ゆきだるまとしょうじょ
私達の残り時間がわずかしかなくて。
繋がっていられる時間も少ないなら。
そしたら私はあなたの為に何が出来るのでしょう?
何を願えるでしょうか?
雪が降っていた。
聖夜の夜に相応しいくらい綺麗な雪だった。
降り積もる公園で、俺は一人の少女を見つけた。
「何をしているの?」
その子は俺と同じだった。
この寒い中を、一人で遊んでいた。
俺もその子も、本当の意味で一人だった。
だからだろうか。
俺は、少女に話しかけていた。
「ゆきだるまつくってるの」
たどたどしく、彼女はそう言った。
彼女の手には小さな雪玉。
それが雪だるまになるには、まだまだ時間がかかりそうな。
それくらい小さな雪玉だった。
それでも、彼女は一生懸命に雪玉を転がし続けた。
手袋もマフラーもしないで。
彼女が身につけているのは少し大きめの白いコートだけ。
それは、雪のような白い髪と同じくらい綺麗なものだった。
でも、何故か見ていると不安を覚える。
このまま彼女は雪に溶けてしまうんじゃないかって。
俺には関係のない少女なのに。
何故か消えてしまう事に恐れを感じた。
だから――
「なぁ、親とかはいないのか?」
自然とその言葉が口から出ていた。
雪玉に集中していた少女は再びこちらを向いた。
「おにいさんはろりこんさんなの?」
小首を傾げながら少女は言った。
「へ?」
「おにいさんくらいのオトナのひとがわたしくらいのねんれいのおんなのこにはなしかけたらはんざいだって」
「い、いや。別に俺はそんなつもりで」
「あ、このはんのうはばれてあせってるときのかおだ」
「違うわ!」
「……っ!」
しまった。つい、女の子に対してきつい言葉を……。
「ご、ごめん。ただ、ちょっと心配になっただけなんだ」
「しんぱい?」
「ああ、ほら。君、一人みたいだったから」
「……うん。ひとりだよ。だからともだちつくってるの」
「友達?」
「これ」
両手に持った雪玉を掲げる。
そっか。
この子は雪だるまで友達を作ろうとして……。
俺との会話を終えたと思ったのか。
彼女は再び雪玉を転がし始めた。
ゆっくりゆっくり、その雪玉は大きさを増していく。
こんなペースじゃいつ出来るかなんてわからない。
…………。
「ねぇ、それさ。俺も一緒に作っていいかな?」
「……?」
何を言ってるのかわからない。
そんな顔だった。
「二人でやればきっと早く終わると思うんだ」
「でーと?」
「いや、そういうことではなく」
なんだかんだ説明を加えながら説得し、ようやく一緒に作るところまでこぎつけた。
俺は一体何をやっているんだろう?
なぜ、この女の子と一緒に遊んでいるのだろう。
二人で手分けして雪玉を作る。
手袋をしてなかったから触る雪がとても冷たい。
痛かった。
色んな事が。
気が付いたら何もなかった。
独りで、何もなくて、からっぽで。
そんな生活を送っていたから。
彼女が気になったのかもしれない。
どこかしら似ている、この少女が。
雪の降る中転がし続ける。
もう、どれだけ転がしたのだろう。
三十分くらい経ったのだろうか。それとも一時間?
時計も何もなく、ただ雪が降り続けるだけの世界では時間の経過なんてわかりはしない。
ただ、もう、手がかじかんで動かない。
感覚も余りない。
だが、そのかいあってか、雪玉は中々の大きさになっていた。
横を一生懸命に転がしていく少女の手の中にある雪玉もまた、それだけの努力が実っていた。
「そろそろいいだろ」
「うん」
二人の雪玉を合わせる。
俺の雪玉を土台に彼女の作った雪玉を乗せる。
「できた……」
「そうだな」
俺達の前に現れた雪だるま。
まだ顔も作っていないけど、形は立派に出来たと思う。
…ちょっと歪ではあるか。
でも、まぁ素人が作ればこんなもんだろう。
「……ねぇ、おにいさん」
「ん?」
「なまえなんていうの?」
「名前?そういえば、この雪だるまの名前決めてなかったな」
「そうではなくて」
小さく首を振る。
「あなたのなまえ」
「俺の?なんで?」
「いっしょにつくったのなら、ともだち」
「友達か……」
「だめ?」
心配そうに覗きこむ。
そんな彼女に俺は笑顔で答えてやった。
「いや、駄目じゃない。今日から俺達は友達だ」
「うん」
彼女は無表情で頷いた。
なんとなく、その無表情に嬉しさを感じさせながら。
「ここがおうち?」
「そうだよ」
「……ぼろい」
「……まぁお金ないからな」
手がかじかんでた俺と少女は一旦自分の家へ戻ることにした。
「とりあえず、なんか飲むか?」
ユキ。
自分の事をそう名乗った少女。
その少女はずっと部屋の窓から外を眺めていた。
降り積もる雪一つ一つを目で確認でもするかのように。
そんな少女が俺の声に反応してトテトテと近寄ってきた。
