夢の終わり。悪夢の始まり
陸玖は、ハッと目を覚ました。
しばらくベッドに横たわったまま断続的に鳴る目覚まし時計の電子音に耳を傾け、自分が今度は夢の中ではなく現実の世界で目を覚ましたことを自覚する。
手を伸ばして目覚まし時計を止めると、ベッドにうつぶせになったまま、うなる。
ついさっきまで見ていた夢が最悪だった。毎晩見ているゲームの世界に酷似した夢は、奇妙だったがそれなりに楽しくもあった。
しかし、今朝がた見た夢の結末ときたら……。
そこで、陸玖はハッと顔を上げると、ベッドから飛び起きる。パソコンを立ち上げると、急いで某大型掲示板を開く。しばらく真剣な瞳で掲示板を読んでいた陸玖だったが、
「だよな。まさか、そんなことあるわけないよな」
陸玖はそう自嘲を洩らすと、無意識に強張っていた身体から力を抜いて、大きくため息をついた。それから部屋の窓から雲一つない快晴の青空を見上げながら、ぐっと大きく体を伸ばした。
「今日はいい天気になりそうだ」
いつものように母親と朝食を取り、時間ぎりぎりまで朝のニュースを見てから家を出た。
学校の教室に入り、カバンの中から教科書を取り出しているとき、ふと誰かの視線を感じた。
顔を上げると、教卓の目の前にある席に座り、首だけ振り返ってこちらを見ていた沖津奏と目が合う。しかし、すぐに彼女は顔を前に戻すと、授業の予習なのか、机に広げた教科書に目を落とした。
何となく気になった陸玖だったが、登校してきた浩太に声をかけられ、そのことはすぐに忘れてしまった。
◆
「沖津はどうした?」
それは昼休み直後の5限目のことである。社会科の教師が教室を見回しながら訊くが、クラスメイトたちは顔を見合わせるだけだった。
教室の前の扉が音を立てて開いた。
「すみません。遅くなりました」
そう言って教室に入ってきたのは、奏であった。遅刻を咎めようとした教師だったが、ぎょっとしたように目を見開く。
「大丈夫か? ずいぶんと顔色が悪いぞ」
教師が言うように、奏の顔は血の気が失せたというより、そんなのを通り越して顔が青白く見えるほどだった。
「はい。ちょっと気分が悪くて……」
「無理するな。保健室で休んできなさい」
教師が慌てるのも無理はない。陸玖から見ても、奏の様子は異常と言ってもいいぐらいだった。
「……わかりました」
そういって小さく頭を下げた奏は、そのまま扉を閉める。彼女のあまりの様子に水を打ったように静まり返った教室に、廊下を力なく歩く彼女の足音が小さく聞こえていた。
「風邪かね、委員長は?」
後ろの席から声をかけてくる浩太に陸玖は生返事を返す。そのとき陸玖は、まったく別のことに気をとられていた。
それは、教室を出るときの奏の視線である。
彼女は教室を出る際、自分を睨みつけるように見つめていた気がしたのだ
陸玖は、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
◆
結局、奏はホームルームになっても戻ってこなかった。
ホームルームでは、教師が昨日1年の男子が突然死したことについて、いじめによる自殺ではないかという憶測が流れているが、まったくの事実無根であると必死に説明していた。
立て続けに生徒が突然死しているが原因がまったく不明であるため、とにかく体調管理だけは気をつけるようにという、聞いている方も訳がわからないことをしどろもどろになって話している。
「これで3人目だけど、この学校は呪われているんじゃね?」
浩太の言うように、ここ数日の間に就寝中の突然死はこれで3人目だ。いずれも遺書などはなく、自殺ではないようだ。それだけに、かえって不気味なものを感じる。
ホームルームが終了すると、これから部活動がある浩太とは違い、帰宅部の陸玖はまっすぐ家に帰ろうと教室を出た。
陸玖たち2年生の教室があるのは校舎の3階である。昇降口に向かう途中、階段を降りようとすると、ちょうど階段を上がってきた奏に会った。
階段の踊り場で足を止め、こちらを見上げる奏。
今度は偶然や気のせいではなく、明らかに奏は陸玖を見つめていた。
その視線の強さに押され、陸玖はたじろいだ。
これまで会話らしい会話もしたことがない奏に、陸玖はこれほど凝視される理由が思い当たらない。それだけに、よけいにいたたまれなくなる。
しばらくして先に視線を外したのは、奏であった。
彼女の強い視線から解放された陸玖は、思わずホッとため息を洩らす。
階段を上ってくる奏は、もう陸玖のことなど眼中にないようであった。
しかし、陸玖の目には奏がひどく緊張しているように見えた。
階段を下りる陸玖と、上る奏。
一段ごとにふたりの距離が狭まる。
