魔女裁判後の日常4「飢餓」
偽りの神々シリーズ
「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました。」記憶の舞姫
「破れた夢の先は、三角関係から始めます。」星廻りの夢
「封じられた魂」前・「契約の代償」後
「炎上舞台」
「ラーディオヌの秘宝」
「魔女裁判後の日常」
シリーズの6作目になります。
※
何が起こったのかと思うほど、サナレスはびくりと身体を硬直させた。
いきなりの出来事だ。
抱きしめていたリンフィーナの腕が持ち上がり、その手がサナレスに回される。そして唐突に、彼女は訴えた。
空腹を――。
「リンフィーナ……?」
「残念だが私は、おまえの可愛い妹ではない」
即答だった。憮然として言うその口調は、サナレスも聞いたことがある。
「ソフィア……なのか?」
サナレスの確認に彼女は頷いてきて、サナレスは不安に頭を抱え込んだ。
「まさか……」
「断っておくが、私がリンフィーナをどうにかしたわけじゃない。このままじゃ命の危険を感じたから、ーー仕方が無いから私が出てきてやったんだ」
サナレスの落胆を他所に、ソフィアはリンフィーナに投入している栄養剤の管をはずし、すこぶる機嫌の悪い顔つきでこちらをにらんでくる。
「ーーリンフィーナは無事なのか?」
「無事もなにも、今、自殺志願者を私が生かしてやっているんだ。この腕に刺した針も鬱陶しい。このままじゃ、私も飢えて死にそうだ」
そういって立ち上がろうとした妹の身体は、よろよろと力なく倒れ掛かってきた。
それを受け止め、サナレスは叫ぶ。
「リーイン! リーーインリー、ちょっと来てくれ」
サナレスは少女の身体を抱き上げて寝台へ寝かすと、叔母の名を呼んだ。
驚いて部屋に飛び込んできたリーインに、サナレスは食事を用意してくれと頼んだ。
そして目を見て確認する。
「食べれるんだな?」
「食べなければ死んでしまう。食べさせろ!」
サナレスはリーインに消化の良いものを手当たり次第運んでもらい、リンフィーナの前に並べた。
よろよろと起き上がった彼女は、自分の手でスプーンを持ち、すごい勢いで平らげていく。
「そんなにがっついたら、身体に毒だ……」
呆れるサナレスとリーイン、それから部屋に飛び込んできたナンスが、その様子をいっせいに見守った。リンフィーナではないことが、彼女の所作から見て取れる。
「おまえ、……スプーンの使い方も知らないのか?」
逆手に握り締めたスプーンで、必死にスープと格闘し、もう片方でパンをかじる。顔の周りを食べ物でいっぱいにして、少女は必死に飢えをしのいだ。
作法もなにもあったものではない……。
「動物でも乗り移ったの?」
小声でリーインが囁くのを聞いて、サナレスは複雑な表情で吹き出した。
「あら、珍しい。笑えるなんて……」
久し振りに、弱りきったリンフィーナではない彼女の様子を見て、サナレスは吐息をついた。例えその中身が、リンフィーナではなくても、食事をとってくれていることには変わりないのだ。
泣きたい様な、笑いたいような気持ちになりながら、サナレスは少女を見守った。
案の定彼女は、食べ物を一気にほおばり過ぎて、顔を赤くした。喉が詰まったようである。
サナレスは少女の背中をさすった。
「ゆっくり飲んで」
水を注いだグラスを口元にもっていき、胸を押さえる彼女にすすめる。
「すまない」
むせこみながら、彼女は水を口に含んだ。
「私は十五の歳になるまで、森の中で育った。人の世の決め事や些事には、うといところがある」
事前に伝えておかなければならないと、彼女は言った。
「それからリンフィーナという娘のことだが、どれだけ起こしてやろうとしても、起きてこない。おまえの妹は私を道ずれに死ぬつもりらしいが、私としてはしごく迷惑な話だ。今は力でこじ開けて出てきているが、この娘がまたいつ駄々をこねて、私を閉じ込めにかかるかもしれない」
だから食べれるときに食べておかねば、と彼女はおかわりを要求した。
「リンフィーナが起きてこない?」
気になって問うサナレスの方をちらりと見ながら、それでも少女は出来る限りの食糧をたいらげていく。飢えた状態から脱するためとはいえ、大した食欲である。彼女の体の中の胃袋には到底収まりきらない量の食べ物を咀嚼していく。
「娘は心を閉ざしたままだ。たかだか一人の男のことだと言うのに、つまらん考えだ」
サナレスは黙る。
「しかし心配するな。私がこうして生命維持をしている限り、彼女は自ら死ぬことなんてできない」
死んでしまおうとしている、正しくは生きていたくないと思っていることが問題なのだが、どうやら別人格は励まそうとしてくれているようだ。
吐息をついて、サナレスは妹の顔を見た。
頬がこけ、目ばかりがおおきくなり、ここ数日で歯茎すら痩せてしまったようだ。様変わりしたリンフィーナが、今元気良く食べ物を頬張っている。それだけでも感謝しなければならないと思った。
サナレスはリンフィーナの頭の上に手を置いた。
中にいるのは妹ではない、ソフィアという少女。それでも――。
「生きようとしてくれて、ありがとう」
サナレスは言った。
ソフィアは動作をとめ、サナレスを仰ぐ。
「私が出てきても怒らないのか?」
「お前が出てこなければ、もっとひどい状態になっていた」
「そうか」
ソフィアは大人しくサナレスに頭を撫でられた。
生きてくれてさえいれば、なんとかなる気がしていた。自分がしでかした過ちを修正することも、リンフィーナが生きてさえいてくれれば可能になる。
ソフィアはひとしきり食べた後、眠るといって横になった。
食べて体力が回復してくれればいい。本能的にソフィアはそれを知っているようだった。
彼女は森の中で暮らしていたと言っていた。
伝説では確か、魔女といわれたソフィアは幼少のころに迫害され、銀の森で人と関わらずに育ったはずだ。本来ならば貴族の姫として何不自由ない暮らしが約束されていたはずだというのに、彼女は飢えに対する危機感も、防衛本能も誰よりも身についているようだった。
先ほどよりも僅かに赤みがさした妹の頬を見て、サナレスは胸を撫で下ろした。
「イル・サ・ラーディア」
顔を上げると、ドアのところにウインジンが立っていた。
「リンフィーナは、魔女にのっとられたのか?」
向けてくる視線は予想通り厳しいもので、サナレスは嘆息した。
「のっとられたわけではなさそうだ。それからウインジン、すまないが私のことは敬称で呼ばなくとも構わない。私も今はそうさせてもらいたい」
ウインジンはふっと笑った。アセスの体神が亡くなったことで、ウインジンからの疑いも晴れたようだった。
「席をはずそう」
しかしソフィアが目覚めたことで、問題がまた浮上していた。
この場で話すことではない内容だったので、ナンスとリーインを部屋へ残し、サナレスはウインジンと別室へ移動した。
「魔女裁判後の日常」:2020年11月2日