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終章

「……」

 どこからか懐かしい声が聞こえる。

「……」

 側にいた。守られていた。

「……」

 いつしか、守れるようになった。

秋良(あきら)!」

 うっすらと目を開ける。

 真っ青な空が見える。その一部に影がある。

「秋良が戻ってきたあ」

 影がわんわんと大泣きする。秋良は力が入らない手をなんとか持ち上げ、涙で濡れたマールの頬をそっと撫でた。

「……泣かないで、マール」

 マールは秋良の胸に顔を押し付けて泣き続ける。

「なんで一人で戦おうとしたんですかあ。なんで私たちを頼ってくれなかったんですかあ」

「ごめん」

 マールがばしばしと秋良の腕を叩く。

「秋良なんて! 入信したばかりなのにフキル神のご加護があついし! 光を呼ぶのが上手だし! でもダメなんです! 一人じゃダメなんですよう」

 秋良の視界にカザミが映り込む。

「マール、ずっと泣いてたのよ。闇が消えたと思ったら、秋良が草っぱらに落ちてるんだもん。びっくりしたわよ」

「カザミも、ごめん」

 マールの涙は止まらず、カザミは苦笑して秋良の手を取り、起こしてやる。半身を起こした秋良は、ぼんやりと辺りを見回した。城門に近く、いつもなら露店が立っているところに寝かされていたらしい。

 僧兵や神職が駆けまわり、慌ただしい様子なのに、地面に腰を下ろした状態だと、どこかのどけさを感じる。

「あれ、勇也(ゆうや)は?」

 尋ねると、マールは秋良の腕に抱き付き、ますます激しく泣き出した。

「投獄されたわ。騒動の主犯の疑いをかけられて」

 秋良がぽかんと口を開ける。

「まさか。勇也は勇者だって自称してるのに。なにがあったの」

 マールが嗚咽交じりに説明する。

「闇が近づくにつれて、勇也が吸い込んできた魔物の塵が力を増したんです。その力で魔物をおびき寄せたから……」

「ザエさんが国王に働きかけてくれてる。ススラエ師もあちこちに連絡してくれて、テグ帝国から救われた転移者や、遊牧民からも嘆願が寄せられてるって。きっと大丈夫よ、マール」

