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ギッサエに行く

「なっちゃったものは仕方ないわよ。火を焚いておけば魔物も近づかないでしょ」

「わかった。薪を集めよう。俺とカザミで森に入るから、秋良は見張りを……」

「ちょっと待ってくれ。あんた、俺たちを置いて行くのか」

「そうだが。なにか不都合があるか」

 転移者のなかで最も年嵩の男が言う。

「あんたがいなければ俺たち魔物に食べられてしまうじゃないか」

「魔物は人を食べない」

「そ、そうなのか?」

「殺すだけだ」

「それじゃだめだろうが! 俺たちは丸腰なんだぞ、あんなわけのわからない生き物相手に戦えるわけがない」

 勇也は秋良を指し示す。

「あなたたちが戦わなくていいように秋良が残る」

 若い男が秋良を横目で見て鼻で笑う。

「こんな、ひょろい眼鏡になにができるっていうんだよ。一撃で魔物にやられそうじゃないか」

 カザミがずんずんと男に近づく。

「な、なんだよ」

 怯んだ男に、腰から抜いた剣を突き出す。

「そんなに言うなら、あんたがみんなを守りなさいよ。ほら、武器があればいいんでしょ」

 無理やり剣を押し付けられた男は両手で剣の柄を握ったが、重さに負けて取り落としてしまった。カザミは無言で剣を拾い上げると、秋良に向かって放り投げた。

 秋良は飛んでくる剣の柄を片手で受け止め、すぐに両手で構えてみせる。二度、三度と型に沿って剣を振り下ろす。それを頷きつつ見たカザミが胸を張って言う。

「ひょろい眼鏡がなんだって? もう一回、言ってみようか」

「いや、なにも言ってないよ……」

「そう。私の聞き間違いだったのね。じゃあ、大人しくここで待っていなさい。秋良、マール、よろしくね」

「うん。任せておいて」

 カザミは秋良から剣を受けとり、腰に戻す。

「行ってらっしゃい。勇也、カザミ」

 二人は二手に分かれて暗い森にと踏み込んで、あっという間に見えなくなった。

 秋良はあたりを見回して、平坦な場所の草を抜き、焚火の準備を始めた。マールも手伝って、二人でせっせと働く。その背中に先ほどの若い男が声をかけた。

「その……、悪かったな」

 秋良が振り返ると、『ひょろ眼鏡』発言をしたその男が気まずそうにしている。

「あんた、まだ子供だしさ。強そうに見えなくて。馬鹿にしたわけじゃないんだ」

 素直すぎる言葉に少しカチンとくるものはあるが、秋良は苦笑を浮かべるだけにとどめた。

「いいんですよ。自分がひょろいことは自覚してます。だから鍛錬してるんですけどね」

 男はしゃがみこんで草抜きに参加する。

「俺はチウって名前だ。あんたは秋良っていうんだな。どこの国の生まれなんだ?」

 マールが優しく言う。

「チウ、この世界では転移者のみなさんは一つの大きな家族のような存在です。元の世界のしがらみは、もう必要ないんですよ」

「なんだよ、元の国に戻ったら関係ある問題じゃないか」

 秋良の表情が曇った。

「この世界から地球に戻った転移者はいないと言われてる」

 目を丸くしてチウが大声で言う。

「なんだって! じゃあ、俺は一生、逃げまわらなきゃなんねえのかよ」

 チウが力なくへたりこむ。そんなチウにマールが微笑みかける。

「もう逃げる必要はないんですよ。転移者を処刑しようとする国は、テグ帝国だけです。我がヒズムの国へまいりましょう。転移者の方を受け入れて保護しています」

 不安げにチウが尋ねる。

「保護って……。イヌやネコみたいに閉じ込められるのか」

「そんなことはありません。みなさん自由に過ごしていらっしゃいますよ」

「でもさ……」

 不安が拭えないチウに秋良がぼそりと囁く。

「三食昼寝付き、酒は飲み放題。仕事はしなくていいし、美人も多いよ」

「行く! 行くぞ、俺は行く!」

