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十分後、あたしはなぜか呼び込みをさせられていた。
歓楽街の路地裏で、北小路をつけていたはずのあたしがティッシュを配り。キャバクラに呼び込む仕事。
ベレー帽を脱いで、ティッシュの入ったバスケットを持ってあたしは路上に立っていた。
(なんであたしがやらないといけないのよ!)
不機嫌だけど顔に出さずに、呼び込みの仕事をしていた。
あたしに呼び込みを頼んだ男は、屋敷で働いていた元執事の片桐。それは偶然の出会いだった。
昔のあたしの事件で、お世話になった元執事さん。だけど屋敷から追い出されて、彼は落ちぶれていた。
あまり仲は良くないけれど、あたしは事情のある彼の頼みを引き受けることにした。
そして呼び込みをしていた片桐は、子供に会いに行ったみたい。
結婚してリストラされて、それでも出産間近。あたしは、変わってあげることにした。
(十分でいい……頼む。か)
あたしは、騙された空気を感じながら帽子を外して呼び込みをしていた。
どうもこういうのは苦手、あたしは櫻子ほど上手いおしゃべり技能があるわけではない。
「いらっしゃいませ、お兄さんお暇?」
だけど勇気を振り絞ってあたしは、見知らぬ男の人に声をかけた。素通りする男は、あたしを見て止まった。
「よかったら、遊んで行かない?あそこのお店」
「えっ、でも……」
「今なら三千円ポッキリよ、一時間。ダメなら、しょうがないけど……
もう、二度と会えないかもしれないけれどそれでもいいの?あなた、後悔するわよ」
「う~ん……」
「あたしよりかわいい子、たくさんいるから、ね」片桐にレクチャーされて、胸元を開けて色気を出した。
男はあたしの胸元をじーっと見ていた。なんか、卑しそうな目で。
「え、いくいく!」
「はいはい~、一名様ごあんな~い」あたしは、キャバクラへの呼び込みで店に案内していた。
(何しているのよ、あたし)心の中でそう思いながら、店の前で客になった男の人と別れた。
客の男は、そのままキャバクラへと入っていく。
見送ったあたしは未だラブホテルの前を見ていた。
北小路が入って一時間、いまだに出てこない。
(北小路長いわよ。全く、そんなことより早く片桐が戻ってこないと鉢合わせになるじゃない)
あたしは、不機嫌な顔で元執事の帰りを待っていた。
そして、あたしは別のお客を見つけた。路地に歩く大人しそうなサラリーマン。
「ねえ、ちょっと若いお兄さん」
「あの、なんですか?」
あたしの呼びとめに、またサラリーマンが立ち止まった。
もしかして、あたしって呼び込みのプロ?これで十五人連続止まったわ。ちょっと自信がついた気もするし。
「ちょっとよければ……」
あたしが話しかけた時、あたしの背後ではラブホテルから出てきた二人がいた。
そう、それは北小路と有働君の母親。距離にして数メートル。思わずあたしは、ベレー帽をかぶった。
サラリーマンとの話を切り上げて耳を傾けた。
「なかなかうまいじゃない、北小路」
「そうだな、お前ほどじゃないよ」二人は笑顔だった。
北小路と有働君の母親は、すごくいい感じになっているんですけど。
これが、大人のデートなの?あたしはちょっと照れていた。
「まあ、いいさ」
「ねえ、北小路。あなたは、どうなの?あたしと暮らしてみない?」
「そうだな、それもいいかな」
「嬉しいわ、正孝も新しいパパを喜んでくれるから」
あれほど前には怒っていた有働君の母親が、嬉しそうな顔で北小路を見ていた。
そのままそばで、北小路が母親の髪を撫でていた。
「俺と正孝、どっちが好きだ?」
「そりゃあもちろん。あなたよ、北小路。あなたは?」
「ああ、お前だよ」
「ふふっ、嬉しいわ」
背中を向けたままあたしは、恥ずかしそうに顔が赤くなっていた。
そんなあたしをよそに、北小路と有働君の母親もまた顔が、少し赤くなっていた。
いいムードの空間、二人は向き合っていた。目と目を合わせて。
「ねえ、お別れのキスをして」ねだった有働君の母親。
