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僕以外の人類はVR空間に移住した  作者: 佩ロッシュ
現実3
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 しんと静まり返った室内で少し呆けたように待つ。

 なんとも言えない気持ちだ。メアリの顔は知っている。

 今だって呑気に食い歩きしている姿がウィンドウに映っている。

 運営スタッフの特権で、彼女は殆ど整形の類に手を出していないことも知っている。

 だから、初めて会うにしても、初めましてと言う気にはならないのだろう。


 しかし、彼女からしてみればどうなのだろう。

 生まれたときから昏睡状態だったというのなら、自身の目で自己を見たことがないはずだ。データで作られた自分の姿では、どこか不安だったりするのだろうか。

 本当の自分というものを、ちゃんと知っておきたいと願うことは自然なことなのかもしれない。


 程なくして、膝までの高さしかない扉が開き、金属製の箱がこちらにやってくる。

 中には生きているだけの人間が死んだように眠っており、そのまま冷凍保存されている。まさに棺桶と呼ぶしかないこのベッドに、電脳世界にログインしているメアリは寝かされているのだ。

 上面はガラスのため、曇り止めを塗って少し拭けば彼女の顔と対面できる。



『メアリさん。到着しましたよ。これが、現実に生きている、本当のメアリさんです』

『うん。この子が、この子っていうかわたしか……なんか、結構そのままだな……って、あれ? ちょっと、ちょっと! なんで裸なの! アオさん見ないで――!』



 ガラス蓋の奥には、瞼を閉じたままでいる不動の眠り姫の姿が見えた。ただ、姫は言い過ぎたかもしれない。

 高貴な身分を連想させる要素は綺麗な金髪だけで、王冠も首飾りもないのだから。彼女は痩せた身をそのまま露出した一糸纏わぬ姿だった。



『分かりましたよ。見ません。ですが、冷凍保存しているのだから、余計な繊維物は体に触れさせないようにするのは当然ですよ。全部分かった上で、自分を立ち合わせたのかと思ってましたが』

『……アオさん、その冷静な反応は、それはそれでどうなの?』



 興奮するほどの体温を持ち合わせていないというのも大きいが、それよりももっと重大な何かが自分の心を染め上げていた。



『いえいえ。そんなことよりも、メアリさん、ご自身の姿を見られてどうですか』

『アオさんが見ないせいで、画面に映んないじゃん! ちょっとは見て!』

『はいはい』



 コンソールのカメラをガラス蓋に近づけようとするが、なるべく見ないようにするとピント合わせが難しい。



『もー、顔は見てもいいから! 照れないでよ! こっちも恥ずかしいし』



 この感覚を照れというのだろうか。長らく感じてこなかった、二度と遭遇することのない感情だと思い込んでいた。



『初めまして、わたし』



 メアリはウィンドウから覗き込むようにして、自身の顔と向かい合った。鏡のようで、鏡でない。片方は死んでいるようで、もう片方は活気に溢れ。しかし、片方が本物でもう片方が虚像でもあるのだ。



『よかった。ちゃんとかわいくて。こんなのわたしじゃないーって感じだったら、アオさんに見せたくなかった』

『別に、見た目は関係ないですよ』

『アオさんは優しいからそう言うんだろうけどさー、女子は違うの! でも、これで自信を持って言えるよ』



 メアリは視線をこちらに移し、穏やかな口調で言う。



『アオさん、わたしを見て』

『見てますが』

『こっちじゃなくて。現実の方のわたし』



 言われるままに、ガラス越しの彼女の顔を覗き込む。



『初めまして、アオさん』

『……初めましてメアリさん』

『ふふ。なんだか恥ずかしいね』



 棺桶の中で静かに横たわる彼女の顔が、少し微笑んだように見えた。

 彼女は、生きている。そんな当たり前のことが、頭から消え去るくらいに自分はVR空間を管理しすぎた。

 彼女が見せる仕草も感情も、一挙手一投足全てが、ただのデータの演算結果に過ぎないと、心の中で思っていたのかもしれない。


 どこか空虚だった。自分はもう画面の向こうで楽しそうに生活している人達とは無縁なのではないかと思っていた。

 それでいいと思ってからは、クレームのコールにも一々感情変化に体力を割かなくなった。ただただ真っ直ぐに、世界が氷漬けになる日まで耐え忍ぶつもりだった。

 だけど知ってしまった。人と出会うということを。


 自分がやったことは許されないことかもしれない。だけど、なかったことにしていいことでもない。

 感謝の意を伝えてくる彼女の声が、顔が、様々なことを教えてくれる。


 全ては無駄ではなかった。

 日々仲間との別れを繰り返すことも。

 あのサーバーを開発し、イブを失うことも。

 その後捕えられ、コールセンターに徴用されることも。

 凍えるデアイサー内で罵倒される日々も。

 多分、全部繋がっていたんだ。

 イブのためにも、自分はこの感情を隠してはいけない。



『メアリさん……自分は、僕は、メアリさんに会いたい……』



 思ったことが、何のフィルターを通過することもなく、そのまま吐き出てきた。



『うん、うん……! そうだね。そうだよね。嬉しい。やっと、言ってくれた』



 明らかに言い足りていない言葉だったのに、メアリは全て理解してくれた。

 自分は、自分には行く資格がないと思っていた世界に行きたいと、そう願ってしまった。



『だったら、早くこっちに来ないとね』

『……はい、ですが、もう』

『間に合わないとか、もうどうでもいいの。ねえ、わたしの側でログインできる?』



 彼女が入った箱の側面で、デアイサーを屈ませる。ログイン処理用のケーブルを引っ張って、手元に引き寄せた。



『ええ、側にいていいですか』

『当たり前じゃん。それに、これからもっと近くに来るんでしょ』

『そう、ですね』



 決意は固まった。ならばログインする前に、自分に課せられた大仕事をしておかなければならない。



『間もなく加速が特異点を超えます。そのときの計測器データを送信すれば、自分の仕事は終わりです。その後、ログイン処理を始めます』

『うん……でも、そうなるとお話もできないの?』

『テキストメッセージなら、その内そちらに届くかもしれません。ログイン中に気を失う瞬間まで、メッセージを送ってみますよ』

『うん。楽しみにしておくよ』

『それではメアリさん。さようなら』

『なんで、そんなこと言うの』



 コンソールに目をやると、特異点を超えていた。きっとこれから弁解の言葉を述べても、もう届かないだろう。細々とメッセージを送るしかない。

 確かに最後が別れの挨拶なのは、頂けなかったかもしれない。

 自分が言いたいことはもっと別のことだったからだ。

 ケーブルを後頭部の端子に差し込むと、余りの冷たさにぞっとする。



《【システム】/ログイン処理開始まで少々お待ちください》



 ログイン待ちの人間に見せる決まり文句が、テキストデータとして表示される。これは確か自分で書いたものだった気がする。まさか自分が読まされる側になるとは想像だにしなかったことだ。

 もうじき太陽は役目を果たし、この世界を氷漬けにするのだろう。そうすれば電力供給は止まり、全ての人類の活動が停止する。

だけど、その寸前に、ここに来ることができて救われた。

 世界が凍てつく、その前に。君に出会えて、よかった。


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