 突然、乗り気になったチウを疑わしげに眺めたが、それでもマールは「歓迎いたします」とそっと言った。

 他の男たちもぽつぽつと自己紹介などして打ち解け、全員で草を抜いたり、薪を組むための石を拾ったりしているところへ勇也とカザミが戻って来た。

「あら、みんな働きものね」

 蔓を使って大量の木の枝を抱えている勇也がしっかりと頷く。

「助かる」

 チウが照れて「へへっ」と子供のような笑顔を見せた。

 火を焚いて寛いでいると、ウアナと名乗った青年が尋ねた。

「この世界に転移した人間は何人くらいいるんでしょう」

 マールは秋良に視線を向けた。秋良は書物で得た知識を披露する。

「最初に転移者の存在が記録されたのは千四百年ほど前。クワケという歴史書に書かれてるよ。ただ、クワケの作者も転移者のことをすでに知っているような書き方だったから、もっと昔のことかもしれない。本当のところはわからないんだ」

 後を引き継いでマールも口を開く。

「フキル神の教えではこの世に闇が広がると転移があり、光が差し込むということです」

 ウアナが心配げに尋ねる。

「その人たちはどうなったんですか、みんな本当に地球に帰れなかったんですか」

「転移者は皆、フキル神のご加護で、この地で健やかに暮らし続けたと言われています。ですが、この世界を去ったという話は聞いたことがありません」

 秋良も続ける。

「ヒズム国立図書館の蔵書で転移者について触れている本はほとんどすべて当たってみたけど、来たという話はあっても、帰ったとか、消えたという話はないんだ」

 カザミが首を傾げる。

「消えたって、どういうこと?」

「俺たちが転移したとき、向こうの世界ではなにが起きていたのかって考えたんだ。こちらの世界に来た瞬間、カザミはなにをしていたか覚えてる?」

「走り込みの途中だったわ。道着も着たままで」

「勇也は?」

「学校を出て予備校に向かう途中だった」

 カザミが大声を上げる。

「予備校!? 勇也、勉強してたの!?」

「ああ。受験生だったからな」

「うーっそ! そんな普通の学生してたなんて」

 秋良がカザミの口の前に手のひらをかざして黙らせる。

「カザミ、話が逸れるから。二人とも、転移前に周囲に人はいた?」

 カザミがふるふると首を振る。

「いなかったはずよ。人を避けて山の中を走ってたから」

「勇也は?」

「俺が歩いていたところも人の視線はなかったと思う。下水溝の中を歩いていたから」

「……やっぱり、普通の学生じゃないわね」

 カザミがぽつりと呟いたのは無視して、秋良は他の転移者にも尋ねる。

「みんなはどう? 人目はあった?」

 皆が口々になかった、誰もいなかったという意味の言葉を返す。

「サワヌーでも聞いて回ったんだ。誰に聞いても、転移したときは一人だったって言うんだ。誰にも見られていないところから、この世界に引っ張り込まれた。それって、あちらでは『消えた』『失踪した』ということになってるんじゃないかな」

 チウが唸る。

「俺が消えたら、俺の女たちが泣いてるな」

「それはないんじゃないかな」

 秋良の言葉にチウが悲し気に「そんな冷たいこと言うなよ」と呟く。

「チウが人目がある場所で消えたら、きっと異変が起きたって騒ぎになるでしょ。でもチウはいつの間にか消えていた。きっとどこかのヤバい女に手を出して消されたとかなんとか言われてると思うよ」

 チウがまた「そんなありそうなこと言うなよ」と呟く。

「だったら、逆にこの世界から元の世界に戻ったら、こちらでは存在が消えたことにはならないだろうか」

「こっちの世界で行方不明になるっていうこと?」

 ウアナの質問に秋良は頷く。

「そう。異世界へ旅立った転移者はいない。けれど、失踪した転移者がいないとは思えないんだ。勇也みたいに自分が勇者だと言ってサワヌーから出て行く転移者もいるでしょ、マール」

