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趣旨はずれたが野球部の寮に行き、放課後の時間が一時間つぶれた。
でも、大東君の言うことが正しかった。寮長の話だと有働君の母親は、文句をつけて堂々と食材を持ち出す。
寮の問題は、有働君の母親にちゃんと聴取する必要があるわね。
それを考えると、ますますいじめが疑惑を持つようになってきた。
そう思いながら、あたしはサッカー部のグラウンドを目指していた。
そして……たどり着いた。たどり着いて……愕然とした。
「練習休み?」
白い息を吐いたあたしは、グラウンドの柵の前で力なくもたれかかっていた。
柵は『練習休み』と書かれた看板があったから。
「あれ、理事長じゃないですか?」
すると彼はグラウンドの歩道にいたのが、眼鏡をかけた男子。
知的なオーラを出しているのか、すぐにわかった。その男子があたしに近づいてきた。
「あれ、葛西君?」
「ええ、お久しぶりです。あれから我がクラスでも、いじめが終息へ向かっていきました。
これも理事長のおかげです。ありがとうございました」
葛西君は、あたしの前できれいで丁寧なお辞儀を見せた。
「まあ、私にとってはいじめがなくなっても困りませんが」
「それはダメよ、いじめはなくさないと」
「そうですね、理事長は優しい。女神みたいだ」
真顔で葛西君に言われると、あたし照れるかも。
「えっ、うん。葛西君もちゃんと告発してくれたから、解決できたし。」
「そんな女神様も南条を落とせるのでしょうか?」
「えっ、な、な、何言っているの?」
「何となく分かりますよ、彼に対する理事長の顔を見ただけで分かりますよ。
恥らう女子、恋する乙女ですね」
「や、やめなさい。大人を侮辱するもんじゃないわ!」
「理事長代理って私と一つしか年、変わりませんよ」
葛西君に正論を言われて、あたしは黙るしかなかった。
「まあ、私も理事長が好きですが……仕方ありません」
「えっ、何?」
「いえ、どちらかというと理事長のその……あの……」
「?」
「踏まれたい」
小声で言った葛西君、だけどあたしは聞こえてしまった。そして絶句した。
「ふ、ふ、踏まれたい?」
「今のことは忘れてください、別に何でもないいですから」
そう言いながら、そばにあった段ボールを持ち上げていた。
「あれ、それは?」
「ああ、これですか。回収しに来たんですよ、生徒会の備品。
全く……困ったものです。前回の国体の時も、サッカー部にはいろいろ盗まれましたから」
葛西君の両腕に抱かれた段ボールの中には青いかご。
中にはメガホン、タオルにはちまき、それからハッピも入っていた。
「これは?」
「サッカー部の応援グッズですよ、生徒会室には各部活の応援グッズを取りそろえているんです」
「へえ、でも生徒会と特待生って仲悪いとか……」
「……でも学校を応援したい気持ちは同じですよ。母校を応援するのに、関係はないですから。
だけど……こういうのを持ち出す輩がいるんですよ。無理に持ち出さなくても、子供からもらえばいいのですが」
「犯人は誰なんですか?」
「それはですね……」葛西君がそう言うと、誰もいないグラウンドの観客席から手を降っている人が見えた。
ここからだと顔を確認できないが、学ラン姿でこっちに手を降っているのが見えた。
しばらくして走って来た彼の顔を見るなり、あたしはドキドキしてしまった。
「あったよ~、生徒会長」
「南条君、どうしてここに?」
現れた学ランの男は南条君だった。爽やか童顔の彼は横断幕を持って、あたしの前に現れた。
それは昨日のテレビ中継で試合に出ていた彼がそこにいたから。
「おお、あったか。ご苦労」
「お久しぶりです、かわいい理事長さん。僕も応援でサッカー部にずっと帯同していたから」
やっぱり爽やかな笑顔を見せた、南条君だ。
「南条君、ううんいいの。南条君、この前の試合惜しかったね」
「そうだね、ごめんなさい。桃香さん」
「えっ、やだ、そんな目で見ないで」
子供っぽい彼はあたしを困らせるような、穏やかな目で見つめてきた。あたしは、照れるしかないじゃない。
南条君ってかわいいうえに、優しくて穏やかで爽やかだ。彼に告白されれば楽なのに。
「それにしても『有働 正孝』、彼は全く悪くないんだけどね」
横断幕には、『岡山の爆撃機、有働 正孝』と書かれていた。
「『岡山の爆撃機』?またすごい名前ね」
「これ、『岡山の爆撃機』って呼ぶんだ」
「へえ、なんか昨日の実況でそんなことを言っていたかも。そだ……」
あたしは、南条君を見てあることを思いだした。
「ねえ、南条君。今日は休みなの?」
「そうだよ、サッカーの試合ってハードだから試合の翌日は休みにするんだ」
「そっか、それで南条君。有働君ってどこにいるか知っている?」
「えっ、今日はもう帰ったんじゃないかな?部活もないし」
「やっぱり、はあっ~」
あたしは取り越し苦労を感じて、一気に疲れがたまった。
「どうしたの、桃香さん?」
「うん、有働君を探しにここに来たんだけど……いないんじゃねぇ」
「何かあったんですか?」
「有働君に、いじめがあったって母親から。どうもいろいろ、怪しいけどね」
「間違いなく、胡散臭いな」とこれは葛西君。
眼鏡の鼻あてをどこかの刑事の様に指で押さえながら、探偵の様に考えている仕草を見せた。
「確かに怪しいと思う。でも、あたしは本人に会ったことないから。
もし本当にいじめられていると、あたしは見過ごすわけにはいかないわ」
「そっか、じゃあ僕も協力するよ。明日、丁度彼に会うし」
「ホント?」あたしの顔が明るくなった。
「うん、僕とクラスも同じだし。どうだろう明日の放課後に、理事長室に行かせればいいかな?」
「頼んでくれるのね、ありがとう」
あたしは満面の笑みを浮かべていた。いつの間にか、南条君の手を無意識のうちにつかんでいた。
「だけど、有働君のことでちょっと気になることがあって。かわいい理事長さん」
「何?」
「サッカー部でさ、有働君はかわいそうなんだよ」
「かわいそう?」南条君の言葉を、あたしはおうむ返しした。
「そう、有働君って、いつも練習の時はメガホンでママに応援されているんだ。
でもね、声とか大きかったり、場所を強引に奪ったり、部員からも迷惑がられているんだよ。
ヒドイ時だとグラウンドに入ってきて、練習に集中できないってみんな怒っていた」
「それはヒドイな」葛西君が、同情の顔を見せた。
「そうだよね、だから有働君はかわいそうなんだ。
理事長、ちゃんと有働君の話を聞いてほしいんだ。『かわいい理事長さんが呼んでいるよ、放課後おいで』って」
「ありがと……ありがとね」
あたしは、何度も南条君の手を握って感謝を伝えた。
「手を握るとはずいぶんと積極的だな、理事長」
「えっ、ああっ……」
あたしは、葛西君の冷静なツッコミに思わず手を離してしまった。同時に顔が赤くなっていた。
南条君は、少しさびしそうな顔を見せていた。




