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僕以外の人類はVR空間に移住した  作者: 佩ロッシュ
現実
3/48

 人類が死にゆく太陽を見捨てて、VR空間へ移住することを決定し二年が経過した。

 殆ど全ての人類が現実の世界から旅立ち、コンピュータで制御された新たな住処で暮らしている。


 そこは一日が二十四時間で、昼夜があり、天気予報を気にして生活し、四季でわざわざ衣類を変えて、時期で食べ物も変わってくる面倒な世界だ。

 人付き合いがあり、必要もないのに仕事をし会社まで設立して苦労を負いたがる人々で溢れている。 

 脳を機器に接続することでログインし、偽物の情報を本物のように錯覚させて精神的に生き永らえる世界。

 そんな新天地を気に入らない人も、宗教などの理由で当然いたが、とっくに氷漬けになって絶滅した。


 意味もなく、凍える太陽と共に生きていくことなどできやしない。

 だから自分の命には、かろうじて意味がある。

 あのVR空間を支えるためのスタッフとして。


 誰かが残らないと、仮想世界を支えているハードウェアに問題があったとき、何も対応できない。

 実際、見積もりが甘く、サーバー群が設置されているドームでは砕氷作業をデアイサーで行う必要が出てきてしまった。

 それが判明したころにはVR空間の開発者くらいしか現実に残っておらず、自分がその役目を負うことになった。

 今、現実で生きているのは自分だけ。

 後は仮死状態で冷凍保存されている人々がVRの夢を見ている。


 輝きを大幅に失った太陽のせいで、朝というものはもう存在しなくなったが、自分が起きる時間のことを慣用句的に朝という。

 仕事場兼ベッドのデアイサーの内部は暗いまま、朝を告げるアラーム代わりの振動で自分を起こしてくれる。


 目が覚めてすぐに狭い機体内部の温度を引き上げて、防寒具を脱ぎ始める。

 全身を保湿オイルで包まないと、すぐに人肉ドライソーセージができあがってしまう。

 だから毎朝こうやって油を塗りつけることから、自分の一日が始まる。


 鍵のかかった保管庫から、不凍液フィルターの換えを取り出す。

 凍らないように不純物だらけになった血液を、腎臓は懸命に綺麗にしようとする。

 そのままにしていたら、腎不全で人工透析一直線なため、ペンシル型の人工フィルターを脚の付け根に差し込む必要がある。


 もしこれを毎朝交換することを怠れば、死ぬよりも苦しむことになるらしい。

 リサイクルする設備はもうなく、このフィルターは使い捨てだ。

 保管庫にはあと数個はあるはず。

 一日一個。

 余り考えないようにしているが、当然、予備も含めてだ。

 計算上の最後の日は、すぐそこに迫っている。


 太陽から受け取る熱量の減少が止まらず、核融合炉の稼働温度を下回り、電力供給が途絶えたとき。

 現実も、現実のコンピュータで作られたVR空間も幕を閉じる。

 そのときを、自分はどんな気持ちで迎えるのだろうか。

 

