みんな腹ペコ
「では、導師。行ってまいります」
「ああ。世界の真理に到達することを願っておるよ」
カザミの手をぎゅっと握って、ススラエ導師は激励の気持ちを表した。
ナニルの警備隊はすでに去り、導師はもう一人の師範代とともに戻ることになった。
カザミが導師の護衛をするものと思っていたが、どうしても秋良とマールから離れたくないと言い張り、同道することになった。テグ帝国兵から拝借した剣を腰に佩き、カザミは颯爽と歩く。
「それでテグ帝国に向かってるわけね」
かなりのスピードで歩きながら、勇也がカザミに経緯を説明していた。
「人命のためとはいえ、国境やぶりはこの世界でも許される行為ではないだろう。カザミまで罪をかぶることはない」
「なにを言うの。愛しい秋良とマールとともにいられるなら地獄の旅も楽しいわ」
「私はいやですー。犯罪者になりたくありませんー」
勇也に背負われて泣き言を言い続けているマールのことを、勇也もカザミも気にすることはない。耳に心地よい小鳥のさえずりとでも思っているようだ。
「マール司祭、とにかく転移者を救うことだけ考えましょう。テグ帝国の悪行が知れれば、他国の対応も変わるはずです」
「そ、そうですね。そう願いたいです」
「秋良、マールに優しいのね。紳士だわ」
小走りについていく秋良の横に立ち、カザミがニコニコと言う。秋良は少し照れたようで視線をさまよわせる。
「そんなことはないですよ。司祭様に対して、勇也とカザミさんがぞんざいすぎるんです」
「秋良ったら、他人行儀はやめて。私のことはカザミンって呼んで」
「……カザミさん」
「カ・ザ・ミ・ン」
「カザミさん、腕を組むのはやめてください」
秋良はカザミの腕から抜け出そうとぐいぐい体ごと腕を動かすが、びくともしない。
「そんな寂しいこと言わないで。ほら、私が負んぶしてあげるし」
「いりません」
「負んぶの方が早いから」
「いらない!」
強い口調で言うと、秋良はカザミに体当たりして自分の腕をもぎ取った。軽く走っていた足を速め勇也を追い抜き、カーブを描く稜線に沿って大岩の向こうに姿を消した。悠々と二人が追いついたときには、秋良の息は上がっていた。
せっかく立ち止まったついでということで、休憩を取ることになった。
「あー、お腹空いたわ。帝国兵ったら夕食前に押し込んでくるんだもん。捕まっちゃったのだって空腹が原因よ」
カザミが道にどっかりと座り込む。
「そう言えば、私たちも朝食後からなにも食べずにいますね。もうすぐ夜も終わるというのに」
勇也の肩から下りたマールは軽くため息をついた。
「気が張っていると、お腹が空いたことに気付かないものなのですね」
「そうですね。司祭、イモなら持っていますが、食べますか?」
「え、いいのですか?」
秋良が笑顔でポケットから取り出したイモという名の飴をマールに差し出すと、カザミが横から奪い取った。
「なにするんだ、カザミ!」
秋良が遠慮をかなぐり捨ててカザミを怒鳴りつける。
「二人でいちゃいちゃしてずるい。私も混ぜて」
「い、いちゃいちゃなんてしていません! 私はフキル教の司祭なんですよ。きちんと節度あるお付き合いです」
なぜかカザミがぽっと頬を赤く染めた。
「私の愛するかわいい二人が愛し合っている。こんなに嬉しいことがこの世にあるなんて」
「愛し合ってません!」
じゃれあう二人を放って、秋良と勇也は真面目な表情で話し合う。
「このまま飲まず食わずでいつまでもは進めないよ」
「一度、山を下りるしかないか。荒野にならウサギくらいはいるだろう」
山の麓には礫砂漠が広がり、森までの距離も遠く、魔物に襲われる心配もない。数は少ないが小動物が生息している。それを知らない秋良は勇也に尋ねた。
「この世界にもウサギがいるの? 見たことないけど」
「正式な名前は知らん。耳が長い生き物だという認識で、ウサギと呼んでいる」
「……まさか、ヒズムの森で見た魔物のことじゃないよね」
「あれもウサギに似ているが、煮ても焼いても食べられないな」
「もしかして、食べようとしたことがあるの?」
「ある」
秋良はそっと勇也の側から離れていく。
