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北小路の家は思った以上に近かった。
神社から歩いて二分ほどには、大きなマンションが建っていた。
遠くに海が見えるマンションの八階、そこに北小路の住処があった。
オートロックの玄関を開けて、エレベーターに乗って八階。
倉先市の郊外に建つそのマンションは、ほかに高い建物はなく遠くからでもよく目立つ。
あたしの隣の櫻子は、妙にテンションが高いのが気になるけど。
「ここだ」そう言いながら、開けた北小路のマンションは靴がぐちゃぐちゃだった。
「なにこれ?泥棒でも入ったの?」
「まあ……上がれ」
「何を言っているの、こんなところに入れるわけないじゃ……」
「お邪魔します~」
なんのためらいもなく、先に入っていったのが櫻子。
あたしの前に飛び込んできたのが、靴がぐちゃぐちゃの玄関。
奥に続く廊下も散らかっていた。それに、こもる匂いはあたしの鼻を強く刺激した。
思わず巾着袋からハンカチで、取り出して顔を覆った。
「だから、汚いって言ったろ」
「社交辞令でも、きれいにしなさいよ。北小路は大人なんでしょ」
あたしの文句にそれでも、櫻子はあまり気にしていない。
そういえば、櫻子の部屋も結構散らかっていたわね。
北小路に案内されたのが、リビングだ。リビングもあたしの予想を超えることなく散らかっていた。
本が散乱、後はボクシンググローブやDVDも散らかっていた。
一応ソファーやテーブルは原型をとどめていて、全く座れないほどでもない。
隣には寝室らしきものも見えたが、布団は出しっぱなしだ。なんか、湿っていそう。
「まあ、座れ。一応は客だ」
「なかなか、男の人にしてはきれいに片付いているわね」
「そうか……」
櫻子は、周りを見回しながら閉まっているカーテンの方に近づいた。
あたしは、不快な顔のまま座布団に慎重に座っていた。
北小路の連れていた女の子がお行儀よくソファーのそばで、あたしの足元に座っていた。
「少し待っていろ」
北小路は、そう言いながらジャンバーを脱いだスウェット姿で少し離れたシステムキッチンに向かった。
キッチンの方は……向きたくない。台所をすれ違った時に、皿がゴチャゴチャに台所にあふれていたから。
「結構広いわ、結構するでしょ」
「まあ、ローン組んでいるけどな」
「そっかー、2LDK?」
「後、奥にも一つ倉庫になった部屋があるから、3LDKかな」
「わ~、結構広いじゃん。高いでしょ、マンションの上の方だし」
櫻子はやはり金に興味があるみたいだ。北小路はそう言いながら、電子レンジをつけていた。
それにしても北小路って、女が嫌いだってあたしに初めて言っていたけど櫻子には普通に接しているみたい。
「北小路さんって、宇喜高の教頭さんなんですよね。随分若く見えるんですけど、おいくつですか?」
「今年、二十八になったな」
「今年って、まだ一日もたっていないが」
「俺、一月一日が誕生日なんだ」
「ああ、そうなんだ。おめでとう」
「ありがとう、おまたせ」そして北小路がやってきた。
あたしは、何となく顔をそむけた。櫻子は、キラキラと笑顔を見せて北小路を迎え入れた。
そう言ってあたしの前に出してきたのが、甘酒だった。
湯気の立つ甘酒をあたしと櫻子に、振る舞ってくれた。
「正月だからな、どうぞ」
「い、いただきます」あたしと櫻子が、同時に甘酒をいただく。
「甘いじゃない、これ!」すぐに口を出したのが、あたし。
「ああ、この甘酒には黒糖が入っているんだ。俺たち地元じゃあこれが甘酒なんだけどな」
「そう言えば、北小路はこのあたり出身じゃないよね。どこなの?」
「俺か、俺は東京だ」北小路は、子供たちに甘酒をふるまっていた。
「熱いぞ」と言いながら、子供に小さなマグカップで渡す北小路の姿は慣れていた。
「ねえ、北小路さん」北小路を見ながら、櫻子は声を発した。
「どうした?」
「北小路さん、年収いくらですか?貯金いくらですか?」
「は?」櫻子の言葉に、当然耳を疑った。あたしはすかさず、櫻子の口を抑えた。
