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がらしゃがらしゃ

作者: 浦さん

またまた掌編です。前回とは作風が変わっておりますので、読むのに注意してください。

 思えば子供の頃合いからのうんと長い付き合いにもなりますが、奴という存在は、私という構成要素の一部であり、そうしてまた外敵でもありました。

 厄介なのが帰宅後であります。

 私はいまだに慣れぬ都会の人波に、でろんんでろんに回され、引っ張られした後のせんたく物のようにくたびれ、ふと気を緩めてソファに腹から飛び込みます。女なんて外面の生き物です。家では内に潜む、私の中の男がちらちらと顔を出し、私がそっと、そいつの耳元で、「もういいよ、出ておいで」と吹聴すると、奴は大手を叩いて懐から飛び出てきます。なので心配ありません。私が飛び込んだのではありません。悪いのは奴にそそのかされた男という私なのです。

 私は気が済むまでソファに身を埋め、やれあの講師の話は長いだの、あいつの話は身勝手で、周りという者を見てはいないだの、グチリグチリと零します。そうして決まって、こんな世の中はつまらない! そう言った意味を込めてボタンを押しつぶすのです。

 ええ、決まっております。途端に、あいつを駆動させる音であります。

 ガラシャガラシャと流れる音は、さして現実と変わりもしないのに、箱の中にあって手が届かないというだけで、虚構の道楽に思え、私という存在を壊していきます。

 私の中で私という存在が壊れて行く感覚は何よりも耐え難いものでした。昔は背伸びをして、少しだけなら周りと歩調を合わせてやってもいいかと思い、そうしてテレビと面していたはずなのです。だのに今は、奴を見ない暇がないのですから……。

 私は新居に奴を持ちこみませんでした。上京のためにと、持ち出したお金が浮いたとしても奴の顔を拝みに行くことは致しませんでした。

 だから母からの贈り物には、思わず渋い顔をすることと相成りました。


「幸恵? あんた引っ越しの荷物に、大事なもの忘れとうよ」

「えっ? 全部入れはずよ。それに、お母さんだって一緒に確認したじゃない」

 大学の入学式が始まる、二日前の出来事でしょうか。母は間延びした声で、私につらつらと言葉を並べたてて行きました。

「これ。これだけは持っていかなきゃだめよ。って、あたし何度もそう言ったじゃないの」やーねー幸恵ったら。そう言って母はくすくすと笑いだし、受話器には何かがこつんと当る音がしました。母は電話越しに手首を払うのです。幼い頃から見ていた母の習慣に、私もいつかは釣られ、ああなるのだろうと、思い思い聴いていました。

 けれども、肝心の忘れた荷物とやらは思い出せませんでした。母とそのことについて話した記憶もない。

 私は不思議に感じながらも、母が送ってやると言い張るものでしたので、それそのままにと、流れのままに快い返事をしてしまいました。

 今思えば、適当な返事などするものではありませんね。


 白いカーペットに座りこんだ私の眼前には、一台のテレビが置かれていました。もちろん、母が送って来たものです。


 ああ、やっとこいつともおさらば出来ると思ったのに……。

 そうは思っても、長年の習慣というものは怖いですね。自然と手元はボタンを操作しております。しかし、どの局も暗い画面ばかりで、映るに移らない。電源を確認して押し直してみても、電池を変えてみても、やっぱり映すのは冴えない顔をした私だけ。

「おかしいわ……去年買い換えたばかりだったのに……」

 持ち込むときにどこかぶつけたのでしょうか。壊れたテレビは何も映しません。

 仕方がないと決め込み、一方で棄てるいい口実が出来たとも思い、黒い操作機をソファに放り投げると、私は段ボールに書かれた母の番号に電話を掛けるため、ドア元まで立ち寄りました。すると、テレビのセッティングをしている際には気付かなかった。黒光りするケースを目にしました。