「だが、魔物は倒した時点で塵になるからな。食べるのは難しい」
いつのまにか静かになっていたカザミが口を挟む。
「そうだ、生で食べれば良かったのじゃないかしら」
「うむ。それも試したが、噛んでいるうちに塵になってしまった」
「噛んだのですか!?」
マールが叫んで逃げ出し、秋良の陰に隠れた。
「マールも秋良も繊細ね。かわいい」
「わ、私たちは普通です。カザミと勇也が変なんです」
勇也は目をしばたたいてカザミを見上げる。
「普通だよな」
「もちろん。森で修行したものなら、一度は試すはずよ。森には食べられるものなんて滅多にないんだから」
マールがそっと秋良の陰から出てくる。
「過酷な修行をなさったから、お二人とも変なんですね」
「司祭、そこは強くなったんですねとか、もう少し褒めてあげたほうが」
秋良の気遣いは無用だったようで、勇也とカザミにはマールの言葉で特段の反応をする繊細さはなく、さっさと坂を下りだした。
先に山を下り終えた勇也が森に向かって右手に、それを見たカザミが左手にわかれていった。
マールの手を引いてやりながらゆっくりと山を下りた秋良はどちらについていくか迷い、立ちどまった。そっとため息をつく。
「どうしました、秋良」
「道場に本を置いてきたことを後悔しています。あの中に食べられる野草の本もあったんですよ。この辺り、草なら少しは生えてるのに」
「嘆いても仕方ないです。あの時は最上の選択でした。今はまた出来得る限り最上の選択をしましょう」
「そうですね。火を熾せるように枯れ草を集めておきましょうか」
「はい」
二人で手分けして砂礫の間からひょろりと伸びて立ち枯れた雑草をちぎっては集めていく。ほとんどの植物が枯れていて、この荒れようで動物が生息しているのだろうかと疑問を抱くほどだ。
「秋良ー、これを見てください」
遠くからマールに呼ばれた。近づくと、マールは嬉しそうに、手にした小花を突き出してみせる。
「これ、マールの花です。このまま食べられるのですよ」
「もしかして、司祭の名前は、この花から?」
「そうです。食べることに困らないようにと洗礼を授けてくれた司祭様が名付けてくださいました。こんなにお腹が空いたときに見つかるなんて。フキル神のご加護ですね」
嬉しそうに笑うマールに秋良が微笑みを返すと、二人の背後からカザミが抱きついて来た。右手にマール、左手に秋良を抱きしめる。
「かわいい! ラブ! 二人で話し合ってる姿、可憐だわ!」
秋良はカザミを無視することに決め、マールはそっとしゃがみこみ、カザミの腕から逃れた。
「ほら、食べ物見つかったよ」
カザミは得意顔で道着の腰ひもにぶら下げているアヒルのような鳥を差しだしてみせる。鳥の長い首がだらりと垂れているのは首の骨が折れているからだろう。マールが青ざめて両手で口を覆う。
「と、鳥が死んでいます」
「そうよ。これから料理するからね。秋良、ナイフを貸して」
ベルトに挟んだペティナイフを鞘ごとカザミに渡して、秋良はマールの肩を優しく叩く。
「俺たちは花を摘みましょうか」
小さく震えながらマールは俯き、花に手を伸ばした。
しばらくすると、勇也が「森まで行ってきた」と言いながらトゲのある木の実と細い枝を抱えて戻って来た。カザミは鳥をさばき終え、火をおこそうと躍起になっている。
「何をしているんだ、カザミ」
怪訝な表情で勇也が問うと、カザミは手にしている二つの石を押し付けた。
「火打石が使えないのよ」
ちらりと石を見て取りあげると、勇也はそれらを投げ捨てた。
「これは火打石じゃないぞ。そこらじゅうに転がっているのに間違うとは。カザミはかなりのウッカリ屋だな」
「はい、はい、はい。私がかの有名なウッカリ屋ですよ。世界を股にかけ、六つの川を制覇した女商人とは私のこと」
ぶつぶつと適当なことを言いだしたカザミを放っておいて、勇也は黒く尖った石と、黄色っぽい金属片二つを拾いあげた。
「秋良、マール、この黒いものが火打石、こちらが火打ち金だ。これから使う。見ているといい」
