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09. ヴィクトル・ラヴェルディエール

「気持ち悪っ!」

マティスが退出した瞬間に、控えていた侍女が汚物を捨てるが如く、苦虫を嚙み潰した顔で扉を見やる。

「確かに気持ち悪いですけどね。

殿下の前でその口の利き方は止めなさいと注意するの、これで何回目だと思ってます?」

侍従はインク瓶の蓋を閉めて、ペンと一緒に盆へと載せていく。

「はいはい、ご丁寧な言葉でございますですよね~。

存じてます。存じてます。

人前ではちゃんと侍女らしく振る舞っているので全然問題ナッシングに大丈夫ですことよ~」

マティスがいる間は侍女らしく振る舞っていたが、本来の彼女の仕事は王家の影と呼ばれる裏方の側近である。

今回の件で陛下に了承を受けて借りてきた人材だ。

傍で侍従然としている彼も影。もっとも彼については借りたのではなく、王太子であるヴィクトルが将来の王として相応しいかを見定めるために傍にいる監視役の一人でしかない。

仲がいいのか悪いのか。他に人がいなくなればおしゃべりが止まらない二人であるが、いざというときには王家の影としてシビアに行動する。

そこに一切の妥協はない。

本当にいざという時だけではあるが。

「あいつバレてないって思ってたみたいだけど、部屋出るとき笑ってたからな?

絶対ろくでもないことを企んでるよ、マジでキモ」

いつの間にか自分の分を確保して優雅にお茶を飲む彼女は、その目の良さと度胸が売りだ。

ルフェーヴル侯爵の家に侍女として潜入した際には、マティスの行動と、侯爵家にある地下のワインセラー、その奥にある小さな小部屋まで探り当ててきた。

淡いブルーで統一された女性向けの部屋には壁に埋め込まれた鉄鎖の先にある首輪や枷、人が一人入れるだけの鉄格子で出来た鳥籠といったものが用意されていたらしい。

どれも真新しかったことからルレイヤのために用意されたのだと思うのは至極当然のこと。

これも侯爵家当主には伝えてある。

使用人もグルであるということは当主も理解し、場合によってはタウンハウスにいる使用人を全員解雇するだろう。

いくらタウンハウスの采配を振るっていたのがマティスだとしても、貴族令嬢であり侯爵家の夫人であったルレイヤの尊厳を損なおうとするのならば止めねばならないし、当主へと報告するべきである。

それを怠った者など必要ない。


「ルレイヤ嬢がロアン伯爵家に戻ることは無いと、彼に言わなくて良かったのですか」

「そんなことを言って、王城内で問題を起こされてはかなわないからな。

侯爵からはあちらで処分するので大っぴらな事にならないようにと嘆願されている。

王家としても今回の件については過干渉な部分があるのでな、事を大きくして他の貴族から警戒されたくはない。

妥当な落としどころだろう」

それにルフェーヴル侯爵は生真面目かつ苛烈な性格だ。

マティスのことをどう処分するかはわからないが、領地での謹慎や騎士団に叩き込むなどでは済まないだろう。

とはいえ暫くの間、ルフェーヴル侯爵邸とロアン伯爵邸には監視をつけておくことにしている。

「ルフェーヴル侯爵令息の署名が入った今、正式に婚姻の無効は成された。

後はロアン伯爵家からの除籍か……さて、どう説明するかな」

与り知らぬところで娘の婚姻は無効にされ、家に帰されることもなく既に他国へと出立している。

ロアン家にしてみれば青天の霹靂だろう。

きちんと事情を説明するとなれば、ロアン伯爵家でのルレイヤの処遇について話をしなければならないが、恐らく彼らは自覚なくしていた行為ゆえに何が悪かったかなど理解しないのも想像がつく。