ユキの前にいくつかの飲み物を見せてやる。
コーンスープにココアに牛乳。
とりあえず、俺の家にある身体が暖まるものと言ったらこれくらいだ。
「うーん」
口元に指をやりながら一生懸命に悩んでいる。
その間、俺はやかんでお湯を沸かす事にする。
……ポットなんて文明機器が家にある訳ないだろ。
「決まったか?」
「あの……これってぜんぶあったかいのみもの?」
「ん?そうだぞ。外は寒いしそっちのがいいだろ」
「わたし、つめたいのがいい」
「……マジか」
さっきまで、極寒の寒さの中、二人雪だるまを作ってたってのに。
それで、冷たい飲み物を欲しがるなんて、最近の子供ってハイスペックなんだな。
「じゃあ、その牛乳。それ冷蔵庫から出した奴だからそれ飲んでくれ」
「はい」
自分でコップに注ぐ。
そして、トテトテとさっきの定位置に戻っていってしまった。
「窓側は寒くないか?」
「へいき」
「雪、好きなのか?」
「そんなに」
「好きじゃないのに、見てるのか」
「これしかないから」
「……ああ」
確かに、俺の部屋ってなんにもないもんな。
必要だと思うもの以外は買ってなんかないし。
テレビだって本だってない。
この部屋は本当に雨風を凌ぐ以外の仕事を果たしていない。
そりゃ、退屈だよな。
「よし、じゃあ明日買い物行くか?」
「かいもの?」
「ユキの好きなもの買ってやるよ」
「……でーと?」
「いや、そうじゃなくて」
どうも会話が上手く成り立たないな。
「ずっと雪ばっか見てても退屈だろ?だから、暇つぶしになるようなものくらいなら買ってやるって言ったんだよ」
「……いいの?」
「ああ、いいよ。……友達だしな」
「ありがと」
そう言ってユキはまた窓に目を向けたのだった。
「おい、ユキ。ご飯だぞ」
「うん」
結局、ユキは晩飯の時間までずっと窓を眺めていた。
さっきは好きじゃないって言ってたけど、その割にはそれしかしてないな。
やることがないってのも、もちろんあるだろうけど、それにしたって真剣に見つめ過ぎやしないか?
我ながらおかしな子と知り合ったもんだ。
……って、ちょっと待て。
「ユキは家に帰らなくてもいいのか?」
「いえ?ここ……」
「あー、ここも家だけど、自分の家だよ」
「そんなのない」
「ない?」
「うん」
また余計な事でも聞いたかな。
表情を見る限りには特に気にしてないみたいだけど、あまり深く追求するのはよした方がいいかもな。
そんな事を考えながら小さいテーブル(テーブルと呼ぶ程の大きさもないのだが)に晩飯を並べて行く。
一人暮らしに必要な程度のテーブルには二人分の量を置くだけで精一杯だ。
「これで、いいかな」
なんとかギリギリまで使って全てを置き終える。
その頃にはユキもちゃんとテーブルの前で座っていた。
「買って来た惣菜だけど我慢してくれよ」
「うん」
自分で料理出来ればいいんだが、残念ながら俺にはそんな腕はない。
この家にも台所があるにはあるんだが、色んな意味で新品同然の清潔さを保っていた。
「んじゃ、いただきます」
「いただきます」
二人、手を合わせて食事を始める。
「ふむ……」
なんとなくユキの食べる姿を観察していた。
意外と食べる姿はしっかりしていた。
箸の持ち方もしっかりしている。
家もないなら多分、家族もいないはずだ。
その割には変なところがしっかりしているな。
「……なに?」
ずっと見られていたのがばれたのか、気が付くとユキは箸を置いてこっちを見つめていた。
「みられるとたべにくい」
「ああ、ごめんな。いつも一人で食ってるから珍しくてな」
「いつもひとりなの?」
「そうだな。基本的には誰とも会わないしな」
そう、いつも一人だった。
もしかしたら、昔は友人が居て色んな人と遊んでいたのかもしれない。
もしかしたら、恋人が居て一緒に過ごしていたのかもしれない。
全て、仮想の話だ。
仮の話だ。
実際にそんなことが起きたのか。
そんな事はどうでもいい。
もしかしたらあったのかも知れないし、なかったのかも知れない。
だが、どちらかなんて関係ないんだ。
だって、今こうして俺は一人で生きているのだから。
それが全てだ。
「さみしくないの?」
「ずっと一人だしな。慣れたよ」
「そう」
嘘だった。
人間は一人で生きられない。
そんな事は嫌ってほど思い知った。
仲良く歩いてる人間を見ると、心が痛む。
それが嫉妬なんだって気付いた時、俺は人と関わる事が無くなった。
もう、関われなかった。
人の多い所も、人の居る店内も、もうそこに居ることが出来なかった。
「わたしもひとりだったの」
「そっか」
だから、俺はユキに声をかけたんだ。
俺と同じ感じだったから。
一体、俺はどんな気持ちで彼女に声をかけたんだろう。
同情?
