市役所の窓口嬢が実はダンジョン最強でしたが、残業したくないので無能を演じています
その日、市役所地下一階の第三会議室には、やる気のない空気が満ちていた。
「えー、というわけで、明日から駅前に新規発生した“駅前ダンジョン”の臨時窓口を開設します」
生活安全課ダンジョン対策係、係長の田丸が棒読みで言った。
会議室にいた職員たちの顔は一斉に曇る。
そりゃそうだ。
ダンジョンが発生すると、最初に揉めるのはいつだって現場ではなく窓口だからである。
「魔物が出る前に固定資産税の扱いはどうなるんですか?」
「探索者登録の申請用紙が分かりにくい!」
「ダンジョン内で拾ったキノコは燃えるゴミですか!」
だいたいこういう問い合わせが来る。
魔王より面倒なのは住民対応だ、と田丸は昔から言っていた。ひどい言い草だが、たぶん正しい。
会議室の隅で、花村すみれは無表情のままメモを取っていた。
二十六歳。契約職員。生活安全課ダンジョン対策係所属。黒髪ボブ。目立たない。愛想もそこそこ。仕事は早いが、早すぎると面倒を押しつけられるため、普段は“そこそこできる人”を演じている。
花村すみれには、誰にも知られていない秘密があった。
彼女は、たぶんこの市で一番強い。
いや、たぶん県内でもかなり強い。
なんなら、国内でも上位かもしれない。
でも、そんなことがバレると大変なので、ずっと黙っている。
理由は単純だ。
強いと残業が増えるからである。
「花村さん」
田丸係長が言った。
「はい」
「臨時窓口、君がメインで」
「……承知しました」
すみれは頷いた。
断ると面倒だし、目立たない範囲で働けばいい。
そう思っていたのに、だいたい人生はそうならない。
翌日、駅前はひどいことになっていた。
ロータリーの真ん中に、ぽっかりと黒い穴が開いている。直径十五メートルほど。周囲には黄色い規制テープ。警備員。野次馬。動画配信者。屋台まで出ていた。
「祭りじゃないんですよ!」
新人職員の三崎が叫ぶ。
「でも、たこ焼きは出てます」
「何でですか!?」
「駅前なので……」
日本は順応が早い。
臨時窓口のテントには、朝から行列ができていた。
「探索者登録したいんですが、今日からでも稼げますか?」
「未成年なんですけど、スライム一匹でどれくらいになります?」
「ダンジョン前で唐揚げ屋やりたいんですが、道路使用許可はどこですか?」
「ダンジョンの中って電波入ります?」
すみれは淡々とさばいていく。
「探索者登録はあちらです」
「未成年の単独潜入は禁止です」
「道路使用許可は警察署です」
「通信状況はキャリアによります」
速い。正確。無駄がない。
三崎が小声で感動した。
「花村さん、すごいですね……」
「窓口は慣れです」
「いや、今ので二十人くらい一気に整理しましたよ」
「整理しないと増えるので」
ゴミと問い合わせは、放置すると増える。
役所の真理だった。
午前十一時三十分。
事件は起きた。
ダンジョン入口から、探索者たちが転がるように飛び出してきたのだ。
「おい、閉鎖しろ!」
「中層にいるはずの“鉄壁ゴーレム”が地上近くまで来てる!」
「しかも二体だ!」
「自衛隊呼べ!」
「県の対策本部!」
「動画回せ動画!」
最後の一言だけは不要だった。
次の瞬間、ダンジョン入口の闇が揺れ、巨大な腕が突き出した。
石でできた腕だ。
軽自動車くらい太い。
続いて全身が現れる。
灰色の巨体。赤い単眼。身長四メートルを超えるゴーレムが、駅前ロータリーを踏み割って地上へ出た。
悲鳴が上がる。
警備員が逃げる。
動画配信者だけが近づく。
あのメンタルは何なのだろう、とすみれは少し思った。
「花村さん! 逃げましょう!」
「三崎さん、住民を下がらせてください」
「で、でも!」
「大丈夫です。たぶん」
だいたい大丈夫なときにしか、すみれは“たぶん”と言わない。
ゴーレムが足を踏み鳴らした。
アスファルトが砕け、テントが吹き飛ぶ。
田丸係長が情けない声を出した。
「ひゃあっ!」
「係長、後ろへ」
「花村くん! 危ない!」
「危ないのは勤務評価です」
すみれはため息をついた。
本当は、こういうのは嫌なのだ。
目立つし、報告書が増えるし、最悪、新聞に載る。
だが、このままだと住民に被害が出る。
それはもっと面倒だ。
「仕方ないか」
誰にも聞こえない声でそう言って、すみれは一歩前へ出た。
右手で、窓口のシャチハタを拾う。
三崎が叫んだ。
「花村さん何してるんですか!?」
「公務です」