 慰めの言葉も聞こえていないようで、マールはしくしくと泣き続ける。

「私をかばったからです。勇也が私の中に闇があることを隠してくれたんです。私のせいです」

 カザミはマールの肩を抱き寄せる。

「そんなことない。勇也はみんなを助けるために、必要な力を使っただけ。マールは光を見失って苦しいのに、みんなのために闇の力を使ってくれた。それだけだよ」

 涙は止まらないが、マールはカザミに体を凭せ掛けて、少し落ち着いたようだった。

 ほっとして、秋良が質問を続ける。

「魔物が噴水から湧いたって言ってたけど、どうして? ウツビアにはフキル神の加護があるのに」

「それは私の落ち度だ」

 突然の女性の声に驚いて振り返ると、黒に身を包んだ女性、泉の精が立っていた。

「私が正しく闇を導けなかったせいで、闇が泉に侵入した。そのせいで水の中に闇の力が流れ込んでいる」

 マールがローブの袖で涙を拭きながら尋ねる。

「闇は今、泉にあるのですか?」

「ああ。光がこの世界にないことに気付いてしまったらしい。光を追って異世界に行こうとしている」

 カザミが小首を傾げる。

「異世界って、地球のこと?」

「そうだ。光の泉が対抗しているが、突破されるのも時間の問題だろう」

「あなたが力を貸してくれたら……」

「私は闇の水先案内人だ。導くことが使命。闇を留めることは使命に反する」

 マールは思わず叫んだ。

「そんな! 光も闇もこの世界から消えてしまったら、あなたの使命も終わってしまいますよ。だから、闇を止めて……」

「泉も光と闇によって造られたものだ。闇がこの世を去るなら、私は見送るまで」

「でも、でも……」

 涙ながらに訴えるマールを、泉は冷ややかに見下ろす。だが、表情が本心でないことは、ぎゅっと握られた彼女の両手が細かく震えていることで垣間見える。

「泉に向かってくれないか」

「え?」

 泉がマールに向かい、頭を下げる。

「光の泉に力を貸してやって欲しい」

 マールが唇を引き結んで、キリっと泉を見返す。

「行きます。それで世界が助かるのなら」

 泉は顔を上げると、ちらりと一瞬だけ微笑を見せた。

「水の道へ送る。流れがきついが、なんとか遡ってくれ」

 三人が口を開く隙も与えず、闇の泉の精が腕を地に向け強く振り下ろした。

 急に音が聞こえなくなった。強い力に圧され、よろめく。

 マールが話そうと口を開けた。だが、声にはならず、ぱくぱくと魚のように口を開け閉めするばかりだ。

 秋良とカザミも喋ろうと試してみたが、音にはならない。

 なぜか呼吸は出来ているが、水の中にいることは分かる。体にかかる強い力は水の流れの圧力だ。その力に逆らって、上流に向かって歩き出す。

 この世界の水は、すべて世界の中心の泉から湧き出たものだ。上流に向かえば必ず泉にたどりつく。

 だが、三人がいるのは、川の中ではないようだった。見上げても空はなく、見下ろしても足元にはなにもない。浮いているようでもあるし、沈んでいるようでもある。どちらだとしても、足を動かせば前に進めた。

 水の流れに逆らうのは容易なことではなかった。台風の中を暴風に立ち向かっていくような無謀さを感じる。三人は誰からともなく、手を繋ぎ、流されないように踏ん張った。

 マールの右手を掴んだカザミの左手が緊張して、握る力が強くなった。カザミはマールの肩をぐっと押し、秋良に預ける。

 前方から黒いものが流れてくることに、秋良もマールも気付いた。魔物だ。

 数えきれないほど無数の足を持った、甲虫のようなものだ。半球形の体が黒光りしている。

 秋良はナイフを探したが、身につけてはいなかった。声は出ない、祈りの言葉も捧げられない。カザミの剣も、やはり腰から消えている。カザミは二人を背にかばうようにして進み出た。

 ものすごい勢いで流れて来た魔物がカザミに向けて足を伸ばす。

 その足を二本ずつ両手で掴む。下流に向かい反転し、魔物から手を離す。強い上段蹴りを叩き込むと魔物はあっと言う間もなく下流に流されていった。

 勢い余って流されそうになったカザミを二人が支えて、また三人で手を繋いで歩き出す。魔物は何体も流れてきたが、カザミが次々と受け流していく。

流れはどんどん強くなる。もう横並びで歩くことができない。カザミを先頭にマールを間にはさみ、抱き合うようにして、進んでいるのかただ耐えて立ち止まっているのかわからない時間が過ぎていく。体が圧され自分の姿を保っていられない。細胞の単位までばらばらに千切れ体が流れ去っているような気がする。

