9
《【アオ】/このイブが託してくれたフィルターを使ってログイン処理を続けます。ですが、パーソナルデータの全転送に時間がかかるのは変わりません。それでも待っていてくれますか》
「勿論です。この世界が終わるまで、ずっと待っています」
爆薬が宙で散って華を描く。
その間隔が短くなっている。
もう魔法の時間は終わりだ。
この世界の人々には、それぞれの時間がある。
わたし達二人のために、いつまでも独占していていいものではない。
《【アオ】/メアリさん、ありがとう……》
最後に一際大きな一輪が湖の水面を覆っている。
その後歓声が地響きのようになり、だんだんと収まりそれぞれ帰路につき始める。
一部エリアの停電が解除されたというメッセージが、個人ウィンドウに表示された。
この世界は日常に戻っていく。また現実と離れていく。
だけどもう何も怖くない。
だってアオさんはわたしのお願いを何でも聞いてくれる、とっても優秀な運営スタッフさんなんだから。
だからわたしも、アオさんのお願いをちゃんと叶えてあげるのだ。
††††††††††††††††††††††††††††††††††††
街道には人影もなく、ただ静かだった。
皆は最後のときを、それぞれの家庭で過ごすと決めているのだろう。
全ての店は閉まっていて、信号も機能せずバスもやってこない。
そんな外を意味もなく出歩く人は、そうそういないと思う。
運営チームも一月前に解散となり、わたしもやることがなくなった。
ただ、ずっとあの人を待っている。
春の陽気がわたしの体を照らし、春風が全身を包み込む。
こんなに気持ちのいいプレゼントを与えてくれる、あの白い太陽もそろそろお別れだ。
全てが計算で生まれたものだとしても、わたしにとっては十分本物だった。
全てが無に帰すことになるけれど、そこまで残念に思うことではない。
少なくともわたしにとっては、この世界にやってくる前の、ずっと眠っていただけの時間が戻ってくるだけだ。
経験しているだけに、そんなに怖くはない。
他の人々だって恐怖に怯えるわけでもなく、ただ静かに最後のときを過ごしている。
VR空間での生活は、凡人でも悟りの境地に至るのに十分な長さだったようだ。
遠くの景色が見えなくなり、色調が不鮮明になる。
視力が落ちたように感じてしまう。
恐らく供給電力が急激に弱くなり、サーバーの計算力が落ちている。
最低限必要な演算にのみ集中し、少しでもこの世界の寿命を引き延ばそうとしているのだ。
ゆっくりと見えなくなっていく風景を噛みしめながら、歩みを進める。
大好きだった町もこれで終わりか。
だけどこうやってお別れを告げることができるのだから、現実でいなくなってしまった人々よりは、とっても恵まれているとは思う。
ついには、わたしの目には色が映らなくなり、線と白だけで世界が描写される。
今頃は現実の融合炉も凍りだして、いよいよ地球上での全ての活動が終了する。
わたしはそのときを、どんな気持ちで迎えるのだろう。
でもそんなことを考えていても仕方がない。
わたしには最後の仕事が残っている。
運営スタッフとして、最後の移住者を迎えに行くのだ。
ログインしたときの初期位置は決まっているため、そこへ向かう。
随分遅くなってしまったけど、最後の瞬間まで待ってあげるのがわたし達の約束だ。
世界が崩れる音がする。もうサーバーも限界なのだろう。
ログイン地点で待っていても、人影はなく、だんだんと線で描写されたオブジェクトが消えていくだけだ。
一瞬でいい。そこからの長さはもう関係ない。
必ずこちらにやってくるという約束を、わたしの望みを叶えてもらうだけなんだ。
全てが白になる。耳も聞こえない。
だからこそ、すぐに捉えることができた。
フードで隠されていない顔。
コートの上からでは分からなかった細身の体。
線だけで作られたあの人は惚けた顔をしている。
わたしだってどんな顔をしているのか分からない。
話したいことは一杯ある。
この長すぎた人生は、どんなに圧縮したって語り切ることはできない。
だけど、大事なことは一言で言える。
ずっと貴方を思って、待っていた。
あともう少し。
全ての感覚が鈍り距離感が掴めなくなるけれど、あとほんの少しのはず。
この出会いは、現実では刹那に満たない瞬きなのかもしれない。
だけど、貴方の電子でできた体に飛び込むまでは、どうか待って欲しい。
世界が凍てつく、その前に。やっと、貴方を見つけた。
<了>




