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05. エレオノーラ・ラヴェルディエール

ざまぁの時間です。

「私の本の妖精さんは、誰よりも一番乗りね」

「だって、私が来ないとエレオノーラ様も入室できないではないですか」


本の妖精。

エレオノーラから呼ばれていたルレイヤの大切な愛称だ。

そして初めての愛称でもある。

くすぐったさに笑うルレイヤの向かいに座り、彼女は勉強道具を出す。それとお菓子をいくつか。

ルレイヤが学生時代の間、長く放課後を過ごすことになったのは、図書室の司書からコッソリ貸してもらった自習室の一室だった。

学園の図書室としては十分過ぎるくらいの設備だけどね、お貴族様は家に帰って家庭教師と勉強するから誰も使わないんだよ。貴女が使ってくれるならこの部屋も報われるってもんだ。

同じ貴族であるはずなのに図書室の隅に入り浸るルレイヤを気遣ったのだろう。そう言って司書から差し出された鍵は大変ありがたいものだった。

他の生徒に気づかれないようにと手作りしたサシェの中へと鍵を隠し、その時からルレイヤは小さな一画の主となった。

そこで出会ったのが、数少ない友人の一人であるエレオノーラだった。


いつものように本を読み耽っていた時に、軽やかながらも少々乱暴な足音が外から聞こえたことから部屋の外へと視線が向き、今日に限って部屋を施錠し忘れたことに気づく。

部屋はいくつかあるが、今日はルレイヤが使っている部屋以外は誰も使っておらず、どこも鍵がかかっている。

運良く最初の一室が施錠されていることを知って諦めてくれればいいが、運が悪いとこの部屋に入り込むかもしれない。

鍵をかけなきゃ。

慌てて扉へと駆け寄ったルレイヤと、「やってられないわ!」と勢いよく扉を開いたエレオノーラ。

開いた扉に顔面をぶつけ、淑女らしからぬ呻き声を上げてうずくまったルレイヤに、エレオノーラも悲鳴をあげて駆け寄った。

「いやだ、誰もいないと思ったのに!

ごめんなさい、大丈夫かしら?」

顔を上げたルレイヤを見れば息を止めて一秒、「は、鼻が」と肩を震わせたエレオノーラの言葉に鼻先に触れると、ツンとした痛みに涙が滲んだが濡れた感触はなく、鼻血が出たとかではないのだとホッとする。きっと鼻が赤くなってしまっているだけだろう。

「ごめんなさい、私のせいなのに、ふふ」

エレオノーラはハンカチを取り出すと、小さく何かを呟いて差し出してくれた。

「魔法で冷たくしたから鼻を冷やしてちょうだい」

そうしてから「鼻が」と小さく吹き出すのと同時に、エレオノーラの眦から涙がぽろりと落ちていく。

今度はルレイヤがハンカチを差し出し、それを受け取ったエレオノーラは器用にそれも冷やすと、目元が腫れないようにとそっと当てて苦い笑みを見せた。

淑女の笑みではない、本来見せるべきではない素の表情。

どういう態度を取ればいいのかわからず、ただ見つめていれば少しだけ目を細めたエレオノーラが、「貴女、変わっているわね」と言ってから小さく笑いを溢した。

「ロアン伯爵の双子でしょ?

よく中庭で友達と一緒にいるのが妹かしら」

「ええ、そうだと思います」

校舎の間にある中庭はしっかり採光をとりながらも、雨風を気にせずに済むようガラス張りの温室みたいになっており、休憩時間になると生徒たちがベンチで歓談する姿がよく見かけられる。