だが意思はそこに留まり先へ先へ進もうとしている。もうなにを求めているのか、どこへ向かっているのかもわからない。それでも前へと。

 ぽっかりと、天窓のように頭上に明るい空間があった。まっ白な青年が降りて来た。髪も服も白いが、その美しい顔立ちは闇の泉の精とよく似ていた。

 青年は手招き、頭上に向かって上っていく。意思も引っ張られるままに上昇していった。

「闇が異世界に流れ込んでしまいました」

 音が突然に戻って来た。マールは驚き、びくりと体を揺らす。

「私が不甲斐ないせいです。今は一部分だけ残った闇を食い留めているのが精いっぱいで、動けない」

 いつの間にか、三人はこんこんと水が湧き出る泉のほとりに立っていた。

「異世界の信徒よ。あなたはもう、フキルの祈りを忘れた方がいい」

 青年の言葉に秋良は首をかしげる。

「なぜですか? 闇に対抗するには強い光が有効ではないんですか」

「光があれば、必ず闇がやって来ます。このように」

 青年が優雅に手を上げ、空を指差す。そこには青い空はなく、一面に闇が広がろうとしていた。

「闇が味を占めたのです。純粋な祈りの心を求めて、あなた達を狙っています」

 闇は広がり続ける。地は深い影に包まれ、黒く染まっていく。

「でも、闇は異世界に行ってしまったんですよね。今、残っている闇を全て払えば……」

 広がった闇が少しずつ地に近づいてくる。体が重くなったように感じる。少しでも力を抜けば、倒れ伏し、起き上がれなくなるだろう。

「人に闇は払えません。闇と対等に向き合えるのは光、フキルのみ。フキル教の祈りは、光の残滓。もうすぐ消えようとしている弱々しいものなのです」

 闇はもう、手を伸ばせば触れられるのではないかというほどに近づいていた。秋良が逡巡している隣で、マールが闇に向き合う。

「あなたも、やめておきなさい。あなたにはもう光がない。言葉の力も人の熱も、闇の冷たさに取り込まれるでしょう」

  闇が凝り、秋良を目指して錐のように尖っていく。カザミがマールをかばって抱きしめ、闇を睨みつける。

 青年が頭上を仰いだ。

「強い闇が来ました」

 見上げると、闇が大波のように揺れ、二つに割れた。青い空を背に、黒いものが降ってくる。

「勇也!」

 空に浮かぶナベユテがちらりと見えたと思うと、また闇が凝り、辺りは今度こそ真っ暗になった。

 その暗い世界で、音だけが明瞭に耳に届く。

 風が巻き、金属が闇を薙ぎ、(くわ)が地に突き刺さる。

 見えなくとも、勇也が闇を切り裂いていることが、ありありと分かる。

 勇也が闇を切り裂くたび、闇の気配が薄まっていく。

 秋良が呟く。

「勇也が、闇を吸収している?」

 カザミがハッとする。

「闇を全て体内に取り込むつもり? そんなことして大丈夫なの?」

 青年が答える。

「いいえ、闇を吸収して人の身でいられることはありません。闇の栖で見たのではないですか。闇に侵された人の末路を」

 マールが叫ぶ。

「勇也、もうやめてください! 闇に飲まれてしまう!」

 闇の中から勇也の声がする。

「俺は決して闇には染まらない」

 青年が言う。

「人は光と闇、どちらにも傾いてはいけないのです」

「いくら闇が濃くても、光が厳しくても、俺は揺るがない。なぜなら俺が、俺を信じているからだ!」

 勇也の声と共にやってきた明るい光の中で、勇也の体内に闇の残滓が飲み込まれる最後を皆が確かに見た。

「愚かなことを」

「いいや、これが最善の策だ」

 いつの間にか、青年の隣に闇の泉の精が立っていた。

「人は思っているほど脆くはない。闇の器にちょうどいい」

「器が壊れてしまえば、元どおり、闇が動き出します」

「光は外にあればいい。お前」

 泉の精が秋良を指差す。

「この闇から離れるな。光が抑えていないと、闇はいつでも暴れ出す」

 秋良は無言で頷く。

 青年が勇也の前に歩み寄る。

「魔王、勇也」

 勇也がふっと笑う。

「俺が、魔王?」

「闇の力を身につけて、今なら魔物も統べることが出来ます。人を混乱に陥れ、支配することも。あなたの望みはなんですか」

 勇也は胸を張って答える。

「俺は、世界を救う!」

 青年はそっと目を閉じ、深く頷いた。

「その気持ちが本当ならば、光と闇を探し出し、この世界に返してはくれないでしょうか。光も闇も失った世界は、座して死を待つしかないのです」

 青年の頼みに、勇也は深く頷いた。

「俺に、いや、俺たちに任せてくれ」

 そう言って三人の方へ振り返る。秋良が力強く頷く。マールとカザミが手を握り合って勇也を見つめ、ゆっくりと頷く。

「異世界への扉を開きましょう。探してください、長く失われた光を」

「探し眠らせろ、荒ぶる闇を」

 泉から湧き出る水が止まった。二人の泉の精はいつも水で隠されている、ぽっかりと開いた穴に歩み寄る。