……そうだな。
俺みたいになって欲しくない、そういう同情だった。
酷い話だ。
ユキは本気で友達だと思ってくれているのに。
「だからね、ともだちつくってた」
あの時の雪だるま。
きっと俺が居なくても彼女は作り続けていたはずだ。
たった一人で。
一体どんな気持ちなんだろう。
俺だって、その歳だったらさすがに友達の一人は居たはずだ。
だが、彼女は最初から一人だった。
家も、友達も、おもちゃも、何もなくて。
雪が降り続けるのを見ていることしか出来ない。
自分で雪だるまを作って、それを友達にすることしか出来ない。
「寂しかったか」
「うん、だれもいないの、つらかった」
顔の表情からは何を思っているのか読み取れない。
会ってからずっとユキは表情を見せなかった。
笑うことも泣くことも、怒ることだってなかった。
でも、それが出来ないことなんだって知ってしまった。
無表情で辛いと、寂しいと、そういう事を言えるのか。
普通の子供なのに。
ユキは知らないのだ。
子供が持つべき、人間が持つべき感情を知らなかった。
だから、さっきのユキの言葉は本音であって、そして心からの精一杯の感情なんだって気付いた。
「そっか……」
「でもね」
ふるふると首を振る。
「ともだちができたからいいの。もうさみしくないの」
「ユキ……」
「これからもいっしょにいてほしい」
「俺はどこにも行かないよ」
「うん」
ユキは小さく頷いた。
「お風呂はどうする?」
「へんたい」
「いやいや……」
ご飯を食べたユキはまたいそいそと窓側に移動していた。
……もうそこが定位置になりつつあるな。
「いいから風呂入ってくれよ」
「やだ」
「どうして」
「やなもんはやだ」
ぷい、とそっぽを向いてしまった。
「仕方ないなぁ」
まぁ、一日くらいなら大丈夫だろ。
もう何を言っても聞く耳とか持ってくれなさそうだしな。
「んじゃ、もう寝るか」
「ん」
押入れから布団を取り出す。
そこで気付く。
「一つしかねぇ……」
今、部屋には敷かれた布団が一つ。
考えれば当たり前か……。
てか、もっと最初から考えておけばよかった……。
「どうしたの?」
俺が布団見ながら固まっているのが気になっているのかユキが寄って来た。
「ん、いや。ちょっとな」
「……?」
「すっかり忘れてたんだが布団が一つしかなくてな」
「……へんたい」
「いや、だからそういう訳じゃなく」
「わたし、いいよ」
「へ?」
「わたし、さむいのはへいきだから」
それはつまり、俺に布団を譲ってくれると?
確かにそれはありがたい。
だけど……。
「この部屋、夜中はもっと冷えるんだぞ?」
「だいじょうぶ」
「そんなわけあるか」
無理矢理、布団に寝かせる。
「はふっ!」
「いいからそこで寝ときなさい」
ユキをその場に寝かせて俺はコートを羽織る。
まぁ、ないよりはマシだろ。
とりあえず、一番寒くなさそうな場所を探す。
これじゃあ、まるで猫みたいだ。
うろうろうろうろ。
……駄目だ。俺にはどこも同じに感じる。どこも寒い。
「もう……」
人一人入るのもやっとな台所から抜け出した辺りでユキが俺の手を引っ張った。
少し冷たい。
「ちょ、どうした?」
「こっち」
「いや、こっちは……」
「いいの」
ユキが先に入って、そのまま手を引かれるままに俺も布団の中に。
「いいのか?」
「わたしはだいじょうぶ」
「そっか」
それでも、なんとなく距離は置く。
触れない程度の小さな距離。
「あったかい?」
「そうだな」
「よかった」
人の温もりがこんなに暖かいとは思わなかった。
久しぶりの感覚だ。
とん…。
ユキの手が背中に触れた。
冷たい。
ひんやりとしていた。
「つめたいな」
「うん」
「寒いのか?」
「ううん、あったかい」
「ホントか?」
「うん、ぽかぽかする」
「そっか」
暗闇の中、息だけが聞こえる。
すー…すー…
それは次第に寝息へと変わっていた。
ユキを起こさぬようにそっと体勢を変える。
目の前にユキの寝顔。
なんの警戒も見せない素直な寝顔だった。
本当に今日初めて会ったとは思えない程に、ユキは安心しきっていた。
まるで、人を疑うなんてことを知らないかのように。
「……親に捨てられたのに、信じられるのか」
ユキから事情は聞いてない。
彼女が一人だった理由も、今までどうやって過ごしてきたのかも、俺は聞いてない。
ただ、この寒空の下、少女が孤独だったなんて理由が他に考えられるのだろうか。
たった一人で友達を作ろうとしている彼女が。
ユキを産んだ家族に怒りが沸いた。
布団の中、気が付けば俺は拳を握りしめていた。
それは、久しぶりに感じた他人へ向けた感情。
無くしていた、忘れようとしていた、他人を思う気持ちだった。
朝。
ひんやりとした感覚が俺を起こした。
ユキが触れているだけだろう。
最初はそう思った。
でも、何かが違う。
この感覚は誰かが触っているというより……
「……って、まさか!」
一抹の不安が頭をよぎり勢いよく起き上がる。
そのままの勢いで布団をめくる。
「あー……」
案の定、そこにはしっかりとした世界地図が描かれていた。
そのすぐ隣にいた犯人はなんというか無表情だけどどこか申し訳ない様な、そんな感じがした。
ユキのそばにはハンドタオル。
こんな柄は見たことがないので、多分ユキの私物だろう。
「それで拭こうとしてたのか」
こくり、と頷く。
隠そうとしたのか、はたまたなんとかしようと奮闘したのか。
どちらにせよユキは努力をしたはずなのだ。
それを怒ることは出来ない。
「ま、洗えばいいか」
今日中に乾くかはわからないけど。
もし乾かなかったら今日は極寒の中、夜を過ごさねばならない。
濡れたシーツをそのまま洗濯機へぶっこむ。
少々、無茶な洗い方をしても最近の洗濯機は壊れたりしない。
適当な容量の洗剤だけ入れてあとは放置することにする。
戻ってくるとユキはまだその場にいた。
ずっと布団のあった場所を見つめている。
「もういいぞ」
「ごめんなさい」
俺の目を見て彼女は言う。
「別に怒ってないよ。とりあえず、朝飯にするからそれまで待ってな」
「うん」
もう一度、顔を見た後、ようやくユキは立ち上がりいつもの定位置へと歩いて行った。
「雪か……」
開いたカーテンの外は一面銀世界だった。
どうりで寒い訳だ。
一昨日くらいからずっと降ってるな。
こっちは余り降らないんだが、今年は豊作らしい。
と、言っても喜ぶのは子供くらいで大人の俺からしてみれば、ただただ面倒なだけなのだが。
適当に食材を冷蔵庫から選んで火にかける。
わざわざ朝早くから火を使う料理を選んだのは単に暖まりたかっただけだったりするのだが。
揺れる火に手をかざしながら今日の予定を考える。
「とりあえず、どっか買いに行かないとな」
昨日、そう約束した。
ユキの暇つぶしになるような物を買ってこようと。
何を買えば彼女が喜ぶのかはわからない。
でも、まぁ商店街に行けば欲しいものくらい見つかりそうなものだ。
今はちょうどクリスマスシーズンだし子供向けのおもちゃもたくさん並んでいることだろう。
やることは決まった。
フライパンから焼けた目玉焼きを取り出して、お皿に盛る。
俺が作れる唯一料理らしい料理だった。
「ほら出来たぞ」
空から降って来る雪を眺めてるユキを呼ぶ。
そういえば、雪の中で会った少女の名前がユキだってのはちょっとした運命なんだろうか?