 箱の底に手を伸ばし、取り上げてみると、「道」と書かれております。

 もしかしたらDVD位は読みとれるかもしれません。私は暇つぶしがてら、そのディスクを差し入れ、ソファに座りました。

 ディスクはボタンを押さなくても再生を始めたようです。ブランコに乗って揺れる、赤白帽子の少女が映し出されます。体育の授業の後でしょうか。録画をしていると思われる人物が、声を発しているのが辛うじて聴き取れます。母でしょうか……。

「ったく……なんてもの寄こしてくれるのよ……」

 ブランコを楽しげな表情で揺らす少女は、えくぼを見せながら何やら歌っています。間違いなく少女は幼いころの私でした。「道」というのは、母が撮った私の成長記録か何かなのでしょう。けれども、自分の成長記録を見るというのは、やっぱり気恥ずかしいものがあります。

 私は再生を止めようと、手元を探ってリモコンを操作しました。停止を二回、勢い余っておしました。けれども止まりません。やっぱり、リモコンが故障しているのでしょうか。そう思い、少し乱雑ですがテレビの電源を落とそうと画面ににじり寄りました。

「あれ?」

 ボタンを押しても画面には変化が一つもありませんでした。どのボタンを押してもそう。試しにとは思って、プラグを抜いてみても、画面が落ちる事はありませんでした。

「嘘でしょ……」

 気味が悪くなり、私は母に何度も電話を掛けました。けれど繋がることはありませんでした。携帯の電波が急に悪くなったのか、そのあと誰に掛けても繋がらないのです。

 自分の部屋なのに、妙な居心地の悪さが私を襲いました。視界の端に映る少女は、先程とは違って少し成長しているようでした。場面も、徒競争に変わっています。私は膝から崩れ落ち、ほとんど放心したように画面を見つめていました。体の震えは収まりません。自分の姿を見て震えているのですから、はたから見たら大分おかしい光景なのでしょう。

 けれどもその時の私には、テレビに映る私が、自分ではないような気がしてならなかったのです。場面が切り替わるにつれ、記憶と違う景色ばかりが増えて行き、高校の時代なんて、私が告白した先輩と付き合っているのです。

「なによこれ……」

 ここまでくると、もはや画面越しに移る私は別人です。私の憧れていた、理想の自分。あの時私が、テレビがなければと、思っていた理想の形が、今目の前で繰り広げられているのです。

 DVDは最後まで再生されたのでしょうか。画面は暗くなり、そこに映るものは私しかいませんでした。

 しばらくそのまま時を過ごし、右手に乗せられた携帯に目を向けました。先ほどの騒動があってから、まだ十分と経っていませんでした。

 途端にそういうことかと合点がいき、口元からは笑みがこぼれました。

 要するに、私はただ疲れていて、変な夢を見ていたにすぎないんだと。それ以外にはありえませんと。けれども画面はまた白光して、最初に映した少女を現わしました。

「もうやめてぇっ!」

 私が叫ぶと、玄関を強く叩く音が聞こえてきました。どうしましたか。大丈夫ですか?

 隣人の方が駆けつけてくれたみたいでした。けれど、わたしには動くことなんてとても出来ませんでした。テレビの中の私が、いつ笑いかけてくるのか怖くて、怖くてたまりませんでした。隣人も返事がないことをいぶかしんだのか、戸を叩く音はぱたりと止みました。また静寂です。私は家じゅうの電気を点け、テレビの前に陣取りました。もう何があっても驚かない。そのつもりです。

 画面はまた暗がりに戻り、映し出される画面には私しか映っていませんでした。

「ねぇ、あんた一体、なにしに来たのよ……」

 テレビに話しかけるなんて、自分でもどうかしているとは思います。

 けれど、そうでもしないとやっていられませんでした。

 返事がないことに、私は饒舌に語り出します。私が実家に置いて行ったことを根に持っているのか。私が内心でテレビなんてなければと思っていたことが気に食わないのか。母親を洗脳して、お前はここまで私に復讐するためにやって来たのか。気付けば手にはコーヒーの入ったマグを持っていました。

 落ち着いてくると、私はまた黙ってテレビとにらめっこしました。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 やっぱり喋るわけないわよね。程良く冷めたカップを口に当て、香りを楽しみながら喉に流し込みます。

