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僕以外の人類はVR空間に移住した  作者: 佩ロッシュ
現実3
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2

 髪型を変えたメアリが、夜空を背景にして項垂れている。



『なので、少し時間がかかりますが、安置所に向かいますね』



 デアイサーの足に積もった雪を振るい落とし、一歩一歩新雪の山を踏み砕く。デアイサー内の熱源が生きている限り、寒さ自体は大して問題はない。

 だが、すぐさま足が雪に埋もれて、本当に進めているのか不安になってくる。



『ねえ、無茶しないで。いいよもう。わたしはアオさんに危険な目に遭わせてまで、本当の自分を見たいわけじゃないよ』



 彼女は優しさから、そう言ってくれているのは分かる。

 だけどそれならば、自分がここにいる意味はなんなのだろう。

 ザイトの誘いに乗って、VR空間へログインしておけばよかったのだろうか。

 自ら志願したイブに、全て押し付けておけばよかったのだろうか。

 こんな生命が存在すべきではない世界に、それでも踏み留まったのはどうしてだろうか。



『行かせてください』

『どうして……!』

『意味を、ください』

『……アオさん、なんのこと言ってるの?』

『ここに残る意味です。コールセンターは閑職だったといえ首になりました。残りの仕事は結果が分かりきっているデータを報告するだけです。そのためだけに、最後までこの地獄に残ったというのは、耐え切れないものがあります。今更になって、そんなことに気づかされました』

『首……? やっぱり前の花火のとき、そうとう無茶したんだ! あれはアオさんが悪いわけじゃなのに! どこか分かんないけど、抗議しておくよ!』

『いえ、もう済んだことです。こうやってまだ会話ができるだけ、ありがたいくらいです』

『でもさアオさん、考え方次第だよ。もう仕事が終わったなら、それはいいことじゃない? だって、これでこっちにログインできるってことでしょ? やっと会えるんだね』



 メアリの感情を様変わりさせる速度と、デアイサーに雪が積もる速さに大差はない。

 あっという間に重くなる機体は歩くだけで限界を迎えそうだったが、それでも自分は凍り付く唇をなんとかこじ開けた。



『……もう自分がログインすることは、できません』

『えっ? どうして?』



 現実をずっと夢の中で過ごしていたメアリには、AIと偽っても効果がなかった。だから、技術的な問題を嘘偽りなく伝えることにした。



『間もなくVR空間の加速は特異点を超えます。そして超高速になった計算機は、現実ではありえない速さで自己改修を始めます。つまり指数関数的に現実との差がつくということです。その結果、現実はVR空間の速度に追いつけなくなります。従ってデータの同期がとれずにログイン処理が未完のまま、自分は凍死するしかないんです』



 今言うしかないことを、自分でも意外に思えるほどすらすらと口に出す。

 するとウィンドウの中のメアリは、困惑の様相を見せた後、冬草のように萎れながら生活を送っているようだった。予想通りの反応をしてくれるが、だからこそ言いたくはなかった。



『なに……それ……そんなの聞いてない……アオさんは結局、VR空間にログインできないってこと? そんなのおかしいよ! 絶対だめだよ!』

『誰かが残って、加速の最終段階までサーバーを守る。それが自分の使命でした。だけど、他にもすべきことができたのです。メアリさん、最後に自分の本当の姿を見ておきたいんでしょう? だったらそれに協力させてください。そのために最後まで耐えたのだとしたら、まだ意味がある』

『わたしのことはいいから! どうして、アオさんがそんな目に遭わないといけないの? そんなの駄目! 誰が決めたっていうの、そんな酷いこと』



 瞬きする毎に、キャノピーの窓は雪化粧を超えて氷柱を生やす。しかし、それ以上の速さでメアリは返答を繰り返している。

 それが加速された世界では普通のことなのか、それとも彼女は一刻も早く自分にものごとを伝えたいと思ってくれているのか。



『メアリさん、自分が何者か本当に調べていないんですか? 恐らく、そちらでは有名だと思うのですが』

『知らないよ! アオさんを知ってから、アオさんのこと悪く言うような情報はシャットアウトしていたから。だってなんだかむかむかするもん。わたしが思うアオさんは、なんか昔悪いことしたらしいけど、でもそんなの関係ない、いい人。少なくとも、現実でそのまま死んでいい人じゃない!』