「ルレイヤ嬢について、どうされます?」

呑気に聞いてくる侍従の声に緊張感はないが、目が値踏みしているのを隠そうともしない。

「とりあえず美談に持って行こう」

スキャンダルは嗅ぎ回る人間が出てくる。それはよろしくはない。

「そうだな、マティスからの扱いを知ったエレオノーラが友人を救うため、私に救済を願い出た。

ここまでは事実であるし問題無いな」

「いいんじゃない?」

菓子を摘み食いしながら少女はだらしなく姿勢を崩し、お茶の入ったポットへと手を伸ばしている。

「あの王子については昔からの想い人だったことにしておけば、王都で溢れ返っている、ワンパターンで陳腐な恋愛小説の出来上がりだ。

かつての想い人が酷い仕打ちを受けていると知って、自分の立場が脅かされることも恐れずに連れて帰った、と。

これぐらい流布しておけば、どこかで芝居にでもなってくれるか吟遊詩人が流行りの歌にしてくれるだろう」

「それも大体は間違ってないからいいんじゃない」

少女が頷き、侍従は少しだけ頭を傾げる。

「それで?結局ロアン家はどうするので?」

侍従の言葉に一瞬黙り込む。

「ロマンティックの代償として、家族が後ろ指をさされることのないようにとロアン伯爵家からの除籍を願い出たことにしておいてくれ」

「殿下、最後の最後で手抜きは否めませんね。減点です」

厳しいなと溜め息をついたヴィクトルは従者へと向き直る。

「ならば、お前だったらどうする?」

王は万能ではない。

必要であれば誰かの知恵を借りる。その人選に偏りや間違いがなければいいだけだ。

そうですね、と侍従が考えること暫し。

「先ずはアミール殿下の勝手な婚姻に、あちらの王家がご立腹だということにしましょう。

実はアミール殿下の候補の中から既に婚約者は内定しており、それを反故にしたことから多額の慰謝料が発生。

それは王家、ひいてはアミール殿下が請求先となるが、ルレイヤ嬢の生家であるロアン家も負担することになる。

破産する前に除籍した方がいいと目の飛び出るような額を提示して差し上げればよいかと」

「えげつないな」

「仕方ないでしょう。

他国であっても王家と繋がりが持てるとなれば、貴族の家なら多少の醜聞には目を瞑りますよ」


スキャンダルも過ぎれば、後にくるのは栄光のおこぼれだ。

夜会の後にルレイヤがどうしているのか侯爵家から聞けずにいるのか、ロアン家からこちらに問い合わせはきていない。

だが、事の顛末を聞いてしまえばどうするか。

虐げられたルレイヤを見下し、妹だったら上手くやれただろうと比較し、そのくせ王家と婚姻できたことには育てた恩を誇張するのが容易に想像できる。

ヴィクトルとしてもアミールと繋がりを持てたのは悪くない取引だったが、一介の伯爵家に無駄な権力を持たせる気もない。

あそこの嫡男とは年が近い。

子どもの生まれる時期が近ければ、ルレイヤの甥姪として婚約者候補に名乗りを上げてくるだろう。

ただでさえエレオノーラを手に入れるのに、デュランベール公爵を無力に近い状態にしてしまったのだ。

王太子妃となるエレオノーラへの仕打ちを理由に当主の交代を命じ、その腹いせかヴィクトルを嫌う嫡男を当主に据えた。そうなると妃の生家として機能しなくなるのは誰もが知ること。

これによってヴィクトルの後ろ盾は一つ減っている。

弟とは大分年が離れているため政治の盤面をひっくり返されることは早々ないだろうが、エレオノーラの発言力が弱まることも否めない。

有力な貴族からは側妃の打診もあるだろう。

ゆえに、あまり面倒な存在を増やしたくないのだ。


「まあ、今更考えたところでどうしようもなくね?」

満足いくまで食べ終えたのか、半分ばかり残った菓子を前に少女は腹を擦り、足先で侍従をつつく。

「ほら、殿下が望めば動くのが私達じゃん?

あの侯爵家は当分無理だけど、デュランベール公爵家だって他家だって潜り込むことができますし?」

「今回の侯爵家の件で身辺を綺麗にし始める者もいるだろう。

そこにわざわざ口を出しに行く必要もあるまい」

ここにきて使用人の募集を止めた家も現れている。どこで聞いたかは調べるが、疑ってくれといわんばかりの家はリストにしているので問題無い。

失ったものは大きいが、得たものだって相応にある。

後はヴィクトルとエレオノーラで帳尻を合わせればいいだけだ。

「ところでエレオノーラは?」

「王太子妃殿下だったら少し具合が悪いって医者に診てもらってるよ」

少女がにんまり笑う。

「ほら、殿下が頑張っちゃってるからね。

いい報せがやってくるかもね」

言葉の意味を理解するのに少し。

慌てて立ち上がったヴィクトルは侍従を押しのけて部屋を出る。

この日、王城内では廊下を走る王太子殿下と、後を追いかける護衛達の姿を使用人たちが何人も見かけられた。

そして吉報が国内に知れ渡るのは暫く後のことである。



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