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沖津奏

 聞きなれた電子音によって、陸玖は目を覚ました。


 そこは自分の部屋である。壁に掛けられた時計を見ると、朝の7時を回ったところだ。カーテンの隙間から薄く朝日が射し込む部屋には、かすかにパソコンのうなる音が響いていた。


 こびりついた眠気を振り払うように頭を振るうと、ベッドから降りて、勉強机の上に置かれたパソコンのモニターの電源を入れた。

 わずかな音を立てて、モニターに映し出されたのは、夢の中で見たのと同じ街並みと、そこで露店を広げている自分のキャラクターのレドリックの姿であった。


「……お。売れてる、売れてる」


 昨夜、キャラクターに個人商店を開かせて、それを放置したまま寝たのだが、店に並べておいたアイテムは完売したようだった。所持金が増えていることを確認してから、ゲームからログオフすると、パソコンの電源を落とした。

 あくびをしながら部屋を出た陸玖は、廊下にしつらえた洗面所の前を通りかかった。洗面所の鏡に映った自分と目が合うと、陸玖は夢の中で剣と盾を構える自分の姿を思い起こし、それを真似てみた。鏡に映ったその姿は、夢とは大きく異なり、いかにも素人丸出しの不格好な構えであった。


 そこで、はたと我に返る。


「ちょっと、入れ込みすぎかなぁ……?」


 いくらゲームが好きだからと言って、夢にまで見た上にキャラクターのポーズまで真似してしまう自分に苦笑した。


 父親はとっくに出社していたため、母親とふたりっきりの朝食を摂る。「ゲームもほどほどにしておきなさいよ」という母親の小言を聞き流しながら食べ終えた頃には、そろそろ登校しなければいけない時間になっていた。

 慌てて着替えると、カバンをひっつかんで家を出た。


「行ってきまーす!」


 陸玖の通っている高校は、自宅の最寄り駅から電車でふたつ目の駅にいき、さらにそこから徒歩で10分程度のところにある公立校である。駅から降りて通学路を歩いていると、しだいに同じ制服を着た生徒の姿が増えてきた。

 多くの生徒たちとともに学校についた陸玖が下足箱で上履きに履き替えていると、背後で驚いたような声があがった。


 振り返ると、白い道着と袴姿の女子生徒がこちらを見て、目を丸く見開いていた。格好からすると朝練を終えた剣道部の人間の様だが、あいにくと体育会系とは縁がない陸玖とは知り合いではないはずだ


 首を傾げる陸玖と目が合うと、その女子生徒はわざとらしい咳払いをひとつして表情を引き締めると、その場で踵を返して足早に立ち去って行った。

 いったい誰だろう? と、ポニーテールに結われた黒髪が揺れる背中を見つめていた陸玖に、


「おはー! どうした、陸玖? 小町(こまち)様を見つめちゃって、色気づいたか?」


 そう気安く話しかけたのは、クラスメイトの小倉浩太だ。内向的な陸玖とは違い、お調子者で交友関係も広い浩太だったが、なぜか気が合い、友達づきあいをしている。


「小町様?」


 いったい誰のことを言っているのだろうと首を傾げる陸玖に、浩太は大げさに驚いて見せる。


「なんだ、陸玖。小町様を知らないのか? 女子剣道部のエース! 絶滅危惧種の大和撫子! 冴木(さえき)小町(こまち)様だよ」


 そう言われて、陸玖も思い出した。クラスメイトの男子生徒たちの間で繰り広げられる校内美少女ランキング談義の中に何度も出てきた名前だ。


「へー。彼女が、冴木さんか。って、なんで同級生を『様』づけして呼んでんだよ」

「だって、『様』って感じじゃね? 家も昔から剣道の道場をやってるって話だしさ。近くの警察官とか自衛隊の人とか練習に来るっていうぜ。マジでお姫様」


 いったいどんな理屈でその結論に達するというのか、陸玖は苦笑するしかなかった。

 その間にも浩太は得意げに話し続ける。


「でも、小町様を狙うんなら、よほどの覚悟が必要だぜ。ほら、東条先輩の話は聞いているだろ?」


 浩太の言う東条先輩とは、男子剣道部の部長だった3年の東条光喜のことだ。スポーツ万能な上に勉強もでき、しかも性格も明るく礼儀正しいという絵に描いたような好青年で女子生徒の一部からは『王子さま』の愛称で呼ばれていた。

 周囲からは女性にモテモテの『王子さま』と思われていた彼だったが、実はそれまで女性と付き合った経験がない、奥手な青年であった。そんな彼が初めて恋い焦がれた小町に近づくために必死に考えた方法が、彼女の家の道場に入門するというものだった。


 ところが、彼はわずかひと月と経たないうちに道場を辞めてしまったらしい。しかも、学校の部活で予定されていた引退試合もしないまま、引き継ぎもそこそこに2年生に部長を押し付けると逃げるように引退してしまったのだ。

 いったい何があったのか彼の口からは語られることはなかったため、憶測が憶測を呼び、小町の父親に「娘が欲しければ、わしを倒せ!」と、肉体とプライドを滅多打ちにされて挫折したというのが、もっぱらの噂である。


