01. ルレイヤ・ノクターナ・ルフェーヴル
窓から見える景色は雨と少しの霧によって、随分と見通しが悪くなっている。
そうでなくても夜なのだ。
けれどルレイヤが窓の外を眺めているのは景色を見たいからではなく、かといって誰かを待っているというわけでもない。
ただ単に嫁いだ家での居心地が悪く、使用人の仮面のような無表情も、無遠慮に浴びせられる視線をも視界から振り切りたいだけである。
嫁いですぐにルレイヤに付いてくれた侍女は比較的親切だったが、夫であるマティスにそれを言ってからは姿を見なくなってしまった。今では仮面を被っているのかと思うくらいに感情のない侍女ばかりに囲まれている。
僅かにも判別がつかない薄暗い外で、僅かな灯が移動しているのだけが目に入った。
すぐに控え目なノックとともに使用人が現れて、夫の馬車が到着することを伝えてくれる。
出迎えなければならない。
身嗜みを確認してから部屋を出る。
ルフェーヴル侯爵家に嫁いでから三ヵ月。侍女に誘導されながら歩く廊下は未だ慣れることはない。
そもそも伯爵家としては下位であったルレイヤの実家とは広さが何倍も違う。
侍女に遅れないように少し急ぎ足で歩く。嫁いでから少し経った頃、部屋の位置を覚えながらエントランスに向かえば夫であるマティスは既に帰宅しており、家令から苦言を呈されることとなった。
──妹君のルーシェリア様でしたら、このようなことはないでしょうに。
その後すぐに夫が夕食となったので有耶無耶になったが、以降に謝罪がなかったのはルフェーヴル侯爵家の誰もが同じような考えでいるのだと、ルレイヤはそう思っている。注意しなかった家の主たる夫も含めて。
女主人として咎めるべきであるが、ルレイヤ自身も否定できないのだ。どうして言葉を返せようか。
階段を降りれば夫はまだ家には入っておらず、安堵するルレイヤに家令がちらりと視線を寄越したけれど、すぐに玄関扉へと向かい直して姿勢を正す。
横に並び、ルレイヤも背筋を伸ばして出迎える準備をすれば、些か乱暴に扉が開かれて水滴を振り落としながら美丈夫が供を連れて入ってきた。
「いやあ、酷い雨だ」
ルレイヤが使用人から渡されたタオルを差し出せば、少し肩が跳ね、ルレイヤを見下ろしてからぎこちなく笑った。
「お帰りなさいませ、旦那様」
ルレイヤが畏まって頭を下げれば、仕事帰りの疲れを感じさせない声が落ちてくる。
「ただいま」
帰宅を告げる言葉にゆっくりと頭を上げれば、マティスと目が合った。
マティスは目を細めて笑うと、「出迎えありがとう」と言いながら外套を脱いで家令に渡す。
「デュランベール公爵の家で急遽当主の交代があったらしくてね、手続きに随分と手間取った」
「さようでしたか」
デュランベール家からは、先月にご令嬢が王家へと嫁いでいる。
事情により身内だけでの婚姻式と、国民へのお披露目だけとなったのと何か関係があるのだろうか。
だとしたら忙しいことだろう。
「さて、少し遅くなったが夕食にするつもりだ。
君は先に食べただろうから、付き合う必要はない。
まだ慣れない家では気疲れするだろうし、部屋で休んだ方がいいだろう」
そっと伸ばされた手は、けれどルレイヤに届くことなく下ろされる。
「当分は早くに帰れないだろうから、帰宅の出迎えは不要だ。
気にせずゆっくり夜を過ごしてくれ。
おやすみ、ルル」
言外に告げられるのは独り寝だ。結婚してから一度たりとも夜を共にせず、今夜もまた一緒に過ごすことがないようだ。
歩き始めたマティスに頭を下げて見送る。
顔を上げても私の表情は変わらないままだろう。笑顔なんて久しく浮かべた記憶はないけれど、もしかしたら淑女の笑みは貼り付いているかもしれない。
夫はルレイヤを愛称で呼ぶ。
とても愛おしそうに。大切な者に告げるように。
けれど、それはルレイヤの愛称ではない。
ルルは妹の愛称だ。
書き出しが、「もしかして、サスペンス?」と思われるかもしれないですが、少しもサスペンスはやってきません。