『いえ、自分はただのAIです。そしてアオという男は、ただの悪人です』



 メアリは瞬時に切り替わる背景に反して、ずっと後ろめたそうな顔をしていた。何日もの間暗い思いを持続させるなんて、心底優しい子なのだろう。

 折角のVR空間の生活を台無しにさせて申し訳ないが、それでも自分には最後まで喋り続ける義務があると感じた。



『そんな……でも、アオさんは悪くないよ……わたしは、そう思うよ。だって、結局のところ、アオさんのおかげでVR空間が成り立っているんでしょ。だったら、やっぱりアオさんは悪者なんかじゃない。多くの人を救っている』

『メアリさんは優しいですね。でもそう思わない人が多いのです。アオという男のせいで、計画に遅れが出ました。凍える寒さに耐えながらログイン待ちをしていた人から見れば、自分は悪魔にしか思えないでしょう。こんなに辛い思いをしているのは、移住を遅らせたやつのせいだって。身内がログインできずに凍死したのは、やつのせいだって』



 話すべきことが舌をくぐる間、坂道の辛さは殆どない。それほどに、メアリに真実を伝えることに全身全霊を傾けていた。



『でもやっぱり、そんなのVR空間に来られない理由にならないよ。誰が何て言おうと、アオさんはログインして。間に合うとか、間に合わないとか、そんなの関係ないよ。一人のままでいたら、駄目だよ』



 メアリの顔が一瞬歪む。だけど、自分の主張の正当性を、やっぱり告げ続けないといけない。



『ログインが間に合わないということは、いいことなんです。つまりそれはVR空間が無限の時間を得た証明になりますからね。だからメアリさん、そんなに悲しまないでください。自分は犠牲になるわけではありません。ただ、責務を果たすだけです。そもそも死ぬときは皆一緒です。体感時間が違うだけなんです』

『でも、でも、やっぱり、わたしには分かんないよ……!』



 覚悟は決めた。そう思い込んでいた。だが仲間が全て消え、寒さが強さを増していく中、自分の決心が実は仮初めなのではないかと自問してしまう。

 ウィンドウの向こうのメアリの瞳が潤むと、より強くそう思う。

 こんな自分のことなんか放っておいて、充実したVR空間での生活を楽しめばいいのに。一体彼女は何日こちらを凝視しているんだ。勿論、日常生活を送ってはいるんだろうが、高速で動く画面では、常にこちらを気にしているように見える。目的地に着いたら、こっちから声をかけてあげるのに。

 そんな彼女なら、自分に意味を与えてくれるのだろうか。

 凍える体が活動を停止しないための熱量を、彼女は自分にくれるのだろうか。

 弱気が口から溢れてしまう前に、自分は素直な気持ちをこの雪面世界にぶちまけてしまおう。



『メアリさん、意味をください。この極寒の世界に留まる意味を。メアリさんが本当の体を見たいというのなら、それを手伝わせてください。そんなこと、今となっては自分にしかできないことなんですから、光栄な仕事です。他にもして欲しいことがあるなら、なんでも言ってください』

『そんなことに、命を使わないでよ……もうわたしのことはいいから……』

『VR空間の方々の要望をお聞きするのが、私どもの仕事ですから』

『首になったんでしょ……もういい。分かった。だったらアオさんはわたし専用の運営スタッフに任命します。拒否権はありません』

『おおせのままに』

『よし、だったら、お願いがあります。このまま安置所に着いたら、ログインしてください。そこでできるんだよね』

『できますが、もう間に合わないんですよ』

『時間は関係ないよ。ログインして。一人で死のうとしないで。こんなに素敵な世界なのに、誰かの犠牲で成り立ってるなんて、そんなのいやだよ……!』



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