「シャチハタで!?」
「備品の有効活用です」
ゴーレムの拳が落ちてくる。
その瞬間、すみれは軽く地面を蹴った。
消えた、ように見えた。
次の瞬間には、ゴーレムの懐にいた。
そしてシャチハタを、巨体の胸に――ぺん、と押した。
あまりにも気の抜けた音だった。
だが。
ゴーレムの胸に、赤い印が灯る。
受理。
誰かがそう見えた気がした。
次の瞬間、ゴーレムの全身に無数のひびが走り、爆ぜるように崩壊した。
駅前が沈黙する。
動画配信者のスマホだけが、しっかり撮っていた。
「……え?」
「……は?」
「今、何を」
「受理、した?」
すみれは崩れた石の山を見て、しまった、と思った。
ちょっと派手すぎた。
もう少し苦戦を演出すべきだった。
しかし後悔は遅い。
残っていた二体目のゴーレムが咆哮し、突進してくる。
「花村さん後ろー!」
すみれは振り返りもせず、今度は窓口用の書類ケースを投げた。
ケースはくるくる回転しながら飛び、ゴーレムの額に当たる。
ぺちん。
今度は青白い文字が浮かんだ。
書類不備につき差し戻し。
二体目のゴーレムは、その場でダンジョンへ向かって綺麗に吹き飛んでいった。
百メートルほど。
野球なら場外ホームランだった。
完全な沈黙。
風が吹く。
たこ焼きの匂いがした。
三崎が口をぱくぱくさせる。
「花村さん……」
「はい」
「今の、何ですか」
「窓口対応です」
「窓口対応でゴーレムが吹っ飛ぶわけないでしょう!」
「強い苦情対応みたいなものです」
「概念で倒してません!?」
「だいたいそんな感じです」
田丸係長が震えながら聞いた。
「き、君……探索者だったのか?」
「昔ちょっと」
「ちょっと!?」
「学生時代にSSS級認定を一回だけ」
「ちょっとの範囲を超えてる!」
ああ、終わった。
すみれは心の中で目を閉じた。
これで平穏な契約職員ライフは終わりだ。どうせ特別職だの、緊急対策室だの、県との合同任務だの、ろくでもない仕事が増える。
帰りにスーパーで半額シールを見るだけが楽しみの人生だったのに。
だが、そのとき。
駅前ロータリーに黒塗りの車が何台も滑り込んできた。
降りてきたのはスーツ姿の男女。国のダンジョン管理庁、その腕章が見える。
真ん中の女がすみれを見て、にっこり笑った。
「見つけました、花村すみれさん」
「人違いです」
「動画で全国配信されました」
「最悪だ……」
女は一礼する。
「あなたをダンジョン特別災害対策顧問、兼、現場統括官補佐として迎えに来ました」
「嫌です」
「年収は三倍です」
「残業は」
「増えます」
「嫌です」
「公用住宅つきです」
「通勤は」
「ほぼゼロです」
「……福利厚生は?」
「かなり手厚いです」
「花村さん! 揺れてます揺れてます!」
すみれは真剣に悩んだ。
年収三倍は大きい。
でも残業は嫌だ。
公用住宅は魅力的だ。
でも面倒ごとは嫌だ。
しばらく考えて、彼女は言った。
「週休二日、みなし残業なし、決裁権の一部委任、現場判断の優先、あと窓口様式の簡略化が条件です」
「こんな場で労働条件交渉を!?」
三崎が叫ぶ。
だがダンジョン管理庁の女は、むしろ嬉しそうに頷いた。
「結構です」
「えっ」
「むしろそのへんを言ってくれる人を探していました。最近、強い人ほど現場を壊すので」
「分かります」
「分かるんだ……」
すみれは少しだけ考えたあと、崩れたテントを見て、ため息をついた。
どうせもう隠せない。
なら、条件だけはちゃんと取るべきだ。
社会人とは、そういうものだ。
「では、期間限定で」
「ありがとうございます」
「ただし定時は守ります」
「努力します」
「努力では困ります」
「強い……」
三崎がまた呟いた。
その日の夕方。
駅前ダンジョンは無事に封鎖され、ニュースは一色になった。
『市役所職員、ゴーレムを受理して撃破』
『謎の窓口嬢、書類不備で魔物を差し戻す』
『行政手続きは魔物にも有効か』
日本の報道はだいたい変な方向へ真面目である。
そして翌朝。
市役所には過去最大規模の電話が鳴り響いた。
「花村さんいますか!?」
「うちの町内会のゴミ当番も受理で何とかできますか!?」
「確定申告の書類不備も差し戻せますか!?」
「無理です」
すみれは受話器を置き、遠い目をした。
思ったとおりだ。
強さがバレると、仕事が増える。
人生の真理である。
だから彼女は、今日も静かに決意する。
次こそは目立たないように戦おう、と。
たぶん無理だろうな、と思いながら。




