10. ルレイヤ
これにて完結。
夜も更ける頃、家の主たちを使用人が出迎える。
糸目の元王子と儚げな美女が彼らの主だ。
アミール・アルファラーンとルレイヤである。
ルレイヤを自身の母国に連れ帰ってから暫く。アミールは臣籍降下を無事に申し出ることが出来、小さいながらも王都に近い王領の一部と伯爵位、それから新たな姓を与えられた。
特産物はないが作物は豊かに実り、湖もあって美しい土地である。今までは王族の避暑地として使われていたが、そこから外れた今ならば身近な観光地として着目されている。
湖周辺の環境をどのように整えていくか、当分のお目付け役である地方政務官や家令を交えての話し合いが楽しくて仕方がない。
アミールは伯爵でごめんねと言ってくれたが、生家の本邸よりもやや広い屋敷はルレイヤが女主人として采配を振るに程好くて気に入っている。
使用人も長らくアミールの世話をしていた者達ばかりで気安さもあり、ルレイヤとしては生家よりも安心できる場所になりつつある。
侯爵位より上となると商売などに手を出したりせず、社交界の流行を担わなければならなくなる。ルレイヤはそんなことを望んではいない。
そして伯爵位となった元王族を貴族の誰もが興味を持ち、攫ってきたという元侯爵夫人とはどのような人物なのかを噂されているのはわかっていたので、参加必須とされる王家主催の夜会には相応の覚悟で臨んだわけだが。
結果として酷い事にはならなかった。
夫であるアミールが大事にしているという噂は最初の社交シーズン前には広がっており、過去に傷ついた類の嘲りを含んだ視線はない。
既に母国ではアミールとルレイヤを題材とした歌劇が、夢見る少女垂涎のロイヤルストーリーとして日々催されている。
尾ひれのついた話を詩人たちが一世一代の愛だと吟じたものがこちらにも渡り、大分捏造された物語が本として献上された時には暫く読まないで本棚の隅にでも並べておくだけにした。
本の話が真実かどうか聞かれるだろうから、さすがに夜会の前に二人して本を読んだわけだが、真実と大いに異なる箇所に栞を挟むようにしていたのも途中で諦めるくらいの内容だったので、これは何も言わずに曖昧に笑っておけばいいだろうと結論づけて読むのを止めた。
実際に夜会で話しかけてくる貴族たちは皆が物語の真偽を確かめようとしたし、政治的に価値が無いと判断した貴族は二人に当たり障りのない挨拶だけして立ち去っていく。
二人が目を合わせて微笑み合えば、彼らは都合の良いように解釈する。
更に意外なことに友人もできた。
夜会で出会った彼女達はアミールを見ながら声を潜め、ルレイヤが嫁いできてくれたことへの感謝の言葉を伝えてきたのだ。
どうやらアミールの猫にも似た容姿は、彼の母国でも受け入れられないらしい。
どこの国でも麗しい容姿が当然の基準となる貴族において、アミールは残念な部類のようだった。
確かに初めて参加した王家主催の夜会でも、誰もが精悍な面立ちに真っ直ぐな髪を綺麗に撫でつけ、目は二重のぱっちりした人々ばかりだ。そしてルレイヤの母国に比べて筋肉質であることぐらい。
それがこの国での美の基準だろう。
アミールの母親も同様に彫りの深いぱっちり二重で、アミールの姿は東国から婿入りした祖父似ということらしい。
そのため婚約者候補であった彼女達は誰もが見目の良い男性を横に据えられるよう、協力して画策していたのだそうで。はしたない真似をしなくてすんだわと、やたらと筋肉隆々で笑顔の似合う男性や、あきらかに年下である少年めいた青年を横に置いた彼女たちが何をしようとしていたのかは聞かないことにした。
ただ、彼女たちに婚約者がいなかった理由が少しだけわかった気がする。
性癖が偏り過ぎている。
まだ幼いので夜会に参加できなかった、婚約者候補の一人であった五歳のご令嬢は、妻を亡くした初老の騎士団長一筋とのことだ。
母国で流行った恋愛小説の用語を借りるならば、ゴリ専、おねショタ、イケおじ幼女だろうか。
みんな違って、みんないい。
そう笑顔で話す彼女たちが親身になってくれるほどに感じる、謎の連帯感。
どうりで今まで婚約者がいなかったわけだ。
そんなご令嬢達はルレイヤを糸目推しの担当枠に入れたのだろう。相応に身分の高いご令嬢方ばかりだから、否定も肯定もせずに受け入れることにした。
ルレイヤがアミールを好ましいと思っているのは事実だから。
簡単に湯浴みを済ませて、アミールと一緒にソファへと座る。
「今日もお疲れさま」
「ええ、アミールもお疲れさまでした」
最初の難関であった夜会を無事に終わらせた今、家に帰れば寝るばかりである。
「そういえば家を出る前に手紙が届いたようだけど」
手紙の差出人はエレオノーラだ。ルレイヤの家族から届くことはない。
今私が住まう場所も、結婚したことも、何も家には知らせていない。
政治的背景というものもあるけれど、離れてみてわかったことがある。
ルレイヤはあの家に合わなかっただけだということだ。
家族といえど誰もが一個人であるのだから、ルレイヤが家族の中で異質で理解出来なくても別個の人として認める必要はある。
