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対面形式での通話を望む人もいるため、それに対応する機能はある。
インサイドカメラを有効にするため、指を動かすことに若干の抵抗はあったが、すぐに開き直った。
『お見苦しい恰好で失礼します』
厚みのあるフードコートを深々と被った男など、見ても面白くないだろう。
見た目に気を付ける余裕など、この世界には存在しないのだから仕方がない。
そう自分に言い聞かせる。
AIと言っても、実務をこなすボディが必要になる。といった理由で、自分も見た目は人間のアンドロイドということになっているらしい。
実際にそれはほぼ正解に近いし、わざわざそれっぽいマスコット画像を用意するのも面倒だったので、そのまま自分の姿を見せることにした。
『わー、同い年くらい? もっと年上の人かと思った』
『気温の差が大きいため、音の伝わり方がそちらとは違いますから。設定と印象も変わってくるでしょうね』
VR空間ではコールセンターAIがどのような人物像で認識されているのだろう。
興味もなかったが、メアリの言い方だと、相当なお爺さんにされていそうだ。
『そうなんですね。でも優しそうな人でよかった。改めてこんにちは! 初めまして!』
彼女はぺこりと頭を下げて、また笑みを見せる。
『初めましてメアリさん』
『あれ、どうしてわたしの名前を?』
『こちらにコールされた方は、お名前がすぐに表示されるのですよ』
他にも個人情報が諸々羅列されているのだが、それは黙っておいた方がよさそうだ。
『へー、そうなんですか。それでAIさん、あなたのお名前はなんですか?』
『それもそちらに表示されていますよ。個人ウィンドウを開いてください』
メアリは空中に手をかざし、ホログラムで映し出されたウィンドウを開く。
VR空間では携帯機器の代わりに、この動作で全てをこなすことができる。
所持品リストの参照も、メッセージや音声のやりとりもこのウィンドウで行う。
そこには通話中の相手の情報も表示されているはずだ。
『えっと、アオさんっていうんだね。よろしくね、アオさん』
『よろしくお願いします』
要件を中々言わない彼女に業を煮やすことは、不思議とない。
人と人が初めて出会って会話をするというのは、本来こういうものなのか。
長らくしてこなかった、そしてこれから二度としないと思っていたことなので、なんだか新鮮味を感じてしまう。
『それでね、アオさん。お互い見えているってことは、他のものも見ることできるよね?』
『何か見たいものがあるのですか? カメラに近づければお見せできますね』
『そうそう、見たいものがあるんです。そこって室内ですか? 外の様子は見られます? どれくらい寒いのか想像できないので、無茶言っていたらごめんなさい』
何が望みなのか思いつかないが、まずは外部監視カメラの状況を確認する。
中心が頼りなくなった太陽系では、どんな隕石がやってくるのか計算できないため、一応外部の様子を観測できるようにしている。
それでも本当に巨大隕石が落ちてきたら、残った人員ではなにも対処できないのだが。
デアイサーに乗ったままならば、この倉庫兼事務所の廃墟から外に出ても特に問題もない。
『今は吹雪もなく、随分ましな方ですね。現実の外の様子をご覧になりたいのですか?』
薄着でうなずく彼女は、皮肉のつもりで言っているわけではないのだろう。
ちょっとした怖いもの見たさのようなものだ。
安全な場所にいると、絶望的な状況に憧れるという。だったらそれにつきあってあげるのも仕事の内だ。
昨日今日が幸運なだけで滅多に仕事はない。
万が一連絡があってもデアイサーの中で対処できる。
『わたし、今の現実世界を見てみたいです! お手数かけますが、映像を中継してください!』
彼女は画面の中で、祈るようにこちらを拝み倒してくる。
信仰すべき神はこちら側にはもういないというのに、随分熱心なことだ。
『承りました。モバイルカメラを移動させれば可能ですので。少々お時間いただきます』
