カェリミチ
この田舎町には、左手に絶景の海が広がり、右側は日本の名山に選ばれた山が連なっていた。
神社を抜けて少し細くなった緩やかな坂の両側には、一軒家や小さな民宿が立ち並ぶ。もう少し山側の方に行くと、海が見えるリゾートホテルが建っていて、大浴場で温泉に入れるらしい。
季節を問わず、この田舎町には観光客が訪れていて、それなりに賑やかだ。
道沿いに自転車を走らせると、この街の絶景ポイントである、岩と真っ青な海が見える。
そこから、くねくねとうねった細道を登ると、尚人の家があった。それが、小学生の時から今にいたるまで、変わらない通学路だ。
尚人の通う中学校の裏手に海がある。
晴れた日には、キラキラと光る海の彼方まで良く見え、ここに一つ歳下の妹も通っている。
いつも退屈な授業が終わると、尚人は同じ部活に入っている、友達の雄大と一緒に、剣道の部活に励んでいた。
それから、神社の鳥居の前で今日あった学校のできごと、流行りのゲームや、漫画の話をした。そして日が暮れる前に友達と別れ、お互い家路に着く。それが尚人の、変わらない日常だった。
「なんだこれ」
「雄大、それお守りだぞ」
雄大が鳥居の近くに転がっていたキーホルダーのようなものを見つけ、拾うと尚人の前に差し出してきた。
小さな手のひらサイズの能面で、いわゆる女面に鈴がついていて、どこかの地方の民芸品やお守りのように見えた。どことなく薄気味悪いが、尚人にはなんとなく、ご利益がありそうに思えた。
「でもさ、尚人。これなんか汚いし、キモくない?」
「うん、まぁ。神社に参拝した人が落としたのかな。宮司さんに預ける?」
「こんなの神社で売ってないだろ。明日交番に届けるか。尚人、お前が持っといて。うちの母さんうるさいから」
なんで俺が、と尚人は言いかけたが雄大にキーホルダーを押し付けられた。雄大は自転車に乗ると『また明日』と言い、去っていく。
尚人は、ポケットの中にそれを入れると、自転車を押しながら鳥居を潜り、境内を横切った。
「急に静かになったな」
鳥の声も風の音も全くしない。尚人はそれを不思議に思いながら、歩く。
この時間はいつも、社殿の隣に住んでいる宮司さんの祈祷の時間と重なるようで、お互いに挨拶を交わすのに、今日は珍しくいない。それどころか、普段ぽつぽつと見かける参拝客も見ない。
家族とどこかに出掛けているのか、宮司の自宅は真っ暗で、人の気配がしなかった。
神社を抜ける出口で、自転車に乗った尚人は緩やかな坂を漕いでいく。
両側にある一軒家も、民宿も明かりはついておらず、野良猫の鳴き声さえも聞こえない。
不気味に思って看板を見ると「繧ケ繝翫ャ繧ッ縺セ縺ェ縺ソ」や「縺薙■繧峨?驕コ鬪ク譚」など、読めない文字が並んでいた。
なにより、この時間に歩いているだろう観光客の姿も誰一人としてすれ違わない。これが尚人の妄想でなければ、鳥居の門を潜った瞬間に、裏世界に飛ばされてしまったようだ。
「なにこれ、怖い。誰もいないの?」
海が見えるリゾートホテルさえも、停電しているかのように真っ暗で、全く人の気配がしない。まるでこの田舎町の住人が、夕暮れ時に尚人だけを置いて、そのまま消えてしまったかのようだ。
尚人は、両親や妹に連絡を取ろうとスマホに触れるが、全て意味不明な言葉の羅列と、歪んだアイコンに変わっていて、まったく使い物にならなかった。
尚人は半泣きになりながら、一刻も早く自宅に帰ろうと、道沿いに自転車を走らせた。しばらくして彼は急ブレーキをかけ、愕然とする。
「ここ、どこだよ!」
黒い太陽、赤い空、そして紫の海が広がった異様な世界だった。ここは本当に自分が住んでいた町じゃない、いるべき場所ではないと尚人は理解し、恐怖を感じて膝が笑った。
「あんな気持ち悪いもん、雄大が拾うから!」
ポケットの中に入れたはずの女面のキーホルダーがない。どこかで落としたのか。あれを壊せばもとに戻るのか。
ふと、目の端にくねくねとうねった細道から、焦点のぼやけた人影が揺らめいた気がして、尚人はそちらを見れなかった。
逆再生したかのような無意味な言葉が、風に乗って聞こえくる。
「リェカォ」
それは、母親の声に似ていた。
尚人は絶叫すると、勢いをつけて自転車に乗る。そして尚人は、来た道を全速力で走った。
完