なんか表情もないところとか手が冷たいとことか。
まるで雪のような少女。
でも、それは見た目だけで中身は優しい女の子だ。
まだ知りあって間もないけど、それだけはわかる。
そんなユキがとてとてとこちらにやってくる。
「めだまやき?」
「ああ、知ってるだろ?」
「はじめてたべる」
「マジか……」
目玉焼きも食べた事がないなんて、あそこに居る前はどこかのお金持ちの家にでも住んでたのだろうか?
確かに言われてみれば着てる服もどことなく高級そうな……。
「なに?」
「いや、なんでもない」
余計な詮索はよそう。
視線をユキから目玉焼きへと切り替える。
ちなみに、パンなどない。
目玉焼きだけ。
「ごめんな。物足りないだろ?」
「ううん、だいじょうぶ。そんなにおなかすいてない」
「なら、いいんだけど。お腹空いてたら言えよ。買えるものなら買ってくるから」
「ありがと」
そう言ってゆっくりと食事を済ませて行く。
俺もそれ以上は何も言わず、ただ静かな時間だけが過ぎて行った。
「じゃ、出かけるか」
「うん」
朝食を済ました俺とユキは、することもないので早速外に出る事にした。
俺は完全な防寒着に身を包んでいるのに対してユキは薄そうな白いコートのみ。
見ているだけでも寒くなりそうだ。
「そんなんで大丈夫なのか?」
「これでもちょっとあついくらい」
「すげぇ……」
そんなんで冬が過ごせたらどんなに楽か。
寒いのが苦手な俺に取って、この時期はホント地獄でしかない。
そんな日に出かけようなんて今まで思わなかったくらいだ。
ユキがいなかったらきっと今日も引きこもっていただろうな。
人と接しない毎日。
でも、それは昨日終わった。
ユキと出会って、接して、守ってやろうと思った。
だから、少しは世界を見て行こう。
俺が目を背けても、結局どうにもならないのだから。
「準備出来たか?」
「うん」
ドアを開ける。
途端、急速な冷気が辺りを包み込む。
「寒い……」
思わず口にしてしまう程の寒さだった。
これ、昨日より気温が低いんじゃ?
凍え固まってる俺をよそにユキは涼しげな表情で外へと出る。
本当になんともなさそうだな……。
「いかないの?」
「いや、行くよ」
このまま、ここに居たって仕方ない。
寒さで固まる足を必死で動かしどんどん歩いて行くユキの後を追った。
「ここ?」
「ああ」
少し歩くと小さなショッピングモールみたいな大きさの商店街に辿り着いた。
商店街と言うと少しイメージが古臭い感じがするがここはそんなことはない。
若い女の子が来るような洋服店があれば、子供が遊ぶ公園もあるし、なんか知らんが盆栽を売ってる店もある。
とにかく、そんな新しい物から古くからあるもの全てをごちゃまぜにしたような所だった。
ここに住む人からはここに来れば大体の物は揃う。
そんな風に言われているらしい。
だから、俺もここに来た。
ここに来ればきっとユキの欲しいものも見つかるだろう。
「すごい。ひとがたくさんいる」
「そうだな」
今日が休日とあってか、はたまたクリスマス間近だからか、もしくはその両方か。
理由は定かではないが、ユキの言う通り確かにそこにはたくさんの人で溢れていた。
俺が少し、進むのを躊躇してしまう程に……。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとな」
「ここ、やなの?」
やっぱり、なんとなくわかってしまうもんだよな。
「あんまり人が多いと、ちょっと怖くてな」
「……」
ぎゅ。
ユキが手を繋いでくれた。
冷たいけど、暖かい手。
ユキは俺を見上げながら「だいじょうぶ」と言ってくれた。
ほらな、やっぱりこの子は優しい子なんだ。
「いこ?」
「ああ」
俺はユキに腕を引かれながら、商店街の中へと進んだ。
これじゃ、どっちが大人かわかったもんじゃないな。
「おみせがいっぱいある」
「まぁ、ここら辺で唯一の名物場所だしな」
商店街の中は外で見る以上に賑わいを見せていた。
一面クリスマス一色となった店の数々。
サンタのコスプレをした店員も少なくはなかった。
その事をユキに話してやるとユキは首を傾げて
「サンタってなに?」
そんなことを言われてしまった。
「サンタってのはクリスマスにプレゼントを運ぶ人のことを言うんだよ」
「プレゼント?」
「ああ」
「それってなに?」
プレゼントまで知らないのか……。
「うーん、大切な人に送る贈り物って感じかな?」
「それじゃ、サンタさんなの?」
「誰が?」
指を差す。俺に向けて。
「俺が?」
こくり、と頷く。
「俺はサンタじゃないよ」
俺はそんな幸せを誰かに渡すような事をするような人間ではない。
そんな事、俺には出来ない。
「でも、わたしにプレゼントくれる」
「まぁ、確かに」
「……もしかして、わたしはたいせつなひとじゃない?」
無表情。だけど、そこには何となく寂しげな表情。
なんとなく、そんな感情が見えた気がした。
だから、俺はしっかりと否定した。
「そんなことないよ」
首を振る。
「ほんと?」
「当たり前だろ?大切なんかじゃない奴にプレゼントなんか渡すもんか」
「ありがと」
無表情のままのユキ。
でも、なんとなくその表情が笑顔のようにも見えた。
「ここがいい」
「ここか?」
彼女に引っ張られるままに進んだ先。
そこにそのお店があった。
「小物屋か?」
店の窓から並ぶ小さいガラス細工達。
それ以外にも陶器みたいなものまで。
小物だったらなんでも揃っていそうなお店だった。
「ここがいいのか?」
もっかい聞く。