 四人が近づいて穴を覗き込むと、地球が見えた。宇宙船からの映像のように、青く光っている。

「あれが、異世界なのですね」

 マールの呟きに、勇也が顔を上げる。

「マールは残ってもいいんだぞ。この世界を救うために出来ることが、君になら、たくさんあるだろう」

 ぎゅっと唇を結んで、マールは首を横に振った。

「共にまいります。私は異世界からの転移者のお世話係なのですから」

 カザミが優しく笑う。

「今度はマールが転移者になっちゃうわね」

 それでもマールは胸を張る。

「転移者はお世話されるばかりではないと知りました。勇也も秋良もカザミも、この世界のために闘ってくれる。今度は、私の番です」

 秋良がしっかりと頷いてみせる。

「一緒に行こう。なにがあっても守るから」

「私も、皆さんを守ります」

 勇也は泉の精に顔を向けた。闇の精が言う。

「急げ」

 光の精が言う。

「頼みます。この世界を救ってください」

「もちろんだ。必ず探し連れ戻す。安心してくれ」

 その言葉が終わらないうちに、四人は水の中に沈んだ。

 呼吸ができる不思議な水だ。だが、マールたち三人が泉に向かって歩いてきた道とは比べ物にならない荒れようだった。あちらこちらから強すぎる水流に襲われ、真っ直ぐに立つことも出来ない。カザミが秋良とマールの手を握る。秋良とマールが勇也の手を取り、引っ張り寄せる。

 四人は水にもみくちゃにされながら地球に近づいて行く。

 映像で見たことがある丸い姿が恐ろしいスピードで大きくなる。大地の形がはっきりと見えたかと思うと、あっという間に地表に近づき、どこに向かっているのか把握することも出来ない。

 緑の木々に突っ込み、地面に衝突するという瞬間、水の流れが急に止まった。四人は大波に流され、投げ出され、地面に転がった。

「Ouch!」

 木にしたたか背中を打ち付けたカザミが叫ぶ。

「ヂウズラベドセキ? カザミ」

 マールが複雑な抑揚の言葉を口にする。

「What's? マール、You OK?」

「カザミ、ニアドホアニサナビン?」

 ぽかんとしていた秋良が言う。

「言葉が通じなくなってる」

「転移者のチート能力は、こちらの世界にはないようだな」

 困ったような表情でカザミが勇也と秋良に視線を向ける。

「どうしよう、マール、喋れない」

「カザミは日本語がわかるの、良かった」

「アキラ、ニヌンウットウレハドセキ? カザミ、ユウヤ、ナエスチアドセキ?」

 勇也が目を瞑り、腕を組み、じっと耳を澄ます。マールがびくりと震えた。

「マール、大丈夫?」

 秋良が言っても、マールにはなにも聞こえていないようだ。

「大丈夫だ」

 勇也が力強く言う。

「闇を通して会話ができる。マールの言葉は俺が翻訳する」

「本当に? マール、聞こえてる?」

 勇也はじっとマールを見つめる。マールは秋良を見上げ、こくりと頷く。

「良かった……。なんとかなる、かな」

 カザミがうんうんと頷き、同意を伝える。

「さて。ここはどこだろうな」

 勇也の言葉に、皆が辺りを見渡す。

 うっそうとした森で、木々が集まった独特の香りがする。異世界の森では感じることのなかった懐かしい香りだ。

「青木ヶ原樹海あたりかもしれないよ」

 秋良が指さす方に、何枚もの立て看板が見える。

『戻ろう』『命は親からいただいた大切なもの』『借金の解決は必ず出来ます!』

「看板があるということは、道が近いのだろうな。探して……」

 言葉を切った勇也が腰を落として鍬を構える。

「なにか、来る」

 秋良がマールを背にかばい、カザミは落ちている枯れ枝を拾い上げ、ぶんと振る。

 木々の間から、ずるずると粘性のものが這う音がする。すぐにそれらは姿を見せた。

 黒いタール状の生き物。闇に取り込まれ、闇に心を蝕まれた者たち。

 一見、頭に見える塊が持ち上がる。


……たすけて……


くるしい……いたい……


「イロヒセドヌフナドヒイルミソア。《闇です》」

 実際に聞こえている音にかぶさって、頭の中にマールの声が届いた。カザミと秋良がちらりと視線をやると、勇也とマールの体がうっすらと闇を纏ったかのように黒い。

《闇の栖にいたものたちと同じです》


たすけ……て……


……永遠にこんな……いやだ


おまえも……おまえたちも……くるしめ


 カザミが憐れみを込めた瞳で、呪うものたちを見つめる。秋良もマールも同じように視線を動かす。

「勇也。彼らを眠らせてあげよう」

 秋良の言葉に頷いて、勇也は天高く鍬を突き上げる。

「来い! 俺がこの世界を救う、勇者だ!」

 闇に染められたものたちが躍りかかる。勇也が鍬を振り下ろす。

 異世界から戻った勇者は、力の限り闇を払った。


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