 一連の極寒対策を終えた後、コールセンター用インターフェイスを起動すると、すぐに夜間中の問い合わせを確認する。

 といっても、この頃はVR空間からの問い合わせも少なくなったため、テキストメッセージを数件送るだけで済んでしまう。



《【ザイト】/特記事項なし。明日予定通りに加速させる》



 VR空間に行ってしまった上司兼監視役も、特に意味のない文言を残していたため、メッセージを非表示にする手の動きに迷いはなかった。

 ここ数日は通話もないが、それでいい。

 対面して何を話せばいいというのだろう。

 もうすぐ太陽が燃え尽きますねと、談笑すればいいのだろうか。


 タンパク質パウダーと塩を混ぜたキューブ状の個体を口に送る。

 今日の昼食は味がするだけ豪華だ。

 栄養を噛み砕きながら、意味もなくディスプレイを見つめる。

 シートにもたれてVR空間を俯瞰することにも飽きた。

 皆が薄着なことに驚いたのも最初だけ。


 体感温度を二十℃前後に保つことができるVR空間では、衣替えの楽しみがないからといって、贅沢にも人為的に寒くしたり熱くしろと要求されることも以前はよくあった。

 それによって今は季節の概念が実装され、自動で気候が移ろうようになっている。

 もっと涼しい設定に切り替えろといったクレームを受けて、分厚い手袋の震える手で対応したこともあった。

 当初はふざけるなと思ったものだが、今となってはそんなやりとりすら懐かしく感じる。


 暇なので、上司であるザイトが書き散らかした資料を眺める。

 彼の責務は果てしなく重く、こんなシートに座りディスプレイを見つめて連絡を待つだけの仕事とは格が違う。

 彼の任務が達成されれば、人類は救われる。

 そして、自分は更に孤独になるのだろう。

 眼前の画面を撫でて、表示させる地点を切り替える。

 様々な仮想の各国の様子を眺めるというパトロールのようなことをしていると、不意に呼び出し音が鳴り、自らの鼓動が跳ね上がってしまった。


 誰だろう。

 最初は先日の女性がまたクレームをつけにきたのかと思った。

 画面が自動でズームアップし表示したシルエットは、若い女の人のものだったからだ。

 だけど、とてつもない違和感を覚える。

 彼女が見せる表情は、コールセンターに文句を言いたいようなものには感じなかった。

 人間の笑顔が、自分に向けられる日がまた来るなんて、思いもしなかった。



『こんにちは! コールセンターさん!』

『……はい、こんにちは』



 普通は挨拶などなしに、不平不満や欲望を矢継ぎ早にまくし立ててくるものなので、返事に少々戸惑ってしまった。



『あの、今お時間大丈夫ですか?』

『ええ、貴方様のご意見を承るのが自分の業務ですので。それに他の仕事は現在ありません。お気遣いなく』

『そうですか、よかった! ちょっと特殊なお願いなので、他の仕事を優先してもらってもよかったんだけど、遠慮しなくてもよさそうですね!』



 いつだって特殊なお願いを押し付けられますよ。

 特にこの時期に、わざわざ現実の方に連絡する人からはね。と愚痴を零しそうになったが、冷たく乾いた空気がそれを阻んだ。



『それで、ご用件は』



 我に返り、ディスプレイに並べられた個人データやログに目を通す。

 ざっと見たところ、特におかしなところはない。



 パーソナリティ……メアリ・FEMALE/16y.o.

 金色の長い髪を、電子で動く風に遊ばせて、彼女はにっこりほほ笑む。



『そもそもですけど、わたし、まだよく分かってなくて……コールセンターさんは人間じゃなくて、AIというのは本当ですか?』



 まともに動かせない唇と舌のせいで、自分の音声は勝手に人間離れしている。

 そのおかげで過度に機械を演じるまでもなく、ほとんどの人間がAIの存在を信じる。

 その上、VR空間を管理している組織が大本営発表していることに、一々疑問を呈することもない。

 そもそも太陽が壊れる遥か前から、こういった問い合わせ業務にはAIの類が実用化されていたため、不自然なことではない。

 だから、この手の質問を受けたのは初めてだった。



『本物の人間が、今の地球に住めるわけがないですよ』



 考えるまでもなく、思っていることが自然に口から飛び出した。

 不純物だらけの体液が全身を巡り、ボロボロになった体躯を金属の足が支えている。

 こんな状態で生きていると言えるのだろうか。



『わたし、そういうことも分かってなくて。じゃあ、やっぱり他に人はいないのかな』

『はい、そうですね。自分だけがこちらで業務を行っております』

『それは大変ですね。お疲れ様です!』



 彼女は元気にお辞儀する。自分と対照的に薄着な彼女は、とても動きやすそうだった。



『ありがとうございます』

『そんなAIさんに申し訳ないのだけど……やって欲しいことがあって』



 メアリという少女は、両手を合わせて詫びるような素振りを見せる。

 本当に心苦しそうに思わせる、大げさなジェスチャーだ。

 VR空間においては日常レベルの動作で体力の消費はなく、また、国籍がないようなもののため、共通言語として大きく動くボディランゲージが発達している。

 だからメアリが一言発するごとに、アルゴリズムで制御された彼女の体はぴょこぴょこ跳ねる。

 防寒具だらけの自分には、とても真似できない所作だった。

 これが人とまともに話す最後かもしれない。

 そう思うとマニュアルから離れた言葉が、自然と舌を滑っていく。



『なんでも仰ってください。本当に他にすることがなくて暇なくらいです』

『えー! そんなこと言うなんて、なんか人間っぽいですね! ではなんでも言っちゃいますよ? じゃあまず、わたしの姿って見えてます?』



 そう言いながら、彼女は手をぶんぶん振りながら三百六十度体を回転させる。

 メアリは、VR空間の郊外区域から運営にコールしている。

 他に人影を確認できないので、おーいとか言いながらくるくる回る彼女を、変に思う者もいないだろう。



『あの、見えています。カメラは貴方の正面を自動で追尾しますので、そんなに動かなくても結構です』

『あー、そうなんですか。わたしの顔が見えているんですねー。じゃあ、わたしにもAIさんのお顔を見せてください』

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