すれ違う瞬間、陸玖の緊張は最大限に達した。時間が引き延ばされたかのように、ゆっくりと流れる。たった一歩、階段を下りるだけなのに、異常に長く感じる。
そして、何も起こらぬまま、ふたりはすれ違う。
陸玖はそのまま緊張にぎくしゃくする足を動かし、先ほど奏が立ち止まった踊り場まで降りると、そこでようやく緊張を解いて大きく息を吐いた。
その瞬間である。
「レドリック?」
気を抜いていた陸玖の背中に突き付けられた、現実では聞くはずのない名前。
陸玖はとっさに振り向いた。
そこにいたのは、先程とは位置を入れ替え、今度は自分を見下ろす奏の姿であった。
「やっぱり、あなたがレドリックだったんだ」
奏は額に手を当て、やれやれという風に首を振った。
「なるほどね。『赤井』でレッド。『陸玖』でリク。それをもじって、レドリックというわけだ」
「ど、どうしてその名前を……?」
そう尋ねる陸玖の言葉を無視し、「ちょっと待ってて」というと奏は教室へ向かっていった。しばらくして、カバンを持って戻ってくると、
「ついてきて」
そう短く告げると、陸玖の返事を待たずに歩き出した。慌てて追いかける陸玖に振り向きもせず、奏は校舎の1階から渡り廊下を抜け、特別棟に向かう。
美術室や音楽室などの特別授業で使われる教室が入る特別棟の中を奏は人気のない方へと進んでいく。
そして、ある空き教室の前まで来ると、奏はカバンの中から取り出した鍵でドアを開けた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。いったいどういうこと? なんで俺のゲームでのキャラクター名を知ってるの?」
「とぼけているの? それとも本当にわかってない、大バカ?」
奏は苛立ちとともに辛辣な言葉を吐く。
「とっくに、あたしがエイラだってわかっているでしょ」
奏の言葉に、陸玖は頭をぶんなぐられたような衝撃を感じた。
「ほ、本当に沖津さんがエイラなの? 『ミュステーリオン』で俺と同じギルドにいる?」
陸玖の言葉に、奏はやれやれという風にため息をつく。
「オープンβ開始されてすぐに初めて会って、それから一緒にプレイして、ギルドも作って、昨日もボルガニア洞窟でパーティー狩りをした。ついでに夢の中では、レドリックから家とベッドを借りて昼寝をした、バーバリアンのエイラはあたしです。――これで満足?」
「でも、あれは夢のことで…でも、これは現実で……?」
言いつのる陸玖を無視し、奏は空き教室に入る。その教室は、部屋の真ん中で鉄筋の筋違とトタン板の壁だけで区切り、ひとつの教室をふたつに分けた片方の部屋だった。
奏は部屋のはじに置かれたパソコンを立ち上げた。手にしたマウスを動かしカチカチと何かを操作する。
「ったく。やっぱり炎上して、もうスレッドが消化されてる」
舌打ちを洩らす。
「……あった。赤井君、説明するよりこれを見たほうが早いでしょ。このスレの254番の書き込みを読んでみて」
奏から場所を譲られた陸玖は、モニターを覗き込む。
そこに表示されていたのは、某大型掲示板にある『ミュステーリオン・オンライン』の本スレッドであった。
晒し行為など不愉快な書き込みも多いが、ゲームの攻略に関する重要な情報も書き込まれるため、陸玖もこまめにチェックしているスレッドである。
しかし、今朝起きたときに陸玖も確認したばかりのスレッドだが、おかしなことにそのときのレスは200番台で、まだまだ書き込みに余裕があったはずだ。それなのに、すでにスレは1000まで埋められ、次スレも立てられているようだ。
とにかく言われた書き込みを確認しようと、マウスのスクロールボタンをスクロールさせる。1000からスレッドをさかのぼりながら書き込みに目を通してみると、だいたい二通りの書き込みがされているようだった。
ひとつは、荒らし行為をやめろという書き込みだ。そして、もうひとつの荒らし行為と言われている方は、しつこく何かの説明を求めるものだが、その中に頻繁に出てくるのが「紅帝」と「夢」という単語である。
スレッドをスクロールさせるごとに、じわじわと陸玖は言い知れようがない不安と焦燥に駆られた。
「……! そ、そんな馬鹿なことって!?」
ようやく奏が言った書き込みの到達した陸玖は、それを読んで絶句した。
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254 名前:紅帝 投稿日:2012/??/??(?) 9:39:20.14 G7taKUAD0
これはただの夢なんかじゃない
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それは、夢の中で紅帝が告げた言葉だった。