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06. アミール・マフムード

「レイヤ!」

王太子夫妻のために用意された休憩室に入った瞬間に、白い布の塊に抱きすくめられた。

正確には白い服を着ていた、もう一人の友人に。

レイヤは彼が付けてくれた、二つ目の大切な愛称だ。

「アミール様?」

力一杯手で胸板を押し返し、抱き寄せられた体の間に隙間を作って相手を見上げる。

にんまりと笑った糸目の顔がルレイヤを見下ろしていた。


「卒業してから自国に帰っていたのだと思ったのだけど、まだこの国にいたのね」

連れてこられた休憩室は広かったが、意図的に配置されたテーブルとソファはどことなく手狭で、それが懐かしい自習室を思い出させてくれる。

テーブルにはお茶の他に当時持ち寄ったお菓子が並べられており、思わず鼻の奥がツンと痛くなった。

「いやあ、帰るにしても計略謀略何でもござれな王宮内で平穏無事に生きていけるように算段しないといけなくて、ノーラのお陰でお近づきになれた王太子様に相談中だったんだよ」

ノーラはエレオノーラの愛称である。王太子はノラと呼んでいると聞いたことがあるから、ニアピンな愛称に内心穏やかではないだろう。

「いつ聞いてもアミール様の周囲は穏やかではないのね」

「これでもマシな方かな」

こうしてあっけらかんと笑って話しているが、アミールの学園生活もまたルレイヤ達と同じく、他人から距離を取られたうえに見下される環境下にあった。

「アミール様は第五王子なのに大変ね」

「むしろ王子様だからじゃない?

まあ、お手付きされちゃった平民の子なんてそんなもんだよ」


王家から疎まれている平民の血が混じった王子が、目障りだから国から追い払われて留学してきた。

ルレイヤが通っていた学園でまことしやかに噂は流れ、貴族の子たちは他国の王子と距離を取っていた。

大抵の貴族令息達は丁寧な態度を取りながらも小馬鹿にしているのを隠そうともせず、令嬢たちは見目が良ければ考えたのにと勝手なことを言っては意味ありげな視線を送るだけ。

たまに恋愛小説に感化されて王子様とのハッピーエンドを夢見る下位令嬢がアタックを仕掛けては華々しく散っていったことぐらいか。

実際、母国におけるアミールの立場は決していいとは言い切れない。

平民の血が流れているというだけで臣下であるはずの貴族から見下すような態度を取られ、それを見ていた使用人達もぞんざいに扱い始める。

さりとて陛下が苦言を呈せば、途端に寵愛された王子様として派閥に取り込もうとする貴族が出てくるだろう。

王族も家族であるとは認めながらも、ややこしいことになるからと他の兄妹達は人前でアミールに不干渉を貫いている。


「それなのにここの王太子様達と仲がいいってわかった瞬間の手のひら返しがすごくてさ」

「まあ」

いつものように相槌を打ちながら、学生の頃より一人増えた四人での会話を楽しむ。

不思議なことにマティスが迎えにこないのだが、ルレイヤは少し気になりつつも彼の顔を見なくて済むことに安堵して、旧友との時間を楽しもうとマティスの存在を意識の外に追い出した。

「今帰ると頼んでもいない婚約者候補を気取るご令嬢が五人もいるんだ」

「アミール様も結婚するのね」

嫌だよ、と即答したアミールが隣で、ご令嬢の年齢を言いながら指を折っていく。

夫ではない男性が真横にいるのもどうかと思うのだが、彼の糸目の顔は子どもの頃に見た昼寝をしている猫を彷彿とさせて和むし、学園では横同士に座ったりもしたことがあるのでルレイヤに抵抗感はない。

「一番下に至っては五歳!