この子くらいの歳ならもっと人形とかに興味を持ちそうなもんだと思うんだが。
「うん、だいじょうぶ。わたし、こういうのすき」
「そうか」
まぁ、ユキが言うならそれでいいだろ。
元々、ユキの欲しかったものを買いに行くだけだったからな。
店の中に入る。
外で見た以上に綺麗な店だった。
「いらっしゃい」
店の中にはレジに座る物静かそうなおじいさんだけ。
この人がここの店主だろうか?
それ以外には誰もいない。
外での喧騒から離れた別の空間。
ここは外から切り離された別の世界のようにも感じた。
「ここに人が来るなんて珍しいね」
ゆっくりとした口調でおじいさんは言った。
孫が遊びに来てくれたような、優しい笑顔。
人との関わりを持つ事が苦手な俺でも、この人は大丈夫。
そう、直感で感じさせてくれるような人だった。
「綺麗なガラス細工ですね」
「ありがとうよ」
優しく微笑む。
「ねぇねぇ、おじいさん」
俺の手を引っ張っていたユキがいつの間にか離れ、おじいさんの所へ。
その手にはどこから持って来たのだろう、一つの雪だるまを持ってきていた。
もちろんガラスで出来た物なのだが。
「これって、ゆきだるま?」
「おお、よくわかったねぇ。そうだよ」
「これはおともだちなの?」
「お友達?」
「うん」
ユキにしては珍しく真剣な口調だと思った。
そのことを、おじいさんもわかってくれたのだろう。
「そうだよ。それは友達だ」
そう言ってくれた。
「そうなんだ」
それだけ聞いて満足したのかユキはとてとてとこちらに歩いて来る。
さっきの真剣さのかけらはもう無く、こちらに戻って来た時にはすでにいつもの無表情に戻っていた。
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
「欲しい物は見つかったか?」
「うん。でも、だいじょうぶ。ほかにいこう」
「欲しい物あったんだろ?買わなくていいのか?」
「いいの。だって、おじいさんのともだちだから」
ユキの手にある雪だるま。
おじいさんが友達と言ったそのガラス細工。
ユキはそれが欲しいのか。
「構わないよ」
俺達の話を聞いていたのか、おじいさんは少し離れた場所でそう告げた。
「その子を連れていっておくれ」
「でも、おじいさんのおともだち……」
「いいんだ。私はもう余命が短いからね。遅かれ早かれその子とお別れしなくちゃいけなくなるんだ」
杖をついてゆっくり起き上がる。
その身体はもう限界なのだとユキに教えているかのように。
「考えて御覧?もし、私がこの世から居なくなったら残ったこの子達はどうなる?一人寂しく残ってしまうんだ。だったら、今お別れして新しい人に連れて行って貰った方がよほど嬉しい」
ゆっくりと近づく。
そんな光景に耐えられなかったのか、ユキの方からおじいさんの方へと駆け寄っていた。
「ほんとうにいいの?」
「ああ、大切にして貰えればね」
「うん、たいせつにする」
「それはよかった」
この店に入って何度もおじいさんの笑顔を見たけれど、それらが霞んでしまう程、今の笑顔は輝いていた。
なんとなく思う。
あの時のおじいさんの発言は、友達なんだっていう発言は少し違うんだなって。
大切に思ってる。
でも、それは友達と言うよりかは、子供。
自分の子供を見ている様な、そんな感覚なんだ。
誰よりも、何よりも、大切に思ってる。
自分が居なくなる前に少しでも寂しい思いをさせないようにしなくては。
きっとそんな風に思っているんだろう。
そう思ってしまったら、俺も自然と手が伸びていた。
「おじいさん。俺もこれ貰っていいかな」
手に取ったガラス細工は小さなクリスマスツリーだった。
ユキのに合わせるのならこの辺がベストだろう。
「おにいさんもかうの?」
「二つあればお互い寂しい思いをしなくて済むだろう?」
「……うん」
今、一瞬微笑んだ気がする。
気のせいかもしれないけど、ユキが初めて顔に感情を表したような気がした。
「二人ともありがとうね」
「それで、これっていくらなんだ?値札がどこにもないんだけど……」
「それは君達にあげるよ」
「え?でも……」
「いいんだ。彼らを持って行ってくれる。私なりの気持ちさ」
「……ありがとう。おじいさん」
「ありがと」
「それは、こちらのセリフさ。本当にありがとう」
深くお辞儀をした俺達はそのまま店を後にした。
「……」
外に出た後、ユキはガラス細工を空に掲げていた。
きっと、晴れていれば光が反射して綺麗に輝くことだろう。
晴れていれば……。
外は相変わらずの雪。
彼女の持つ雪だるまが輝く事はなかった。
それでも、ユキは天に上げ続ける。
高く。高く。
なにをしているのかわからない。
雪を付けているのか。
それとも光があると信じて諦めていないのか。
そのどちらでもないのか。
それはわからない。
ただ、その時のユキはなんだかとても一生懸命で。
俺は何も言わず、何もせず、その光景だけを眺めていた。
「ねぇ」
「ん?」
「あれはなに?」
ユキの指差した方向。
そこには飾り付けされた大きなクリスマスツリー。
「あれ、おにいさんがもってるのににてる」
「ああ、同じものだよ」
ポケットに入れていたガラスを見せる。
「これなんていうの?」
「クリスマスツリーって言うんだよ」
「くりすますつりー?」
「ああ、もうすぐクリスマスだからな」
「さんたさんとかんけいあるの?」
「うーん、どうだろうな?」
確かにクリスマスの日の為の飾り付けなのだから何か関係があってもおかしくない気がするんだけど。
サンタが来る為の目印?
