テグからの脱出
階上に戻ると、見張りをしていた兵士が目を覚ましていた。階段を上ってきた小麦色の肌の若い女性が駆け寄って行く。
「カッナ! 無事だったのね」
カッナと呼ばれた兵士と女性の間に、階上で見張りをしていた遊牧民が割り込んだ。
「近づくな」
「え? なんで?」
「この男は裏切り者だ。仲間を売って自分だけ保身に走り、テグ帝国の犬に成り下がった」
「誤解だ、違うんだ、ラモ! 俺はラモを助けるために無理やり兵士にされたんだ。仕方なかったんだ!」
戸惑うラモに、共に捕らわれていた転移者の男が言う。
「嘘だぜ。そいつ自分からホイホイ兵隊について行ったんだ。俺も兵士にならないかって言われたけど、断った。こいつは縄をかけられた俺たちを薄ら笑いで見てたんだ」
「うそ……」
ラモがカッナを見つめて叫ぶ。
「嘘よね、カッナ! 私を人質に取られて仕方なく、そうよね!」
「そ、そうだよ、ラモ。全部君のために」
見張りをしていた遊牧民が蔑むような目をカッナに向ける。
「空々しい嘘だな。カッナだっけ。今度は帝国を裏切るんだな、お前。それでどうやって生きていくつもりだ? お前のことを許すやつがこの世のどこにいる」
カッナは不安げに顔を歪める。
「そうだな」
勇也が低い声で言う。
「裏切りは許せない。死をもって償うべきだ」
鍬を頭上に高々と上げ、カッナに向かって振り下ろした。
「やめろ!」
ルーヂが止めに入るよりも早く、見張り役の男たちがカッナの前に立ちはだかった。手にした武器を勇也に向けて、身を挺してカッナをかばっている。
勇也は静かに鍬を止め、下ろした。
「裏切ったからといって、同胞を許せない人間は、ここにはいなかったな」
男たちは気まずそうに視線を反らし、カッナは大声を上げて泣き出した。
外に出ると、黒い煙は消えて青空がすっきりと広がっている。
「まずいな。目隠しがないと、この人数を連れて行くのは厳しい」
「俺が様子を見て来よう」
カッナが着ている兵服の上着だけを脱がせて羽織ると、勇也は茂みから頭を突き出した。勇也のすぐ側を兵士が何人も駆け抜けていく。
「なにがあった?」
呼びかけると兵士が一人立ち止まり、勇也の兵服を認めて話し出した。
「山之口が破られて暴徒が侵入した。ここにもやってくるかもしれない。牢の見張りを怠るなよ」
「わかった」
勇也はしっかりと頷き、茂みの中に戻る。
「チャンスだ。暴動が起きているそうだ。暴徒に紛れて逃げ出そう」
ルーヂたち遊牧民とわかれ、勇也は転移者を引き連れて悠々と歩き出した。
「なあ、あんた。こんなに堂々としてていいのか? 俺たち捕まってたんだぞ。追手がくるんじゃ……」
「大丈夫だ。安心してくれ」
「いや、しかし……」
「おい、お前たち!」
突然の怒鳴り声に、転移者たちがすくみ上がる。振り向くと兵服で髭を生やした男が大股に近づいて来た。
「転移者だな、逮捕する」
「俺たちは今、牢から出されてきたところだ」
「なんだと?」
「オリウ将軍という人に追い出された。これから暴徒を大量に投獄せねばならない。転移者などに余分な居場所を裂いている余裕はないと。これを持って行けと言われた」
勇也は制服のポケットから一枚の紙を取り出し、開いてみせた。
「……確かに、恩赦と書かれている。だが、これが本物かどうか……」
「確認が必要なら、俺たちも一緒に行くが。城まで戻るのか?」
「そんな時間はない。暴動の鎮圧が第一だ。お前らに関わっている時間が無駄だ。もう行け」
そう言って兵士は足早に通りを進んでいった。
「なんだ、恩赦が下りてたから出られたのか。助かったな」
ほっとした様子の転移者に勇也がぼそっと言う。
「嘘だ」
「え?」
「これは俺が適当に書いたニセモノだ。だが、効果は高い。俺は書道は得意なんだ」
