3、禍福螺旋の幕間 『壊葬(回想)』
ぼくの名前は『ゲコ』。腹話術の人形です。
名前の由来は、くちばしが黄色くて三日月の様な形をしているのと、舞台の上であの人とぼくが太陽と月のような関係みたいになって、あの人が太陽でその光を受けてぼくに月のように輝いてほしい、との願いを込め、『月光』から『ゲコ』と名付けられました。
「は~い、どうも、よろしくお願いします!」
これがぼくがはっきりと意識を持った後に発した第一声でした。第一声とは言っても、ぼくの声でありながら、ぼくの声でなく、ぼくの声でありながら、あの人の声でもありました。
その場所は東京にある深喜町の小さな劇場内。スポットライトによって煌々と照らされた舞台上にぼくと、そして、横にはあの人がいました。
そう、ぼくは意識という『モノ』を手に入れたのです。それまでもうっすらぼんやりと意識みたいなものはあったのですが、今思えばまどろみの中にいたような感覚だったと思います。
後から知るのですが、ぼくは付喪神というモノになったみたいです。
付喪神というのは、長い時間を経て古くなってしまったり、長く使われてきたモノ、大切に使われているモノに、意識や霊魂が宿り、神や妖怪のようになったものの呼び名で、存在の在り方によって、害や禍をもたらすことも、幸福をもたらすこともあるそうです。
「モノは百年経ると変化する」と言われていたことから、嘗ては古い道具等を九十九年経つと処分する事があり、古い道具等が「あと一年で生を得られたのに」と怨念を抱き、妖怪に変貌するものとも言われています。
ぼくは大切に使われてきたから、付喪神になったのだと思います。でも、僕の場合、付喪神と言っても別に何か特別な想いが有ったわけではありません。なので、付喪神になったばかりの頃は別に何か目的が有るわけでもなく、ただ、大好きなあの人と共に舞台に立ち続けている日々でした。
そうして付喪神になる前と対して変わらない毎日を過ごしていたのですが、ある時、ある事に気付いたのです。
それはあの人との『共有』。
腹話術師と腹話術人形は切っても切り離せない関係です。それが影響したのか、ぼくはあの人の感情や記憶等が手に取るように、まるで自分のもののように、いや、自分のもののようにというよりも、自分のものとして認識(共有)出来るようになったのです。
それはぼくにとって最高に幸せな出来事でした。
そして、断腸と同情と悔恨の始まりでもありました。
あの人の心は表向き穏やかでした。しかし、それはあの人が自分が壊れてしまうのを防ぐために心と記憶にした蓋みたいなものだったのです。
あの人の過去は凄惨でした。あの人が五歳の時に祖父母、両親、兄弟全員をある事件により亡くしました。
その後、親戚に引き取られるのですが、あちこちをたらい回しにされ、何度も虐待を受けた挙げ句、最後に預けられた家で年上のいとこに包丁で何度も刺され、殺されかけました。幸い致命傷に至る傷は無かったのですが、それでも重傷でした。
小学校ではその傷が原因で、いわれのない罪を擦り付けられて、苛め続けられました。
でも、あの人は耐えました。笑いました。信じました。
しかし、救いの手など誰からも差し出されることなく、自分から伸ばした手も振り払われ、あの人は十才にして、世界を怨みました。恨みました。憎みました。
でも、あの人は『悪』には成り切れませんでした。多分、本当に優しい人だったからだと思います。
中学、高校は施設から通いました。
施設では沢山の『友達』や『兄弟』が出来ました。あの人の人生の数少ない幸せな時間だったと思います。
けれど、幸せな時間は終わりを迎えます。
あの人が高校二年の秋にそれは起きました。
まだ、夏の暑さが残る夜に、あの人が居た施設が放火により全焼しました。先生方や友達や兄弟達の多くが逃げ遅れ、犠牲になりました。
あの人と数人の幼い兄弟達のみ助かりました。
犯人は捕まりましたが、警察関係者と言うことで、処分がかなり甘かったように感じます。 あの人は憎みました。恨みました。怨みました。人を、社会を、世界を、神を。
しかし、そんな彼を救ったのはまだ言葉も話せぬような幼い兄弟達でした。彼らの笑顔が、あの人が墜ちるのを防いだのです。
その後、あの人と兄弟達はバラバラになりましたが、たまに会っては、あの人はぬいぐるみを使って、腹話術のようなものを幼い兄弟達に披露していました。
それは当時のあの人がお金をかけずに幼い兄弟達を楽しませるにはどうしたらいい?と考えて始めた事でした。
それがあの人が腹話術師になるきっかけです。
高校卒業後、あの人は独学で腹話術を勉強し、様々な舞台に立ち、そして、その中でぼくと出会います。
ぼくは幸せでした。あの人の右側に居られて。
ぼくは幸せでした。あの人の相方になれて。
ぼくは幸せでした。あの人が殺されてしまう、あの日までは。