政略結婚にしたってさ、相手の親もマシな相手を選んであげてもいいんじゃないかと思うよ」

エレオノーラは貴族の婚姻としてはそんなものよと笑い、王太子殿下と寄り添うようにして座っている。

友人が幸せそうなのは素直に嬉しくて自然と笑顔になったルレイヤの横で、アミールの話は未だに終わる様子を見せずに続いていた。

「それに結婚した先の派閥によってはパワーバランスが崩れてしまうのを鑑みると、いい感じのご令嬢がいないのだと兄上たちが頭を抱えていてね」

どんなに見下そうと王家と縁故を持てるのだ。手駒にしやすいならば更に都合がいい。

「で、一つの結論に落ち着いたんだ」

アミールがひょいとルレイヤへと向き直る。

隙間なく横に座ってきたせいで、どうにも彼の顔とは至近距離だ。

ふわふわとした墨色の毛は本当に猫のようだと、とりとめの無いことを考えながら友人の結論を待つ。

「レイヤ、僕のお嫁さんにならない?」


幼い少女のようにぱちくりと瞬きした先に居る、自習室でおやつに誘うときと変わらない気軽さの友人。

瞬きをもう一つ。

「私、もう結婚しているけど?」

もっと言うことがあるはずだろうけど、真っ先に思いついたのは一番大事なことで。

言葉にすれば、それが重くのしかかる息苦しさに思わず息を吐いた。

「知ってるよ」

自習室で人の分までおやつを食べたとき、注意したらいつも出た口癖。

ぐっと顔が近づき、囁き声が耳へと滑り込んでくる。

「レイヤの旦那がクソッタレな変態野郎なのも、白い結婚なのも、あの家でどう過ごしていたかも全部知っているから」

ヒュッと息を吸い込んだルレイヤを、僅かに見える瞳が射竦めるように見ている。

エレオノーラが咳払いを一つする。

「アミール様、ルレイヤが驚き過ぎて固まっているわ。

結論だけ言わずに、ちゃんと一から説明なさいな」

「本当だねえ」

すっと瞳は糸のように戻り、にんまりとした笑みだけが顔に残された。

「ちょっと長くなるけど、いい?」

無言で首を縦に振る。

まだ思考は現実に追い付けていない。

アミールが話す間に、どうにか現状を受け入れる気持ちの準備が必要だ。


「まずねえ、婚約者候補は全員不適当って判断された。派閥が偏り過ぎていたからね。

こればっかりは仕方ないけど、だからといって全部断れば次がくる。

今度こそはと手段を選ばない貴族から断りにくいご令嬢を推薦されたら、こちらの目論見がご破算だ」

五歳のご令嬢まで候補に挙がっているのだ。

おそらく年の合ったご令嬢はそう多くないのだろう。もしくは出すのを躊躇われる人物がいるかだ。

高位の貴族であれば、年は少し離れていても他の王子の候補から外れて相手を探している令嬢だっているかもしれないし、なんらかの事情で婚約が取りやめとなって相手がいない令嬢の可能性だってある。

「僕の立場は求められるものが多い。

どこに対しても中立で、誰に対しても脅威にならず、そして賢くないこと」

少しだけ言いたいことがわかった。

「人妻の私を連れ去って、貴方は愚かで手駒にできないと判断されたほうがいいのね」

よくできましたと頭を撫でられる。

「そうだね。他国の王太子様達とお知り合いっていう付加価値分を下げるには、僕がバカげた行動をとるのが一番だから」

これが僕の事情、と役者のように両手を広げた彼が少し離れ、隣にあった温度が消える寂しさを覚える。


ルーシェリアが病に倒れてから、ずっと誰かがルレイヤの横に座ることはなかった。

それを思い出して、俯く。

「でも、私が嫁いでも何の役にも立たないわ。

自分のことすら何一つ解決できなかったもの」

今ですらエレオノーラによって助けられている。

組んだ両手に力が入った。

「それを言ったら、僕たち全員がそうだよ。

エレオノーラは理解のある人がいたから家を出ることができた。僕だってなかなか会うことはできないけれど、他の家族からは心配してもらっている。

それでも全てを何とかできるわけでもないし、理不尽さは無くなることなんてない。

言う勇気?変える努力?前のめりな行動力?

馬鹿馬鹿しい、誰でもどうにかなるのだったら皆が幸せなはずだ。

けど、そうじゃない。どうにかできるのに行動しないのと、何もできないのは全く別物だよ」

掬い上げるように取られた手。

伝わる温度は温かい。そういえばアミールの母国はこの寒々しい地より暖かいと聞いている。

「きっと僕の妻になるのも大変だね。

馬鹿な僕の横では周囲に侮られるし、他国から不貞を犯して嫁いだ人妻だって陰ながらに言われることになる。

それなのに王家の催事には強制参加だ。

でも君のクソッタレな旦那と一つだけ違うことがある」


顔を上げたら、猫に似た顔はやっぱり笑っていた。

「君には僕がいる」

「私にはアミール様が、いる」

そう、と応える声は昔も今も変わらない。

「君達と僕は同じ思いを抱えていたから友人になれた。

だから周囲がどれだけ冷たくても、一緒に歯を食いしばりながら嵐が去るのを待つことができる。

周りをどうにかする力はなくても、折れないように支え合うことができる」

脳裏をめぐるのは実家やルフェーヴル邸での暮らしではない。

広くない自習室に三人で勉強したり本を読んだり、もっとくだらない話をしていた日々だ。

ルレイヤの中で一番輝いていた思い出。

「何より、自習室での穏やかな時間をこれからも一緒に過ごしたいと思っているんだ」

そっとソファから下りたアミールが床に膝をつく。

「全てから守れないのだとしても大切にするよ、レイヤ。

友達として、家族として、ずっとずっと君を愛せる自信はあるんだ」

頬が紅潮するのが自分でもわかった。

それでも唐突すぎて事情や感情といったものがグルグルと胸の内で駆け回り、何が最善で、何を選ぶべきなのかがわからない。

黙りこくってしまったルレイヤに声をかけたのはエレオノーラだ。

「ルレイヤ。本当は考える時間をあげたいのだけど、今決めてほしいの。

時間稼ぎが終わる頃に侯爵家が要求してきたら貴女を返さないといけなくなるし、あの男はきっと貴女を閉じ込めて二度と家から出さなくなるわ。

私の妖精がアミール様の手を取ってくれるならば、今ならば何とでもしてあげられる」

真摯な瞳で語りかけてくれるエレオノーラを、言葉もなく見つめて小さく頷く。

「ルレイヤ嬢、難しく考えないで。

全部面倒な事は横に置いて、君がどうしたいかだけ考えればいい」

王太子殿下の言葉に強く目を瞑って深呼吸した。

アミールを見て、あの眠そうな瞳がもう一度見えるといいのにと思いながら口を開いた。


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