「書道はあまり関係ないと思うよ」
物陰から聞こえた秋良の声に、勇也の表情が明るくなる。
「秋良、マールも無事か」
「はい。勇也も無事に転移者の方たちを助けることが出来たんですね」
「まだ油断は出来ない、ギッサエに着くまでは。さあ、行こう」
なにが起きているのか理解できていない転移者たちを引き連れて、勇也はずんずんと進む。後について行くものは駆け足だ。
逃げ惑う街人、統制が崩れている兵士、時折魔物が出たという叫びに兵士が駆けつける騒ぎも起きている。
そんな中を転移者の一団は誰かに止められることもなく進む。
だが、川之口までたどり着く前に牢に閉じ込められていた者たちが力尽きた。
「もう無理だ。すきっ腹が痛む。足に力が入らない」
「皆さん、お疲れだったのですね」
マールが慌てて言いながら、秋良の背から滑り下りる。祈りの言葉と共に、光がマールの手許から辺りに広がる様子を、転移者はきょろきょろ視線を動かしながら見ていた。
「ま、魔法?」
「ここは、本当に異世界なのか」
マールが優しく微笑む。
「魔法ではないですが、ここはあなた方のいた世界とは違う世界です。同じように転移した方も大勢いらっしゃいます」
転移者たちは緊張した面持ちで、それぞれ顔を見合わせた。だが、混乱しているのか、言葉はどの口からも出てこなかった。
楽々と川之口から外へ出る。街人も多く駆け出してきていた。
「テグ帝国の人は、川の魔物より暴動の方が怖かったんだね」
秋良の隣を走っていた転移者がぎょっとして立ち止まる。
「まさか、本当に魔物がいるのか!」
「ああ、出るぞ」
言いながらかなり先を歩いていた勇也が振り返り、駆け戻ってくる。
「こんなふうに」
鍬を横薙ぎに払う。川から上がり、転移者に飛び掛かろうとしていた魔物が声もなく地面に転がった。
転移者たちが意味のない言葉を叫び駆けだそうとするのを、秋良が慌てて止める。
「待って、大丈夫だから。ほら、見て」
指さした時には勇也が魔物にとどめを刺したところで、転移者たちはかろうじて魔物が塵になる瞬間を見ることが出来た。黒い布を纏うかのように魔物の塵に取り巻かれている勇也を、彼らは恐ろしいものを見る目で見つめた。
魔物が潜む川辺を歩くよりは明るい森の側の方が安全だろうと一行は草地を歩く。
「勇也、うまくいったか」
木の上から聞こえた声に転移者たちがビクリと身を竦める。
「ああ、大成功だ、樵。これから皆でギッサエに向かうよ」
ザザザと木肌が擦れる音をさせて、木から下りて来た樵が森の中から現れた。
「カザミが先に行ったぞ」
「そうか。無事だったんだな」
樵は深く頷く。
「持っていけ」
腰に吊るした袋から、ごろごろと薄緑色の実を取り出した樵は、勇也の腕にぼんぼんと積み上げていく。全員で分けても余るほどの果実に、マールが微笑を浮かべた。
「樵さんは親切ですね」
「いやあ、いやあ」
照れた樵はあっという間に木を上り姿を隠した。
「樵、ありがとう」
勇也の声に応えはなかったが、樵の気配がすっと消えたのを秋良もマールも感じた。
「じゃあ、これ、分けちゃおうか」
秋良が勇也が抱えている実を取って転移者に差し出す。だが、全員が不審げに見つめるだけで、誰も受け取らない。
「さっきのあれも魔物じゃないのか」
ぼそりと一人が呟く。
「人間にしては変な喋り方だったじゃないか。それに、手足も変な方向に向いていただろ」
ぼそぼそとした言葉は次々と出てくる。マールは眉を顰めた。
「あなた方は人を見た目だけで判断するのですか。喋り方も体の形も、その方の心の清さとは関係ありません」
「だが、心の清さなんか目に見えないじゃないか。見た目で判断するしか方法は……」
「彼の行いが見えなかったのですか。彼は貴重な食料を分けてくれたのですよ」