けれどルレイヤに対して自分達と同じ枠に嵌めようとして上手くいかず、結果として自分達よりも劣る人間だと思っていたのかもしれない。
家族ではあったが誰とも対等ではなかった。
ただそれだけだ。
ルレイヤが何も言わず去ったことに対して怒り、心配はしてくれる。
でも、それだって自分たちの敷いた道を正しく歩けなかったことにであり、嫁がせた先に下手なことをしていないかの憂慮ぐらいか。
侯爵家でされていた仕打ちだって聞けば怒るのだろう。
ルレイヤに。
どうして言わなかったのだと。なぜ逃げてこなかったのだと。そんなことだから使用人にすら蔑ろにされるのだと。ルーシェリアだったらこんなことにならなかったのだと。
そんなもの、妹から姉へと乗り換えた意味を考えれば、どういう理由であったって碌でもないことだとわかっていたはず。
だというのに家族は誰一人反対することなく、ルレイヤを侯爵家に嫁がせている。
なにより夜会でルーシェリアの面影を取り、ルレイヤという存在を捨てたのだ。
だからルレイヤは自身の意思で手紙を出そうと思わない。
互いに健やかであればよいと思うだけ。
サイドテーブルに置いたままにしていた手紙を取りに行き、アミールの横に座り直して封を切る。
ゆっくりと読み上げてくれた内容に、夫婦そろって顔を合わせて苦笑いした。
「これはまたクソッタレだ」
「ええ、私も驚きです」
母国から海を渡った後に届いたエレオノーラからの最初の手紙は、ルレイヤを大いに驚かせた。
なにせマティスが真に愛する人物はルレイヤであったと書かれていたのだから、虐げられていたと感じていた側としては訳が分からないとしか言いようがない。
続く文章を読んで、生理的嫌悪と共に呆れすらも浮かび、危うく友人の手紙を破り捨てるところだった。
今回の手紙はマティスの近況が書かれている。
ルフェーヴル侯爵からは廃嫡の上で領地に戻され、伐採と植林計画を進めている森の管理人をするように命じられたとのことだ。
除籍にして外へと放り出さなかったのは、危険人物を世に出せないと判断したからだという。
三度ほど会っただけだが、元義父は気難しそうな人物だった。けれどルレイヤとはきちんと正面から話をしてくれた人だ。唯一元義父だけが結婚を反対したので、一番まともな人だったのだとも思っている。
そのマティスだが領地へと戻って程なく、身の回りの物を売り飛ばして資金を作ると領地から出て行こうとしていたのだ。
何をするかわからないと警戒していた侯爵が監視を付けていたことから、領地を出ることなく捕らえることはできたが、まさか早々に行動するとは侯爵も思わなかったようだ。
より厳しい処遇にしたほうがいいと判断したらしく、それ以降は病気と称して姿を見せなくなったらしい。
探りを入れてみたが領地で姿を見かけることがないことから、侯爵邸のどこかに監禁されているのではないかというエレオノーラの推測で手紙は締められていた。
「私としてはお二人のお子のお話が聞ければと思ったのだけど」
「まさかの元夫だとは僕も驚きだ」
丁寧に折りたたんで封筒に仕舞う。
明日にでも返事を書こうと思って立ち上がると、アミールが手首を掴むので足止めされてしまう。
「アミール?」
「あの男は君を不幸にしたけれど、僕も人のことがあまり言えないね」
手紙の内容に何か思うところがあっただろうか。ルレイヤには特に思い当たることはなかったが、しょげたアミールは水を掛けられた猫のようで何とかしてあげたくなる。
「そう?あの人の横にいるのは苦痛でしかなかったけれど、アミールの横にいるのは嬉しいわ」
三度座り直したルレイヤは夫の頬を両手で挟む。
「貴方のくれる不幸せは、私にとっては不幸せではなかったもの」
ゆるりと笑うアミールの手がルレイヤの腰へと回される。
「ならば、これが君に似合う不幸せだといいのだけど」
額に口付けを一つ。
「私に似合う不幸せ、ね」
眦に一つ。
「残念な僕に愛される君。
不幸せだと思わない?」
鼻先にはリップ音と共に。
ルレイヤは擽ったさに目を細め、自らも夫の唇の端に自身のそれで軽く触れた。
「ならばこのまま不幸せでいいわ。
だって貴方がいるのだから」
僅かに開いた蜂蜜色の瞳がルレイヤを眺めて消える。
「僕も君がいれば、どんな場所でも不幸せが幸せに変わるから。
だからこれからもよろしくね」
その言葉の返事は、唇が塞がれることによって紡がれることはなかった。
本編はこれで完了となり、気が向いたら後日談とかオマケ話を書こうかと。
2024/3/27
感想ありがとうございます!
リクエストを調整して並べると、
①いけおじ幼女
②ロアン家のお兄ちゃんと行く末
③王太子夫妻の馴れ初めか王太子夫妻+アミールのルレイヤ救出作戦
④ぼろ雑巾マティス
⑤妹目線
これ以上後日談を書くと新しい物語を書き進められないため、リクエストは〆させていただきます。
そして、主旨のズレた話を書く可能性が高いです。
方向性を違えるのは作者の悪い癖ですが、それでも書き進めていきたいと思います。