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女子トイレはあまりにも遠かった。
男子校の洗礼を十分すぎるほど受けたあたしは、必死に走った。
走る女を、周りの男たちの視線が容赦なく襲う。
あたしはそれでも恥かしいとは思わなかった。
(なんでこんなに遠いのよ!)
何度もこの言葉を頭の中で叫んでは、あたしは走っていた。
少し男汗臭いグラウンドをいくつもぬけて、そしてようやく見えた小さいトイレ。
「やっと見えた、遠いわよ」
悪態をついたあたしは、トイレに入ろうとした。上を見上げると、防犯カメラがここにもあった。
(本当に多いのね、防犯カメラ。まさかトイレの中は写していないでしょうね)
三つ並んでいたトイレは、一つだけ閉まっていた。あたしは、真ん中に入った。
(ふー、やっと落ち着く~)
穏やかな顔に変わったあたしは、洋式の便器に腰かけた。
ドアを閉めて、一息をついたあたしは用をたしていた。
落ち着いたあたしに、急に隣の壁越しに声が聞こえてきた。
「いい加減にしろよ、南条!」
便器の上でくつろぐあたしに、男の声が聞こえた。そのあとグラグラとトイレの壁が揺れる音がした。
「お前は、生意気なんだよ!」
それと同意に、隣の壁からバチっと何かがぶつかる音がした。
「な、何よ?何が起きているの」
一瞬にしてあたしに緊張感が走り、思わず声を発した。
「誰だ、ここにいるのか?」
「マジかよ、おい行こうぜ!」
複数の男の声が聞こえた。そのあと隣のトイレのドアが開く音がした。
あたしは、立ち上がって思わず自分のトイレを出た。すると、女子トイレを出ていく二人の男が見えた。
かなり体の大きな男、緑色の横縞の長そでのシャツを着ていた。
トイレを出て隣のトイレを覗くと、そこには腹を抑えてかがみこんでいた男がいた。
壁には血だ。その血は彼の額から出ていた。緑の横縞の長そでシャツに短パン姿で、顔を歪めた黒い短髪の男。
童顔で、下を向いたまま苦しそうに荒い呼吸。彼の足元には、少し曲がったヘッドギアが転がっていた。
「ちょっと、アンタ大丈夫?」
「あ、はい……大丈夫です」
しかし呼吸を乱しながらも、笑顔を見せていた。
その男の上目遣いのかわいらしい顔に、あたしは胸が急に熱くなった。
「そう、でもなんで女子トイレに?」言いながらあたしの胸の鼓動が不意に早くなった。
「えと……あの……あなたは?」かわいい男の子の顔は、大きな瞳をあたしに向けてきた。
ちょっと恥ずかしく、あたしも顔を赤くした。
「あたしは、この学校の理事長代理『宇喜永 桃香』よ。あなたは?」
「はい、僕は『南条 涼』です。本業は陸上部ですが、ラグビー部のお手伝いをしています」
その少年は、はにかみながらあたしに言ってきた。なんかすごくかわいい男の子って感じ。
「南条君って、陸上で高校記録を持っているあの南条君?」
「ええ、恥ずかしいですね」照れている南条君、かわいい系の男の子だ。だけど、彼は頭から出血していた。
泥らだけのシャツには、靴の跡がはっきりついていた。
まちがいなくいじめだ。あたしは直感で分かった。
「ねえ、いじめられていたの?」
「えと……」南条君は、言葉を濁していた。
「あたしに相談して、あたしは理事長だから。解決できると思うの」
そんな時だった、奥から走ってくる音が聞こえた。
「おーい、南条。どこに行った~?全体練習の時間だぞ~」南条君を呼ぶ声だ。
「それじゃあ、かわいい理事長さん。練習に戻らないと。またね」
変形したヘッドギアをつけて南条君は軽くあたしに手を降って、女子トイレを出て行った。
ほんわかした気持ちのあたしもまた、南条君に手を降っていた。




