後日談01:性癖令嬢アーディラ・ジブリール
リクエストの多かった幼女回です。
王都で社交シーズンが始まって少し。
ルレイヤは最初の夜会で知り合ったご令嬢達に誘われてお茶会に参加し、そこで一人のご令嬢に引き合わされることになった。
「初めまして!アーディラ・ジブリール、五歳です!」
近づいてくるなり右腕を背に回して騎士の礼をしたのは、春めいた淡い黄色のオーガンジーを重ねたドレスを着た幼女だ。
初めましての挨拶から斜め上へと突き抜けているが、他のご令嬢からはこの国の騎士団長を射止めようとしているのだと事前に聞いているせいか、その事実の前ではさほど驚くこともない。
もしかしたら驚くなり窘めるなりした方が彼女の為なのかもしれないけれど、まだ小さなご令嬢をガッカリさせるという選択肢はルレイヤに無かった。
「ルレイヤ・アルファラーンです。
アーディラ様とお会いできて嬉しいわ」
「アディと呼んでください!」
ハキハキとした物言いは幼い子どもらしいのか、それとも未来の淑女として相応しくないのか。
自分の幼い頃はと思い出そうとしても、記憶にあるのは屋敷で本を読んでいたり、家庭教師との勉強や刺繍をしていたことぐらいだ。勉強自体も学園に通い始めれば図書室に併設された自習室でしていたからか、思い出そうとしてもあまり記憶には残っていない。
それではルーシェリアだったらどうだっただろう。
記憶をたどろうとして、同じ時間を過ごすことがほとんど無かったことだけ思い出した。
ルレイヤの中で家族は血の繋がった他人でしかないのだと思い知る瞬間だ。
考えに耽っていたルレイヤを現実に引き戻したのは、アーディラが手を引いたからだ。
「ルレイヤ様のことは、ルレイヤお姉さまとお呼びしても?」
──お姉さま?
ぱちりと瞬きをして、エスコートしようとしてかルレイヤの手を取った、まだまだ幼い令嬢を見下ろす。
「このお茶会でお会いする方は、お姉さまとお呼びしているのです」
そう言ったアーディラがつぶらな瞳で見上げてくる。
「駄目ですか?」
それは小動物がおねだりするようだった。
周囲の令嬢達も止めはしないので、誰もが好きに呼ばせているのだろう。
なによりアーディラは可愛らしく、ルレイヤにしてみれば友人というよりは小さな妹ができた気分である。
少し擽ったい気持ちにはなったが、お姉さまと呼ばれることに抵抗は無かった。
勿論です、とエスコートしてくれるアーディラと手を繋ぎ、お茶会の準備がされている中庭へと歩き始める。
夜会の後にアミールから聞いてはいるが、アーディラの父親が騎士団長と親しいらしい。騎士団長は一昨年に妻を亡くしているらしく、彼と面識のあったアーディラは婚約者候補にならないよう、騎士団長に協力してもらったのではないかという話だった。
今日はご令嬢達の想い人の話を聞かせてもらう予定なので、きっとアーディラからも可愛らしい話が聞けるに違いない。
春の花々が咲き乱れる中を令嬢達がめいめいに着席すれば、アーディラがにっこり笑って口を開く。
「本日は私が知略の限りを尽くして手に入れました、カレム様のお話をしたいと思います!」
可愛い、は春風と共に立ち去ってしまったわ。
後のルレイヤは、夫のアミールにそう語ったそうだ。
「絶対に嫌です」
アーディラの一言で、ジブリール家の家族会議は混迷状態へと陥っていた。
爵位は騎士爵だが一代限りではなく、三代続く栄誉を与えられた家。それがジブリールだ。
獰猛な熊と呼ばれたアーディラの父が、かつて陛下が少人数で視察を行って襲撃を受けた際に、騎士団長の指示の下で一番勇敢に戦った褒美である。
アーディラの父親がいたことによって、陛下のみならず他の騎士の大半が命を落とすことなく済んだうえ、戦鎚の的となった愚か者たちは誰一人助からなかったと言われるほど。
陛下の前でアーディラの父親は男泣きに泣きまくっていたそうだし、既に嫁いでいた母親は男爵家の出であったことから、これから色々忙しくなるのだと頭を抱えた。
とはいえ限りのある爵位ゆえに、貴族と結ばれる必要も家の利益を考える必要もない。
アーディラの年の離れた兄や姉は身分を問わず、好きな相手へと嫁いだり婚約を結んでいる。
だからこそアーディラは納得しないのだ。
「私だけ、せーりゃく結婚なのは嫌です!」
ぷい、と横を向いたアーディラは、兄や姉とは大きく年が離れているせいか、ジブリール家の末っ子お姫様として大事にされてきた。
自覚もしている。自分は特別なのだと。
だからこそ、だ。
両親もお兄様もお姉さまも恋人同士から婚約や結婚に至っているのに、アーディラだけそうじゃないのは納得できない。
王子様の姿絵を見たが目も筋肉も無くて、全く好みではない。
筋肉は大事だ。隆々としている必要はない、実践に必要な無駄のない筋肉。それこそが至高なのだから。
「でもなぁ、ほら、殿下の婚約者になったら綺麗なドレスだって贈ってもらえるだろう?
