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放課後シリーズ

心の速度

作者: 千悠

「何でいっつも走ってるの?」

「あぁ? そりゃぁ、陸上部だからな」

 放課後の帰り道。隣に並んだ幼馴染に聞いてみる。

 吹奏楽部な私と陸上部な彼。時々こうして、帰宅時間が同じになる事があった。

「走るのってさ、そんなに楽しい?」

「お前。部長に言うか、そんな事」

「いやー、だって私、走るのとか嫌いだしぃ」

「そりゃ人生を損してるってもんだぜ」

 そんな大仰おうぎょうな事を、けれど本気で言っているらしい部長さん。未だ滴った汗が乾き切っていない短めの髪を風に揺らしながら、ニッと歯をむき出して笑っていた。

 普段好き好んで運動なんかしない私より一回りも二回りも大きな彼の横顔を見つめながら、私は練習中にふと見た校庭、そこで黙々と走り続けている彼の姿を思い出す。

 友達とお喋りしている時よりも、お昼御飯を食べている時よりも、そして私とこうやって一緒に歩いている時よりも、ずっとずっと楽しげな彼の姿を。

「わっかんないなー。疲れるし、汗かくし、良い事とか無さそうじゃん」

 もうすぐ夏が来る。傾いた太陽がアスファルトに刻み付ける私たちの影は、その大きさが笑えてしまうほどにチグハグで。記憶の遠くて、けれど妙に柔らかく温かな場所にある小さい頃の彼の事を思い浮かべて、大きくなったなぁ、とか、私はいつまでたってもちびっこだなぁ、とか。いろいろ考えて。そんな事を考えている自分に、余計に笑えてきてしまって。

 けれど同時に、なんとなく、昔みたいにはいかないな、とか。思わされてしまう。影の大小がそれを如実に語っている様な気がして。横に並んで歩いているハズなのに、まるで遠くを走る彼の背中を、私が一生懸命に追いかけている様に見えて来てしまって。

 休むことなく走り続ける彼が、もっともっと遠くへ行ってしまう様な気がして。

「お前も今度、思いっきり走ってみろよ。気持ち良いぜ?」

「えー? そんな暇あったら演奏の練習するよぉ。大会、近いしさぁ」

「大会って、あれか? 関東とかか?」

「ううん。ぜんっぜん違うから。ていうか、ウチの吹奏楽がショボいのくらい知ってるでしょ?」

「あー、そうだったか?」

「ほんと、自分の事ばっかりだよね」

 頬をボリボリ掻く優秀な部長さんに、心の中で舌を突き出す。

 私の学校の陸上部部長さんは、我が学校には勿体もったいないほどの逸材いつざいだったりする。戦績もいまいちな陸上部内で彼は、短距離走の部門で去年、一人見事に全国大会へ出場。全国一位の座にこそ輝く事が出来なかったけど、それでも十二分に校内を騒がせた存在だ。

「この徒競争馬鹿め」

「ばか、蹴るなよ」

「やーい、故障してしまえ」

「お前な」

 どうせ私が軽く小突いたって、びくともしないほど彼の体は頑丈がんじょうだ。私みたいなパッとしない吹奏楽部の更にパッとしない一部員とは、何もかもが違う。

 小さい頃は、そんな事はなかったのに。ずっと昔は、私だって、かけっこで幼馴染に勝つ事が出来たのに。いつから、こんなにまで差が広がってしまったのだろうか。

「たまには、立ち止まっても良いんじゃない?」

 立ち止まって、ぽつーんと突っ立ってるちっちゃな女の子に、気付いてあげても良いんじゃない? とか。

 なに考えてるんだろうなー、私。青春だぜー。

「なんだよ、急に」

「ん? まぁ、とりあえず走り過ぎだよ。脳味噌が足になるかも」

「それは新しいな」

 小さく笑って、それから部長さんは溜め息をついた。

「なんていうか、走ってないと落ち着かないんだよなぁ」

「うわ、生粋のランナーって感じ」

「いや、結構真面目によ」

 小さく笑って。小さく、苦笑いにも似た表情で笑って。

 その様子は、小さい頃から長らく彼と一緒にいた私でも、見た事が無い様な表情だった。物を憂う、というか。大袈裟かもしれないけれど、けれどきっとそういった類の、物悲しくて、どうしようもない想い、あるいは感情を抱えた瞳、そして声音。

「時間ってのは、有限だからよ。なんていうか、動いてないと、もったいない気がするんだよ」

「それで走るの?」

「まあ。だってさ、ずーっと何もしないで人生の最後を迎えるより、好きな事をして――――走りに走って人生の最後を迎えた方が、ずっと『自分の人生は有意義だった』って、思うだろ?」

