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道場を出発

 開きっぱなしの扉から、遠く響くヤーチキーの動力音が聞こえて来た。表に立ってみると、三台の大型のヤーチキーが疾走していた。あっという間に道場までたどり着き、白いローブを着た女性が急いで降りて来た。

「怪我人はどこ?」

 道場生が医師の女性を用具室に案内する後にマールもついていく。医師は手早く全員の様子を見て周り、ほっと息を吐いた。

「的確な応急処置だわ。あなたがなさったんですか、司祭」

「いえ、違います。私たちの仲間の秋良(あきら)というものが」

 マールが、まごまごと言い訳するかのように言っていると、自力で応急処置をした中年男性が口を挟んだ。

「司祭様がお祈りしてくださったおかげで、みんな危地を救われました。骨が血管をやぶって出血していたものもいたのですが、もう血も止まっています」

 医師が立ち上がり、真っ直ぐにマールを見つめた。

「助かりました。迅速な行動に感謝します」

 そう言ってマールの手をぎゅっと握り、医師は微笑む。マールは温かなものが手のひらから伝わってくることに気付いた。感謝の念が祈りのようにマールに力を与えたのだ。手を握り返すと医師は嬉しそうに微笑んだ。

 道場ではナニルの警備隊がテグ帝国兵を尋問していた。だが、兵士たちが口を割ることはない。尋問に時間を要すると判断した警備隊は、シアビアまで兵士を連行することになった。

「あなたがたはどうなさいますか。ウツビアまでお送りすることもできますが」

 警備隊長に問われ、勇也(ゆうや)は軽く頭を下げた。

「申し出に感謝する。だが、俺たちはテグ帝国に向かわねばならない」

 警備隊長は硬い声で厳しい顔つきになる。

「まさか、国境を超えるつもりですか」

「そのつもりだ。帝国に捕らわれている転移者を救い出さねばならないのだ」

「転移者? 道場の人間以外にも、誰かほかに攫われたのですか」

「テグ帝国に転移した者たちが処刑される寸前なんだ」

「それは……」

 隊長は驚きで口を開けない様子で黙り込んだ。

「我々としては国境やぶりを認めるわけにはいきません。しかし、あなたがたは異世界からの転移者です。この世界の法に基づいて処断することは難しい」

 天井に目をやり少し考えてから隊長は再び口を開いた。

「そうですね。こういうのはどうでしょう。われわれはこのまま攫われた道場主を追います。それに同行しませんか。道場主のススラエ師を救い出したら、その護衛をあなた方に任せたい。そうすればわれわれは早く街に戻ることができますからね」

「なるほど。承る」

「では、すぐに出発しましょう」

 隊長に案内され、道場前に停まっている大型のヤーチキーに乗り込む。バスほどの大きさがあり、壁に沿ってベンチが並んでいる。

「揺れますから、気を付けて」

 勇也と向かい合って座った隊長が言い、秋良は心配げにマールを見やった。マールは唇をぎゅっと結んで「大丈夫」と伝えるために深く頷いた。

 ところが、マールはまったく大丈夫ではなかった。

 高速で走るヤーチキーが右に左に揺れるたび、壁に頭をぶつけ、通路に飛び出しそうになる。ヤーチキーが大きな石を乗り越えた衝撃でベンチの上でぴょんと跳ね上がり、落ちた時には尻をしたたかに打ち付けた。

「司祭、つかまってください」

 秋良が左腕を差し出したが、マールは「でも……」と言ってためらう。

 マールの左側に座った勇也が有無を言わさずマールの腕をとり、がっしりと抱え込んだ。

「な、なにをするんですかー」

「安全のためだ。しっかりつかまっているんだ」

「私は大丈夫です。離してくださいー、離してくださいー」

 泣きそうになっているマールの右腕を秋良が握り、そっと腕につかまらせた。

「マール司祭。これは不純異性交遊ではありませんよ。俺たちは安全ベルトです」

「安全ベルト? ナベユテについている、あれですか?」

 秋良はにこりと笑う。

「そう、空を飛ぶナベユテについているくらいですから、地面を行くヤーチキーで使えばより安全になるでしょう。安心してつかまっていてください」

「……わかりました」

 しぶしぶ、といった様子で二人の腕につかまったマールは、顔を真っ赤にして俯きつつ、ヤーチキーの揺れと戦った。


「夜のはじめに出発したとしたら、そろそろ追いつくはずだが」

 隊長が窓から外を見ながら言う。操縦者も隣席の監視役もしっかりと前方に注意を向けているのだが、それらしい軌跡は見つけられない。相当な距離を走り、テグ帝国との国境まであと少しという所まで来ている。