エレオノーラの言う通り、中庭で過ごすのはルーシェリアの方だ。

妹と比べられることを避けるルレイヤが中庭を使うのは、反対側の校舎に移動するときぐらいだろう。

「第一王子殿下の婚約者である私がこうして淑女らしからぬ態度を取っているのに、貴女は驚かないのね」

「驚いています。ただ、どう反応したらいいのかがわからないのと、きっとデュランベール公爵令嬢が取り乱されているのは、何か理由があるのかと思って」

それに、と唇から落ちた言葉は止まらない。

やはり自分は驚いているから何も見なかったことができないのだと、だから思ったことをそのまま口にしてしまうのだと、他人事のように思いながらルレイヤは言葉を続けた。

「やってられないと言ってしまいたくなること、私にも沢山ありますから」

エレオノーラが探るようにルレイヤを見て、それから息を吐く。

「そう、貴女も同じなのね」

そこから互いにぽつりぽつりと話していけば、環境も立場も何によってかも違うが、『周囲とはどこか違う自分』を認めなければいけない者同士であると気づいたのだ。


当時は第一王子の婚約者、エレオノーラ・デュランベール公爵令嬢。

伯爵令嬢であっても名門な家には入らないロアン家では、声をかけることのできない高貴な身分だ。

学年は同じでもクラスが違うことから時折見かける程度であった彼女は、次期王太子の婚約者に相応しく、高貴で才色兼備で、誰に対しても平等である。

誰もが理想とする令嬢、それがエレオノーラだ。

けれど、評された自分は誰かの理想でしかない。

王家から。公爵家から。周りの羨む人々から与えられた自分ではない自分。

エレオノーラが美しい砂糖菓子を摘むより、トマトにかぶりつくほうが好きなことを誰も知らない。

詩集を読むより歴史書を好むことも、ダンスよりも乗馬が好きなことも、刺繍よりも絵を描くことのほうが大好きであることなんて、誰も知らない。

全て王子妃に相応しくないと取り上げられ、公爵夫妻が選んだものだけを与えられたから。

それでもエレオノーラは選ばれたのだからと、伴侶の支えとなれるように自分ではない誰かの理想へとなるべく努力を怠ることはなかった。

平日の三日は学園での勉強が終わると王妃教育を続けて受け、週末の片方は一日王城で王太子の公務の手伝いと忙しくし、残りの休みで課題や復習、予習をこなしていく。


それなのに家族はエレオノーラに対して、ルレイヤの家族と同じように何かが失われていくように態度を変えていく。

王太子が贈ってくれるのだからと、姉妹の中でエレオノーラにだけドレスは必要が無いと買ってくれなくなった。

殿下と同じ物を贈るといけないからと、誕生日は祝われなくなった。

王妃になる者が浪費家に見られるといけないからと、学園に通う際に髪飾りやリボンさえ身に着けることを許さなくなった。

質素なエレオノーラの姿に他の姉妹は一緒に通うのが恥ずかしいと言い、生徒は華やかに飾り立てる姉妹を見て、勝手に虐げられた令嬢を想像する。

確かに学園でエレオノーラに嫌がらせをする者はいない。

けれど、誰もがエレオノーラの本質を見ることもなく勝手な色眼鏡で判断し、関わると面倒そうだと貴族としての損得を考えて冷めた態度で距離を置く。


「私の場合、まだ陛下や殿下達が良識のある方だから良かったのだけれど」

溜息をついたエレオノーラの目元は腫れを残すことなく、綺麗に戻っている。

「ねえ、」とかけられた声に、ルレイヤはお行儀よく続きを待つ。

「私達、立場は違うけれどよく似ていると思うの。

良かったら友達になってくれないかしら」

そして時々ここで愚痴の言い合いでもしましょう、と笑ったエレオノーラは淑女らしからぬ笑顔で、思わずルレイヤも頷いていた。




あの頃と違って、大切な友人は淑女の笑みを浮かべているけれど、それでも変わらない眼差しに安堵する。

王家に嫁いでまだ慣れないのだろう。

すこし痩せた気がした。それでもエレオノーラの美しさが損なわれることはない。

彼女が嫁いだ姿を見られなかったことから、エレオノーラ以外の姉妹が嫁いだりしたのではないかと心配したのだが、そんな心配は杞憂だったようだ。

「ねえ、ルレイヤ。せっかく再会できたのだから少しお話しましょう。