 陸玖は苦笑して見せた。


「今日、はじめて会ったのに狙っているわけないだろ」

「なんだよ、ひとめぼれって言葉もあるんだぜ。さあ、当たって砕けろ。骨は拾ってやるぞ」

「浩太は、笑い話のネタにしようと、けしかけているだけだろ!」

「あはははは。バレた?」


 浩太とじゃれあいながら教室に入ろうとしたとき、ちょうど教室から出ようとしていた女子と鉢合わせしてしまった。


「……! エ――」


 陸玖は思わず、「エイラ」と口にしそうになった。


 鉢合わせになったのは、彼のクラスの学級委員長をしている沖津(おきつ)(かなで)であった。

 夢の中に出てきたエイラと瓜二つの顔。しかし、夢の中のエイラとは異なり、生徒手帳に書かれた生徒の身だしなみのお手本と言ってもいいような、規則通りの制服に、野暮ったい黒縁の眼鏡をかけ、黒髪はみつあみにして背中に垂らしている。


「おはよう」


 驚きに目を瞬かせ固まっていた奏であったが、すぐにいつものむっつりとしたしかめっ面を作ると、ぼそっと言った。


「悪いんだけど、どいてもらえない?」


 つっけんどんな物言いに陸と浩太ははじかれたように道を譲った。


「おお、こえぇ~」


 奏の姿が廊下の角に消えると、浩太は身体を震わせ、おどけてみせる。


「相変わらず、委員長は怖いな。もうちょっと愛想が良ければ人気者になれるのに、もったいない」


 沖津奏は、クラスで孤立していた。

 それは、初めてのホームルームでクラス委員を決めたときである。

 最初に担任教師が学級委員長を決めようとしたのだが、多少内申が良くなるぐらいの特典しかなく、面倒だけが増える学級委員長など誰もやりたいわけがない。まだクラス内の交友関係もわからない状態では誰かを推薦するような人もおらず、みんなが教師の視線を避けるように顔を伏せていた。


 そんな中で、彼女だけが背筋を伸ばして正面を向いて座っていたのだ。

 どうしたものかと内心で頭を抱えていた教師の目に、周囲とは違う彼女の態度はやけに目立ったことだろう。教師はわずかな望みをたくし、遠慮がちに奏に学級委員長になってみないかと尋ねてみた。


 すると彼女は、大きなため息をひとつつくと、


「このままでは時間を浪費するだけですから、いいですよ」


 ほっとした空気が流れる教室を奏は見回すと、言葉をつづけた。


「ただし、もちろん学級委員長としての仕事に協力してくださるんですよね?」


 他の生徒たちも面倒事を引き受けてくれるのならばと、奏が学級委員長に就任することを歓迎した。


 クラスメイト全員の信任を得て学級委員長になった奏は、まずマジックを手に取ると、ホワイトボードに決めるべき委員の名称を達筆な字で書き連ねた。それから自分のノートを数ページ切り取ると、さらにそれを小さな紙に切り分けていく。


「今から紙を配布します。全員、どれか委員をひとつ選んで名前と一緒に書いてください

。同じ委員に複数の人が被った場合は、その人たちで話し合って決めるなり、じゃんけんするなり、くじ引きするなりして、委員を決めます」


 当然、数名の生徒から不満の声が上がったが、


「文句があるなら、いくらでも学級委員長を替わってあげますよ」


 その一言でみんなを黙らせたのだ。


 しかし、これだけで終わっていればまだよかった。

 決定的となる事件が起きたのは、クラスメイトの顔と名前が一致し、仲のいい人同士でグループが作られてきた、5月の半ばのホームルームのときである。

 奏が議事進行を取りながら月末に行われる校外学習の班や係を決めているとき、一部の女子がホームルームそっちのけでおしゃべりに興じていたのだった。注意をすれば一時は静まるものの、しばらくするとまたおしゃべりを再開する。そんなことを何度か繰り返しているうちに、ついに奏は切れた。


「そこっ! いい加減にしてもらえるっ!!」


 おしゃべりをしていた女子の大半は、さすがに騒ぎすぎたかとおとなしくなった。だが、ひとりだけ不満を露わにする女子生徒がいた。


「だって、いいんちょーのお話が、つまらないんだも~ん」


 それはクラスで一番大きな女子グループの中心的存在の女子生徒であった。遊びやファッション情報に敏感で、周囲のクラスメイトを引っ張って遊びにいくタイプだ。

 挑発的な女子生徒の台詞に、奏は眉をピクリと動かした。


「あいにくと、あなたを面白がらせる暇はないの」

「え~。つまんな~い。きゃははは!」


 あきらかに奏を挑発していた。

 教室に、緊張が走る。だが、下手にかかわって面倒事に巻き込まれたくないため、誰もが息を殺して成り行きを見守るだけであった。


「じゃあ、面白いことをひとつ教えましょうか」


 奏は、ふんっと鼻で笑った。


「今、あなたの周りのお友達が、いっせいに他人のふりを始めたよ。あなた、嫌われたんじゃない?」


 その女子生徒は驚いたように周囲の女友達を見回した。その視線に、数名が思わず顔をそむけてしまう。

 誰だってホームルーム中におしゃべりをしてはいけないということぐらいわかっている。ましてやそれを注意した相手を挑発するなど、彼女たちにとっても予想の範囲外だ。そのことを指摘されて意識してしまった彼女らの引け目が、思わず顔を背けさせてしまったのだ。