「先輩のお世話係からは、そのような話も聞いています」

「その人たちは帰ってこなかった」

「はい。みなさん、行方がわからないそうです」

「帰ったんじゃない? その人たち」

 一同がざわめく。

「じゃあ、自称勇者たちがどこへ行ったか調べれば、元の世界に戻れるの?」

 カザミの質問に、秋良は力強く頷く。

「可能性は高いと思う。勇也、ギッサエの後はどこへ行くつもりなの?」

「崖をくだる」

「何を言っているのですか!」

 マールが大きな声で叱りつけるように勇也に説く。

「フキル神のご加護はこの大地に注がれるものです。崖をくだれば光はありません」

「知っている。だから、行くんだ。魔物は闇の生き物。魔王は当然、闇の中にいる」

「何度も言っているじゃありませんか、この世界に魔王はいません」

「しかし、だれも崖下に行った者はいないのだろう」

「それは、そうかもしれませんが……」

「なあ、崖ってどこにあるんだ? 誰も言ったことがない場所なら、そこに行けば元の世界に帰れないかな?」

 チウの質問に秋良が答えた。

「この世界は平たい円盤のような形をしているんだ。その円盤の周囲に高い山がある。山の向こうにはなにもない。崖があって、そこで世界は終わり」

 ウアナが笑う。

「そんな大昔の世界観みたいなこと言って、何の冗談だ」

「ここは地球じゃない。異世界なんだ。世界の有り様がまるで違う。夜になった時のことをおぼえてる? この世界には光のある時間と闇に閉ざされた時間、二つしかないんだ」

「それじゃ、昼飯はいつ食べるんだ?」

 チウがぼんやりと言うと、マールが首をかしげた。

「ヒルメシって、なんですか?」

「昼食べる飯だよ。朝飯、昼飯、夕飯、おやつ。それぞれいつ食べるんだよ」

 秋良が同情深い表情を作る。

「この世界の人は明るくなってすぐと、暗くなる直前にしか食事を取らないんだ」

「そんな! あんた、三食昼寝付きだって言ったじゃないか! だから俺はなんとかって国に行くって決めたのに」

「ヒズム王国。ちなみに転移者の居住区はサワヌーって言うよ」

「そんなことどうでもいいよ! 三食昼寝つきは……」

「サワヌーの方はお好きな時に食事を取られていますよ」

 マールの言葉に、チウは満面に笑みを浮かべた。

「酒は?」

「お好きな方は教会で使ったものを取りに来られますね。毎日の礼拝で使いますが、残りが出ますから、引き取っていただけて助かっています」

「なんだ、安心したよ」

 ニヤニヤするチウをベーチアという壮年の男性が蔑んで言う。

「下劣なやつだ」

「なんだと。今、なんて言った?」

「下劣だと言った。未知の世界に来て、享楽にふけることしか頭にない。探求心もなく故郷に思いを馳せることもない。心根が知れる」

 チウが勢いよく立ち上がる。

「ケンカ売ってるんだな、おお? 舐めてると痛い目見るぞ」

 ベーチアも応えるように立ち上がり、焚火から離れる。

「痛い目か。見せてもらおうか。出来るものなら」

「や、やめてください。仲間同士で争うなんて」

 マールが慌てて二人のもとへ駆け寄ろうとするのを、カザミが抱き留めて阻止した。

「面白いじゃないの。二人とも腕に自信があるみたいじゃない。魔物撃退の助っ人になってくれるか、鑑賞しましょ」

「ケンカはだめです」

「こういうのは決闘っていうのよ。名誉を掛けたやりあいね」

「やりあっちゃだめなんですー!」

 マールの言葉はカザミに無視され、チウとベーチアは睨み合う。

「なぜ転移者が闇の中にいる」

 突然響いた冷たい声に、勇也が立ち上がった。

「何者だ」

 勇也が睨みつける先には闇しかない。