勇也がそっとマールの肩に手を置く。
「マール、『彼』ではないんだ。髭はあるが、樵は女性だ」
「えっ」
フキル神の教えに沿って説教を始めようとしていたマールが顔を真っ赤にして俯いた。
「いけませんね、人を外見で判断しては」
「そうだな。だが、樵は気にはするまい。自分のことを置いても、人を助けたいという心根を持っている」
勇也が実を一つ取って齧りつく。芳醇な香りが辺りに広がる。
秋良がもう一度差し出すと、転移者たちは恐々とではあったが、果実に手を伸ばした。
***
「まさか貴重なキズテの実を死ぬまでに食べることが出来るとは思いませんでした。皇帝と富豪が独占して海外輸出しているらしいです」
カザミが救い出した男性、ブラークは背負われることに納得がいき、今はカザミに身を任せていた。
「あれって、そんなに珍しいものだったのね。モリモリ食べて悪かったかな」
「樵さんは、食べてもらって嬉しそうでしたよ」
「そっか。ならいいか」
あっけらかんとしたカザミの背中で、ブラークはくすりと笑った。
「ん? どうかした?」
「死ぬことを覚悟した時にあなたに出会って、そうしたら死ぬことが怖くなって。怖いものが出来たら、次々に生きていたいと思うものに出会う。不思議なものだと思ったんですよ」
「これからどんどん出会うわよ、素敵なものに。生きていればね」
「素敵なものか……。今まで一つも持っていなかったな」
「家族はいないって言ってたけど、歩けないのにどうやって暮らしていたの?」
男性の声が沈んだものになる。
「隣人の世話になっていました」
「遠くの親戚より近くの他人ってやつね。善意のおかげで世界は回るのよ」
カザミの明るい声を聞いても、男性は落ちこんだような様子を見せるだけだ。
「異世界にはそんな言葉があるんですか、羨ましいな。テグの人間で、善意なんて持ってる人はほとんどいません」
「でも、隣の家の人は助けてくれてるんでしょ?」
「彼らが私の面倒を見るのは両親の財産を騙し取った負い目があるからです。私が口を噤んでいる限り、彼らは安泰なんですよ」
「そんなの極悪人じゃない! 早く言ってくれたら役人に突き出したのに!」
ブラークは苦笑いを浮かべる。
「いいんです。私が持っていても、どうせ死んでしまえば彼らのものになったお金です。遅いか早いかの違いだけだ」
カザミは複雑な表情を浮かべたが、それ以上、強い言葉は出てこない。
「まあ……、あなたがそれでいいって言うなら、いいんだろうけどさ。でもやっぱり腹立つなー」
「カザミさんは優しい人ですね」
誉め言葉がくすぐったくて、カザミは速足になる。
「そうなのよお。優しすぎて、ススラエ道場でも弟子に甘えられちゃってさー、困っちゃって」
「ススラエ師の道場にいらしたんですか。道理で強いはずだ」
ブラークを揺すりあげながらカザミが懐かしむように言う。
「強いと言えば向こうの世界でも強かったのよ。太極拳では国でトップで。あ、太極拳って言っても健康体操みたいにゆっくりとするわけじゃなくて……って。こんな話、つまらないわね」
「いえ、カザミさんが話してくれることなら、何時間でも聞いていたいです」
「やー、そんなこと言われたら、照れるー」
ぱたぱたと数歩走るカザミの背で、ブラークは楽し気に微笑む。
「カザミさんの故郷は、どんなところですか」
「そうね、暖かい国よ。気候もだけど、人の気持ちもね。自然を愛して大切にするの」
ブラークが首を傾げる。
「シゼン……というのは、なんですか」
「え、あれ、通じない? この世界にはない概念なのかなあ。光とか、水とか、風とか。私たちには生み出せなくて、与えてもらうもの。それらすべてを、ひっくるめて自然って言うのよ」
「自然とは、精霊のようなものなんですね。この世界では、朝と夜は神が、水は精霊がもたらすと言われているんですよ」
