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魔女裁判後の日常  作者: 一桃 亜季
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魔女裁判後の日常1「閉じた心」

偽りの神々シリーズ

「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました。」記憶の舞姫

「破れた夢の先は、三角関係から始めます。」星廻りの夢

「封じられた魂」前・「契約の代償」後

「炎上舞台」

「ラーディオヌの秘宝」

「魔女裁判後の日常」


シリーズの6作目になります。

 何モノにも代えられない少女が、目の前に眠っている。

 二度と目覚めないのではないかと心配するほど、彼女は凍りついた表情のままだ。

 白くて小さい手を取って、サナレスは自分の頬に引き寄せた。細い指の一本一本は、まるで精巧に出来た人形のようで、ぴくりとも動かない。


 大きすぎるショックは、少女の生きる活力を完全にうばい、目覚めることすら拒否してしまった。

 力と力のぶつかり合いが起こした爆発は、辺りのものを一瞬で吹き飛ばした。

 咄嗟に危険を察したサナレスは、自分の腕の中に少女を庇った。


 しかし少女は自分の手の中から出ようと、一生懸命虚空に手を伸ばす。

 アセス、アセス、アセス――!

 愛してやまない少女は、別の男の名前を呼び続けた。

「お兄さま、離して。アセスが――!」

 煙に巻かれ、視力を失うのも構わずに、少女は彼を捜し求めた。

 瓦礫の上を這い、手足が傷むのもかまわず、彼女は手探りで男を求める。捜して、捜して、捜して、――そして。


 ――それでも男の姿が忽然と消えているのを知って、彼女は絶望した。

 自分の腕の中で他の男を捜し続け、身が引きちぎれるような感情をあらわにして、泣き叫ぶ少女。

 それでも、かくも愛しい。


     ※


 ラヴァナ家を襲った突然の幻獣は、アセスの体神がシヴァールに与えた衝撃で、煙のように消失したが、しばらくは誰も起き上がる気力すら沸いてこないほどの惨状だった。


 屋敷の半分は潰れ、半分は焼け焦げている。屈託が無いこの館の主人、リーインリーズですら、ゆうに一日中うなされて寝込んでしまった。

 屋敷の修復は簡単だが、人の心を蝕んだ恐怖というものは、そう簡単にはぬぐえない。


 リンフィーナが意識を閉ざして、もう五日は経とうとしていた。

 医師に見せるが、精神的なものだと言われては手の施しようが無い。

 塗れた布で唇を湿らし、管を通して栄養剤を与える。それでも彼女は痩せていくばかりだ。


「サナレス、そんなに付きっきりじゃ、お前のほうが参ってしまうよ」

 リーインが心配して声をかけるが、サナレスは少女の側を離れようとしなかった。

 眠っている少女は、リンフィーナ・アルス・ラーディア。彼の血の繋がらない妹である。

「この子がセドリーズの娘になると聞いたとき、こんなことになるんじゃないかと思っていたよ」

 リーインはサナレスの肩に手を置いた。


 少女の側を一歩たりとも離れようとしないサナレスは、彼の叔母であるリーインにとっても痛々しく目に映った。兄妹として接しながら、実はずっと妹である彼女への想いを秘めてきたことは、ここ数日で露見され、常のサナレスがおよそ彼らしくない様子である。


 今まで必死で隠そうとしてきた彼の気持ちは、リンフィーナを失ってはじめて、隠すこともできないほどに溢れ出し、彼女が寝かされた寝台の側にひざまづき、サナレスは抜け殻のようにじっとしている。

 様子を見かねたウインジンが、公的な処理を代行し、屋敷の修繕を依頼したり、リーインと協力してラーディアに連絡をとったほどである。


 アセスの体神の死は、リンフィーナにとってはアセス本人の死となんら代わることがなかった。目の前で、自分のために恋人の命が奪われたショックは、相当なものだ。まして彼女の前で殺されたのは、アセスだけではなかった。彼女が幼いころから一緒に居る、養育係りのラディまで、無残に命を落としている。

