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あたしは、野球部の部長に経緯を話すために夜のグラウンドに来ていた。
照明が入って、きれいな白線も見えた。
だけどこの芝には誰もいない。こうしてみると、広く見えた。
右手に包帯を巻いて一塁側のベンチに座りジャンパーを着た大東君は、あたしの前で経緯をずっと聞いていた。
グラウンド前であたしは、これまでミーティングルームのことを話した。
栗林監督の飲酒容疑、麻生君がいじめていた本当の理由。
それを聞いた大東君は、目をつぶりながら頷いていた。
やがて話し終えると、大東君は大きくため息をついた。
「そうか、本当にすまない」
「大東君が悪いんじゃない、誰も悪くなかったから」
あたしは、背伸びしながらついている照明を見ていた。闇に浮かび上がる白い光は、グラウンドを照らす。
「麻生もこれで、いじめをやめるだろう。アイツは本当はいいヤツなんだ。
天才とかかこつけているけど、人一倍努力している。アイツはそういうやつだ」
「知っていたの?」
「なんとなくは。あの親友マネージャーと麻生は同じ大阪から来ていた。
いつも一緒で仲が良かった。親友の彼は、一般の生徒だったけど」
「そっか。一般と特待生の事ね」
そう言いながら、あたしは一塁側のベンチの中に入った。
「ねえ、前から気になっていたけど、生徒会と特待生って仲が悪いの?」
「理事長?」大東の顔が明らかに変わった。
「生徒会は傲慢だ。俺たち部活を、数の暴力でいじめようとしている」
「数の……暴力?言っている意味がよくわからないけど」
「奴らは、『黒歴史』によって力をつけた」
「『黒歴史』?」
「そう。生徒会が俺たちをのけ者にして、忌み嫌うようになった歴史。
生徒会が起こしたある失態。それが俺たち特待生と生徒会が憎み合う原因だ」
「そっか……だからいじめ?麻生君の?」
「ああ、そうだ」
「詳しく教えて」
「俺も詳しくは知らない。だけど三年前に一人の被害者が出たんだ」
「それは、誰なの?」
「それは教えられない。悪いな、男の約束だから」
大東君は、前を向きながら男らしくベンチにどっしり腰かけた。見えた彼は堂々としていて、風格があった。
「あたしもね、部活していたから何となく分かるな。できる人って、どこか敬遠されるところあるもんね」
「おお……かわいいんだろうな。ユニホーム姿」
「え?」大東君の言葉に、あたしはきょとんとしてしまった。
「あ、ああ。いいな、いい」なぜか一人で納得する大東君。
「ユニホーム姿なんかあたしは着ないよ」
「違うの?部活って言っていたからてっきりソフト(ボール)部だと」
「なんでソフトボールなの?あたしは映画よ、映画部」
「そか……わりい……」
大東君が、申し訳なさそうにあたしに謝った後、すぐに背を向けた。
「変な人」と思いながら、あたしは大東君の背中を見ていた。
「大東君。あたしの報告はこれで終わり」
「おう」だけど、ジャンパーを着た大きな背中はなぜか震えていた。
「どうしたの?前も震えていたけど。風邪でも引いた?」
あたしが肩に手をかけようとしたとき、気配を感じて前に座ったまま腰を動かして離れていく。
「何?あたし、何か悪いことしたかな?」
「いや……違う」声は小さい大東君。
「もしかして、あたし、嫌われた?」
「そうじゃない……たぶん」
いまいちはっきりしない大東君はやっぱり変なの。
あたしそういいながら、ベンチの奥へと向かって歩く。
「じゃあ帰るね、理事長室にも寄らないといけないから」
背中越しに大東君へ言っていた。
あたしが歩いてベンチを出ようとしたとき、急に手が引っ張られた。
「えっ?」振り返った先には大東君。しかし顔はうつむいて震えていた。
(なんか、怖いんだけど)あたしも、いきなりで恐怖さえあった。
そして、うつむいたまま貧乏ゆすり。声を発しようとしない。
「どうしたの?」
「俺、お前のことが好きだ!」
坊主の頭を上げた大東君が、顔を上げた。その顔は、完全に赤かった。
あたしは、いままで胸がトキメキさえしなかった大東君を見ては、少しだけ照れを感じていた。
(ちょっと、そんな恋愛イベントさえ発生しなかったけど)
単純に理解ができなかった。
「へ?あたし?」確認のためにあたしは、自分を指さした。
「もちろん!大好きです!」大声で言ってきた大東君。
「大声を出さないでよ!」
「いえ、抑えられないんです。理事長を一目見たときから、ずっと決めていましたから」
驚いた、これほどストレートに言われたことが一度もなかった。
小学校も、中学も、告白はしても、されたことが一度もなかった。
決して超美人でも、知的でも、おしゃれでもない。もちろん北小路が言うほどのブスでもないけど。
ルックス的にも中ぐらいで、しいて言えばおせっかいなあたし。
初めての『告白』という名の体験は、あまりにも唐突に訪れた。
だから、こういう空気に慣れていなくてあたしは困惑してその結果……
「あの……あたし……ごめんなさい」反射的に謝ってしまった。
「えっ、だけど俺の気持ちは?」
「あたしは、今、気になっている人が……いるの」恥らいながら、彼のことを思い出した。
そう、あたしが守ってあげたい美少年の南条君の顔を。
「誰なんですか?もしかして教頭ですか?」
「教頭?絶対違うわよ」
頭に出てきた北小路の顔を、一瞬にして揉み消す。あぶないあぶない。
だけど、大東君はずっと真っ直ぐにあたしに熱い視線を送ってきた。
あまりにも純粋な目で、あたしは完全に押されていた。
「では、誰だよ?俺じゃあ、だめなのか?理事長、答えてくれよ!」
「それは……あたしも……」歯切れが悪い。なにしどろもどろになっているんだ、あたし。
「俺、一生懸命頑張るから、俺の恋人になってくれ!」
「ううっ、困ったなぁ」
大東君の熱意は強かった、顔を近づけてアピールしてきた。あたしの額に冷や汗が垂れていた。
二人きりのグラウンド、響くのは大東君の声。
ベンチのドアに背をつけたあたしは、彼の迫力に負けそうになっていた。
そんなあたしに、あまりにもいいタイミングで助け舟が来ていた。
「あっ、メール着たから」
それはメールの着信音。あたしは、携帯を取ってそのメールを確認していた。
「いけな~い、用事はいったから。それじゃあね、大東君」
そして、その場はごまかして大東君と別れた。だけどそこで咄嗟の嘘をついた。
『桃香、模試また失敗した~』とただの愚痴メール。だけど、その場はそのメールと芝居で逃げていた。
(ちゃんと断らないといけないのに……)
愚かな選択をしたあたしは、自分を悔いていた。
野球場を出て、相変わらず明るい照明。
なんだか帰り際に見えた野球場をみながら胸が痛かったから。