あちらに殿下と私の休憩室があるの。

ゆっくり座って話がしたいわ」

頷けば、ルレイヤ、と声がかかる。

見れば、友人達の輪の中でルレイヤを一度たりとも振り返ることの無かったマティスが、慌てたようにこちらへと歩いてくる姿が確認できた。

足早にルレイヤの横に立ったマティスは会釈とともに口を開く。

「王太子殿下、王太子妃殿下にご挨拶を申し上げます」

「ご機嫌よう、ルフェーヴル侯爵令息」

エレオノーラは素っ気なく返し、再びルレイヤへと笑顔を向ける。まるでマティスを視界に入れたくないと言わんばかりに。

明らかにマティスが気に入らないのだという態度に、マティスは少し顔を引き攣らせて王太子を見るも、彼は何も見なかったとでも言わんばかりに目を逸らした。

お前のことはフォローしないという意志表示だ。

「……王太子妃殿下がルレイヤと友人だったとは存じませんでした」

「意外そうね。てっきり華やかなルーシェリアと友人だと思ったのかしら。

それとも貴方の妻には友人なんていないとでも思ったかもしれないわね」

的を射た言葉だったのだろう。決まり悪げにするマティスに、どちらを考えていたかなんて聞きたくもない。

「まあ、私はどちらであったかなんて興味がないから聞かないけれど。

悪いけれど、ルレイヤをお借りするわ。

せっかく旧友と会えたのですもの。話がしたいの」

扇で開いて口元を隠せば笑みは消え、エレオノーラの鋭い視線だけがマティスに浴びせかけられる。

「身に余る光栄ですが、ルレイヤとは婚姻してから初めての夜会です。

一緒に挨拶回りをする予定ですので、よろしければ次の機会にして頂ければ」

マティスの辞退には鼻で嗤った。

「一緒に挨拶回り?まさに今、妻を置き去りにして一人で友人と歓談を始めた貴方が?

入場したときから貴方達のことは見ていたのにも気づかず、とんだ言い訳だわ。

寝言が夜会では流行り始めたのでないのだとしたら、つまらない冗談ね」

エレオノーラの容赦のない言葉に、返す言葉が無くなったマティスが口を噤む。

否定しなければ肯定したことに等しいというのに。


周囲で様子を窺う貴族達は未だ戸惑った様子でいるものの、ルレイヤが王太子妃エレオノーラの寵愛を受けていると知ったことから、ルレイヤに対する好奇はあれども見下すような雰囲気は消えていた。

視界の端に見えるマティスを追いかけてきていた友人達は、誰も彼もが顔色を悪くして所在なく立ち尽くしている。

王太子妃であるエレオノーラが経緯を見ていたと言うのだ。直接何かしたわけでなくとも、夫であるマティスを諫めなかったのならば心証はさぞや悪いものだろう。

今の状況は自身の立場を落とすと気づいたに違いない。

妻であるエレオノーラを見守っていた王太子が、妻を宥めるように手を取り、それからマティスへと顔を向ける。

「エレオノーラは友人想いでね、君に強く当たったのを許してあげてほしい。

けれど、少なくとも私が夫人の夫であったならば、彼女の立場を考えて一人にしないだろうし、夫の色の無いドレスを贈って夜会に伴うことなどしない。

喩え気に入らない相手であったとしても同じこと。それが結婚だからね」

横にいるエレオノーラは、王太子殿下の髪色である金を纏い、瞳の色である青の髪飾りをつけている。

対する王太子殿下はエレオノーラの色をハンカチーフとして胸元に収めている。どこから見ても相愛の夫婦だ。

「ルフェーヴル侯爵子息は夫人を望んで妻にしたと話を聞いていたが、どうやら話は違っていたらしい」

そしてマティスへと向けていた目を眇めた。

「それとも貴方は妻が不幸であればいいと思っているのだろうか」

咄嗟に口を開いたマティスだが、そこから言葉が漏れることは無かった。

口をパクパクとさせて王太子夫妻を見、ルレイヤを見る。

まるで何かに怯えるような様子へと豹変したマティスを訝し気に思いながらも声をかける気にはならず、王太子が近くの護衛にマティスを他の休憩室へ連れて行って休ませるように伝え、エレオノーラが淑女の笑みを貼り付けたまま会場を出るべくルレイヤを伴って歩き始めた。


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