『ユキちゃんがボクのこと忘れちゃうの、嫌だったから……』

 声が聞こえた瞬間、私は思わずカーペットにコーヒーを吹き零してしまいました。

『家ではユキちゃんしか、ボクの相手してくれなかったよ』

『このまま誰にも使われずに、忘れられるの嫌だもん』

 家には誰もいません。なよなよとしたこの声は、テレビのスピーカーから確かに聞こえます。

「もしかして、今喋ったの、あんたなの……?」

 一つ間を置いて。

『うん』

 もう隣人のことなんか気にしていられません。腹の底から叫んで、頭を強くかきむしりました。隣からはとうとう壁を強く叩かれるようになってしまいました……。

 音の鳴った壁の方を横目で見ながら、意識は暗い画面へと注がれていました。あいつは私の姿を自由に真似できるみたいです。画面の向こうでは私が綺麗な笑顔で笑っています。正直、見ているのが辛い……。


「あんた、テレビとしては使えるの?」

『ユキちゃんが未練さえなくしてくれれば』

「未練って何よ」

『テレビがなかったらな~って思っていた頃のだよ』

 そんなの数えられないくらいあります。

「一つじゃダメなの?」

『大きさにもよるかな』

「大きさって?」

『想いの大きさ。たとえばユキちゃんが好きだった児……』

「ああ、言うなぁー!」

 壁に先程よりも強い衝撃が加わります。こんなのもう沢山です。早く処分してもらった方がいい。

 でも、本当にこのまま処分して大丈夫でしょうか。母が急にテレビを送付したのも気がかりですし、このまま処分したら、なんだか罰が当たりそうで何より怖い。

「その、未練さえなくせばいいのよね」

『そういうこと』

「それって、もう未練がありませんって、宣言するんじゃダメなの?」

『ボクの話聞いていた?』

 私は携帯電話を開き、アドレス帳から先輩の名前を消しました。どうせ連絡を取る予定なんてありません。なら今消してしまった方が早いでしょう。

「これで消したわよ。ほら、あんたは普通のテレビに戻りなさい」

『ユキちゃん、そんな簡単に未練なんて消えないよ?』

 そりゃあ、テストの結果とかいろいろあります。けど、そんなものを、ちまちまと認めて行けと言うのでしょうか。

「あんた神様かなんかにでもなった気なの? テレビはテレビ、大人しく私が見たいものを映し出していればいいの」

 この辺の適当さは母譲りなのかもしれません。今と昔とでは、考え方も大分違います。

「あんたはここに居ていいから、たまにテレビ見させなさいよ」

 私の言葉を素直に受け入れたのか、それからテレビは一言も発しませんでした。

 チャンネルを切り替えて、朝のニュースを流し見ます。目覚まし時計がモチーフの番組でチャンネルを止めると、玄関のチャイムが鳴らされました。

「はーい」

 昨日のことなんて忘れて、玄関を開けました。目の前には背の高い男の人が立っています。多分、お隣さん……。


「昨日はうるさくしてしまい、申し訳ありませんでした!」


 大きくお辞儀をすると、彼の靴がきっちり揃えられているのが目に入りました。次に、二人の声が重なったことに違和感を感じて、顔を上げました。

 すると、彼は顔を真っ赤にして、右手で頭を掻きながら目を逸らして恥ずかしそうに喋りました。

「実は私……寝像がすごく悪くて、ここの前に住んでいたとこでも、壁を蹴りあげて迷惑を掛ける事が多かったものでして……」

 だから昨晩はうるさくして申し訳なかったと、顔を真っ赤にして、節々を言い淀みながら謝る彼の姿は、身長に似合わずか弱く見えて、なんだかとても可愛らしく思えました。思わずクスリと笑ってしまい。「ああ、そのことでしたら大丈夫ですよ」と、私は笑顔で答えました。

 なんとなく、心の中で、もうテレビがなかったら、なんて言わなそうだなって、そう思って。


                            〈 了 〉

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