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二月二十八日、あたしはスーツ姿で理事長室にいた。
この部屋に来るのもも今日が最後だ。あたしの理事長の任期最後の日。
明日から本来の主であるあたしの父が、この部屋に帰ってくる。
あくまで元の生活に戻るだけ、それだけの事。それだけの事なのに切なくなっていた。
ちょっとずつ愛着が出てきて、初恋もしたこの学校。
失敗もして、学校を変えて、いつしかあたしはこの学校を好きになっていた。だからこそ別れがつらい。
そしてこの日をとうとう迎えてしまった。
もう別れの時間、勤務時間の夕方を迎えていた。二月の今日も暖房はついているけどやはり寒かった。
あたしの前には、露木さんと教師陣が集まっていた。
いつも通りのスーツ姿で、あたしはカバンを持っていた。カバンにはいろんなお礼の品が詰まっていた。
そこに一人の教師が走って来た、とてもあわただしい顔で。
「北小路はいないの?」
「ええ、残念ながら」
「まあ、別にいいけど。早速はじめましょ」
あたしが言うと、露木さんは寂しそうな顔を見せていた。
ダンディな顔もしめっぽくなっていた。
「しかし、本当にいなくなるとは……」中先生も感慨深げな顔を見せていた。
「元々二月までの任期だから、ごめんなさい。いろいろあわただしくなって。
でも来月からあたしの父さんも戻ってくるので、心配いらないでしょう」
「でも理事長代理、あなたのおかげで変われましたよ、この宇喜高」
泣き出しそうな顔で露木さんが遠い目で言っていた。
「ううん、あたし一人じゃ何もできないわ。みんなのおかげよ、ありがとう」
「いえいえ、本当に……」
そう思った次の瞬間、理事長室のドアが開いた。
あたしは、北小路を期待したけど……違った。
「桃香!」
そこにいたのがユニホーム姿の大東君だった。隣には、学ランの葛西君。
大東君は、骨折が治っていて包帯も完全にとれていた。
葛西君は、頬のあたりに大きな絆創膏が今も残っていた。あの時のいじめによるものだろう。
「桃香って、大東君また名前で呼んで……」
「水臭いですよ、理事長代理」
眼鏡を抑えてクールに決めようとする葛西君。
すぐに、教師陣の中から走って大東君がやってきた。そのままあたしの両肩を掴んで激しく揺さぶった。
「なんで、何も言ってくれないんだよ!」
「あたしは臨時の理事長代理よ。あたしたち経営陣は、みんなの学園生活を影で支える役目だから」
「そうじゃねえ、俺にとっての桃香は初恋の相手だ!」
大東君に言われてあたしは顔を赤くした。
大東君も耳から顔まで赤い。
なにより教師陣や葛西君からじろじろと見られてしまった。
「えと……何を言っているの?」
「竜平、理事長を困らせるなよ」
落ち着かせるかのように葛西君が、大東君をあたしから引き離した。
口惜しそうな大東君は、葛西君の後ろに下がった。そんなあたしの前には葛西君が立っていた。
「本当に今までありがとうございました」きれいなお辞儀を見せた、葛西君。
「ええ。こちらこそ、ありがとうね葛西君」
「それと、あの時は今まで本当にご迷惑をおかけしました。
せめて、こんな愚かな僕に罰をお与えください!両手を握ってあたしに懺悔するようなポーズをとった」
「ええっ、罰って……」
「もう会えなくなるのなら、最後にこの愚かな私に罰をお与えください。
私はそうでなければならないのです、理事長」
「だから、葛西君……」
なだめるあたしをよそに、葛西君が人目を気にせず土下座を始めた。
また噂されちゃうじゃない、などとあたしは困った顔をするしかない。
「足を舐めろと言われれば舐めます、僕の顔面に騎乗をさせろと言われれば言うとおりに横になります。
ですから、愚かな僕に罰を」
「葛西君……」
あたしの周りには、教師陣が変な噂が立っているじゃない。
もしかして葛西君って実はM?そう思えて仕方がない。
なんか『女帝』とか聞こえてきたんですけど。
「あたしは大丈夫だから、ね、顔を上げて」
「ですがそれでは、僕の気が」
「まあまあ、葛西君顔を上げてください」
露木さんがようやく葛西君に諭してくれた。助かったわ。
葛西君は土下座をやめて、申し訳なさそうな顔を見せていた。
「本当にすいませんでした」
「ううん、いいの。もう次はやらないでね」
「はい、了解しました」葛西君は、いつも通りのクールな生徒会長の顔に戻っていた。
「でも、南条には会わなくていいのか?」
「うん、南条君は一か月間の休学になっているから」
「そっか……」大東君は寂しそうな顔を見せていた。
「でも、メールでは挨拶したから……」
「ぬわにっ、南条にはメール教えたのか?」
大東君の顔が赤い。そう言えば、大東君にはメール教えていなかったな。
話を濁しながら大東君にはあたしは笑顔を振りまいた。
大東君自体は気にしていないけれど、あたしは何か大事なものを失った気がするわ。
「それじゃあ、そろそろ行かないと……」
あたしは床に置いてあったカバンを持っていた。
ちょっと悲しそうな目を見せつつも、やっぱり笑顔を見せていた。
「それでは、最後までお供します」
そして中先生だけがあたしについてきた。最後のエスコートだから。
手を振りあいながらあたしは、この部屋を出て行った。