「あ、それは故郷と似てるかも。自然のすべてには魂があって、話しかけたら応えてくれるっていう話」
「タマシイ?」
「うん。肉体の他に、目に見えないけど人が持っている大切なもの。魂がきれいな人ほど、深く自然と通じ合えるのよ」
ブラークは優しく微笑む。
「カザミさんは、きっと自然と仲よしでしょう」
「あら、それって、私の魂が清らかだって言ってる?」
「はい。私はずっと、足が動くようになったら世界の中心の泉を見に行きたいと思っていました。ですが、もう大丈夫です」
カザミが首を傾げる。
「なんで?」
「カザミさんの魂を知ったからです。精霊に会わなくても、自然のすべてをカザミさんが教えてくれました」
「ええええええ! それは褒めすぎよー。それを言うならあなたの方が」
「私ですか?」
「人を恨んだり、憎んだりしたことないでしょう」
ブラークは苦笑を浮かべる。
「誰かの世話にならなければ生きていけない身です。感謝しかありません」
「それって、すごく難しいことじゃない。感謝できる人って、美しい魂の持ち主よ。ただ、あなたは少し、悲観的だけどね」
ブラークは力強い声で言う。
「私は、死ぬまで生きます。カザミさんのように。カザミさんが生きているのと同じだけの時間を」
カザミはにやりと笑う。
「私はちょっとやそっとじゃ死なないわよ」
「はい。いつまでも生きてください。そうだったら、私は嬉しい、たとえカザミさんが異世界へ帰ってしまっても」
「帰らないわよ」
「え? そうなんですか」
ブラークの声が明るくなる。
「私はあちらの世界でもらったもので、もう十分なの。たっぷり蓄えたのよね」
「自然をですか?」
「うん、それもある。あと、幸せもたくさんもらった。うちは大家族でね、じいばあ、両親、兄弟姉妹、伯父、叔母、いとこ、甥、姪、何人いるのかわからなくなっちゃう。家族仲良くて、友だちもいっぱいいて、街の人も親切で」
「愛されていたんですね」
「愛してもらったし、愛してる。その愛は遠く離れても枯れないから。あー、ブラークにも家族を紹介したいなあ。きっと楽しくお喋り出来るよ」
ブラークは小さく頷く。カザミは空を見上げた。
「もらってきたものをこちらの世界で活かして、役に立てると思ったのよね。武術もそうだけど、人との交わり方とか、神様にだけ頼るんじゃなくて、自分の魂と会話するっていうか。うーん。何て言えばいいのかなあ」
「カザミさんはどこにいても、だれにとっても、大切な人になるんでしょうね」
「そうだったらいいけどなあ」
「絶対に、そうですよ」
ブラークの声はとても優しく、カザミの胸の奥を震わせた。
そろそろ夜が始まろうとする頃、川の先に浮かぶものが見えた。
「カザミさん、あれはヘノでしょうか」
ブラークが川の上流を指差す。
「あ、本当だ。船だね。テグ帝国に向かってるんだね」
「始めて見ましたよ、本物のヘノ」
「そうなの?」
「テグの川には魔物が出るから、普段は人は近づかないんですよ」
「へー」
立ち止まって見ている間に、こちらではヘノという船はみるみる近づいて来た。側壁の低いボートだが、面積は大きく、十数人が余裕をもって広がり座っていた。
そのまま通り過ぎるものと思ったが、ヘノは速度を落とし、二人のすぐ側に着岸した。金属製のハンドルを操縦していた中年の女性が声をかけてくる。
「あなたたちはテグ帝国の方ですか」
カザミの背中でブラークが返事をする。
「そうです。逃げてきました」
「我々はギッサエからテグ帝国へ救援に向かうところです。なにが起きたか教えてもらえますか」
招かれるままにボートに乗り、カザミが簡単に説明すると、ギッサエの救援隊はざわざわと落ち着かなくなった。
「その黒い煙というのが気になるな」