「うん、まあ、そうかも」

「だろ? それにさ、知ってるか? 物って、速い速度で動いていれば動いているだけ、難しい事はしらねぇけど、時間感覚が引き延ばされるらしいんだよ」

「あー、それ、聞いたことある。テレビでやってた」

 物質が光速に近い速度で移動すると、相対性理論だか何だかの影響で、時間軸がおかしな事になるんだとか。

 私はガッチガチの文系だし、数学なんか嫌いだし、物理なんてなおさらだから、そんな事は知らないけれど。

 でも男の人って、そういうのが好きらしい。ロマンを感じる、とか。

「それってつまりさ、一生懸命に動いて動いて動きまくって、それで人生の最後を迎える時に、自分の人生を有意義だったと感じられるって事はさ、他の人より一生懸命動いた分、自分の中の時間が何倍にも何倍にも縮んで、積もり積もってさ。それで最終的に、人より多くの時間って言うか、想い出? を積んで。有意義だった! って言える様になるんじゃないかって」

「んー……、よくわかんないなぁ。私の頭に、そんな難しい事は理解出来ませーん」

「まあ、男のロマンってやつだな」

 やっぱり、ロマン。

 本当に、男のロマンとやらを女性が理解するのは難しい。『チック』が付くのと付かないのとでは雲泥の差って言う感じ。けれどそれは男性視点から見た時も同じみたいで、男性は女性の求めるロマンチックが理解できないのだとか。

 速度、か。

「でもだよ?」

「ん?」

「物が光速で動くと、ペったんこになっちゃうんでしょ?」

 男の人はいつでもロマンを追求する。自分が抱いた夢や目標の為に我武者羅がむしゃらに走って走って走って走って。それは女の人からして見れば確かに格好良い様にも見えるけれど――――実際に幼馴染がグラウンドで走っている姿は、格好良いけれど――――そういう男の人はいつだって、その後ろ姿を見つめている女の人を、到底追いつけるとは思えない速度で走るその背中を追う女の人を、振り返ってはくれない。

 そうして運動を続ける男の人に決して追い付けない事を悟った女の人は、何を出来るわけも無くその場で立ち尽くすしかない。そこで更に奮起して必死に追いすがり、あまつさえ追い付き、手に手を取って共に駆ける事が出来るのは、本当に数が少ない人ばかりで。そういう人たちが大人になった時、結婚という、ある種のゴール――――あるいは部長さんの言う様な縮小された時間、その一つとなって蓄積されて。

 けれど追いすがる事の出来なかった女の人は、どんどん小さくなってゆくその背中を立ち止まったまま見つめ続ける事しか出来なくて。いずれその後ろ姿は曖昧になって、希薄になって、ぺったんこになって。

 走り続ける相手には無限にも思えるその時間の中を、置いていかれた者はあっという間の時間の中に生きてゆき。あまりにぺったんこになってしまった想いは摩耗まもうし、有限の時間の中に埋もれて、いつしか、それこそ光が突き抜けて行ってしまった様に何も残らなくなる。

 こうして並んで歩く今この瞬間の速度も、私と彼とでは全く異なるものであり。心が遠くて、けれど不思議と温かく柔らかな速度で停止してしまっている私と、前へ前へと進むために日々速度を増し続けている彼の心の差は、さらに広がっていってしまっている。そうして、彼の研ぎ澄まされる様に鋭くなってゆく心は、私が見通す事が出来ないほど希薄になってゆく心は、掴む事さえかなわない繊細さでぺったんこになってゆく心は、いずれその速度をもってその背中を見つめる私を置いてゆく。

 それは酷く、悲しくて、寂しくて、進みたいけれど進めない私の心、その速度を更に萎縮させ。速度の足りない私の心は、それでもただただ膨張を続けて、抵抗なく研ぎ澄まされた速度には追い付けず。

「ぺったんこ?」

「…………いや、そんな話もあったなぁ、って」

「そうだっけか」

「そうだよ」

 ま、良いけどよ。そんな風に、薄っぺらな言葉だけを残し、会話は途絶えてしまった。

 部長さんの視線は、歩く道、その先――彼方を見つめていた。いつもの、友達とお喋りしていたり、お昼御飯を食べている時の様な、どこか、遠く、それこそ、彼の心の速度を通して見つめた、きっと私の速度では追いすがれない遠くを。

 もうすぐ夏が来る。

 吹奏楽部な私と陸上部な彼。私たちは、互いにどれだけの加速を果たすのだろう?












どうも、またもややらかしました。

いやはや、相も変わらずのカオスさでお届けの第三段。


その速度、しっかり今を進んでいますか?

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