「ああ、唇が寂しいのだろ。だけど……」
「分かっているって、北小路」
「少し大人しくしてくれないか?みんな迷惑しているんだ」
「分かっているわ、今回は正孝が高校で初めての大きな大会だったから」
上目遣いの有働君の母親を、北小路はしっかりみていた。
そして二人の顔が近づいてキスをした。
「これでいいだろ」
「もうちょっと……だけ」
北小路は、求める有働君の母親と唇をかわす。
それはあからさまなディープなキス。目を閉じて唇同志をなめまわしていた。
舌まで入れて、抱き合っている二人にあたしは言葉を失った。
それと同時に怖かった。大人の関係、北小路と有働君の母親は実はこんな関係だったんだ。
しかも路上で人目を気にせずキスって、ありえなんだけど。
「そろそろ帰るわね」
「ああ、じゃあ頼むぞ」
「少しだけ、忘れさせてありがとう」
「ああ、休め。忘れたくなったらいつでも来い」
「そうさせてもらうわ」
そう言いながら、満足顔の有働君の母親が帰って行く。
あたしは、背中を向けて肩身を狭くして風景と同化を試みた。
後ろを通っていく母親は、あたしには全く気づいていない様子。
あたしは、母親が去った後もひたすら待っていた。
(北小路も、早く去りなさい)
だけどそんなあたしの心を知ってか、煙草をふかし始めた。
あたしは、いらいらしながらそれでも帽子をかぶって壁を見ていた。
それから数秒後。あたしは北小路がいなくなったか確認するために横目で見ようとしたとき、
「あれ?」
遠くにいた北小路と目があった。
煙草を持った北小路は、おそらくあたしだと気付いただろう。当然のごとく近づいてきた。
「えと、その……来ないでよ!」
あたしは思わず大声を上げてしまった。そのまま、後ろに後ずさり。
「お前、理事長……」
「来ないでって、言っているでしょ!」
路上を走るあたしに、北小路が追いかけてきた。
あたしは、それでも必死に逃げようと思った。
だけど、歩きにくい少しでこぼこしたアスファルトに足を取られてあたしは思いっきりコケた。
「イタッ、なんでよ!」
声を漏らして、横に倒れたあたし。思わずブーツの上から足のくるぶしをさすった。
最悪なことに、ブーツのヒールが折れていた。
かぶっていたベレー帽も、地面に落ちて配る予定のティッシュも散らばった。
そのあたしに、周りの男から好奇な目が向けられた。卑しい目は、あたしの羞恥心を誘う。
そこに遅れて近づく北小路。ダメだ、もうだめだ。いろんな意味で、戻れなくなる。
「大丈夫か、理事長」
「えっ……北小路」
そういいながら、北小路はティッシュを拾い上げた。
「何していたんだ?」
「何していたって、ティッシュ配りと呼び込み」
「おーい、桃香お嬢様」
そう言いながら、さらにタイミング悪く片桐がやってきた。
「遅いわ!片桐、何しているのよ」
「無事、生まれました~」
「おめでとう~、ってなんであたしに」
「ありがとうございます、お嬢様」
すると、片桐は泣きながらなぜかあたしの手を握ってきた。
北小路は逆に、ポカーンとした顔で片桐を見ていた。
「お前の趣味か?」
「違うわ、あたしの元執事よ。全く、なんであたしに仕事を……」
「いえいえ、これで心置きなく仕事ができます」
「うん、じゃあ後は任せるわ。それじゃあね片桐」
「はい~、ではです、お嬢様」
そう言いながら、片桐はあたしのティッシュを引き上げて路上に戻って行った。
あたしが見送って、残ったのがあたしの目の前にいる北小路。すぐに倒れたあたしの足を見ていた。
「足をくじいているのか?」
「そんなんじゃないわよ、あたしは……」
「背負うぞ。俺は女が嫌いだが、手負いのヤツに手は出さない」
そしてあたしはおんぶされた。それは七年ぶりにされたおんぶ。
やはり北小路の背中はとても温かかくて大きかった。
当然のことながら恥ずかしい、周りの目も……そんなにむけられないけど。
そのまま北小路は、あたしをおぶって歓楽街の路地を抜けて行った。
そこでみせた北小路の顔は、真剣だった。