アディが欲しいと言っていたバルターク商会の紹介制ドレス屋だって、殿下と一緒だったら入れてくれると思うぞ」
「そんな尻の青い若造から贈られるドレスなんていりません!」
「尻が青いって。殿下のほうが13歳も上だってのに」
たかだか13歳、今のアーディラにとっては誤差みたいなものだ。
父親は餌が見つからなかった熊のように途方に暮れ、そんな夫が好みである母親もアーディラに勧めるつもりなどないのか口を挟まない。兄と姉に至っては可愛い妹の味方だ。
家族の全てを敵にした父親は、王命だということを納得させるのに時間をかける覚悟をした。
「ということなのです。
ですから私をカレムおじ様の婚約者にしてください」
「ということで、といった気軽さで婚約は申し込める話なのかな?」
家族会議の結論は出ないままに終わった翌日。
父親のお弁当を届けるという名目で、騎士団の詰め所に入り込んだアーディラは、まんまと騎士団長の執務室を訪れることに成功した。
なお、父親にお弁当を用意したことも届けたこともない。
両親にバレてしまう前に事を成さなければ。
女性らしさや年齢といった部分はどうしてもアピールできないアーディラにできることは、あざといのは承知で可愛らしさを存分にアピールすることだ。このため、昨日には家政婦や姉に手伝ってもらって、簡単な型抜きクッキーも焼いてきた。
恋愛対象になるなど欲深いことは考えず、知り合いの可愛い娘ポジションで既成事実を作れれば十分成功したと言えるはず。
手札の読めない相手にどこまでできるかはわからないが、アーディラは絶対恋愛結婚をするのだと強い意志でもって戦うだけである。
「アーディラが困っているのは理解できたよ」
「それでは!」
でもね、と続く言葉に雲行きは怪しい方向に舵を切られた。
「私も一介の貴族だからね。
王命の大切さも理解している」
騎士団長を務めるカレムの家は伯爵位。
ジブリール家では本来手の届かない身分の相手だ。
アーディラがこうやって執務室に入れてもらっているのも、父親という存在があればこそ。
「ジブリール家の結婚観も素晴らしいと思うけれど、それが必ず上手くいくことも無いからね。
なにより婚約者候補の一人で他に有力なご令嬢も多いとなれば、それほどアーディラは気に病む必要もないだろうに」
それに、とカレムがニッコリと笑う。
「妻とも政略結婚だが、私達は上手くいっていたからね。
自慢になるが出来のいい跡継ぎもいるし、わざわざ後妻を探す必要もない」
ちかり、とカレムの瞳で光が反射する。
アーディラの住む国では髪と瞳が黒に染まる者が多い中、カレムの淡い青灰色の瞳と随分若いうちから早くに白銀へと変わった髪がとても綺麗だと思っている。
「アーディラは私に、貴族の政略結婚としてのメリットを提示できるかい?