「魔物を生け捕りにしているなら、研究班を送った方がいいのでは」
「暴動となると怪我人も。救護班も必要か……」
「伝令を戻そう」
ヘノを操縦していた女性が言い、三人の人物を指差した。
「ドア、スラ、ヒナ。巨塔に伝令。救護班を急ぎ要請、研究班は派遣の準備をして待機」
三人はすぐにヘノを下り、上流に向かって駆け出した。その後姿を見送り、カザミが尋ねる。
「通信機はないの? ギッサエくらい情報通信が盛んなら、携帯型のもあるんじゃない?」
女性が悲し気に俯く。
「あんな高額なもの、私たちみたいな下級研究者には貸し出してもらえないわ」
「え、あれって高級品なの? 道場では普通に使ってたけど」
「ススラエ道場のこと? あそこは各国の遠征指導でかなり儲けているから」
「な、なんですって! 経営が厳しいって言って、ろくな食事が出てこなかったんですけど! それを知ってたら給料増額だって交渉したのにー」
嘆き悲しむカザミに、ノートを抱えた小柄な青年がにじりよる。
「もしかして、ススラエ道場にいる転移者というのは、あなたでしょうか」
「そうだけど」
青年が目をギラリと輝かせる。
「異世界の武術を指導しているって本当ですか!」
「ま、まあね」
青年の迫力に押されて、カザミは後ろへ後ろへと下がって行き、船の側壁に背中が当たって止まった。
「見せてください! ぜひ! 僕、武術の研究をしてるんです!」
「こら、カチケ。時と場所をわきまえなさい。私たちはテグ帝国の救援に向かってること、覚えてる?」
カチケはそれでもカザミから離れない。女性はため息をつき、カザミに尋ねた。
「あなたたちはどうしますか? ギッサエに向かう? それともこのまま一緒にテグへ行く?」
カザミが見ると、ブラークは優しい微笑みを返した。
「私は帝国に帰ります。ギッサエの救援隊が来てくれるなら安心ですから」
カザミがそっと呟く。
「でも、ギッサエに行けば良い病院もあるかもしれないのに」
カチケが口を挟む。
「医療は残念ながらテグ帝国の方が勝っています。人体実験をしているという噂で……」
「カチケ! 噂にしか過ぎないことを吹聴しない」
叱られてカチケが黙ると、カザミはブラークに尋ねた。
「本当に、一緒に行かないの?」
「今お別れしないと、いつまでも一緒にいたいと思ってしまいそうだから」
「ブラーク……」
言葉が出てこないカザミは、唇を噛んでブラークを見つめた。ブラークがそっと手を差しだす。その手をぎゅっと握って、カザミは微笑んで見せた。
「いつかまた、会いに行くから。絶対に」
「はい。待っています。いつまでも生きて」
ブラークも静かに微笑んだ。
船と別れて上流へ、ギッサエに向かって歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。
「カザミ!」
立ち止まり振りかえると、勇也が見えた。と思う間もなく駆け出し追いついて来る。
「無事だったな。なにか問題はなかったか」
「なにもなかったわ」
カザミは勇也に聞こえないほどの小声で呟く。
「あの人のこと以外はね」
カザミが目を上げると、マールを背負った秋良がやって来た。
「カザミ、元気そうだね」
「なに、ついさっき分かれたばかりじゃない。私がいなくて寂しかった?」
「はい。カザミがいないと、笑いが少ないです」
マールの言葉に、カザミは「こいつう」と言いながらマールの額を突いた。
ずっと走り詰めで、転移者たちは息も絶え絶えだった。もう走れないとばかり、地面に身を投げ出す者もいる。
「勇也、少し休んだ方がいいんじゃないかな」
秋良が言うと、勇也は軽く首を横に振る。
「そうも言ってはいられないぞ。もうすぐ」
ふっと急に空が暗くなった。
「夜になる」