 精神が崩壊するには十分な要因があり、サナレスもそれを理解していた。


 けれど――。

 頼むからリンフィーナ――。


 サナレスにとっては彼女が目を覚まさないことで、苦しみは何重にも膨れ上がった。

 アセスを巻き込み、一族の総帥である彼を魔道士にしてしまったこと。またそんなアセスの体神まで死なせてしまったこと。自分のために、命を落としたラディ。そしてそのことで傷ついたリンフィーナ。


 ラディの葬儀が終わった後、サナレスはリンフィーナの側で何もしなくなった。

 すべてが不調和音となり、サナレスの心をも蝕んでいく。

 もしも自分が、アセスとリンフィーナを出会わせなければ、アセスは魔道士にならなかったのか。また、彼の体神はリンフィーナの前で死ぬことなどなかったのか。そもそもアセスは、ラバースなんて力を使わずに済んだのではないか。


 もしもラディを、リンフィーナの双見にしていなければ、彼女はあんな死に方をせずにすんだのか。

 もしも自分自身が、自分自身の手で彼女を護り、早くに彼女に想いを告げていたら。


 ――これほどの悪夢を見ることはなかったのではないか。

 それはもはや後悔しても取り返しがつかないほどの傷になってしまっている。


 大切な存在を一瞬にして奪われる恐怖は、筆舌に尽くしがたい。

 ラディを死なせ、アセスを失い、リンフィーナの心が壊れた。すべてが自分の不徳の致すところではないか、とサナレスは自らを責めつづけた。


「イル・サ・ラーディア、こうしていてはいけない。おそらくシヴァールは、痛手は負ってはいるものの、死んではいない。もう一度ここを襲われたら、我々はおしまいです」

 リーインには内密に、ウインジンが警告をしてきても、サナレスの耳には入らなかった。


 わかってはいるのだ。

 動かなければならないこと。立ち止まってはいられないこと。

 しかしサナレスはただ、リンフィーナの側についていたいだけだった。


 もう一度彼女が目を覚まし、自分の事を見つめてくれる瞬間だけを待ち望んでいる。代われるものなら、自分の心が崩壊してしまえばよかったのに、と思う。

 リーインとウインジンが代わる代わるやってきて、サナレスに話しかけるが、彼の魂はその場所を動かなかった。

 どうすれば眠り続ける彼女の目を覚ますことができるのか――。

 手を拱いたまま、時間ばかりが経っていった。


 そんな折だ。

 ラーディオヌからの使者だという者が、伯爵家を訪ねてきた。

 公式な使者だというわりに年端も行かない少年を前に、サナレスは眉をしかめた。漆黒の髪とその瞳が、アセスを思い出して胸が痛む。

「ラーディオヌ家に仕える、ナンス・イー、ーーナンス・イー・ラーディオヌと申します。この度は皇女リンフィーナにお目通り願いたく、こちらにいるとお伺いして、訪ねた所存です」


 早口にそれだけまくしたてた少年は、見れば服のあちこちが汚れ、血のようなものが付着している。怪我をしているようだ。

「御一人で来られたのですか?」

 リーインがそれを見てとって、サナレスに返答を仰ぐ。

「せっかく来ていただいたが……」

 サナレスはそれだけ言って彼から視線を反らせた。


 今はリンフィーナのことで頭がいっぱいだった。こうして彼女が眠る寝室を離れている時間が、苦痛でしかたがない。

 背を向けようとしたサナレスを、しかし少年はすかさず呼び止めた。


「すみません、サナレス殿下ですね?」

 少年はサナレスの前に回りこみ、足元にすがりつくように頭を下げた。

「お願いします。アセス様を――、我が一族の総帥を救ってください」

 血相を変え、床に頭をこすりつけるように這いつくばって、少年は訴えてきた。


 そういえばラーディオヌ邸で、この少年らしき者を見かけたことがあった。少年の方もサナレスを知っているようで、ラーディオヌの使者というのは間違いが無さそうである。

 サナレスは息を飲む。

「頭を上げるがいい。話を聞くから――」

「魔女裁判後の日常1」:2020年11月1日

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