幼い君と婚約することでの醜聞を跳ね返す以上の」
「あります!」
即答で返せば、少しばかり目を丸くしたものの、どうやら彼のスイッチが入ったようだ。
面白そうな顔でアーディラを見てきた。
「まずシューブンですが、カレムおじ様に悪評が立つことはないです」
「それはどういった算段で言ってるのかい?」
「私の家がちゃんとした貴族ではないからです。
婚約者候補にと言われたけど本気で考えているわけではなくて、王族なのに候補が少なかったら王子が困る、ではなくて侮られるから人を多くしたかっただけだと思います」
「ああ、賑やかしってことだね」
「そうです。それを真に受けて五歳の娘に無体を強いたのはお父様で、部下の娘を心配して助けになってくれたカレムおじ様に悪い噂が出るはずありません!」
ほう、と感心したようにアーディラ見る様子から、話は上手く進んでいるようだと心の中でガッツポーズを取る。
「それから我が家のメリットは、お父様が出世しやすくなります」
「なるほど、騎士団長の覚えもめでたくなると。
では、私はどうだろうか?」
ここだ。アーディラにとってカレムとの婚約は恋愛的要素しかないのだが、カレムにとって政略結婚の一つでしかない。
「お父様がカレムおじ様のために頑張ります」
アーディラの回答に、カレムが目を眇める。
「君は自分のために父親を利用すると?」
怒りや呆れといった様子ではない。見極めようとしているのだと思っている。
高得点な回答でなくていい。目指すのは幼いアーディラがカレムと存分に戦えるのだと証明すること。
「私の為じゃありません。
カレム様が貴族のせーりゃく結婚だと言うならば、より良い身分の方を選ぶのも、お父様が媚を売るのも家の為です!」
ふ、と小さな息を吐いた後、
「私の言葉を逆手に取ったか」
とカラムが笑い始めた。
「君は母親似かな?それとも商会をされている祖父君に似たのか。
まあ、どちらでもいい。きちんとメリットが提示され、君がとても聡いのだと証明したのだから」
最後に一つだけ、と僅かに身を乗り出したカラムが、囁くようにアーディラへと問いかける。
「この婚約で君は恋愛結婚ができるのかい?」
これは卑怯だ。
言葉遊びを楽しんでからのストレートな問いかけ。
思わず口を噤んでカレムを見つめる。
頬が熱い。きっと顔は真っ赤だ。耳もかもしれない。
「残念。私に釣り合おうと思うのならば、これぐらいの返しも上手にできないと。
もしそれも計算の内だというならば、相手をよく観察しなさい」
カレムにはそれ以上もそれ以下もない、常に保たれた冷静さの上に貼り付けられた笑顔のまま。
「でもまあ及第点だ。
小さなご令嬢の為、この老体に鞭打つとしようか」
膝を一つ叩いたカレムが立ち上がる。
そつなくエスコートの手を差し出してくれた。
「週末にでもジブリール家を訪ねると、今日にでも知らせておこう。
さて、君の父親が何というかな」
くつくつと笑うカレムは非常に嬉しそうだ。
「お父様が腕力で解決しないといいのですけど」
「ああ、君の父親は勇猛だからね。何より家族思いだ。
なに、問題ない。これでも騎士団長を頂いているのだからね、誰にも後れを取ることもなければ負けることもない。
戦は腕力だけじゃない、知恵も必要だよ」
少しだけカレムの瞳に熱が帯びる。
どれだけ智将と呼ばれて指揮する側に回ったとしても騎士なのだ。最近ではそうそうないだろう、本気の父と剣を交えるのを楽しみにしていても仕方がない。
もしかしたら、それを目的で了承したのかもしれない。若い時には随分と羽目を外して暴れ回っていたと聞いているから。
アディールの小さな手を引いて扉を開ける。
「それでは未来の婚約者殿、今日は忙しくなるので見送りはここまでで。
気をつけてお帰り」
念のためと部下を呼んでくれた後、扉はパタリと閉められた。
「──というわけで、私はカレム様と婚約したのです!」
元気一杯に話し終えたアーディラを見る令嬢達の視線は温かい。
ルレイヤも自然と微笑みながら話を聞いていたのだが、やっぱり自分の子どもの頃を思い返しながら、最近の小さな子どもは誰もが聡いのかしらと首を傾げる。
どこをどう聞いても、幼かった頃のルレイヤではできないやり取りだろう。
「アディはうんと賢いですものね」
優雅に笑ったご令嬢の一人が、あーんと言いながらアーディラの口の中に砂糖菓子を放り込み、いつものことだといわんばかりに侍女が紅茶のお代わりを注ぐ。
優秀であるのならば納得だとルレイヤは頷き、だとしても周囲から騎士団長の噂を聞かないという事実と突き合わせる。
婚約者候補から外れたから婚約自体の話が無くなったか、それとも婚約していると思っているのは彼女だけなのか。
まだ幼い彼女の好みはいつか変わっていくかもしれない。
アーディラが社交界に参加するのはまだまだ先だ。小さな子ども相手に婚約したという嘘をついても、気づくのは大分先となるだろう。
その頃には新しい恋のお相手がいると考えるのは、大人として当然のことだ。
もしかしたら少し苦い初恋になるのかもしれない。
ルレイヤとしては可愛い妹となったアーディラが幸せになってほしいと思っているが、世の中が上手く回るものでもないことをよく知っている。
ああ、でも彼女は聡く賢い。ルレイヤが思うことだって気づいていて、それでも戦うつもりなのだとしたら。
そのときは友人としてただ応援すればいい。
次の手番となった令嬢へと視線を向ける。
確かあの方のお相手は少し年下の令息だったはず。
一体どんなお話が聞けるだろうか。
緩やかな口調で始められた語りによって、優雅なお茶会はまだまだ続いていく。