。
「うっ!」
刑事は襲い来る異臭に顔をしかめながら、左腕のYシャツの裾で口と鼻を覆う。
部屋の中は綺麗に片付いていた。六畳の和室で、家具は少なく、目に付くのは小さなテーブルやその上に置かれた電源の切れたスマホ、そしてタンス、テレビ位なものだ。
刑事は部屋の中へと足を踏み入れた。
と次の瞬間!
『ココこんニチは。』
部屋のどこからか、甲高い声を聞いたような気がした。慌てて部屋の中を見回すが、誰も居ないし、さっきと何も変わらない。
気のせいか?
刑事は改めて部屋の中を細かく見回す。だが、おかしな点は無い。
無い?
刑事はおかしな点が無いことがおかしいことに気付く。
そう、ならば、この異臭は何なんだ?
この異臭はよく事件現場で嗅ぐ遺体が腐敗した臭いにそっくりだ。
しかし、遺体でなくとも、生物や生ゴミを夏場、締め切った部屋に長い間放置すれば、同じような臭いになることもある。だが、この部屋の中にはその原因となるようなものは無い。では、どうして?
例えば、誰かが、この異臭の原因と思われるものを既にどこかに運んだ?だとすれば、何故?
刑事がそう考えた時だった。
『ドサッ!』
背後で何かが落ちる音がした。
っ!!!
刑事が思わず振り向くと、そこには、男の遺体があった。
その男の遺体の右腕には、紫色の鳥人形がはめられており、その鳥人形のくちばしが男の左胸を貫いていた…
その後、直ぐに刑事は署に連絡し、応援を呼んだ。
調査の結果、やはり遺体は『ゲッシーク』こと『藤谷影満』だった。
藤谷の遺体は状況から診て、天井付近から落ちてきたと判断されたが、なぜか、どこにも遺体を固定していた跡が無く、宙に浮いていたとしか思えないようだと現場を調べた鑑識が言っていた。
そして、夏の暑さと時間が経っていたせいだろう、遺体は損傷が激しかった。
それにしても…
この藤谷の遺体は、様々な遺体を見慣れているはずの刑事でさえ、恐怖を覚える程の憤怒と苦悶の表情を浮かべている。
一体、何があったのだろう?
ちなみに、この藤谷の遺体は、他の『紫鳥事件』の被害者とは一つだけ異なる点があった。それは右腕の鳥人形の付けられ方だ。
他の被害者はまるで自分で右腕に腹話術の鳥人形を装着したかのように自然だったが、藤谷の場合は明らかに、鳥人形のくちばしで左胸を貫いた後に、誰かが、その状態の腹話術の鳥人形の腕を入れる場所へ、藤谷の右腕を無理矢理突っ込んだとしか、考えられない状態だったのだ。
余談だが、数年後に『藤谷影満』を殺した犯人が判明する。犯人は『深喜小芸亭』の当時のオーナーだった。
オーナーは藤谷のアパートを訪れ、藤谷が大切に使っていた鳥の腹話術人形の堅いくちばしで、藤谷の左胸を刺したと考えられる。
オーナーは藤谷殺害後、長い間行方不明となるが、彼もまた、東京の郊外の雑木林の中で『紫鳥事件』の被害者となっていた。
何故、オーナーが藤谷を殺害したのかは、今となっては分からない。
しかし、藤谷が高校生の頃に暮らしていた施設に火を放った犯人とオーナーが仲の良い知り合いという事実と、その犯人とオーナーは実は男色家であり、犯人は当時の藤谷に迫り、断られて放火という犯行に及び、オーナーは、そんな事とはつゆ知らずに『深喜小芸亭』へ来た藤谷に迫り、断られた腹いせに犯行に及んだのではないかという説が、現在最も有力視されている。