でも、それは煙突だったような……。
「わからんなぁ」
「うん」
二人で見上げる。
巨大な大木に豪華な飾り付け。
商店街の中とは思えないくらいに立派なツリーだった。
何となく、さっきユキがやっていた事を真似してみる。
ガラスで出来たツリーを空へと掲げる。
別にそれで何かが起こる訳でもない。
でも、何かがわかるかと思った。
この無表情な少女が何を思い、何を願っているのか。
ユキの考えがわかるかもしれないと思ったのだ。
彼女の事を知りたい。
その一心だった。
「……」
でも、わからない。
結局、いつまでやってもこの行動に意味なんて見出せなかった。
「……行くか」
ツリーをポケットにしまう。
これ以上は、ユキも飽きてしまうだろう。
「もういいの?」
「ユキも飽きたろ?」
「ううん、だいじょうぶ」
「本当か?」
「うん、どこをみてもあたらしいものばかりでたのしい」
「そっか」
見た感じ表情が余り変わらないから何とも言えないが、嘘は付いてないだろう。
この子は嘘なんか付くような子じゃないんだから。
きっと楽しんでくれているに違いない。
「それじゃ、いろんな所に周ってみるか」
「うん」
ユキに色んなものを見せてやりたい。
色んなものに触れ、色んな事を経験すれば、いつか笑うんじゃないか?
笑顔すらも知らないこの女の子に表情を与えてやりたかった。
ユキの手を引く。
傍から見たら親子に見えるのだろうか?
それとも兄妹?
もし、そうならそれでもよかった。
俺はこの子を養ってやる。
その為ならどんなことでも出来そうな。
そんな気がした。
「ただいま」
「ただいま」
二人揃って玄関で靴を脱ぐ。
ぶらぶらしたものの結局何も買わずに帰ってきてしまった。
一応、子供のおもちゃが売られている店にも行ってみたもののユキは何一つ欲しい物は無さそうだった。
だから、彼女の手にあるのはあのガラス細工の店で貰った雪だるまとクリスマスツリー。
寂しくないから、と今は両方とも彼女の手の中にある。
それを持って家に上がったユキは早速二つを並べていた。
「……って、わざわざそこでやらなくてもいいだろうに」
ユキが座っているのはいつもの定位置。
窓の縁に二つを乗せてそれをじっと眺めていた。
ただ、それだけ。
ユキの視線の対象が雪からガラス細工に変わっただけのようにも思えた。
だが――
「ともだちふえた」
ユキがそう呟いた時、全然そんなことはなかったと確信した。
これで、よかった。
ユキが欲しかったのはおもちゃなんかじゃない。
「友達か」
どんな時でも一緒に居てくれる友達。
ユキが欲しかったのはそれだった。
「これで寂しくないな」
だって、今ユキの周りには三人も友達が居るのだから。
「うん」
そう、こくりと頷く。
「じゃあさ、名前付けてあげようぜ」
「なまえ?」
「友達なのに名前で呼ばないなんて寂しいだろ?俺はお前の事をユキって呼んでるしお前だって――」
あれ?