「ヤーチキーは音が大きいからな。かなり離れていても聞き留めて隠れることは可能だ」

 勇也の言葉に隊長も頷く。

「だが、それでもなにがしかの痕跡は見つかるはずだ。道場生の情報によると、帝国兵はビスユを使っていたと言うし……」

 突如、勇也が立ち上がり、窓から飛び出した。

「勇也!?」

 驚いて立ち上がった秋良が窓の外を覗くと、勇也が岩陰に駆け込む背中がかろうじて見えた。

「敵襲!」

 警備兵の一人が叫ぶ。警備兵が開いたドアから外を見ているその顔を掠って矢が飛び込んできた。

 と、同時に強風で打ち付ける雨滴のように、鋭い矢が何本も車内に射込まれる。素早くドアが閉められたが、防ぎ損ねた矢が二人の隊員の腕に突き刺さった。

「大丈夫か!」

 隊長の言葉と共にヤーチキーが急停止した。よろけたマールを抱き留めてから、秋良は明かり採りの窓から目だけを出して外の様子をうかがう。帝国軍の鎧を付けた数人の人物が、暗がりの中、弓に矢をつがえてこちらを狙っている。

「まだドアは開けないでください、狙われています。マール司祭、目つぶしになるほどの光を、また生むことはできますか」

「できます。眠りを与えますよう祈りましょう」

「外にいるのは五人ほどです」

「わかりました」

 素早く返事をすると、マールは手を組み目を閉じた。

「フキル神よ、彼らに安らかな眠りを」

 静かな言葉に呼応するように、組んだ手から金粉のような輝きが、わずかなドアの隙間から外へ流れ出し、次の瞬間、ドアの向こうで閃光が破裂した。

「うわあ!」

「ぎゃっ!」

 いくつもの悲鳴が聞こえる。秋良は腕で目をかばいながら、未だ眩しい車外へ躍り出た。

 ヤーチキーの側に数人の兵士が倒れて安らかな寝息を立てている。

 だが、他にも何人かいるはずだ。大岩がごろごろと積み重なった地形だ。どこに残りの帝国兵が隠れているかわからない。

 秋良に続いて飛び出て来た警備隊長が隊員に指示を飛ばす。

「ホウス、ゲアズア、右後方の岩陰! コウブ、俺と左方へ。展開!」

 左右に分かれていった隊員と離れて、秋良は車両の前方に向かって走る。運転席、助手席から飛び降りた二人の隊員が目を焼かれた帝国兵を捕縛するため秋良とすれ違いに走っていく。

 ヤーチキーの前方に岩陰はない。帝国兵がいないと判断した秋良は踵を返そうとした。だが、そこにはいつの間にか一人の女が立っていた。

 年齢のわからない細身の女だ。切れ長の目は神秘的で、夜目にも白い肌が目に眩しい。 この世界の人間はまず身につけることがない、黒い服を着ている。長く伸ばした腰まである髪すらも黒い。だが、転移者とは全く違う雰囲気を持っていた。