「水先案内人だ。闇のために働くもの」

 チウがヒュウと口笛を吹く。

「敵か? 俺の強さを見せちゃおうかなあ。ぶっ飛ばす」

「やめてください、チウ。危険です」

 マールの制止をチウは聞こえなかったふりをして、闇の中に進んでいく。

 ゴスッ。

 鈍い音がしたかと思うと、チウが明るい場所に吹っ飛ばされてきた。

「きゃあっ!」

 マールが思わず叫んだ。チウの顔の左半分が陥没し、ぐしゃぐしゃに潰れていた。

 秋良が叫ぶ。

「マール、治癒を祈って! みんな焚火の側に。光の当たるところから離れないで」

 転移者たちは一つに固まり、闇に脅えることしか出来ない。

 勇也が焚火から離れ闇に向かって立つ。

「なんの案内をするんだ?」

「……お前はなんだ。なぜ魔物を倒して周る」

 質問に質問で返されたが勇也は気にも留めない。鍬を天に突き上げ、雄叫ぶ。

「俺が勇者だからだ!」

 闇は静寂をはらみ、なにものかがそこにいるとは思えない。

 勇也は臆することなく闇に向かって進んでいく。

「なぜ転移者が闇を纏っている」

 何者かの問いに勇也が足を止める。

「闇を纏う? どういう意味だ」

「光か、闇か……。どちらでもいい。世界のために、消えろ」

 闇が凝って物質のような硬さを持った。その闇が勇也めがけて襲い掛かってくる。勇也の全身が闇に包まれ、姿が見えなくなる。

 前後左右、どこまでも続く闇が牙をむき、勇也は避けることも出来ず噛み裂かれた。

 痛みも衝撃もない。だが、勇也の手足は失せ、目はつぶれ、喉は縛り上げられた。すべてが闇と同化しようとしている。

 呼吸が出来ない、四肢を動かせない、知覚がおかしくなり、自分がどこにいるのか、自分がなにをしていたのか、自分とはなにか、なにもかもわからなくなった。

 意識すら意味を持たなくなりそうになったその時、声が響いた。

「フキル神よ! ムッテの光を今ここに!」

 月の光が満ちたと思った途端、世界が白く破裂した。あまりにも強い光に、皆が目を瞑り、腕で顔を隠す。そうしていても、光が目を焼き、脳髄までにも突き刺さるような刺激となった。

「……おろかものが」

 闇にいたなにものかが呟く声が、かろうじて聞こえた。光に飲まれ神経を焼かれ、皆はその場にくずおれた。


  ***


 手だ


 遠くから声が聞こえる。マールの意識がぼんやりと目を覚ました。


 次の手を打たなければ


 それは小さな鈴がいくつも鳴っているような、跳ねた水の輝きのような、澄んだ声だ。


 今ならまだ


 マールの意識は宙を浮遊しているかのようで、耳にたどり着く音を途切れ途切れにしか拾えない。


 深淵へ


 地を掘り


 眠らせ


「なにを眠らせるのですか?」


 次の手はまだ


 マールは目を開いた。真っ白な世界に、マールだけがぽつりと存在していた。


 闇を


 眠らせ


 音が消えた。

 同時に白も消えた。

 闇だ。

 闇がやって来てわかった。白いものは光だったのだ。


「ここは……?」


 手を


「なに?」


 次の手を


 闇がマールに圧し掛かって来た。


 手を打て


 マールの体内に闇が流れ込む。体を巡っているフキル神の恵み、信仰心、祈りの言葉が黒く染まっていく。


「やめて」


 光の手を


 次の手を


 闇がマールの体内から光を引きずり出していく。


「やめて!」


 マールの叫びは熱い波長となって、闇の彼方までをも熱で焼いた。


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