そういえば、ユキは俺の事を名前で呼ばないな。
「……」
「……名前で呼んでみ?」
「や、やだ」
ぶんぶんと首を振る。
「なんで?」
「は、はずかしい」
「俺は恥ずかしくなんかないぞ?いつも呼んでるだろ?」
「おにいさんははずかしくなくても、わたしははずかしい」
うつむく。
言葉以外で感情を表に出した姿を見たのは初めてだな。
「でも、言ってくれたら嬉しいのになぁ」
「……うぅ」
さらに恥ずかしがる。
ちょっと面白いな……。
「言ってくれないのかな?」
「……わかった。がんばる」
うつむいた顔を上げる。
そこには恥ずかしそうに見つめるユキの顔。
「……た」
「……たくみ?」
「うん?」
「な、なんでもない!」
またうつむく。
そんなユキが何故かとても愛おしくなった。
「……どうしたの?」
「え?」
「ないてる」
頬を伝うなにか。
冷たくて、どこか暖かくて。
それが涙だと気付いた時には、もう止まらなかった。
「なんで……?」
わからない。
なんで泣いてるのかわからない。
何が悲しいのか、わからなかった。
それでも、意味も無く涙は流れ続ける。
いくら押し留めようとしても溢れて来る。
「……たくみ?」
ぎゅ。
ユキが手を握ってくれる。
冷たい、でも暖かい手。
もう、何度も触れているはずなのに。
今までで一番暖かく感じた。
心が、安らいだ。
「……そっか」
寂しかったんだ。
人と関わらないで生きていくことなんて不可能だ。
それはわかっていた。
全てが自分の思い通りに行く事なんてなにもないんだから。
だから、理想を捨てて妥協した。
最低限の交友。最低限の付き合い。
それで、上手くやっているつもりだった。
今までだってそうして生きて、そのまま当たり障りもなく生きていけると。
でも、妥協を重ねても、未来は同じだった。
適当な付き合いをしていた人間はどんどん離れて行った。
一人、二人。
連鎖の様に、それは勢いを増して迫ってきた。
半分くらいが去った時、俺は慌てた。
「孤独」を求めていたはずが、いつの間にか「孤独」に怯え始めていた。
必死になって彼らに向き合った。
でも、もう駄目だった。
遅すぎたんだ。
そして、俺はあの時望んでた「孤独」を手に入れた。
心配そうな目でユキが俺を見る。
表情は変わらない。
でも、わかる。
だってこんなに手が震えてるんだから。
あの極寒の寒さですら震えなかった彼女が、震えてるのだから。
「ありがとな、ユキ」
優しく頭を撫でる。
それを目を閉じて受け入れる。
雪の中、一人で雪だるまを作っていた彼女。
それを見た時、俺は彼女の事を可哀想に思ったから話しかけた。
でも、本心は違ったんだ。
知らない所で、俺は関わりを求めていたんだ。
寂しくないように。
それなら、誰でも良かった。
ただ、ユキが少し他の人と印象が違ったから話しかけただけだった。
最低だ。
わかってる。
でも、そんな俺をユキは真っすぐ見ていてくれた。
素直な、純粋な表情で、俺と面を合わせていた。
それが、俺にはとても嬉しくて。
「……どう、いたしまして?」
なんでお礼を言われているのかよくわかってないユキは首を傾げる。
そんなユキを見て俺は少し笑ってしまった。
「……ないたり、わらったり。へんなの」
「ホントだな」
こんな小学生に励まされるなんて、ホントおかしな話だ。
でも、だからこそ大切な事に気付けたのかもしれない。
もう、こいつには足を向けて寝れないな。
「……そういえば、もう恥ずかしくなくなったみたいだな」
「え?」
「俺の名前、普通に呼んでたろ?」
「……あ」
思い出したように顔を赤くする少女を見ながら、俺は心の中で感謝するのだった。
…口に出したら恥ずかしいもんな。
夜。
夕飯も食べ終わり、昨日と同じように一つの布団に二人で眠る。
朝から乾かしたかいがあってか、布団はなんとかいつもの暖かさを取り戻していた。
少し心配だったが、これならなんとか寒さに震えずに眠る事が出来そうだ。
「ねぇ、たくみ?」
「ん?」
目の前にはユキの顔。
昨日のような微妙な距離はもうそこにはない。
さながら、それは本当の兄妹のようで……。
「あったかい?」
「ああ」
昨日よりも全然暖かい。
身体も。心も。
「よかった……」
静寂。
だが、目の前の少女はまだ何か言いたげな顔をしていた。
「どうした?」
こちらから話を振ってみる。
「……あのね」
少し口ごもりながらユキは続ける。
「これからもいっしょ?」
「ああ」
「ずっとここにいる?」
「もちろん」
「……じゃあ、あんしん」
静かに目を瞑る。
もう、寝よう。
これから、大変な事がたくさんあるんだから。
出来る今の内にしっかり休息を取らないと。
明日はどうしよう?
また、どこか行こうかな。
そしたら、きっとユキは喜んでくれるはずだ。
とにかく色々な事に触れていて欲しい。
もっと人間らしく生きて、表情をもっと表に出せるようになったら。
きっともっとユキに取ってこの世界は大切な物になるはずなのだから。
そうすれば、友達だってもっと増える。
だってさ。
こんな優しい娘を誰も避けるなんてことしやしないのだから。
だが――
その日は来ないんだって事に、俺は気付かされてしまった。
「……ん?」
朝。
冷たさで目が覚めた。
……水?
ああ、またか。
そういや昨日もやってたっけか。
「……ふぁ」
起き上がる。
掛け布団をめくれば案の定そこには世界地図が――
「……え?」
変だった。
確かに布団は濡れていた。
びしょびしょだ。
そう、びしょびしょなのだ。
ユキが寝ていたであろう場所全てが。
これじゃ、まるで、全身ずぶ寝れで布団に潜り込んだような……。
「ユキ?」
その犯人であろうユキはいつもの定位置でガラス細工を眺めていた。
俺に背を向けているから、その表情はわからない。
でも、いつもと様子が違った。
「ユキ?どうした?」
返事がない。
動きも無い。
ただ、じっとガラスを見ていて……。
「ユキ……?」
肩に触れる。
ぴちゃ。
水音。
「……なぁ、ユキ?」
お前って……こんな小さかったっけ?
