01 入学式
───ピピピ・ピピピ───
目覚ましの音が聞こえる。もう少し微睡んでいたいところが今日は朝から予定がある。
義務感に苛まれながらも目を開けると、見慣れた天井とカーテンの閉ざされた薄暗い部屋、壁掛かっている真新しい制服が目に入ってきた。
今日は入学式がある。大半の人は高揚感や不安感を覚えるだろうが俺──水原汐音が煩わしいと感じてしまうのは他人との関わりがあまり好きではない性格のせいだろう。
重い足取りでリビングに向かうとキッチンで母──水原菫がいつもよりも明るい雰囲気で朝食を作っていた。
「あら、おはよう。そろそろ起こしに行こうと思ってたのよ。…そんなしけた顔してないでさっさと顔を洗って寝癖を直してきなさい」
「ほんとだなぁ…初日からそんな顔じゃ友達もできないぞ」
ソファでテレビを見ていた父──水原裕緋もこちらを見てそんなことを言ってきた。
笑っていないため無愛想な顔をしている事は事実だがそれだけでしけた顔と言われるのは心外である。ただでさえ今日はやる気が出ないのに追い打ちをかけないでほしいものだ。
洗面所で鏡を見てみると確かにいつもより少し顔色が暗い気がする。これもきっと入学式があるせいだろう。
ろくに泡立てていない石鹸で顔を軽く洗った後そのまま洗面台に頭を突っ込み髪を濡らす。髪型を気にした事のない俺はいつも適当に濡らしてタオルで軽く水気をとった後、ドライヤーで乾かすだけだ。そして、入学式の日も例に漏れない。
目元の半分までかかるストレートの紫黒色の髪は水気が絡まりづらいのかすぐに乾いてくれる。面倒くさがりの俺にとっては好都合だった。
前を向けば分厚いメガネの奥の覇気のない灰色の瞳が気怠そうにこちらを見つめていた。
「「「いただきます」」」
髪を乾かし終え、リビングに戻ってきた俺は両親と共に朝食をとっていた。
別にルールがあるわけでなないのだが水原家ではいつも家族揃って朝食をとることが日常と化していた。
「今日の入学式楽しみにしてるぞ」
「…いいよ別に。めんどくさいし」
「まぁまぁ、そんなこと言わずにさ。人生で一度きりなんだし」
「今日はしっかり撮ってあげるからね」
「…そう。」
「あら?今日はやけに素直じゃない。」
「別にそんな事は…」
「うふふ、そうね。汐音は面倒くさがってるだけだものね」
(本当に返事がめんどくさかっただけなのに何故か誤解が生まれている気がする…)
母親が浮かれすぎているのも考えものだ。父に至っては母の勘違いに気が付いているだろう。微笑みをたたえていた。
「…ごちそうさま」
これ以上リビングにいても母に色々聞かれるだけだと悟った俺は朝食を流し込み早々に自室に退散することにした。
自室のテレビを付ても、気分が明るくないせいかニュースキャスターの声が酷く抑揚のない様に感じた。天気予報だけ確認し、これ以上見ていても得るものが何もないと、付けたばかりのテレビを消した。
少し早い気もするが初日から遅刻して目立つ事は少しでも避けたい俺は、荷物を確認し制服に袖を通した後玄関へと向かった。
「もう行くの?よっぽど楽しみなのね」
未だ勘違いを続けている母が玄関に来ればその後ろを父も笑いを堪えながらその後をついて来た。
(絶対楽しんでるよこの人…)
「…ああ、うん、そう。」
言い返す気力もない汐音は流す様に返事をした。
「私たちも準備したら高校に向かうから先に行ってなさい。学校の子には愛想よくしなさいよ〜」
「「いってらっしゃい」」
「…いってきます」
憂鬱な気持ちで俺は玄関を後にした。
空を見上げると入学式には似つかわしくない曇天が空を覆っている。
「おはよっ!」
元気よくかけられた声の方向を向いて見れば道ゆく人の誰もが振り向くような可憐な美少女が穏やかな足取りでこちらに向かって歩いて来た。
小麦色の健康的な肌、少し吊り上がっているが優しさの滲み出ている大きな瞳、整った鼻先にどこか妖艶さを感じさせる艶やかな唇。そして、手入れのよく施された肩上まで伸びている髪と外側にはねている毛先が、彼女らしさをよく表している。
幼馴染の市田茉莉である。隣に住んでいる彼女は幼稚園に入る前からの腐れ縁だ。
彼女は俺が気軽に話しかけられる数少ない内の一人で、俺は密かに茉莉に想いを寄せている。
しかし茉莉が自分のことをどう思っているかは俺には最早分からず一歩を踏み出せずに何年も過ぎてしまっている。
そんな茉莉の初めて見る制服姿を俺は直視出来なかった。
「おはよ」
明後日の方向を見ている俺がそう返した後何かを思い付いた様な茉莉は悪戯に笑った後、
「ふーん、じゃあ手繋いで駅まで行こっか」
「、、、どーぞお好きに」
気を抜いたら仕事を放棄しそうな表情筋を働かせ平然とした表情を張り付けた汐音はそう返す。
「ちぇ、つまんないの」
俺に軽くあしらわれた茉莉が不貞腐れた顔をする。ここまでが二人のお決まりの流れだった。
茉莉が揶揄ってくる事は日常茶飯事で、しかし揶揄われる俺もこの空気が好きだった。
──────
俺と茉莉は他愛のない会話をしながら並んで駅へと向かっていた。
隣で楽しそうに話をしている茉莉を横目に見ながら、いつの間にか憂鬱な気持ちも吹き飛んだ俺は軽い足取りで通学路を歩くのだった。