 動揺する女子生徒に、奏はさらに追い打ちをかけた。


「確か、あなたは図書委員でしたよね? 図書委員会から、あなたの参加率が悪いと言われてますよ。まともに委員会活動もできないのに、さらに人の邪魔までしないでください」


 その言い方に、言われた女子生徒はカッとなった。


「そんな言い方ないじゃない! だいたい委員なんて、あたしはやりたくなかったんだからね!」

「あれ、そうなんですか?」


 奏は微笑んだ。

 ただし、それは獲物を前にした蛇が浮かべるような微笑みだ。


「それなら、替わってくれる友達がいれば、交代してもいいですけど? お友達の方で、彼女と委員を替わってもいいって方はいますか?」


 再び、その周囲の女子たちは顔をそむけた。

 誰だって面倒な委員なんてやりたくない。当然と言えば当然の結果だが、それをわざわざ白日の下にさらして恥をかかせるような行為に、女子生徒は怒りに顔を真っ赤にし、全身を小刻みに震わせる。


「もう満足したなら、邪魔にならないように黙っているか、教室から出てってもらえる?」


 それが、とどめとなった。女子生徒は目に涙を浮かべると、教室を飛び出してしまったのだ。

 奏は「仕方ないわね」という風に、肩をすくめてため息をつくと、


「時間を無駄にしてしまったわね。さあ、ホームルームの続きをしましょ」


 そういうと何事もなかったかのようにホームルームを再開する彼女に、クラスメイトとともに陸玖は唖然とした記憶がある。


 しかし、さすがに奏はやりすぎた。

 その女子生徒は直接的な報復はしなかったものの、グループの女子に奏を無視させたのだ。さらに、彼女らのグループと付き合いのあるクラスの男子グループもそれに同調した。

 これについては、男子グループの複数の男子が、奏に告白して、こっぴどく振られたのが原因という噂もある。また、そもそも女子生徒が奏に突っかかったのも、彼女が好意を寄せる男子生徒が、その振られたひとりだったらしい。

 確かに、そうしたことが噂だけとは思えないぐらい、沖津奏は美少女に間違いなかった。

 やぼったい黒縁の眼鏡をやめてコンタクトにし、もう少しファッションに気を使えば、最近のテレビで大量生産されているアイドルグループの女の子より、よっぽど美人だ。ひそかに彼女に好意を寄せている男子は、決して少なくない。


 だが、確実に彼女を口説き落とせるならばともかく、そんな勝ち目の少ない勝負に出て惨敗した挙句、その他のクラスメイトから敬遠されたがるような男子はいなかった。

そのようなこともあり、女子ばかりか男子まで奏を敬遠するようになってしまったのだった。


 しかし、奏自身はそんなクラスの雰囲気など気にする素振りも見せず、淡々と学級委員長の責務をこなしている。

 今朝の夢のこともあり、何となく彼女のことが気になってしまう陸玖は、暇さえあればつい彼女の姿を目で追ってしまっていたが、彼女が学級委員長として以外にクラスメイトと話している姿は一度として見ることはなかった。

 孤高と言えばいいのかもしれないが、その姿に陸玖はなぜか寂しさを感じずにはいられなかった。




「次の時間は自習にします。今プリントを配布するから、それをやっておくように」


 昼休みが終わり5限目の始まりを告げるチャイムが鳴ってから、ずいぶんと遅れてやってきた教師は、いきなりそう告げた。

 そして、あわただしくプリントを配布すると、すぐに教室から出て行ってしまう。

 そんなおかしな教師の様子に、陸玖は不穏な空気を感じた。


「いったい、なんで自習になったんだ?」

「それがよ……」


 陸玖の問いに、浩太は声を潜めて答えた。


「3年生の男子が、今朝死んじゃったんだってさ。それで急きょ、職員会議らしいぜ」

「死んだ? まさか、自殺?」


 思いもかけない内容に、陸玖は眉をしかめた。


「うんにゃ。なんでもベッドの中で死んでいたらしいけど、遺書もないし、外傷もないし、なんだかよくわからんらしいよ」


 浩太は、ひょいと肩をすくめる。


「でも、ほら最近さ、イジメで自殺ってニュースとかでやってるだろ? そんなことになったら大変だって、先生たちは大慌てて会議するみたいだぜ」


 どこからそんな情報を仕入れてくるのか分からないが、浩太の情報網の広さを知っている陸玖は、なるほどと納得した。

 それから浩太を中心にし、配布されたプリントの課題を分担してやろうと相談が始まった。その中に加わりながらも、陸玖の胸の奥底では得体のしれないドロリとした不安がこびりついて離れなかった。


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