「テグ帝国の人間か?」

 秋良が腰を落としてナイフをかまえる。女は涼し気な目を細めて秋良を観察している。

「転移者か。ようこそ、この世界へ」

 帝国兵にしてはおかしな言葉に戸惑い、秋良は動けないまま女の動向をうかがう。

「今はまだ光のターン。私に会ったことは忘れていい」

 女の姿は闇に溶け込むように消えた。

「なんだったんだ? 幻覚?」

 秋良は数歩踏み出し、女が立っていたところを見下ろした。足跡らしきものもなにも、女の存在を証明するものはない。

「秋良!」

 勇也の大声に振り返る。帝国兵が一人、秋良めがけて駆け寄ってきていた。

 力任せに振り下ろされた剣を半身を開いて避け、勢い余ってたたらを踏んだ兵士の腰を蹴りつける。

 つんのめった兵士に飛びつき、剣を握っている左手にナイフを突き出し手の甲に切りつけた。鋭い刃は肉を深くまで切り裂き、血が迸り出る。

 ハッとして、秋良は一瞬、動きを止めた。ナイフが人を切った感触が手から背筋まで不快な悪寒として走り抜ける。

 兵士は剣を逆の手に握り直して秋良に切りかかる。秋良は考えを振り払って素早く体を躱すと、ナイフの柄で血を滴らせている兵士の左手の甲を殴りつけた。

「うがあ!」

 叫び声を上げた兵士から、すかさず距離を取る。

 兵士はすぐに体勢を整えて上段から剣を振り下ろした。秋良は間一髪、地面に伏せて転がり、剣から逃れた。

 続けて振り下ろされた剣を避けてさらに転がる。

 剣が地面に当たって止まった一瞬の隙を突いて、兵士のくるぶしを蹴りつけた。金属製の鎧のせいで痛みは感じなかっただろう。だが、少しながら衝撃を与えることには成功した。兵士はよろめき、剣を取り落とした。

 その剣を遠くに蹴り飛ばす。兵士は痛みのせいか咄嗟に動けず、隙だらけだ。だが、秋良はナイフを向けることを躊躇った。人を切ることに怖気づいている。

 兵士は未だ起き上がれずにいる秋良を踏みつぶそうとするかのように大きく足を上げ、蹴りを入れようとした。

 その時、ヤーチキーの方から強烈な光が差した。

「うっ!」

 正面から光を見てしまった兵士が思わず目を瞑る。

 マールも戦っている。

 秋良は膝立ちから伸びあがる力を込めて、兵士の右手の手甲の隙間に刃を差しこんだ。

「この……っ! ガキがあ!」

 叫んだ兵士は、両手が使えないまま、秋良めがけて肩から突進してきた。

 金属の鎧で体当たりなどされたら無事では済まない。後ろに跳んで避けようとしたが、ヤーチキーのカーブミラーに背中を打ち付けた。

「しまっ……!」

 迫った兵士が秋良の胴めがけて前傾したその瞬間、ヤーチキーの屋根から勇也が飛び降り、兵士を蹴り飛ばした。

「無事か、秋良」

 すっくと立った勇也を見て、一気に力が抜けた。足が震え、地面にへたり込む。

「ギリギリだね。助かったよ」

 息をきらしたままの秋良に、マールが駆け寄ってきた。

「秋良! 大丈夫ですか」

「はい、司祭。勇也のおかげで助かりました」

 マールが見やった時には勇也はすでに、調達してきた縄で帝国兵をぐるぐる巻きにしているところだった。

「……勇也。リボン結びはどうかと思う」

 秋良の言葉に、勇也はきょとんとして、自身が結んだ縄を見下ろす。

「そうだな。怪我人には縄がきつすぎたか」

「そういう問題ではありません。リボン結びではすぐにほころぶと言っているのですよ」

 マールの言葉を受けて勇也は「なるほど」と頷き、秋良に場所を譲った。

「結び直してくれ、秋良。マール、この兵士の傷の手当てを頼めるか」

「もちろんです」

 マールは秋良が縄を締め直したのを確認してから祈りを捧げた。

「フキル神よ、敵のためにもお慈悲をお与えください」

 組んだ両手からきらめく金の光が飛び出したが、それは今までの祈りとは比べ物にならないほど少ない。

「マール。君は敵だと祈りを加減するのか?」

「失礼な!」

 勇也の言葉に、マールが猛然と噛みつく。

「フキル神は光の神。闇の信徒にはそもそもご加護をくださることはないはずなのです。それでも人たり得るものにはお慈悲をくださる神であらせられ……」

「闇の信徒?」

 マールの言葉を遮った勇也の疑問には秋良が答えた。

「この世界には三つの宗教があるんだ。一つはマール司祭の護りである、光の神を崇めるフキル教。もう一つは闇を信仰するユム教。三つめはその間と言うか、いいとこどりの、神を持たない宗教というか、ツヨエラエと呼ばれる学説派だよ」