二つの石以外に、転がっている石の中から平たく大きなものをいくつか選び出し、小さな机のように組みあげて簡易の竈を作る。秋良とマールが指示を受けて、集めた枯れ草を竈の底に敷く。火打石を火打ち金に打ち合わせると火花が散り、数度繰り返すと枯れ草に小さな火がついた。
その火に息を吹きかけながら、取って来た木の実を鍬で半分に割り、竈の中に放り込む。枯れ草が半分燃え尽きた頃、木の実が勢いよく炎を上げた。次々と木の実と枝を放り込み、竈は赤々と熱されていく。
カザミが切り取っておいた鳥の脂身を竈の天面の石にこすりつける。融けだした油の香ばしい匂いが空っぽの腹に響いて痛いほどだ。
十分に油を敷いた石板に薄く削いだ鳥の肉を並べる。さっと炙るだけで、ペティナイフを使って裏返す。こんがり焼き色がついたところで、ナイフに鳥肉を刺してマールに差し出した。
「熱いから、気を付けてね」
マールは地面に打ち捨てられた羽根と、肉を削がれた骨の方に青い顔を向けた。そのあたりの石に、べったりと血が染みている。
なかなか肉に手を出さないマールに、勇也が静かに語りかける。
「マール。君がいつも食べているものも、こうやって用意されている。命に例外はない。君が摘んだマールの花も、この鳥も、生き物であることに代わりはない」
ぐっと唇を噛み、マールは鳥肉に手を伸ばした。恐る恐る肉片をつまみ、そっと口の中に入れた。ぱっと目が大きく開かれた。二、三回噛んだだけですぐに飲み込んでしまう。
「お、美味しいです」
勇也がマールに笑顔を向ける。
「そう言って食べることが、もらった命に対する最大限の礼儀だろう」
マールは黙って頷いた。
次々に鳥肉を焼くカザミを見て、マールが溜息をつく。秋良が心配そうにマールを見つめる。
「どうしたの、マール」
「私はなにも出来ない人間です」
火の番をしている勇也が尋ねる。
「突然、なんだ。なにかあったのか」
マールは首を横に振る。
「勇也も、カザミも、秋良も、たくさんのことを知っていて、いろんなことが出来るのに、私は背負ってもらって荷物になるだけです」
秋良がマールの肩を優しく叩く。
「マール司祭だって色々なことができるでしょう。僕たちのお世話係として、ずいぶんと面倒をおかけしている」
「それは、私の仕事ですから。しかも、私一人で叶う仕事ではないのです。補佐もいます、指導役もいます、教会本部からの指示もあります。私はなんでも一人で出来ている気がしていました。でも、思い上がりでした」
カザミがマールに笑顔を向け、もう一切れ鳥肉を刺しだす。
「年の功ってものがあるわ。それに私が出来ることって言ったら、アウトドアと武術だけ。料理も掃除も裁縫もお金儲けも出来ないわ」
「それは問題だな。金儲けはしておいた方がいい」
口を挟む勇也に秋良が「司祭には一番、どうでもいいことだと思うけど」と反論する。
「いや、金儲けは教会の人間に必要な素質だ。寄付が集まらねば神職は干上がってしまうだろう」
「寄付を受けとることをお金儲けとは言わないわよ。勇也、神様を信じていないの?」
カザミに問われて勇也は首を傾げる。
「わからない」
マールが猛然と食って掛かる。
「これまで何度もフキル神のお恵みを見てきたでしょう! それでも信じられないと言うのですか?」
勇也は「うーん」と言いながら考え込む。
「たしかに、何度も光を見て助けられた。しかし、それが神かどうかは俺にはわからん。魔法だとも思えるしな」
「何度も言っています、この世界に魔法はありません!」
くすくすと秋良が笑い出す。
「なんですか、秋良。なにを笑っているのですか」
「いつもの調子が戻りましたね、マール司祭。それに、ご自分で分かってる」
「分かってるって、何を?」
「司祭が出来ることを。何度もフキル神の恵みで俺たちを助けてくれたこと。それほどすごいことが出来るのに、落ちこむ必要なんてないですよ」
「……そうでしょうか」
勇也が頷く。
「自分がどんなことが出来るのか、人は忘れがちだ。また忘れた時は言ってくれ。フキル神の悪口を言って目を覚まさせる」
マールは目を吊り上げて声を張り上げた。
「フキル神の悪口など言ったら許しませんよ!」
カザミは笑って、もう一切れ、良く焼けた鳥肉をマールに差し出した。