その異常に気付いて俺は慌ててユキと向き合う。
「おい!ユキ!」
「あ……う……?」
目の焦点があってない。
どこか虚を見つめるその目は、いつもの無表情とは違う、無機質なものを感じた。
「おい!どうしたんだよ、これ!どうなってんだ!」
ぴちゃ……ぴちゃ……。
揺さぶるだけで水滴が床に落ちる。
溶けていた。
ユキの身体から水が流れ、小さくなっていく。
それはまるで氷……いや――
「ゆきだるま……」
そう、雪だるま。
彼女が作ろうとしていた、彼女の友達。
それの行く末。
そんなものが頭をよぎった。
「……ふざけんな!」
俺はユキを抱えて外へ飛び出す。
今日も外は雪。
これで三日連続の降雪だ。
その雪が積もった場所に彼女を横たえる。
まず、溶ける事を止めないと!
今は頭がそれで一杯だった。
一体、彼女は何者だとか、そんな事どうだっていい。
俺はただ、彼女を失いたくないだけだった。
「おい、ユキ!ユキ!」
溶けていく彼女の身体に雪をかけてやる。
すると、無機質だった瞳に少しづつ生気が戻り始めた。
「…たく……み……?」
「ユキ!大丈夫か!?」
「ごめ…んなさ…い……」
「……なんであやまるんだよ」
「もう…いっしょ…いら……れない」
「なんで!」
このまま死ぬっていうのか!?
まだ、まだだろ!?昨日、これからもいっしょって、聞いたじゃねぇか!なのに、もうお別れなんてありえないだろうが……っ!
雪をかき集めて彼女にかぶせる。
でも、駄目だった。
どれだけ集めても彼女に触れた雪はあっという間に溶けてしまう。
「どうしてだよ!なんなんだよ!死なせてたまるかっ!」
「しな……ない…」
「そうだよ!死なせない!」
「ちが…う…」
「…え?」
「わたし……はしな…ない」
ぎゅ。
手を握ってくる。
昨日よりも小さくなったユキの手。
冷たくて暖かいユキの手。
俺も握り返す。
強く強く。
ここに存在を引きとめるように。
「もとに……もどる…だけ」
「……どういうことだ?」
「さいしょ……からいな……かったから。わた…し…ゆきだから…」
「ユキ……?」
「ただ……さみし…かっただけ……つめたくて…やだった…」
「だから…しり…たかった…の…」
「…なにを?」
「あたた……かい…ひとの…こころ…」
「それに……ふれること…できた…たくみに…あえたから…」
笑顔。
初めて見る、笑顔。
「あり、がとう……」
「それはこっちのセリフだ……」
お礼を言われることなんて何もしてない。
ただ、一人になるのが嫌だっただけなんだから。
「それで……こころの…あたたかさ…わかったの」
もう片方の手を自分の胸にやる。
「でも…ゆきでつくった…からだじゃ……だめみたい」
溶けていく身体。
それは熱で溶けたからじゃない。
初めて触れた暖かさ、心の暖かさ。
今まで知らなかった人の心。
それを知った事で彼女の身体は熱を帯びて……。
「そんなんで……よかったのか?」
「……うん。うれし、かった。だから…いい、の」
「……このまま、お別れなんかじゃないよな?」
せっかく、人の心を知ったのに。
そのまま、居なくなんてならないよな?
「……うん、つぎ…またくる……そのときには、とけないからだ……つくる…」
「やくそくだ」
「うん、やくそく……。あ、たくみ…?」
「なんだ?」
「わたしの、とも……だち…おねが、い」
「わかってる」
「うん……あん、しん…」
そのまま、彼女は、静かに目を、閉じた。
「ユキ!」
思わず叫ぶ。
それでも、彼女の目が開く事はない。
そして――
ユキの手が
足が
髪が
雪になって散っていく。
ふわりと浮かぶそれらを眺める。
その中の一つが、俺の手に落ちてきた。
「……あったかいな」
これが、ユキが今まで感じて来た暖かさ。
きっと、幸せだったんだ。
そう、思えるような、暖かさ。
だから、大丈夫だ。
あいつは、不幸なんかじゃないんだから。
だから、泣くひつようなんかないのに……。
なみだが、とまらない……。
「……ユキ」
俺の涙が雪を溶かしていく。
もう、そこにユキは居ない。
それでも、彼女の残した温もりは、笑顔は、暖かさは、残ってる。
ユキは確かにそこに存在してた。
だから、きっとまた会えるはずなんだ。
その時まで、俺は待つさ。
いくらでも。
ずっと――
冬。
そこで、『彼女』は雪だるまを作ってた。
特に理由はない。
ただ、待っているのが暇だっただけ。
昔は友達を作ろうとしてた。
同じ雪ならきっと私と同じものが生まれるはずだって。
でも、出来なかった。
心があって、自分で動ける雪だるまなんて出来なかった。
どっちに居ても一人なんだと思ってた。
でも、今は違う。
友達が出来た。
それも大切なお友達。
自分に暖かさを教えてくれた大事な人。
その人と約束をしたから、彼女はここに居た。
あの時とは随分身体の作りが変わってしまったが。
彼はわかってくれるだろうか?
それだけが心配だった。
もし、気付いてくれなかったらどうしよう?
不安は尽きない。
「……ふう」
気付いたら胴体が完成していた。
彼と作った時もこんな大きさだったはずだ。
それを思い出しながら。
懐かしみながら作っていく。
次は頭の部分。
それを作ろうとまた最初から雪玉を転がそうとした――
「ほら」
「……あ」
雪だるまが、出来た。
「……おかえり」
あの時と同じ。
一緒に作った雪だるま。
覚えててくれた。
わかってくれた。
だから、彼女は笑顔で言う。
「ただいま、たくみ」
~fin~