 こくりとマールが頷く。

「テグ帝国は闇の……」

 言いかけたマールの言葉を、老人の声が遮った。

「信仰は人を支えもするが、狂わせもするものだよなあ」

 振りかえると、ヤーチキーの後方から白髪白髭の老人と、若い女性が歩いてきていた。二人とも道着を身に着け、矍鑠としている。

「ススラエ師!」

 秋良の呼びかけに老人が片手を上げて応えた。

「息災でなにより、秋良。鍛錬を欠かさなかったと動きでわかった。この世界を変えたいと言っていた気持ち、本物だな」

「いや……、それは」

 ススラエ師の言葉に照れた秋良は視線を地面に落とした。その様子を見た、ススラエ師と共にいる女性がダッシュで秋良に近づき、顎に手をかけ上向かせる。

「かわいい顔を伏せるものじゃないよ、セニョール」

 なにが起きたか理解できない秋良に、長い赤毛を一つに結んだグラマラスなその女性はセクシーに囁き続ける。

「君の気持ちは本物だ。導師が帰山されてから折々に語られた、転移者がこの世界をよくしたいと言ったという話を誇張だと思っていた私を許してほしい」

「は? なに? え?」

「この世界を憂える君はすでに、私たち、この世界に生きる者の友だ」

 勇也は大柄な女性の腕を困惑している秋良のもとから離して、女性をなだめようと優しく語りかける。

「あなたも転移者だろう。この世界に生きてはいるが、『私たち、この世界に生きる者』と言うのは間違いではないだろうか」

 女性は勇也の手を振り払い秋良の腕を抱き寄せると、キツい視線を勇也に叩きつけた。

「私はこの世界で生きていくと決めたの。元の世界に帰るなことは考えていないの。それより、あんた、なにもの? セニョールと同じ制服を着ているということは、転移者なのでしょうけど。その異様な強さ、人とも思えないわ」

 勇也は鍬を肩に担ぎ直す。

「強さ、公正さ、優しさ、信念。それを持つ者だけが許される称号。俺はそれを身につけた」

「はあ?」

 女性が太めの眉を顰めた。勇也は鍬を高らかに振り上げる。

「俺は勇者だ!」

 あたりに静寂が広がる。

 歩み寄ってきていた警備隊長、捕縛されてのち気を取り戻した帝国兵、ススラエ導師までがぽかんとした表情になり、マールは呆れたといった様子で押し黙った。

「……ふっ」

 どこからか声がしたと思うと、俯き加減の女性が長い前髪を払って宣言した。

「愛らしいセニョールとセニョリータを一人占めするものに正義はない!」

「俺の仲間は、俺を愛している!」

 二人の言葉に秋良は「おい」と小声で呟いたが、その声は二人の耳に届いてはいない。

「愛……それはなまめかしい欲望」

 突然、歌い始めた赤髪の女性を、ススラエ導師が押し止めようと前に進み出る。

「愛……それは生命のいとなみ、交合する喜び」

「カザミよ。おぬし、全力で引かれておるぞ」

 カザミと呼ばれた女性がハッとして見やると、秋良はマールの両耳をふさいでそっぽを向き、勇也は眉間に皺をよせ腕組みしてカザミを見据えていた。

「変態か」

 ぽつりと呟いた勇也に、カザミが猛然と噛みつく。

「だれが変態ですって!? 私は愛を歌っているだけよ!」

「その欲望にまみれた愛が未成年者に向けられていることに、俺は危惧をいだく。あなたはどう見ても成人女性だろう」

「お、おばさんって言うなあ!」

 カザミは地に伏すと、両手を地面に叩きつけた。

「どうせ私は老け顔ですよ! とても二十代前半には見えないって誰からも言われますよ! でもねえ!」

 がばっと立ち上がったカザミが勇也を指差す。

「あんたたち学生と、五年くらいしか年は離れてないんだからね!」

 耳をふさがれているにも関わらず、マールがそっと呟く。

「十三歳の私が八歳の男の子を愛すと言うと、かなり問題があるような気もするのですが」

「うるさいやい! 相手が十代だったら、そんなに問題はないんだい!」

 秋良は困り顔でススラエ導師に視線を送る。導師は憐憫をたたえた表情で秋良に言葉をかけた。

「愛とはかくも暑苦しいものだ」

「はあ……」

 秋良は愛のことはまだわかりたくないなあと自分の幼さを喜ばしく思った。


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