そう言って、いそいそと外出の準備を始める。
外の方が勿論寒いが大差はない。
地球丸ごと冷凍庫の中なのだ。
砕氷作業以外の電源の消費は計画外だが、短時間ならば影響はない。
もう一着防寒コートを羽織り、着衣ヒーターを効かせる。
『ごめんなさい。やっぱりご迷惑でしたよね?』
『いえいえ、VR空間の方々の要望を実現することが、私の仕事ですから』
この言葉は本心だった。望まずにこの死の世界に残っていられる者などいやしない。
自分の存在意義は、たったそれだけしかないのだから。
『すごいなあ、尊敬します!』
比喩ではなく、本当に彼女は目を輝かせる。
そういうエフェクトを使っているのだ。
VR空間特有のコミュニケーションと言える。
『自分はAIです。尊敬するようなものではありませんよ』
『またまたー』
彼女には謙遜の言葉と捉えられたのかもしれない。
だけど、あれもまた偽らざる本心からの言葉だった。
難攻不落の城を思わせる厚い扉の前に辿り着き、開門の準備を始める。
大層な作りとなっているが、ただのデアイサー倉庫とはいえ、充電設備が壊れないように冷風を遮る必要があるからだ。
『少々お待ちください』
操縦席から身を乗り出し、扉横のパネルに手を触れ除雪ヒーターを起動させると、発生した蒸気が即座に凝固しキラキラと舞う。
『なにをしているんですか?』
『このままだと霜で固まってびくともしないのですよ。だからまずは扉を温めます』
『はー。なんかわたしのために電力使わせちゃって、ごめんなさい』
キャノピー前のホログラムウィンドウには、ぺこりとお辞儀をこなす少女の姿が映し出されていた。
『いえ、電力容量には問題ないのです。コールセンター稼働分と、VR空間用の莫大な数のサーバーを動かしても、まだ余力があります』
『それならよかったです。あれ、でも融合炉の限界が近いって聞いたことがありますよ?』
轟音を唸らせながら、重厚な扉が自動で開いていく。
メアリはその向こう側が待ち切れなさそうにしているご様子だ。
そんな彼女を諭すように、自分はゆっくりと口を開く。
『問題は温度ですよ。核融合は高温でないと連鎖的に反応できずに稼働停止します。融合炉は今のところ熱源のおかげで元気ですが、それが外気温に抗えなくなったとき、全て終わります』
メアリは急に真面目な顔つきになって、黙ってこちらの言うことを聞いている。
まずい、言い方が悪かったか。
『ですが、ご安心ください。そのためのVR空間ですから』
『そう……ですね。でも』
彼女は何か言いかけたが、目の前に現れた白銀の景観にすぐさま目を奪われたようだ。
『わー! すごい綺麗!』
二重扉を超えて、降り立ったのは氷の世界。
辛うじて朽ちずに残った人工物や地面一帯は、何かの拍子で被った水分を、そのまま氷のマントとして羽織っている。
太陽の弱弱しい明かりを懸命に反射して、少し幻想的だ。
この倉庫周辺はデアイサーに踏みつぶされた雪の床が、まるで磨かれたように光沢を見せている。
リンクスケートとするには凹凸が多すぎるが、クリスタルの採掘場と言われれば、知らない人は信じるかもしれない。
『これ、本当に全部氷なんですかっ? あの塊も宝石とかじゃなくて?』
『誰も取る人なんていませんが、こんなところに貴重品を置いておきませんよ』
すごいすごいと歓声を上げるメアリに、どこか違和感を覚えた。
彼女だって元は普通の生きた人間のはずだ。
こんな光景はVR空間への移住を迫られる頃に、憎いと思うほど見たはずなんだ。
移住が始まって二年。
全身の体温を奪う氷の冷たさを忘れるには、十分な長さなのかもしれない。
こんな死の景色も、VR空間の人から見ればエンターテインメントに映るのだろう。
別にそれを羨ましいとは思わない。だってそれは自分の仕事が上手くいっている証拠なのだから。
外に出ると流石に温度差で身震いする。
このまま立ち尽くすよりは、マシンを動かしたくなった。
『メアリさん、少し遠くへ行きますか』
『はい、お願いします!』