「櫻子、何を言っているのよ!なんでもないわ、北小路」
ごまかすのに必死なあたしをよそに、全く食いつくこともなく子供の世話をしていた。
すかさず北小路に背を向けて櫻子が、あたしの顔をそむせさせた。
「櫻子、いきなりおかしいでしょ!」
「何がおかしいの?これだけのマンションに住んでいて、公務員。しかも若く、リストラの心配もない。
おまけに顔もかっこいいし、子供の面倒見もいいし、これなのよ!あたし、決めたから」
櫻子の目が、金のマークに見えたのは気のせいだろうか。
「馬鹿なこと、言わないでよ!」
あたしと櫻子の小声でのやり取りだけど、絶対に聞こえているよね。
「アタックするわよ」
「櫻子……」
「好きだと思っても、自分から距離を近づけないと相手に伝わらないわ。桃香、覚えておいて」
「えっ」櫻子の後姿が、その時だけはとても立派に見えた。
振り返って北小路は、うまく甘酒が飲めない男の子をあやしていた。そこに櫻子が近づく、
「あっ、しょうがない。ほら……」
「あの、北小路さん」
「ん?」北小路は、櫻子よりも子供がこぼした甘酒を一生懸命拭いていた。
「北小路さんって、独身なんですよね」
「そうだ、独身貴族だ」
「じゃあ、彼女は?」
「そんなもん、二年前に別れた。だから女は嫌いだ」
「じゃあじゃあ、年下の女の子は好きですか?」
そして櫻子は、一気に反対側に座る北小路との間合いをつめた。
そうだった、櫻子はいつも社会人相手に合コンしていた。こういうことは、とても慣れていたから。
子供からゆっくり視線を上げた北小路は艶やかな顔を浮かべた櫻子を見た。
「……まあ、嫌いじゃない」
「じゃあ、あたしのこと、彼女にしてくれませんか?」
櫻子の言葉、あたしはなんだか大東君の告白を思い出した。
あたしは好きになった人がいる。もちろん南条君だ。
だけど、南条君に好きになる気持ちをぶつけたわけでもない。
そんなあたしは、この前大東君に告白された。あまりにも急で、あたしは嘘をついて断ってしまった。
勇気がない、告白する勇気がない。でも櫻子は違う。
堂々と自分の言葉で告白する櫻子が、むしろあたしは眩しく見えた。
頭の中で南条君の顔が浮かぶ、優しそうに爽やかに微笑む彼の顔が。
「残念だけど、俺はお前を知らない。こいつの親友ってことしか知らない」
「ならば、知る努力を……」
「それと、今の俺には女はいらない!仕事も満足にできない俺が、女にうつつを抜かすほど暇じゃない!」
北小路の叫びはとても強かった。さっきまで軽快に喋った櫻子も、迫力ある言葉で固まってしまう。
「櫻子……」心配するあたしの顔。
「いい、いいじゃない。ますます気に入ったわ。
仕事人間大歓迎、真面目な男は大好きよ」
櫻子は、諦めるどころかますます押しを強めて行った。
明るい顔に変わり、目は完全に恋する乙女だった。
そんな時、あたしはふと自分の姿を見つめた。そして自分の振袖にある変化があったことを気づいた。
「ふー、めんどいな。おい」
「あのさ……前から言いたかったことがあるんだけど」
「な、なんだよ?」
凄味のあるあたしの顔で、北小路はいつになく威厳がなかった。
あたしは、周りを見回して自分の振袖の裾を見ていた。赤い振袖の裾が、少し埃で黒ずんでいた。
「もう、汚れちゃったじゃない。これじゃあたし耐えられないから!」
「おい、どうするつもりだ?」
「北小路、今から掃除するわ!」
「はあ?」振袖の裾を腕まくりするあたしに、北小路は困惑の顔。
櫻子も、あたしのそばに来て視線を見せていた。
「なに、桃香なんで?」
「あたし、この部屋が汚すぎて耐えられないのよ!絶対、掃除するから」
「よし、じゃあ私も掃除する!」
「いいわよ、櫻子。じゃあ北小路、あんたたちはそっちの部屋からね。あたしは、このリビングを片づけるから」
「オッケー」櫻子もあたしと一緒に腕まくりを始めた。
「いらなそうなものは、みんな捨てちゃって」
「うん、分かった」
「おい、お前ら」
「北小路たちは、寝室に行って」そう言いながら、北小路と二人の子供を寝室へと追いやった。
かくして新年最初の大掃除が始まった。




